心理面接の道具箱(7)「死にゲー」が示す,生きること|長行司研太

長行司研太(佛教大学)
シンリンラボ 第7号(2023年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.7 (2023, Oct.)

1.「死にゲー」とは?

世の中には膨大な種類のゲームが存在するが,一部の人を強く惹きつける「死にゲー」と呼ばれる一連のゲームをご存じだろうか。「死に覚えゲーム」の略称であり,その名の通りこちらが敵と戦っては繰り返し「死に」続け,そして敵の動きのパターン等を「覚え」ながら攻略し,進んでいくゲームであり,他のゲームと比べても圧倒的に難易度が高くゲームクリアが難しいことが特徴となっている。

「死にゲー」はゲーム創成期の頃より存在し続けており,人によって見解が異なるため,その定義や歴史を簡単に括るのは困難であるが,本稿では,現代において「死にゲー」という名称の代名詞となっているゲーム『DARK SOULS(以下,『ダークソウル』)』『ELDEN RING(以下,『エルデンリング』)』等のアクションRPGゲーム(キャラクターを操作し,敵を倒してゲームを攻略していくゲームジャンル)について扱うこととする。

時代の流れとともに手厚く親切なゲームが増えている中で,硬派でハードな「死にゲー」は,それをプレイする人(プレーヤー)に何をもたらしてくれるのだろうか。

2.「死にゲー」がもたらす達成感

『ダークソウル』シリーズや『エルデンリング』は,中世ヨーロッパを彷彿とさせるダークファンタジーな世界観の中で,そこに存在するさまざまなダンジョン(城や洞窟,迷宮等)やそこに潜む敵を,剣や魔法を用いて攻略していくゲームである。一般的なゲームでは,所謂「ザコキャラ」と呼ばれる,道中に当たり前に登場する敵でさえも,これらのゲームでは相当な強さを有しており,油断するとすぐにゲームオーバーになってしまうほど,とにかく難易度が高くなっている。「死にゲー」においては,「いかに的確に状況を判断し,キャラクターを上手に操作するか」といったプレーヤースキルが強く求められるのである。

「死にゲー」は,何度もやり直すことを前提にしたゲームデザインのため,一見すると「死」という事象が軽く思える。しかし,実際にプレイしてみると,ゲーム全体を包む暗く陰鬱とした空気感と,おどろおどろしい敵からの残虐な攻撃や血に塗れるこちらの死に様によりもたらされる絶望感,このゲームを構成するその他さまざまな要素によって,常に命が脅かされ,「死」というものがとても生々しく感じられる。

そういった世界観の中で,ともすると一度敵の攻撃に当たると終わり,という緊張感に包まれながらプレーヤーは死ぬことを繰り返す。そして,どう攻撃を避け,敵を攻めるかといったことを試行錯誤し,何度も挑み続け,敵の行動パターンを覚えて,遂にその困難を乗り越えた先に待つ達成感や自らの上達の実感は他に代えがたいものがあるだろう。それは「死にゲー」ならではの魅力と言え,多人数での対戦ゲーム等で勝利した時の喜びとはまた別種のものであり,ちょうどそれは難解なパズルを解いた時の感覚に近いのかもしれない。

3.達成感を原動力に換えて

カウンセリングの中でもごく稀に,これらの「死にゲー」に強く魅せられている中学生と出会うことがある。ちなみに『ダークソウル』や『エルデンリング』は一人用のゲームであるが,顔の見えないオンライン上の人たちの力を一時的に借り,協力して敵に挑むことができる,というシステムがある。しかしながら,出会った中学生の内の何人かは,そうした他者の力を一切借りずに自らの力だけでゲームをクリアすることにこだわっていた。

「自分の力だけで乗り越えるのがいい」「ソロ(一人)プレイにしか興味がない」と述べ,心が折れそうになるほど同じ敵で数十回も死に続けることをも苛立ちながらもどこか嬉しそうに語り,その敵を試行錯誤の末にようやく倒せたことを喜びとともに力強く報告してくれるその姿からは,自らの力で道を切り拓いていこうとする意志と逞しさを感じることができ,それは他のゲームやその他の話題を語る際には見られない姿でもあった。

このゲームの持つ容赦のないシビアさは,彼らが中学生ながらに置かれていた先行きの見えない状況や閉塞感と重なる部分があり,「死にゲー」に自分一人で向き合うことを通して,困難を乗り越えるためのシミュレーションを繰り返し行っていたようにも思える。自分の力で困難を乗り越えた経験,出来なかったことが出来るようになったという原初的喜び,そしてそこで得られた達成感は,彼らが現実に立ち向かうための原動力として作用していたように思われ,彼らが紆余曲折を経て現実的に動き出せたことと無関係には思えないのである。

4.「死にゲー」と生きること

「死にゲー」の体験を通して得られることは,ここまで述べてきたような達成感だけではない。プレーヤーは達成感を得るためのプロセスで,幾度となく死という失敗を繰り返す。しかしその失敗は必要なことであり,無駄ではないということを,何度もやり直し挑戦できる環境の中で身を持って知るのである。また,困難を乗り越えるための手段,つまり正解はひとつではなく,経験と発想,そして試行錯誤次第で如何様にも広がっていくということも学べるだろう。

これらのことは現実の人生にも通ずる要素であるからこそ,現実の比喩として機能し,人の心に作用するように思う。先に述べたように,「死にゲー」は暗く陰鬱な空気感と絶望感,そして常に死と隣り合わせの緊張感に満ちているからこそ,強烈に「生の実感」を得られるゲームといえるかもしれない。困難に囲まれ,活路を見出そうともがくことを通して,人は生きる上で大切なさまざまなことに気づき,自らの成長とその可能性をより実感できるのではないか。

「死にゲー」を通して改めて生きることについて考えてみるのも,存外,的外れなことではないだろう。

バナー画像:kerutによるPixabayからの画像
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長行司研太(ちょうぎょうじ・けんた)
所属:佛教大学,京都府/市スクールカウンセラー
資格:臨床心理士,公認心理師
サブカルチャーと心理臨床の接点を探求する「サブカルチャー臨床研究会(さぶりんけん)」副代表。
主な著書に『サブカルチャーのこころ―オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた』(共著,木立の文庫,2023)がある。

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