【特集 令和型の不登校にどう向き合うか】令和型の不登校について考える:「空気」の影響を意識する|神村栄一

神村栄一(新潟大学)
シンリンラボ 第3号(2023年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.3 (2023, Jun.)

はじめに

小中学校の児童生徒の不登校が増え続けている。文部科学省の毎年の悉皆しっかい調査によれば,公表されている2021年度までで9年連続の増加となっている。2020年からのコロナ禍が残す影響もあり,不登校増加のトレンドは今後もしばらく続くと予想される。10年前(2012年度)から,小学生で4倍強(1/318から1/77へ),中学生ではほぼ2倍(1/39から1/20へ)の出現率となった。神村(2023)はこれを,「令和型不登校」と呼んだ。

不登校についてこれまで,増え続けたことはあっても減り続けた時期はない。大規模調査において,不登校というのは減らないものなのだ。数年後には,30人強の学級において,小学校では1人,中学校では3人程度が不登校となるだろう。加えて,「別室」や「適応教室」への登校に切り替えた子,校長判断で「不登校とはみなさず」となった子が,同じように増えると予想される。行政府お得意の,定義の変更という裏技も近くあるかもしれないが,ともかく,小学校のクラスには3つほど,中学校では6,7つほどの,しばらく姿を見せない子のための空いた椅子と机が置かれている光景はあたりまえになるだろう。

2020年度に初めて不登校となった小中学生たちが,もしも,10年早くに同じ環境で生まれ,同じ学校に通っていたらどうか。2010年度中でもやはり不登校になる子は,小学生では4人のうちせいぜい1人,中学生では半分ですんでいるだろう。

以上は憶測だらけの「戯れ言」だが,さほど無理のある考察とは思えない。このような視点から,不登校について言えそうなことをまとめてみた。後半では不登校の歴史を整理しながら,上記の思考実験に説得力を持たせてみたつもりである。ご意見ご批判は大歓迎である。

なお本稿は,論点の拡散を防ぐため,小学校から中学校の,義務教育期間における不登校に限定した。その点はご了承いただきたい。

「休み続けるって“あり”だったんだ」を悟ること

不登校は時代状況に大きく影響される。学校という場に苦痛を覚える,あるいはそこでの学びや活動に意味を見出せなくなった子どもが,「学校を休み続けるのって,“あり”だったんだ」と悟った時,不登校という選択に最接近する。

不登校にはさまざまなタイプやきっかけがある。登校を困難にする負の要因よりも,このような気づきを持ちやすい条件の多寡が,この選択をよりよく説明するようだ。同程度の負の要因を抱えていても,登校し続ける子はいくらでもいる。勉強が好きで成績が良い,得意でかつ好きな活動がある,信頼できて仲も良い子がいる,受けた被害の深刻さなどだけで左右されるわけではない。ましてや,人格が脆弱かどうかなど簡単に定量化できない。それらによる説明はしばしば不適応を確認した後の,後付けにすぎない。

この「“あり”だったんだ」と実感しやすくする状況には,典型例として以下がある。

ひとつは,過去に何らかの理由から長期に欠席した経験を持つことである。例えば,家族の誰かがコロナに感染し,本人も濃厚接触者となり,運悪くその後感染が明らかになったなどがあれば,合計して相当の期間,連続欠席してしまう。コロナ禍において,これ以上の「やむを得ない事情」はないのだが,それでも「ほかの子が登校し続けているのに自分だけ休んでみた」体験が,「“あり”だったんだ」を悟ってしまうには十分だ。

ふたつめは,ずいぶん昔からある典型である。家庭内に「見たところ健康そう」なのだがほとんど登校(就労)せず,といって(当然だが)なんら罰らしいものを受けることもなく自由気ままに生活しているようにしか見えないきょうだいがいて,その生活ぶりをよくよく知るのは,「“あり”だったんだ」につながるかなり強力な条件である。

予測と未然防止の精度を高めたければ

もし元気に登校している子ども達について,半年先までの学校不適応の出現を予想するとしたら,この「“あり”だったんだ」につながる条件をより多く抱えていそうな子をピックアップすることが効果的となる。ほかにも,回避行動を選択する傾向,そして学校がある日の体調にかかわる生活リズムなど。あるいは,保護者がとても不安の強い方で「つらいことがあれば,無理して登校しなくてよいから」との口癖があるらしい,といったことが把握できれば,有力な情報となる。

筆者はこれらを,「不登校リスク」としてあげている(神村,2016;神村,2019)。これはおそらく,高校や大学・専門学校での不登校,さらには職場不適応としての欠勤や休職などとも共通する。個人に潜在する脆弱性,精神医学的診断や関連して論じられる諸特性だけでなく,過去の直接経験・間接(観察による)経験から本人が何を学んだか,いかなる「不都合な真実」に気づいているか,がその後の行動傾向を予測する。

