【書評特集 My Best 2023】|遠藤裕乃

遠藤裕乃(兵庫教育大学)
シンリンラボ 第9号(2023年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.9 (2023, Dec.)

少女の心の踊り場ーー小川洋子・平松洋子『洋子さんの本棚』(集英社文庫,2017)を読む

少女の心の発達の軌跡をきめ細やかな筆致で浮き彫りにした一冊である。ページを繰るたびに,「ああ,そうだったのか」と腑に落ちる言葉に出会う。幼い日の言葉にならない不安や怖れ,思春期のちぐはぐでとらえどころのないやっかいな感情の正体がするすると流れるように解き明かされる,小説家・小川洋子とエッセイスト・平松洋子の対談集である。

名前を同じくする二人はともに岡山県出身。子どもの頃から読書家で,地元の高校を卒業後18歳で上京するという共通のバックグラウンドを持っている。編者によるものだろう,目次に引き続き対談の趣旨が次のように記されている。

「少女から大人になるまでにはいくつもの踊り場がある。無類の本好きだった彼女たちは,いかに読み,どんな本に背中を押されてきたのだろう」

「踊り場」とは言い得て妙である。心の発達の階段は一息には登れない。踊り場で立ち止まったり考え込んだり。ときには文字通り踊って陽気になってみたり,もうダメだと思って引き返してみたり。飛び切り繊細な心の襞を持つ二人の作家の読書歴をめぐる対談は,少女が大人になるまでの精神発達史として紐解くことができる。

「第一章 少女時代の本棚」では,「女の子は空想力で自分を救っている」(小川)と言う。たとえば『アンネの日記』(アンネ・フランク,深町眞理子訳,文芸春秋,1994)でアンネはキティーという空想上の人物を創造し,キティーに語りかける形式で閉塞的な隠れ家の生活を綴っていく。キティーがいたからこそアンネはあらゆる苦悩を客観的に言葉にして書くことができ,書くことによって自らを発見することができたと小川は力説する。空想力が言葉の力を強め少女の自己形成を助ける。この指摘は思春期臨床の本質に通底すると言っていい。

「第二章 少女から大人になる」はもっとも内容の濃い章である。二人の作家はどうやら母親との関係に大変重苦しいものを感じ続けていたらしい。パリに渡ったシングルマザーの増井和子が一人娘の成長を見つめたエッセイ『パリから 娘とわたしの時間』(新潮社,1981)には,一般の家庭ではあえて言葉にしない娘の性の目覚めが母親の言葉で正面から記されていて,「娘のなかに女を発見した,認めた女性性みたいなことから私は逃げないという,ある種の母としての覚悟」(平松)があると絶賛している。そして中沢けいの『海を感じる時』(講談社文芸文庫,1995)を引き,性の目覚めが母親との絆を一刀両断するときであるという。

「へその緒で一回,一刀両断はされているんですけど,もう一回,自分の力で断ち切らなければならないときがあるんじゃないか…(略)…根源的な欲求としてね」(平松)
「そのときは,おそらく切られる母親の方が痛いんでしょうね。切るほうの娘は,勇気とか決断とかいろいろ要るだろうけど,スパッといっちゃいそう」(小川)

この後,母との関係を一刀両断にできずもがき苦しむ娘を描いた文学作品の読み解きが続き,母親との葛藤と性的な問題が錯綜するさまが生々しく語られる。そこにはどんな心理学のテキストも太刀打ちできない圧倒的な強さと深さがあった。二人の作家の苦悩を通して血肉となった生きた理解がこちらの胸に迫ってくるのである。私は思わず「参りました」とうなってしまった。これまで専門家として思春期の娘の扱いに困った母親を前に,思春期心性について物知り顔で講釈していた自分が猛烈に恥ずかしくなった。心理学の発達理論なぞを持ち出さなくとも,心の本質,親子関係の難所が見える人には見えている,わかる人はとっくにわかっているのだ。

「第三章 家を出る」で二人の作家は東京で一人暮らしを始めたときの母親との思い出を語る。母親が別れる時に感に堪えず泣いたが何で泣くのかわからなかった,「やっと自由になれたのに,残していく人の気持ちを考える余裕なんか」(平松)なかったと振り返る。そして『暗い旅』(倉橋由美子,東都書房,1961)を「『母性』をどう母親から剥ぎ取るかを書いた小説」(平松)と解釈し,女の人はそれぞれのやり方で母性の断ち切りを必死に試みるという。母と娘がくぐり抜けなければならないイニシエーションの壮絶さも哀切さも二人の洋子さんは胸に刻み,心にためた言葉にそうっと息をふきこみ物語を紡ぎ続ける。二人の作品が多くの女性読者を惹きつけてやまないのは,少女の心の発達の完結像を作家のうちに見るからであろう。

「第四章 人生のあめ玉」,「第五章 旅立ち,そして祝福」,「巻末付録 人生問答」と続くが,後半になるにしたがって思春期の苦悩から遠ざかるからだろうか,二人の遊び心がのびのびと繰り広げられており,リラックスして一気に読めてしまう。

小川の本棚からは13冊と1本(映画),平松の本棚からは19冊が紹介されている(うち重なっているのは2冊)。二人が挙げたリストは苦しくも瑞々しい少女の心の発達をたどる絶好の読書ガイドである。

バナー画像:Alex G. RamosによるPixabayからの画像

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遠藤裕乃(えんどう・ひろの)
兵庫教育大学大学院
資格:臨床心理士,公認心理師
主なご著書:『ころんで学ぶ心理療法―初心者のための逆転移入門』(単著,日本評論社),『初心者のための臨床心理学研究実践マニュアル』(共著,金剛出版),『その心理臨床大丈夫? 心理臨床の実践ポイント』(共著,日本評論社)

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