子どもたちから教わったこと(5)不安から解放されることで巣立っていける|中垣真通

中垣真通(子どもの虹情報研修センター)
シンリンラボ 第5号(2023年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.5 (2023, Aug.)

子どもは安心させてもらう側

前回は,4つの「愛着の型(タイプ)」のお話をしました。「愛着の型」には「安定型」と「不安定型」があり,「不安定型」はさらに「回避型」,「両価型」,「無秩序型」に分類できます。「安定型」の子どもは,不安が高まると安心できる対象にくっついて安心を回復することができます。「不安定型」の子どもは,不安場面でも大人にくっつきに行かず,大人に無関心だったり,逆に叩きに行ったり,固まったりして,なかなか安心を回復することができません。「不安定型」の子どもは,安心を回復する力をうまく育てもらえていないことが特徴です。

そのことを強く感じさせてくれたのが,中学3年生女子のDさんでした。Dさんは素直で優しくて良い子で,自分を犠牲にしていると自覚することなく,大人を安心させようとしてくれます。だから,自分の気持ちを大事にすることが苦手でした。家族は優しい人たちだったのですが,Dさんの不安を汲み取って安心させてくれることが上手ではなかったようです。不安定型の子どもに共通することだと思いますが,不安を汲み取ってもらうよりも,大人の不安や怒りの吐き出し先を担わされることが多く,役割が逆転しているように見えます。子どもは安心させてもらう側にいて欲しいのですが,そのためには子どもの周りの大人が安心できている必要があります。支援者として,大人の安心も大切にしたいものです。前回は,このようなお話でした。

「安心感の輪」

今回も愛着(アタッチメント)に関連するお話です。子どもがくっついて安心するだけでなく,満たされると離れていくことは,第1回で「愛情」との比較によって説明した通りです。今回は「愛情」との比較ではなくて,くっつくことと離れることをクルクルと繰り返しながら成長していくという「安心感の輪」についてお話したいと思います。「安心感の輪」はCooper,Hoffman,Marvin,Powellらが開発した「安心感の輪プログラム」で広く知られるようになった用語で,原語はcircle of securityです。

原語を忠実に翻訳すれば「安全感の輪」なのですが,脅威から守られる安全感だけでなく,安心感の回復なども含む概念なので「安心感の輪」と呼ばれているのだと思います。「安心感の輪プログラム」は親子の間の愛着形成を支援するもので,国内にもこのプログラムを実施している支援機関や援助団体があります。

クルクル回りながら大人になる

「安心感の輪」がどんなものか簡単に説明すると,子どもが混乱に陥った時に,安全基地である大人に接近し,心理的にも生理的にも安定を回復し,再度外界の探索に出かけるというサイクルのことです。ピンチになって安全基地に接近する時に,子どもはいろいろと期待を持っていて,“おいでよって待っていてね”,“守ってね”,“慰めてね”,“大好きって受けとめて”,“気持ちを落ち着かせてね”などのことを求めています。

そして安心感と元気が回復して,安全基地から探索に出かける時には,子どもは違う期待を持ちながら離れていきます。例えば,“いろんなことをするから見ていてね”,“見守っていてね”,“手伝ってね”,“一緒に楽しんでね”,“大好きって見てて”ということを求めています。

身体は大人から離れていきますが,注目つまり視線によるつながりは維持してほしいと願っている訳です。大人の温かい視線は,Wi-fi回線の電波のように子どもに安心感を送り届ける機能があるのだと思います。子どもは大人の視線に見守られながら,外界の課題に挑戦をして,失敗をしたらまた安全基地に戻って心身の調子を建て直して,再度課題に挑戦します。このようにクルクルと挑戦と立て直しのサイクルを繰り返しながら,子どもは少しずつ自分の世界を広げ,徐々に自分で判断し適切に実行できることが増え,そして自立していきます。

うまく回らないパターン

「安心感の輪」のサイクルがうまく回れば,子どもの自立が促進されるのですが,大人だっていろいろな事情を抱えながら自分の人生の課題と戦っています。常に子どもの願いに応えることができる訳ではありません。大人の気持ちがあふれ出してしまったり,子どもの願いを勘違いしてしまったりすることもあります。誰しも完璧ではありません。「安心感の輪」の考え方を応用して,子どもの自立を上手に応援できない大人の関わり方の代表格を2種類紹介したいと思います。

