私の本棚(13)『いたみを抱えた人の話を聞く』(近藤雄生・岸本寛史)|斉藤美香

斉藤美香(札幌学院大学)
シンリンラボ 第13号(2024年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.13 (2024, Apr.)

1.本著との邂逅

座右の銘はいつも傍らにあり人生の道標みちしるべとなる長いつきあいの本であることが多いが,最近出会いこれから座右の銘になると確信した一冊を紹介したい。

私事であるが,この数年間の肉親の介護と看取りの経験が仕事にも日々の生活にも影響を与えている。そこで出会った医療・介護・葬儀従事者の方々との関わりの体験を通して,同じ対人援助職である臨床家としてのあり方を改めて考える機会が増えた。そして,「自分や家族が大きないたみを抱えた時にどのように関わってほしいか?」,「いたみを抱えた方々に充分に関われてきたのか?」,「いたみを抱えた方々にどう関われるのか?」という問いに答えを見出そうと過ごしている中で本著に出会った。明確な回答や話の聞き方のノウハウが書かれているわけではない。しかし,いたみを抱えた人の話を聞く者として不可欠な志向性と姿勢について含蓄に満ちた内容で,読後に体全体に余韻が残る不思議な体験を得た。本著は一般向けに書かれたものであるが,対人援助を専門とする方々が読まれても多くの気づきと学びがあるだろう。

本著はノンフィクション作家の近藤雄生氏が聞き手となり岸本寛史氏との対話から生まれたものである。近藤氏は吃音当事者であり,多くの当事者の話を聞いてきた経験をもち,『吃音─伝えられないもどかしさ』(新潮社,2019)の著者である。また,岸本氏は医師であり臨床心理学にも精通されている。現在は緩和ケアの現場に携わり『迷走する緩和ケア』(誠信書房,2018),『がんと嘘と秘密』(遠見書房,2022)だけではなく,『バウムテスト入門』(誠信書房,2015),ユング心理学の翻訳書など多岐にわたった著書がある。脳科学と精神分析による複眼視的アプローチを提唱した『ニューロサイコアナリシスへの招待』(誠信書房,2015)にも著者がめざすこころの複雑さを大切にする立ち位置が色濃くでている。どの著書にも共通して通奏低音のように流れているのは,「個々の人間へのまなざしと敬意」である。

2.個別性へのまなざし

公認心理師資格が誕生してからこの数年で,これまでの臨床家(あえてこの呼び方をさせていただく)のあり方や教育が転換点を迎えており,心理の世界もEBP(Evidence-based practice)が席捲している。筆者はできるかぎりEBPを実践し教育に反映させるために最新知見をアップデートしてきたつもりである。

一方で,日々の臨床において実際にいたみを抱えた方々と関われば関わるほど,この大きなムーブメントに対して,どこかでひっかかる感覚が強まっていた。

本著はEBP自体を否定しているものではなく,臨床実践に統計学的根拠を取り入れ,科学性を追求していくことで切り捨てられる個別性について,「簡単にはデータ化できない個々人の事情やそれぞれの感情や内面の問題が考慮の外に置かれがちになる」(p.6)とし,もっとも質の低いエビデンスの一つと位置づけられる事例研究の意義を改めて示している。

治療に対して患者と医療者との考えが合わない際,岸本氏が患者さんの話を受けとめ葛藤を抱えつつ向きあい,最終的にズレを修復していったプロセスが書かれている。このような個別のプロセスはデータ化することは難しいが,一つの事例からほかに応用可能な実践知として充分な価値が示されている。

3.語り手と聴き手の相互性

最近の臨床実践や教育の場においては,クライエントをできるだけ科学的アプローチによって理解しうる「対象」としてとらえることが重視されている。従って情報を取りこぼさないように面接中にメモをとるのが最近は主流のようだ。

しかし,これは一歩間違うと情報を取得することが目的となり,頭だけが働いている状態になってしまう。語り手の機微をとらえそこねたり,言葉の背景にある意味に思いを馳せづらくなったりするのではないかと思ってしまう。私は聞くことだけに専心しないと集中できない特性もあり,基本的には面接中メモは取らない。また,メモをとると五感全部使ってコミットできず生きた相互関係が遮断される感覚がある。しかし,これまではメモをとらないことの積極的な意味を十分には言語化できずにいた。岸本氏はメモをとらずにひたすら患者さんの話に耳を傾けており,「対話が聞き手の心を通って記憶されることで,その聞き手ならではの言葉として再生される」(p.50)という録音やメモに頼らない聴き方の積極的な意味を説いている。

本著の原稿もできるだけ近藤氏の記憶に基づいて文章をまとめたという徹底ぶりで,著者のお二人の間には豊かな営みがあったことがあとがきからも伝わってきた。

4.葛藤や弱さから逃げないであり続けること

私は,人のこころに関わる臨床の仕事は,自身の生き方や価値観と綺麗に切り離すことができない厳粛な職業だと今まで感じてきた。本著は,人のこころを扱う生業である臨床家としての原点に立ち止まって考えましょうと私たちに問いかけてもいる。「聞き手のさまざまな機微というのは,思っている以上に相手に伝わるものだ」,「聞く側が日々何を考え,どのような姿勢で生きているかまで問われる」(p.32)。私は近藤氏と岸本氏のオンライン対談を含め何度か岸本氏を画面上でお見かけしたことがあるが,著書で書かれていることと佇まいに隔たりがない方のように感じた。近藤氏が述べられている「先生はいつも,患者さんが生きてきた人生,抱えている困難や,心の中にある不安や心配に対して,敬意があり,謙虚である」(p.203)ことが画面越しにも伝わってきた。

いたみを抱えた方々に向き合うということは,「自分自身の弱さやいたみに向き合うこと」(p.210)だという考えに共感する。わかりやすさやコスパが求められているこの時代とは逆行するのかもしれないが,個別性を大切にして,臨床家自身が葛藤や弱さから逃げずに向き合いつつ,いたみを抱えた方々の話を聞く瞬間瞬間にコミットしていくことが大事だと改めて教えてくれた一冊である。

文  献
  • 近藤雄生・岸本寛史(2023)いたみを抱えた人の話を聞く.創元社.

+ 記事

斉藤 美香(さいとう・みか)
所属:札幌学院大学心理学部臨床心理学科
資格:臨床心理士,公認心理師
著書:学生相談カウンセラーと考えるキャンパスの心理支援─効果的な学内研修のために2(共著,遠見書房,2023)など。

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事