事例なので詳細はぼかすが,ある50歳前後の,ひきこもりと軽度の醜形恐怖症状の主訴で来談されていた方が印象に残っている。認知行動療法介入の成果があり,15年ぶりに外出や買物ができるようになられた。いよいよ就労支援のサービスを受けよう,ということになった。表情も活き活きし明るくなられた。ところが2020年春の「特別定額給付金」を受け取った瞬間,「『この年齢でも国に頼るって,“あり”なんだ』に気づいた」と語られた。直後から少し考え込む様子が見えるようになり,さらにその後,「しばらく休みたい,お世話になりました」との言葉をのこして終結(中断?)となった。

この事例をここで紹介することで,小中学校の不登校と成人のひきこもりのつながりを強調する意図はない。ましてや,このような気づきを「有害なるもの」と断定するつもりはないのだが,「“あり”だったんだ」の影響は,子どもに限ったことではなさそうだ。

ともあれ,「自己肯定感」だとか「障害特性」「愛着の確保」といった,見ようによっていくらでも高くも低くも評価できる抽象的な潜在変数より,具体的な情報収集が有効だと筆者は考えている。

不登校という対処とその観察学習

不登校とは,悩みがあり不調をかかえる子ども達にとって,ひとつの対処法である。知識だけでなくリアリティを持って効能を悟ることが切迫時の対処選択を左右する。生物として,僅かでも類似の過去の体験における成否から決定されるが,ヒトの場合は,観察学習の影響がとても大きい。これは心理学における常識である。

観察した対象の内面に,いかなる葛藤が潜んでいたとしても,観察された行動と観察対象に快の随伴・不快の撤去が随伴していると判断されれば,観察者側に学習は成立する。いまどき,中学校での生活を1年も経験すれば,不登校となっていく子,遅刻・早退して短い時間だけ別室で過ごす子の存在をリアルに見聞きする。それが親しい子であればなおのこと,ほとんど交流がない子だとしても,とても気になるらしい。

関連して,若い世代ほど,あるいは10代の子どもにおいてこそ,ネットから手にする情報の影響は大きい。ちなみに,2023年5月上旬時点で,“不登校でも”とGoogleで完全一致検索すると26.3万件,対して“不登校だと”では3.2万件となる。実際には“不登校だと”で検索されるサイトのほとんどが,「実はだいじょうぶだよ」につながる情報提供である。

自傷行為や自殺衝動,摂食障害さらには嗜癖の問題まで,関連するサイトへのアクセス頻度の偏りは,これら時代や社会文化の影響を大きく受ける精神的不調や疾患への接近を予測するものである。とはいえ,メディアへの曝露を制限することは,学校教員はもちろん,たとえ関係が良好である父親や母親であっても容易ではない。

不登校になる子は,表面的な情報に影響されやすく,忍耐力がない,易きに流れやすいという,しばしば,結果をみての説明,循環論的な説明だとは受け取ってほしくない。そのような空気に着目しないと,不登校という現象を理解しきれないと考えている。

空気,つまり社会的に構成された言説が不登校を増やす?

学校教育について,「教師の仕事はブラック」「学校には相変わらずいじめが多い」などと,社会的な定番の見方(社会的な構成)が完成してしまった。学校教育については老若男女,誰もが等しく一家言を持つものである。平成の終わりから令和にかけ,「学校と相性がよくなければ不登校もひとつの有力な選択肢であり,それで多くの子どもが救われている」といった表現も定番となっている。メディアでも,過度に持ち上げすぎ,ということはないか(もっとも,義務教育卒業後であれば,この表現にはほぼ議論の余地は無いのだが)。

小中学校においては,「登校が難しそうに思える場合でも,ほかの選択肢にもそれぞれ,少なからず不都合や不便がある。問題の原因,誰がどれだけ原因をつくっているか,はともかく,学校を休み続けることの前に援助を受ける(要請する)ことを優先することが有効な場合が多い」とか「そのためにも学校では未然防止が重要」という点を起点にすべし,では,ダメなのだろうか。あるいはそこまで,当事者への配慮がなければ語れないのだろうか。

なお,ここでは「空気」と表現した。それは,「時代による子ども達の変化」という心理主義的な仮説との違いを強調したいからである。子どもがより脆弱になったとか,高程度に過敏な子(俗に,HSC(Highly Sensitive Child))が増えた,といった個人差における時代変化を指すものではない。問題は,何が社会的に構成され,それがどの子にどう影響しているかである。