〔突き放す愛情:甘えさせない〕

大人の側に,子どもが自立した逞しい人間になって欲しいという願いが強いと,「甘やかしてはいけない」と子どもの甘えを拒否する傾向が強くなります。例えば,子どもが不安や混乱に陥って,泣きながら大人に接近してくると,「甘えるな」,「泣くんじゃない」,「そんな弱虫でどうする」と突き放します。子どもの接近行動を拒絶するので,「安心感の輪」は動き始めません。そして,大人は「今度泣いたら怒るよ」とか「成功するまで戻ってくるな」と言って,子どもを怖がらせたり,要求水準を吊り上げたりして,子どもに試練を課して送り出します。言うなれば“根性の輪”とでも呼べそうなサイクルを,大人の迫力,時には威圧や暴力を使って作り出します。

叱咤激励で奮起を促しているのだと思いますが,結果的に子どもをさらなる不安と困難に追い込んで,焦燥感を掻き立ててしまいます。焦燥感にかられた子どもは一時的に頑張るでしょうけれど,長持ちはしません。安心と元気を回復する機会がない訳ですから,やはり疲弊してしまいます。子どもはパニックに陥りやすくなり,絶望感と無力感が蓄積していきます。結局,逞しくなってほしいという大人の願いとは裏腹に,敏感で気分が落ち込みやすい性格になっていきます。

そうすると大人はムキになって,いわゆる「エスカレーション・サイクル」に陥っていくことがあります。体罰文化で育った大人であれば体罰がエスカレートしますし,几帳面な大人であればルールで細かく管理して子どもの日常を監視するようになります。大人が頑張れば頑張るほど,子どもが疲弊して大人との関係も悪化して,負のスパイラルがグルグルと加速していくことになるのです。

〔離さない愛情:甘やかす〕

大人の側に,子どもがくっついてくる喜びや頼られるやり甲斐を求める気持ちが強いと,子どもが離れていく時の寂しさや虚しさを人一倍強く感じることになります。子どもがくっついてくると嬉しいとか,離れていくと寂しいという気持ちはごく自然なものですが,その気持ちが極端に強いと,子どもが離れていく時に後ろ髪を引っぱるような言動を取ってしまったり,大人の側から子どもにくっつきに行ってしまったりすることがあります。

例えば,小さな子どもが三輪車に乗っている時に転んでしまって,泣きながら母親に駆け寄ってきたとします。母親は子どもの服のほこりを払ってあげて,抱っこして泣き止ませて,「もう大丈夫だよ」と安心させてあげます。子どもは気持ちが落ち着き,元気が回復します。すると,「また乗ってくる」と母親から離れようとするのですが,ここで母親に寂しさや不安がよぎると,「転ぶと痛いよ」などと子どもの不安を高める言葉をかけてしまいます。さらに「ママが後ろから押してあげるね」と,後についていくこともあるかもしれません。安全ではありますが,子どもの元気は削がれるでしょう。

このように子どもの背中を上手に押してあげられないまま,子どもが飛び出していく時に不安を与えることが続くと,子どもはひとりで行動しようとする時に不安を感じるようになり,自分で判断して実行する主体性が育たなくなってしまうでしょう。極端な場合,自分の意思が弱くて何でも人に決めてもらう依存的な性格になったり,外では小さくなっているのに家庭では威張る内弁慶な性格になったりして,社会生活につまずいてしまうことも考えられます。

「安心感の輪」と自立

「突き放す愛情」は言わば“塩対応”,「離さない愛情」は甘やかしと言えます。どちらにも大人の愛情が含まれていると思いますが,子どもの安心を上手にケアすることができていません。「安心感の輪」がうまく回るためには,大人が子どもをほど良く受け止め,ほど良く後押しすることが必要です。“塩味”と“甘味”の塩梅が良いと“うまい”のです。

そしてもう一点,どちらのタイプにも共通するうまくない特徴があります。それは,素材の味を生かす意識が薄く,自分の思う味付けをしようとすることです。つまり,子どもの気持ちを感じ取ることが疎かになっていて,大人が思う姿にしようとする気持ちが勝っているということです。厳しい言い方をすれば,支配性が強い関係性と言えます。子どもが自分で選び,自分で決め,自分で行動する自由を認めていないので,子どもの主体性が育ちにくく,結局は精神的に自立することが難しくなってしまうと思います。

