神村栄一(新潟大学)
シンリンラボ 第9号(2023年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.9 (2023, Dec.)
長谷川眞理子『進化的人間考』(東京大学出版会, 2023)
ヒトはどうしてこのようにできているのだろうか。
心理臨床にかかわっていると,ヒューマンネイチャー(HN)について思いをめぐらすことが多くなる。
たとえば,最近相談の依頼が増えているのだが,いわゆる「性的姿態」を許可無く撮影する行為を止められなくなる方がいるのはなぜか。そこにいかなるHNが関係しているのか。「HNなどは無関係で,ただ心が正常に機能しなくなっているだけ」なのだろうか。
スマートフォンの所持が誘発しているのは間違いない(評者はしばしば,レンズを物理的にふさぐことを提案しその間に改善につながる心理的構えを構築いただくよう支援している)。クライエント本人の語りでは「ストレスのせい」がよくあるが,その説明では不十分である。またこれもよく指摘されることだが,「底知れぬほどの性欲を持て余している」にはまったくあたらない方々ばかりである。
世界的に殺人やひどい暴力は減っているという。進化学ではself-domestication(自己飼い慣らし)ととらえるらしい。しかし,虐待(家庭内だけでなく)の件数は確実に増えている。また,子どもをもうけ育てることの優先順位の低下傾向にはなかなか決め手がみつからない。しばしば「経済的不安」とつなげて論じられているが,果たしてどうか。
海の向こうでは,出口が見えない戦争が起きている。平和ぼけと言われるかもしれないが,いきなり他国に砲弾を撃ち込み一般市民を巻き込んだ戦闘や侵略を開始せねばならない国家としての必然性など,とてもじゃないが共感はできない。ただし,いったん悲惨な被害が生じれば,そう簡単に収まらないだろうことだけはよくわかる。
ヒトはどうしてこのようにできているのだろうか。
歳のせいかわからないが,検証不能な仮説や文学的な説明の積み重ねから刺激されることはなくなった。DNA解析の基礎的知識などは皆無でも,それなりに科学的な裏付けある検討を経た説明は面白い。科学的知見はしばしば更新されるし,その前では謙虚になれる。○○先生はこう語った,が根拠となり進む事例考察などではうんざりすることも多い。知的好奇心が喚起されるワクワクする学び。それがキャリアの後半での心理臨床の実践に向かうエネルギーを,補充してくれているようだ。
進化心理学は,理解が深まっても具体的な処方箋をもたらしてくれる学問体系ではない。しかし,サピエンスがこれだけ世界に広がるために,ある特性には大きな意味(メリット)があったと同時に必ず何かしらの失うもの(デメリット)もあったという,トレードオフの枠を基礎に諸事を理解していくことができるようになる。それによって,例えば冒頭にあげたような「やめられない,とまらない」のお困りに対しても,基本はニュートラルで少し暖かく共感的な支援の態度が維持される。少なくとも評者はそのように感じている。まったく無駄で害をなすだけのHNなど,存在しないのだ。
我が国のこの領域の第一人者による『進化的人間考』は,装丁も文章表現も手軽に読めそうな手に取りやすさがあり,いわゆる学術書にはあたらないのかもしれないが,「サピエンスの進化」についての最先端をコンパクトに学び,考えるきっかけとすることができる。前総合大学大学院学長の著者には,この他にもたくさんの一般向けの著書や学術書がある。
最も刺激的であった内容を紹介する。「適応進化環境(EEA)」についての章(15章)に,「人は常に,…(略)…雑食で,適度な運動と娯楽が必要で,共同作業によって生計を立て,公正感を大事にし,他者とコミュニケーションをとって愛情を感じながら生きていきたい生物」とあり,根拠となる研究が示されている。それがヒトにとっての理想であるとか,理想に近づくべき,といった解説ではない。たまたまそれらの特性を選択することが有利な環境があったから,という理解になる。むろんその結果,嫉妬を覚えさまざまなこだわりに煩わされてしまうという課題もかかえることになった(ついでに言えば,「こだわりを止めましょう」と指示するのは,心理支援でもなければ行動療法でもない)。
ヒトは,土を掘れば出てくる,公平性へのこだわりも噂話のコミュニケーションもしない(だろう)ミミズよりも「偉い」わけでも「優れている」わけでもない。どちらも進化の頂点にあるという点で生物として対等である。童謡にあるようにオケラやアメンボまでを友だちにするかどうかは,それぞれの好みでよいのだろうが。
なお心理臨床実践家としては,上記引用にさらに,「毎日十分な睡眠をとることで大きく燃費の悪い脳という臓器のコンディションをほどよく保つ」を付け加えたいところである。心にかかわる支援では,これらのHNが,クライエントの現実の生活状況と抱く個人的ストーリー(幻想)にあうよう調整を工夫していくことになる。シンプルに言えば,心理的支援の究極のねらいはそれに尽きる。具体的にははその実現のための生活の中の工夫の構築になるのだが,それがなかなかに難しい。けど楽しい。
メリットある特性だから淘汰されずに残った,とか,進化とは進歩とは違い神(究極の理想)に近づくということではないといった,進化心理学の大原則は,しばしば誤解されがちだという。ちなみにこの原則は,習慣行動の変容のための技術である応用行動分析学に通じるものである。盗撮は決して許されない破滅的習癖であるが,しかしある生活の環境において「機能」するから消去されず維持されている。性善説か性悪説か,といった対立軸に意味はない。心が壊れていると見なすかのような理解,悪の衝動が亢進しているからといった循環論に過ぎない理解からは,当事者に寄り添った支援は難しくなるのではないか。
支援や教育にかかわる方々にはぜひお勧めしたい1冊である。最近では,いじめやその他の子どもの問題行動の理解にからめて,現職教員の方,教職大学院の院生さんなどに進化心理学の知見や発想を紹介することも多いが,わりとウケがよい。学校教員向けの学びでは,「かくあるべし論」が多すぎるから,新鮮でもあるようだ。
同じ著者からもう1冊を紹介させていただく。社会心理学者の山岸俊男さんとの共著(対談)である。タイトルがやや挑発的でもあるが,別に特定のイデオロギーについて語られているわけではない。とりわけ,いかなる環境にあっても内集団と外集団の壁をつくらずにいられないというHNについては読み応えがある。戦争やテロは外集団との間の争いであるが,対していじめは内集団の内側での加害と被害と理解できる,と考えた。
長谷川眞理子・山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする:最新進化学が解き明かす「心と社会」』(集英社インターナショナル, 2016)
バナー画像:Alex G. RamosによるPixabayからの画像
神村栄一(かみむら・えいいち)
新潟大学人文社会科学系教授
資格:公認心理師・臨床心理士・専門行動療法士・博士(心理学)
主な著書:『不登校・ひきこもりのための行動活性化』(単著,金剛出版,2019),『学校でフル活用する認知行動療法』(単著,遠見書房,2014),『認知行動療法[改訂版](放送大学教材)』(共著,NHK出版),『レベルアップしたい実践家のための事例で学ぶ認知行動療法テクニックガイド』(共著,北大路書房,2013)など。
学生時代から40年におよぶ心理支援の実践はすべて,行動療法がベース。「心は細部に宿る」と「エビデンスを尊び頼まず」が座右の銘。「循環論に陥らない行動の科学を基礎とし,サピエンスに関する雑ネタやライフハックなどによる解消改善を要支援の方との協働で探し出す」技術の向上をめざしている。