「空気」を言い換えれば「ブーム」だろうか。漫才ブーム,たまごっちブームなどと同じ。ただ,不登校は「たまごっち」とは違い,ブームが去っても人気は維持され,しばらく後に第二,第三のブームが到来し,階段状に高まり定番となる。漫才やカラオケに近い。

「我慢」は毒なのか

ネットだけでなくテレビや紙媒体でも,「学校なんか休んで良い」という提案はますます拡散されている。著名人,インフルエンサーの発言など,説得力のある人々から出されることも多い。

学校生活がつらいと感じる子どもたちの家庭では,身近なエピソードが共感を呼び,話を盛り上げることがある。例えば,「ご近所のAちゃんは友だちとトラブって中学校はずっと不登校だったけど,通信制の高校で高校卒業の資格を取って,今は専門学校に通っているらしい」といった話題である。

トラブルを通り抜けて登校し続けることと,紆余曲折を経て道をみつけること,しばらく家庭にとどまってしまうこと,それらのどれが良いかどうか,単純に比較はできない。ところが最近では,我慢しつつ選択に迷いつつ過ごす経験そのものが,成長にとって有害であるかのような言説が広く紹介されつつある。「バイパス・ビジネス」(本稿における造語)の影響は少し気にはなる。

なかには,「不登校ユーチューバー」にハマってしまう小中学生がいる。このような場合は,一定範囲で気にかけ,サポートのあり方を探るのが望ましい。このあたりの判断は,自殺や自傷の手段へのアクセスが増えている子への対応と共通するのかもしれない。「そんな動画は,観るな・読むな」と叱るのがよいわけではないし,「ばかげている」などと頭ごなしに否定,ないし皮肉を含む言葉かけも控えた方がよい。

「登校しない生活」に関心を持つ背景もさりげなく探る。子どもを支える大人にはなにごとも,見て見ぬふりでしっかり警戒するだけの余裕が欲しいものである。

昭和の終わりの不登校はどう増えたのか

1980年代ごろまで,不登校は,「学校恐怖症」や「怠学」,「登校拒否」などと呼ばれた。原因として心の問題,なんらかの脆弱さや幼さが背景にあり,それはしばしば,家庭環境や保護者の養育のあり方における不適切さによるものと考察された。もっとも当時は,夜尿から後に発達障害とよばれる特性に由来する問題行動傾向までも同じように心因で説明される時代であった。他方,社会派の立場からは,子どもを取り巻く社会の歪みの反映と論じられた。いずれにしても,不登校は子どもにとって代表的な問題行動,症状のひとつとなった。

そもそもこの時代,小中学生が一般の家庭において登校せずに自宅にいて時間を過ごすのはタフだった。筆者はこの時期の大半は,大学相談室等の大学院生として担当したのだが,昼間の家庭での過ごし方について教えてもらうと,「不登校も楽じゃない」との印象を抱いたものである。いわゆるファミコン,あるいは一般家庭用のテレビ録画機の普及は1980年代のことで今の基準からすれば手軽でも便利でもなく,精彩さもリアルさもなかった。器用な子であれば飽きるのも早かった。当時は,親や家族だけでなく,近所の目もずっと厳しく,外出もままならなかった。もちろん,ネット購入もあり得なかった。

良くも悪くも頑なで,登校しないことに伴う苦痛に耐えながら休み続けているようにうかがえる事例の割合が多かった。それだけに,葛藤は強く,家庭内暴力などにも発展しやすかったのかと思う。

平成のひとケタ時代にも不登校は増えていた

1990年代,不登校の出現率は顕著に上昇した。よく引用される「不登校発生率の年次変化」のグラフは,1991年度に「年間30日以上」と定義されて以降のものである。令和型不登校の増加に匹敵する変化がかつてあったことがわかる。なお,「学校の週休二日」が段階的に導入されたのもこの平成のひとケタの時期で,土日でできあがる,より強固な週末の睡眠相後退が部分的に支えた可能性がある。

不登校の数が増え,不登校のタイプや本人の訴え,経過にもさまざまあることが共有されてきた。査定と柔軟性のある対応が求められるようになった。中学校卒業後の進路選択も増えた。保護者に対しては,指示や指導の助言ではなく共感のスタンス,そして医療機関など外部の専門機関との連携が推奨された。1995年度から段階的にスクールカウンセラーが配置されたのもそれを促し,専門的な診断や検査,面接と薬物による治療が有効となる事例も一定の割合で広く報告されるようになった。

不登校の子の大半は,狭義の(医療での専門性の高い治療が不可欠な)精神疾患でもなければ,単なるサボりや怠けとも見なせないこと,「登校(を促す強い)刺激」を与えることはしばしば逆効果となり,居場所の提供が有効であることが学校現場に提供された。他方,学校での対応が「受け身,待ち」の一辺倒となることへの危うさも指摘された。これについて,2004年に関西のある市での虐待への対応が遅れた事件の衝撃は大きかった(保護者から学校側の接触を拒まれ続けていた中学生の不登校生徒が,衰弱死寸前で心身に重い障害が残る状態で発見された)。