E君について

今回紹介するE君は,「突き放す愛情」が負のスパイラルを生み出し,子どもの精神的自立を阻むことを教えてくれた事例です。なお,紹介する事例の内容は加工してあり,特定の事例から作成したものではありません。

E君は小学6年の男子です。実父と2人暮らしの父子家庭で,実母はE君が小学3年の時に家を出て,見知らぬ男性の下に行ってしまいました。実父は背筋が真っ直ぐで口数が少ない真面目な人で,コツコツと働いてきた一本気な職人といった風情でした。実母の裏切りは晴天の霹靂だったのでとても驚いたものの,自分ひとりでE君を嘘のない真っ直ぐな人に育て上げようと思ったそうです。

実母が出て行ってからの実父は,やったことがない料理も家事もきちんと自分でこなし,決して父方実家に甘えませんでした。職場でも同情を買いたくないので,家庭の事情を知るのは一部の上司に留めてもらい,他の社員と同じようにきっちりと残業をこなしました。残業の間E君は,ひとりで留守番をしていました。実父が帰宅すると,E君が「寂しかった」と泣くことがあったそうですが,そんな時に実父は「泣くな,男だろう」と励ましたそうです。そんな生活が1年ほど続きました。

父子の苦悩と一時保護

E君が小学5年の時のことでした。警察から実父に電話が入りました。E君が万引きをして警察が預かっているから,引き取りに来てほしいという内容でした。驚いた実父が警察署に駆けつけて事情を聞くと,E君はキャラクター消しゴムを万引きして店員に見つかったそうです。実父は翌日から,E君が下校後に外出することを禁じました。しかし,1カ月ほど後にまたキャラクター消しゴムを万引きしました。実父はE君を厳しく叱責して,テレビの子ども番組を見ることを禁止しました。2カ月ほど後にまた万引きがあり,実父はE君が友達と交流することを禁じて,何枚も反省文を書かせました。それでもE君は2カ月ほど経つとまた万引きをしてしまいました。実父はE君に下校後の生活を記録する日記を課し,仕事から帰るとその記録通りにE君が過ごしたのか,証拠を点検するようになりました。

それでもE君の万引きは止まらず,ついに実父はE君が外出することを一切禁じて,E君を学校に行かせなくなってしまいました。学校が心配して家庭訪問をしたところ,実父は学校の訪問を拒むことはなく,E君と会って話すこともできました。E君の健康状態は問題なさそうで,実父が暴力を振るうこともないと言っていました。学校から実父に対してE君を登校させるように説得したのものの,実父は自分の考えを曲げるつもりはなく,本人が心から反省するまでは家から一歩も出させないという主張を押し通しました。

この話し合いから3週間ほど経った頃に,E君が突然学校に現れました。そして,「家から逃げてきた。家には絶対に帰りたくない」と訴え,児童相談所がE君を一時保護しました。

E君の気持ち

一時保護所でE君と面接をしました。E君は細身で長身ですが,猫背でいつも姿勢がグニャグニャしていて,軟体動物のような居住まいだと感じました。表情は力なく口を半開きにしていて,何を訊かれても「別にぃ」「知らねぇ」「そうかもねぇ」と掴みどころのない返事ばかりで会話になりません。嘱託医との面接でも緊張感がなく,嘱託医から質問をされているのに,回転式の丸椅子でクルクルと回って「さあねぇ」とはぐらかすばかりでした。

保護所の中でもE君の盗癖が現れました。他児の私物がE君の引き出しから見つかることが何度かありました。しかし,E君は決して自分が盗んだと認めることはなく,眉一つ動かさずに「あれは借りたのを返し忘れただけ」などと上手に嘘をつきました。また,ルールの隙間をつくこともとても上手でした。

保護してから1カ月ほど経つと,E君から家庭での様子を少し聞けるようになりました。実父の作るルールがいかに細かくて,その点検がどれほど執拗だったかを語り,「あいつはおかしい」と実父を悪し様にこき下ろし,「家には絶対戻らない」と繰り返し訴えました。

