子どもたちから教わったこと(10)親子関係は善悪や正誤に収められない|中垣真通

中垣真通(子どもの虹情報研修センター)
シンリンラボ 第11号(2024年2月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.11 (2024, Feb.)

トラウマ反応の4つの症候群

前回はトラウマ反応を理解するために,PTSDの4つの症状群のお話をしました。4つの症状群には,「侵入症状(再体験)」「回避症状」「認知と気分の陰性の変化(否定的感情と認知)」「覚醒度と反応性の著しい変化(過覚醒)」があります。

侵入症状:本人の意思に関係なくトラウマ場面の記憶が突然よみがえって,今その場面にいるかのように,その時に感じた知覚や感情も含めて再体験することです。フラッシュバックや悪夢が侵入症状の代表例です。

回避症状:トラウマ場面に関連する記憶や感情に触れることを避けようとして,その話題を拒んだり,関連する人物,場所,活動などを避けようとしたりすることです。

認知と気分の陰性の変化:耐えがたい脅威から自分を守るために,以前よりも認知や感覚の働きが鈍くなったり,麻痺したりする症状です。安全になった後も,脅威に圧倒されて抵抗できない無力感や,誰からも守ってもらえない絶望感や孤立感が続いて,周囲の世界や自分に対する認識が否定的になりやすくなります。解離性健忘や「サバイバーズ・ギルト」が代表的な症状です。

覚醒度と反応性の著しい変化(過覚醒):興奮と警戒心が過度に強くなる症状です。ハイテンションになりやすく,苛立って怒りが爆発したり,無謀な危険行為に及んだりします。また警戒心が強くなり,刺激に敏感に反応するようになるため,集中困難や睡眠障害が現れたりします。

4つの症候群が1カ月以上持続して,苦痛を感じたり生活に支障をきたしたりしている場合,医学的にPTSDと診断されます。虐待やいじめなど持続的なストレスによって生じたストレス障害は「複雑性PTSD」という別の診断分類があります。

脳内のこと

PTSDの病態の形成に関係が強い部位は,「扁桃体」と「海馬」です。偏桃体は危険判断に関係する部位で,危険事態で緊急対応モードのスイッチを入れます。「海馬」は情報を一旦貯えて検索用の見出しや日付を付けてから,長期記憶に収める働きをする部位です。トラウマ場面では海馬の働きが鈍くなって,未整理のままの記憶を出来事も感情もいっしょくたに“瞬間冷凍”して貯蔵していると考えられています。そのため,トリガーで恐怖記憶が“瞬間解凍”されると,出来事も感情も身体感覚もない交ぜになって,意識の中にあふれ出てきます。

“その時”にスリップしたH君

強烈なフラッシュバックがどれほど鮮明にトラウマ体験をよみがえらせるのか,実感させられたのは小学6年生男子のH君でした。前回にも詳しく紹介をしましたが,また提示します。H君は継父と折り合いが悪く,継父に包丁を向けられたり,首を絞められたりして施設入所となりました。

ある日の夜にH君がテレビを見ていると,低学年の男児がやってきてテレビの前に座って邪魔になったので,男児を突き飛ばしました。すぐに男性職員が2人の間に入って止めたのですが,H君は突然「うわーあああ!!」と絶叫し,机やソファをひっくり返しました。男性職員がH君に近づくと,H君は急に泣きだして土下座をして,「ごめんなさい」と謝り,「お父さんやめて! こっち来ないで! お父さん来ないで!」と怯えて硬直しました。

翌日,心理担当がH君から話を聞くと,絶叫した辺りから,以前継父に首を絞められた場面と恐怖感がはっきりとよみがえっていて,男性職員が継父に見えていたそうです。首がギュッとしまり,呼吸が苦しくなる感覚もあったと言っていました。トラウマ場面に“タイムスリップ”していたのです。

虐待としつけ

第1回から第5回は愛着(アタッチメント)に関するお話を,第6回から第9回まではトラウマに関するお話をしてきました。そもそもこのような人生の困難がどこで形成されるのかと考えると,その現場は家族ではないでしょうか。家族というつながりは,誰にとってもかけがえのないものであると同時に,抜き差しならないものでもあります。今回は家族のつながりについて,私の虐待対応の経験からお話をしたいと思います。

