神村栄一(新潟大学)
シンリンラボ 第10号(2024年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.10 (2024, Jan.)
1.認知行動療法という大きな傘
認知行動療法はよく,大きな傘,と喩えられる。このアプローチに含まれるすべてを熟知しているセラピストなど,世界中のどこにもいないと断言できる。多くの技法や実践のアイディアが生まれ,検証されつつある。
それならば認知行動療法であるための基準はどこに引かれるのか,と気にもなる方もあるだろう。筆者なりにまとめると,「認知行動療法であるための境界」は以下となる(なお本稿では,「支援を必要とする方」についてcl.と表記した)。
cl.がかかえる困難の奥に心理的な根本原因(潜在変数)などを特に想定せず,症状や困難にかかわる環境と本人の認知や行動,情動反応のつながりに具体的に関わる作業を,cl.やその身近な支援者との協働ですすめていくという点で一貫性があること。
cl.の生活において確認される悪循環を俯瞰的にとらえ,それをcl.およびその身近な支援者と共有するためには,改善への道筋はよりクリアである方がよい。そこでその道筋をひとつのストーリーに落とし込む。このアプローチではそれが成否を左右する。
その場合のストーリーは,「その運命を引き受けることになったことの意味」だとか,「超越した何かのお導き」といったものであってもよいだろう。しかし凝ったストーリー作りは,それなりに負荷となる。何かと忙しい現場では,オーソドックスに科学者─実践家モデルに沿って,飛躍なくわかりやすい説明(心理教育)で共感いただけると楽である。
その意味では,教科書ではずいぶんと距離があるように記述されるほかの心理療法アプローチとの間に,大きな違いはない。
ただ認知行動療法の場合,行動と認知,情動と環境について丁寧かつ有効なアセスメントは大切にしておきたいところである。例えば,「自己破壊的な衝動があるため自らを傷つける行為をくり返す」といった見立てでは,悪循環をとらえたとは言えず,むしろ循環論に陥りかけている。これでは支援には活かせない。
2.マインドフルネス技法が傘の中に収まるために
マインドフルネス技法をcl.に導入する上で,「マインドフルな受け止めが難しいcl.みたいだから」では説明にならない。
「評判が良いから(エビデンスあるらしいから)紹介してみる」「介入法として柔らかそうだから導入してみる」「自信の回復につながるだろうからとりあえず」では,支援者としての説明責任が果たされているとは言えない。
心理療法に限らず,セラピーにおいては,セラピストの個人的な好みに対して一定範囲の抑制を働かせたほうがよい。
マインドフルネス技法については,望ましくない副作用がないので導入しやすい,ということもあろう。しかし,いかなる支援技術も副作用を皆無にはできない(マインドフルネス技法における副作用について具体的には,関連テキストを参照して欲しい)。
副作用との表現にはあたらないかもしれないが,cl.が期待して取り組んでみたのに期待される成果がまったく得られなかった場合,改善に向けた意欲を吸い取ってしまいかねない。ある技法をいかにも「効きますからね」とどや顔でcl.に紹介するのは,控えた方がよい。
マインドフルネス技法とは,「過去でも将来でもなく,『今ここ』にある感覚に焦点づける工夫によって,(努力無く自ずと)受け身的な注意の集中が可能となる精神状態のこと」であり,それを認知や行動,情動や身体反応の変容に望ましくなるよう,活かすための手続きであれば,認知行動療法としてのマインドフルネス技法となる。
3.マインドフルネス技法は何に効くのか
口うるさいことを述べてきたが,マインドフルネス技法については,認知行動療法技法としても期待が大きい,というのは揺るがないところである。ねらうところで整理すると以下となる。
a)不安症や恐怖症,強迫症など
ある刺激状況に対する回避が過度となることによる悪循環,過度な緊張が行き過ぎた対処を引き出してしまうという悪循環が基本メカニズムとなっている症状や困難に。
b)感情制御困難の症状
怒りや暴力(ハラスメント),場にふさわしくない対人的かかわり,他害のみならず自傷を含む行動化が悪循環をなしている症状や困難に。
c)物質と行為の嗜癖
リスクある物質(薬物やアルコール)の摂取や過剰な行為(ギャンブルやネット,各種の触法行為や自傷行為など)が悪循環をなす症状や困難に。