ネットワークゲーム機や映像機器が一般家庭でも充実し,学校がある日時に家庭で過ごしても,退屈でなく過ごせるようになった。支援者の助言を受けて「休ませる」対応が,「概日リズムを崩す」だけの結果となり,ひきこもりの状態が悪化するという経過をたどる事例も多かった。青年期から成人期のひきこもりにも関心が高まり,関連して論じられることもあった。

平成の終わりから令和にかけて出現した不登校(令和型不登校)

不登校が再び増加し始めた。小学校の,しかも低学年から増加が目立つのが,平成の前半における増加との違いである。

この変化を説明するうえで,インターネットの浸透を無視することはできない。2010年から2,3年かけて,子育て世代の大人の大半は,俗にガラケーとよばれる携帯電話からスマートフォンに切り替え,それに伴い,一般家庭に無線LAN(Wi-Fi)が普及した。子ども向けのゲーム機も,ネット接続を前提とし,「一家に一台」でなく「ひとり一台」の端末型となり,娯楽だけでなく,情報収集,なにより仲間とつながる手段までを担うようになった。

保護者は子どものネット利用,生活習慣の乱れを防ぐのにますます苦労し,他方,子どもと同じかそれ以上にネットやゲームにハマる保護者も増えた。端末を買い与えて自由にさせておく子育てが最もコスパがよく,リアルの活動への参加を支えるのが最もコストが高い,という家庭格差の時代となった。子育てコストに余裕があれば,学習塾などの習い事も増え,交友範囲も広がる。結局のところ,いかなる子育ての状況にあっても,端末に依存的となるのを避けるのはきわめて難しく,睡眠だけでなく,対話の機会を十分に確保できない家庭環境が増えた。

慢性的な睡眠不足と,これにしばしば伴う週末の時差ぼけ(睡眠相後退)は,不登校や学校不適応の大きな要因となる。特に,週明けの,あるいは朝の不調をもたらす。「不調があれば無理させずぐっすり休ませるように」と助言する教師や専門家は増えたが,朝から昼にかけてぐっすり休んだらその日の夜にどういう状況になるか,その対応までを併せて提案してもらえることはなかった。そんな極度の夜型化と,当然の結果である朝の体調不良を医学的に規定する診断名も,広く一般に知られるようになった。

他方,特別支援の重要性が強調され,発達障害への理解も浸透した(反面,不登校はその子が持つ特性が原因であるという,やや短絡的な理由づけが,具体的支援を停滞させるという弊害も見られるようになった)。

まとめ

少なからぬ学校教員にとって念願であったにもかかわらず実現が難しかった『少人数学級』が,不登校の急激な増加により結果として達成されつつある。なんという皮肉であろうか。とはいえ現状ではまだ,登校を渋りがち,長期欠席になった子がクラスにひとり増えれば,教員の負担も増える現状にある。

不登校の未然防止のためには,少なくとも学級担任においては,登校してきてくれている子のケアに集中できる状況を確保することが望ましい。他方,多様な学びの機会の提供も,結局のところ,家庭の支援力に大きく左右されてしまうことになっている。さける資源にも限度がある。効率を度外視したプランでは実現しない。義務教育として子どものよりよい成長のためにできることを見つめ直す時期にある。

小中学校で,インクルーシブの概念がより拡大拡張し柔軟になることを願う。いわゆる障害の有無が決め手となるので障害ラベリングの拡大がますます進む,とは違う方向性である。それが障害であろうが,障害との表現が妥当でないものであろうが,あらゆる個性へのやわらかな対応があたりまえのように学校教育において統合される方向へと,前進できないものか,と考えている。

文  献
+ 記事

神村栄一(かみむら・えいいち)
新潟大学人文社会科学系教授
資格:公認心理師・臨床心理士・専門行動療法士・博士(心理学)
主な著書:『不登校・ひきこもりのための行動活性化』(単著,金剛出版,2019),『学校でフル活用する認知行動療法』(単著,遠見書房,2014),『認知行動療法[改訂版](放送大学教材)』(共著,NHK出版),『レベルアップしたい実践家のための事例で学ぶ認知行動療法テクニックガイド』(共著,北大路書房,2013)など。
学生時代から40年におよぶ心理支援の実践はすべて,行動療法がベース。「心は細部に宿る」と「エビデンスを尊び頼まず」が座右の銘。「循環論に陥らない行動の科学を基礎とし,サピエンスに関する雑ネタやライフハックなどによる解消改善を要支援の方との協働で探し出す」技術の向上をめざしている。

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