児童虐待に関する政府の広報などを見ると,よく「親がしつけと称して虐待をする」という表現を目にします。この“しつけと称して”という言い回しが,私はどうも気になります。保護者を悪者と決めつける気持ちが潜んでいて,“虐待を正当化しようとしてずるい”,“加害者のくせにけしからん”という含みを感じてしまいます。私が経験した範囲のことですが,虐待相談で話を伺った保護者に対して,“正当化”していると感じることはまれでした。反対に,子どもの問題を直すつもりでやっているように見えるのです。ただし,やっている行為は虐待です。「しつけのつもりで虐待をする」と言った方が正しいと思うのです。

“愛のムチ”という理屈

虐待行為のあった保護者に向かって,あなたの行為は虐待に当たると伝えると,多くの人がこう言いました。「自分もこうやってしつけられてきた」。確かに私たちのような昭和世代は,子ども時代にパワハラや虐待まがいの扱いを普通に受けていました。家庭でも学校でも悪さをすれば怒鳴られましたし,拳骨をくらうこともありふれた日常の一コマでした。子どもに痛い思いや怖い思いを与えることがしつけであり,懲りて学ぶことで成長するんだという考え方を,みんなが素朴に信じていたのだと思います。“愛のムチ”という主張が,社会の中で通用する時代でした。

“愛のムチ”という考え方に立つと,親が子どもの成長に期待を抱いているからこそ懲らしめるのであり,折檻も愛情表現だということになります。時に力が入り過ぎてしまって,それが今の時代は“虐待”と見なされるようになったんだという理屈が成り立ちます。

期待が生み出す苦悩

私はどうも,釈然としません。“愛のムチ”の理屈で極論を言うと,親の愛情や期待が大きいほど,子どもに対する虐待がひどくなるということになります。私としては,愛情が深ければ親子共ども幸せになって欲しいと願っているので,この理屈には強い違和感を覚えます。昭和的なしつけ観を持っていると,しつけと虐待の区別が曖昧になるところがあるのは分かるのですが,幸せと不幸の違いは区別がつくのではないかと思います。“愛のムチ”をふるう親は,子どもを愛するがあまり,不幸な関係になろうとしているということなのでしょうか。

しかし現実に,親としての愛情と期待の大きさが,親子双方を辛く苦しくしている家族に出会うことがよくあります。親が子どもに対して抱く,“こうなって欲しい”とか“こうして欲しい”という期待が強いがゆえに,子どもへの束縛や折檻が激しくなってしまうのです。期待は麻薬です。相手の人生を生き生きとさせることもあれば,束縛もしくは呪縛となって苦しめることもあります。子どもを束縛している親に対して,「子どもにそんなに期待しないでください」とも言えません。子どもに対する期待は,親という生き物にとって本能だと思います。

“悪者”の特定

親が子どもへの期待に突き動かされて不適切なしつけを行うと,その行為は法律で“児童虐待”と分類されます。そしてその親は,“虐待加害者”という社会的位置づけを背負うことになります。これは,自動的に“悪者”という役回りに立たされたことを意味します。だから“虐待加害者”から「これはしつけだ」と言われると,支援機関も含めて周囲の人は“悪者が言い逃れしている”とか,“虐待を認めようとしない”と捉えてしまいます。

数十年前の我が国では,日本人は子どもへの愛情が深いので,欧米のように児童虐待が起きることはないと信じられていました。このように“親の愛情”で視野が覆われていた時代に比べれば,真摯に児童虐待を見つめられる社会になりました。ただ,“児童虐待”というメガネをかけると親が“悪者”に見える現象のために,近年の支援機関では素直に家族を支援することが,難しくなっているような気がします。児童虐待に対応する支援機関は,“悪者”を決めなければいけないのでしょうか。

悪者捜しをしない

私がトレーニングを続けている家族療法の世界では,「悪者捜しをしない」という姿勢を基本としています。支援者の自己認識としては“悪者捜し”をしている感覚はないのですが,つい“この人が原因だ“とか“この人が変わるべきだ”という考えが浮かびます。浮かんでくるものは仕方ないのですが,家族を支援する時にはこの考えに囚われない方が支援の効果が出やすいのです。

“悪者”という言葉が少々きついのですが,要は特定の人が原因だと決めつけないように気を付けましょうということです。その思い込みが先入観となって,家族が繰り広げている“ドラマ”を純粋な目で見られなくなるからです。“ドラマ”と表現しているのは,家族の中で起きている出来事とそれにまつわる一人ひとりの感情や意味づけのことです。家族のドラマは複数のメンバーの相互作用で動く群像劇ですから,誰かに視点を集中すると見落としが多くなってしまいます。見落としの多い見方に基づいて働きかけたところで,やはり支援の効果は上がりにくいです。