これらの3つに加え,さらに,これらの症状や困難による心身の疲弊の結果としてみれば,
d)抑うつ症状全般
に,と4つに整理できる。さらにこれら4つの予防的支援のため,を含めれば5つになるかもしれない。
本特集では,第一線でご活躍の執筆者からこれらに対する実践のヒントが紹介されている。
ところで,マインドフルネス技法はセラピーの中で遊び的要素を含めるためにも都合がよい。
昭和の時代から紹介され,実践がすすめられた各種のリラクセーション技法,瞑想法や筋弛緩訓練法,自律訓練法をはじめとする自己催眠技法あるいはバイオフィードバック療法は,もちろんそれぞれに有効性は含まれているが,しばしば準備も指導も大がかりとなり,cl.には小さくない負担を求めがちである(それぞれに簡便法も開発されているが)。
昭和の時代において,心理的支援を求めるcl.には,納得すればコツコツとりくんでいただける方が多かった。平成から令和となり,スマホでポチると希望する品物が翌日には玄関にとどく現代となって,すぐに成果が確認できない鍛錬を,あたりまえのように期待することは難しくなった。コスパとタイパよく,好印象を残す工夫がますます必要となった。
そこで以下の,4.から6.では,筆者なりの,「遊び的な関わりや単なるメタファーから導入する技法」の例を紹介させていただく。
4.雑念がわくのを無くしたいと訴えるcl.に
文字通り「雲ひとつ無く」よく晴れたある日,草原で仰向けになって空をみあげているとします。すると,ひとつの白い雲が流れてきました。
ここで,「せっかくの快晴なのにこの雲は邪魔だな」と思う人がいます。他方,「青空に白い雲というのもなんだか素敵だな」と楽しむことができる人もいます。Aさん(目の前のcl.)だったらいかがでしょうか。
雲だけを見るよりも,空全体,目から見える景色だけでなく,その時の草原,そよ風と,日差しの暖かさ,樹木が揺れる音や生き物の鳴き声,そういったもの全体をありのままに楽しめたらどうでしょうか。あるいはまた,雲が移動しながら,少しずつ形をかえていくその様子を楽しむことができるかもしれません。
瞑想中にわいてくる雑念も,あるいは集中したいときに浮かんでくる雑念も,その雲のように受け止めてみることができるかもしれません。青空に浮かぶ雲に,良い雲も悪い雲もありません。「雑念がわいてくるのは頭の働きをコントロールできていない証拠」と見なす必要はありません。自分の頭の中にも自然が広がっている,ある日ある時の自然をそのまま楽しむだけ。その自然の中である作業をしているうちに,いつの間にかそれなりに集中できていたりするものです。
5.エアコンの吹き出し音を聞く
(面接室の中で)この部屋は,いまわりと静かですが,それでも何かの音がしてますね(間をとる)。エアコンの吹き出し音が聞こえますね。おそらくAさんも,先ほどまでまったく気にもとめなかったでしょうが,けっして小さい音ではありません。
一度気になると,気にならない状態にもどるよう,努力してもなかなか難しいものです。それは誰にとっても普通のこと,人間にとってあたりまえのことなのです。
人間の脳は,いったん気になったことを気にならないように切り替えることはできません。脳における思考は,実はかなり意のままにならないもの。これに気づくことができると,とても楽になれます。極端に言えば,毎日のお天気みたいなもので,どうにもならない。
眠ろうと努力して眠りに落ちるって,絶対に無理です。眠るべきタイミングで眠るための準備をしたら,いつの間にか眠りに落ちている,ということを,生まれてから今日まで毎日経験してきています。
ではせっかくですから,このエアコンの吹き出しの音をしばらく聞いてみましょう(間をとる)。目は開けたままでもよいし(エアコンを目で見る必要はない),閉じたほうがよければ閉じてもかまいません(間をとる)。どんな音に聞こえてくるでしょう(間をとる)。ハイキングしていて,遠くで滝が流れ落ちる音がかすかに聞こえている,という方が多いのですが,どう聞こえるのが正解,ということはありません。
このあと,ソックスとスリッパを履いてフローリングに両足をつけている,その足裏,土踏まずにある空気の温もりや湿度の感覚を感じてもらう,などに展開することもある。
6.心の「げっぷ」として理解する
少し汚い話で恐縮ですが,瞑想やリラクセーションの最中には,心にも身体にも,げっぷに喩えることができるような反応が生じることがあります。出てくるものは自然に出してあげるとよいでしょう。
