98:医療の進歩と心のケア

98:医療の進歩と心のケア

移植医療とは,重い病気や事故などによって臓器や組織の機能が障害された患者に,他者の健康な臓器や組織を移植することで身体機能を回復させる医療である。臓器提供者(ドナー)の状態により,脳死下臓器提供,心停止下臓器提供,生体臓器提供に大別される。日本では,1997年に臓器の移植に関する法律(臓器移植法)が施行され,脳死下あるいは心停止下のドナーから心臓,肺,肝臓,腎臓,膵臓,小腸,眼球の移植が可能となった。同法は2009年に改正され,生前の本人の意思表示が不明確な場合は家族の同意があれば臓器提供が可能となり,15歳未満の小児からの脳死下臓器提供も可能となった。しかし,ドナー不足により多くの移植希望者(レシピエント)が移植を待っている現状があり,移植を行なった場合でも拒絶反応や免疫抑制などの医学的な問題を生じることがある。そのため,再生医療の実用化が望まれている。

再生医療とは,患者自身の細胞や組織または他者の細胞や組織を培養など加工したものを用いて,患者の組織や臓器を再生し,失われた身体機能を回復させる医療である。例えば,骨髄や臍帯血を用いた造血幹細胞移植は白血病患者などに対する移植医療に応用されている。さらなる再生医療の実用化を目指して,ES細胞,iPS細胞,体性幹細胞などを用いた研究が進められている。2014年には「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」が施行され,再生医療などの安全性の確保に関する手続きなどが定められた。移植・再生医療では,移植にまつわる意思決定のプロセス,手術やその後への期待と不安など,レシピエントだけでなく,ドナーやその家族のこころが大きく揺れ動くと考えられ,こころのケアは重要といえる。

がん医療の領域では,1980年代にサイコオンコロジー(精神腫瘍学)という学問が確立した。こころの研究を行なう心理学(Psychology)とがんの研究を行なう腫瘍学(Oncology)を組み合わせた造語であり,がん患者とその家族の心理的,社会的,行動的側面など幅広い領域にわたって研究,実践,教育を行なっている。サイコオンコロジーでは,患者や家族に疾病や治療に関する適切な情報を提供し,患者や家族が孤立しないように支えながら,治療を続けるうえでの身体的・心理的苦痛を緩和していくケアが大切だと考えられている。

緩和ケアは,終末期医療におけるホスピス・ケアの発展とともに登場し広まっていった。WHO(2002)は,「緩和ケアとは,生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して,痛みやその他の身体的問題,心理社会的問題,スピリチュアルな問題を早期に発見し,的確なアセスメントと対処(治療・処置)を行なうことによって,苦しみを予防し,和らげることで,生活の質(QOL)を改善するアプローチである」と定義している。

日本では,2007年に「がん対策基本法」が施行され,2012年の「がん対策推進基本計画」では「がんと診断された時からの緩和ケアの推進」が重点的に取り組むべき課題として位置付けられた。がん診療連携拠点病院を中心に,心理職が緩和ケアチームや緩和ケア病棟のスタッフとして加わり,患者とその家族の心理支援に携わっている。病状に伴って生じるさまざまな心理的苦痛を軽減し,患者が病気やそれに伴う出来事を受けとめていくプロセスに寄り添い支えていくことは大切である。

一方,病状の進行によっては積極的な治療を控える事態もでてくる。一般的には,治療の可能性がなくなり生命予後がおおむね6カ月の時期が終末期とされる(内富,2012)。キューブラー・ロスKübler-Ross(1969)は著書のなかで,終末期の患者が否認と孤立,怒り,取り引き,抑うつ,受容の5つの段階を経て死に至ると述べ,終末期にある患者の心理的な側面への関心が広まっていった。死に臨んでいる患者は,身体機能や自律性を失うこと,愛する人との関係を失うことなど,多くの喪失体験を重ねている(内富,2012)。終末期ケアでは患者を孤立させないこと,その人らしさを尊重することが重要であり,心理職は患者とともに人生を振り返りながら,人生や自分の存在の意味づけを行なっていくプロセスを支えることが大切である(小池,2013)。

また,患者の家族は第二の患者といわれ,患者の状態によって家族のこころも大きく揺れる。患者との別れなど喪失を予期して悲しむ予期的悲嘆が生じることもある。そして,患者の死後,家族などの残された者には喪の仕事(グリーフ・ワーク)が生じてくる。多くの人は,喪の仕事におおむね1年を要するといわれている。死別後の数週間から数カ月にわたる大きな危機の時期を越えると,多くの人は悲しみを自分なりの解決の方向へと導いていく(小池,2013)。グリーフケアとして,家族などの残された者が悲嘆を感じることは自然なことであると伝え,家族の思いや考えをしっかりと聴き,患者への思いを整理したり,悲しみを受けとめて日常生活を送っていけるように支えていくことは大切だと考えられる。

(山下沙織

文  献
  • Kübler-Ross, E.(1969)On Death and Dying. Simon & Shuster.(鈴木晶訳(2001)死ぬ瞬間─死とその過程について.中央公論新社.)
  • 小池眞規子(2013)がんの医療と心理臨床:がん医療における現状と患者・家族心理.In:矢永由里子・小池眞規子編:がんとエイズの心理臨床─医療にいかすこころのケア.創元社,pp.12-20.
  • 内富庸介(2012)がんに対する通常の心理反応.In:小川朝生・内富庸介編:精神腫瘍学クリニカルエッセンス.創造出版,pp.45-58.

※用語の出典は,『公認心理師基礎用語集 よくわかる国試対策キーワード117』(2018年8月発売)となります。最新版(2022年5月発売)は⇩をご覧ください。

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