児相としてもE君は施設入所が適当と判断して,実父との面接を繰り返しました。当初実父は,勝手に家を出て行ったE君にひどく立腹していて,児相の話に耳を貸そうとしませんでしたが,徐々に軟化してきて,実はE君の躾に行き詰っていたと漏らし,児童養護施設の利用を前向きに検討してくれるようになりました。

E君の意向に沿う形で実父との話し合いが進んでいるので,E君に喜んでもらえそうだと思いながら,私はE君と今後の方針を話し合う面接をしました。

「E君もそろそろ保護所を出て,どこで生活していくのか決めなきゃいけない時期になったけど,どこで生活したい?」

「絶対に家はいやだ」

「どうして?」

「あいつ(実父)がムリ」

「お父さんのやり方はまずかったけど,お父さんなりに君のことを大事に思っているみたいだよ」

「あんたは知らないんだよ。あいつはそんな人間じゃない」

「お父さんと一緒に暮らすのは難しそう?」

「ムリ」

「家に戻りたくないなら,児童養護施設で生活することになるけど,いいかな?」

「いいよ」

「じゃあ,保護所の生活が長くなっちゃったし,早速,来週見学に行こうか」

「……」(斜め上をボーッと見つめて動かない)

「どうしたの?」

「……お父さんはなんて言うかな……」

私は意表を突かれました。実父の支配から解放されて,自由な生活が始まろうとしているその時に,E君は実父の意向を気にかけました。実父に見放されてしまう不安など複雑な思いが錯綜したことは想像できるのですが,いずれにせよ自由な生活空間が保証されても,E君の心は実父から自由になれなかったのです。空間的に離れていてもずっと実父の事を意識していて,そこに実父がいなくてもその視線が気になっているという感覚が私に伝わってきました。

この家庭では,実母が家出をしてからE君と実父の間に,2人だけの閉塞した世界が生まれていたのだと思います。互いに相手を大切に思いながらも,安心と楽しさを生み出すことが苦手な不器用な2人ですから,リセットされない不安と不満が徐々に2人の世界に充満していったことは容易に想像できます。そして,相手を思う気持ちがいつしか相手を引き付けようと縛り付ける行為につながり,互いに苦しめ合いながら離れられない親子関係に陥ってしまったのだと思います。

不安から身軽になるから巣立って行ける

1回目の話に書いた通り,愛情は時に相手を束縛します。E君の家庭のように不安が支配する雰囲気になると,特にその傾向が顕著になります。不安は精神的な重圧であり,人の心の自由を奪います。一方安心できると,重圧から解放されて心が軽くなり,自分の気持ちで自由に決断しやすくなります。

今回の話の前半で,子どもは「安心感の輪」をクルクルと回りながら自立していくと書きましたが,同じところで堂々巡りをしている訳ではありません。安心を得るたびに子どもの心は少しずつ不安の重みから解放されて,じわりじわりと高みに上っているのではないかと思います。心の世界において,不安はダウンフォースを生み,安心は揚力を生むという法則があるのではないでしょうか。そして揚力が一定の値を超えると,大きな空に向かって離陸できます。子どもが精神的に自立するためには,安心に支えられた自由な決断の積み重ねが必要なんだと思います。

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中垣真通(なかがき・まさみち)
臨床心理士・公認心理師,子どもの虹情報研修センター研修部長
1991年4月,静岡県に入庁。精神科病院,児童相談所,情緒障害児短期治療施設,精神保健福祉センター,県庁等に勤務。
2015年4月,子どもの虹情報研修センター研修課長,2019年4月から同研修部長,現在に至る。
日本公認心理師協会災害支援委員会副委員長,日本臨床心理士会児童福祉委員会委員,日本家族療法学会教育研修委員など。
主な著書に,『緊急支援のアウトリーチ─現場で求められる心理的支援と理論の実践』(共編,遠見書房,2016),『興奮しやすい子どもには愛着とトラウマの問題があるのかも─教育・保育・福祉の現場での対応と理解のヒント』(西田泰子・市原眞記との共著,遠見書房,2017),『日本の児童相談所─子ども家庭支援の現在・過去・未来』(川松亮ほか編,明石書店,2022,分担執筆)など

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