そこで浮かんできた内容は,「またこのことか……嫌だなあ,困ったなあ」といったものかもしれません。「どうして今ごろこれが浮かんできたのだろうか」と戸惑うような,記憶の中の映像や人の声,その時の感覚や感情かもしれません。
身体的な反応の場合もあります。瞑想していて,まぶたがピクピク動くとか,お腹がゴロゴロ鳴るとか。耳鳴りかな,というようなものが聞こえてくることもあるかもしれません。
何かしら目的意識をもって取り組む,努力したり意識している課題をかかえていたり,自分の心と身体をコントロールしようとしているという状態では,逆に言えば,どこかしら,脳や内臓の自発的な動きを押さえつけているものです。
げっぷに喩えた自発的な反応,反射は,そのような無意識の押さえつけをうまく緩めることができているからこそ出てくるものなのです。瞑想は,人前ですることではありませんから,遠慮無く,身体と心のげっぷ反応を楽しんでみてはどうでしょうか。
もちろん,その感覚があまりにも不快だったり,強い不安をもたらす場合は,いったんその瞑想の状態から抜け出て,軽く動かしたりして心身を整えて,再度取り組んでみてもよいでしょう。Aさんの心と身体も,自然の一部であることが実感できれば,それで十分です。
7.佐々木雄二先生と自律訓練法のトレーニング
筆者の大学・大学院時代の恩師は,故佐々木雄二先生である。我が国において自律訓練法の普及発展に大きな功績を残された。あまりよい弟子ではなかったが,いただいた貴重な臨床実践トレーニングのひとつの柱に,当然ながらさまざまな健康度にある方々への,自律訓練法の指導助言があった。
「熱心に訓練を継続しているが,うまくいかない,時に苦しくなる」という数多くの相談や問い合わせに対応しつつ動機づけを維持していただくための技術を磨く貴重な機会をいただいた。
求める心身の状態に対し能動的にならず,訓練時の環境や姿勢,その他の準備をすまし(もちろんそこにおいても完璧を目指すことなく),そこでいくらかでも心地よい状態が生まれるのを待つ,満足できる状態はひとつしかないわけではないし,不満足の中にも印象に残る体験がある。そのような経過そのものを楽しむ(面白がる,興味を持つ)。そういう体験を持てている自分自身に対して肯定的にとらえることができる。cl.のそんな過程を伴走するための援助手法である。
なにせ,人というのは,健康であっても,1日に300回から400回も,浮かべても意味が無い,しばしば馬鹿げた,どちらかというと不快や不安につながること(侵入思考)を浮かべている。今さら考えてもしかたのない過去をクヨクヨと,そうなったらそうなった時に対処するしかない未来をアレコレと,繰り返し考えてしまう(反芻)ようにできている。
それらを,意識や努力で変えるのではなく,受け入れつついつのまにか制御できるようになることが,回復への道筋となる。
マインドフルネス技法は,そんな感覚を効果的に身につけてもらう方法である。前述のとおり,認知行動療法の傘の中にある技法でもあるが,単独の技法,ワークとしても広く普及している。
8.おわりに:温故知新
故きを温ねて新しきを知る。テクノロジーとして日夜新しく更新されているようにみなされる認知行動療法であるが,その本質は,人の行動変容に関する常識的原理が基礎にある。
認知行動療法については,第3世代とよばれる技法群があり,マインドフルネス技法もそこに含められることが多い。しかし一歩引いてみると,第1世代のリバイバル,現代アレンジ版でもある。そのように理解することで,実践での応用を利かせやすくなるかもしれない。
文 献
- 佐々木雄二(1984)自律訓練法の実際─心身の健康のために.創元社.
神村栄一(かみむら・えいいち)
新潟大学人文社会科学系教授
資格:公認心理師・臨床心理士・専門行動療法士・博士(心理学)
主な著書:『不登校・ひきこもりのための行動活性化』(単著,金剛出版,2019),『学校でフル活用する認知行動療法』(単著,遠見書房,2014),『認知行動療法[改訂版](放送大学教材)』(共著,NHK出版),『レベルアップしたい実践家のための事例で学ぶ認知行動療法テクニックガイド』(共著,北大路書房,2013)など。
学生時代から40年におよぶ心理支援の実践はすべて,行動療法がベース。「心は細部に宿る」と「エビデンスを尊び頼まず」が座右の銘。「循環論に陥らない行動の科学を基礎とし,サピエンスに関する雑ネタやライフハックなどによる解消改善を要支援の方との協働で探し出す」技術の向上をめざしている。