また,“悪”という価値評価が含まれた捉え方に注意を促していることにも,注目していただきたいと思います。先述のように,家族の関係は抜き差しならない複雑さを持っています。善悪とか正誤などのように,単純化されたひとつの基準で評価することで,もの凄く多くの情報が抜け落ちて行きます。8K画質の映像を白黒映像に落とすようなことかもしれません。これは,もったいないですよね。家族のドラマは大画面の鮮明な映像で見た方が,じっくりと味わうことができるに違いありません。

I君のこと

「悪者捜しをしない」と知っていても,虐待という文脈に飲み込まれていると,いつの間にか親を悪者と決めつけて,複雑で多義的な家族関係を受け止め損ねてしまうものだと苦い思いをしたのがⅠ君でした。ここで紹介する事例は,私の支援経験を複合して構成した架空事例です。

Ⅰ君は実母からの虐待を主訴に,施設入所した小学3年生の男児です。いつも俯いていて,人を見る時は上目遣いに睨むように鋭い視線を向ける子どもでした。Ⅰ君が受けた虐待の内容は強烈で,連日近所に響き渡る大声で怒鳴りつけられ,時々平手打ちや拳骨などの体罰も受けていました。特に食事中に𠮟責や折檻を受けることが多く,嫌いなものを食べられないと何時間でも席から立たせてもらえず,挙句の果てに無理やりおかずを口に押し込まれて嘔吐したこともありました。

Ⅰ君の生い立ち

普段のⅠ君の実母は,快活でざっくばらんな感じの人でした。実母自身も社会的養護経験者で,小学生の頃からずっと施設で過ごし,たくさんのつらい思いや恨めしい気持ちを抱えて育ってきたと言っていました。そんな自分が母親になっていいのかと,悩むことも多かったと漏らしたこともありました。Ⅰ君の養父は物静かな優しい人で,パチンコ屋で中間管理職をしていました。口数が少なく自分から意見を言うことはありませんが,実母は頼りにしているように見えました。

現在,Ⅰ君の実父とは交流がなく,Ⅰ君が生まれた頃に離婚していました。シングルマザーになった実母はⅠ君の養育に行き詰まってしまい,児童相談所に相談してⅠ君を乳児院に預けました。Ⅰ君が5歳の頃に実母が養父と再婚し,Ⅰ君を家庭に引き取って,新生活を始めました。それから間もなくして,実母と養父の間に実子ができ,Ⅰ君の弟が生れました。

Ⅰ君は学校では,いつもひとりで過ごす子どもでした。とても口数が少なくて,いつも険しい顔で俯いているので,先生も友達もⅠ君が何を考えているのかわかりにかったみたいです。そして,些細なきっかけで突然キレてしまうので,ちょっと近づきにくい存在になっていました。Ⅰ君が学校で問題を起こすと,先生から実母に連絡が入ります。すると実母がいつもに増してⅠ君を怒鳴り上げるという,悪循環が2年ほど続いていました。

そして,Ⅰ君が小学3年生の時に,頬に大きな痣をつけて登校してきました。実母に何発も平手打ちをされたということでした。学校から実母に電話を入れると,今日の朝食時に自分が叩いたという説明があり,Ⅰ君の説明と一致しました。Ⅰ君は要保護児童対策地域協議会で見守り対象になっていたこともあり,直ちに学校から児童相談所に通告が入り,速やかに児童相談所がⅠ君を保護しました。

施設入所してからのⅠ君

一時保護所から施設に来たばかりのⅠ君は,険しくピリピリとした雰囲気を撒き散らしていて,強い警戒感を発散していました。本当に口数が少なくて,こちらから話しかけても一言二言くらいしか返ってきません。昔の任侠映画の登場人物のような小学生でした。そして何より印象的な特徴は,笑わないことでした。笑顔はおろか,ニヤリと口角を上げることすらありませんでした。

そして,予想通りに食が細くて,苦手なおかずが出ると固まってしまいました。そこで楽しく食べることを知って欲しいと考えて,心理面接の時間にパンケーキやクッキーを焼いて,いっしょに食べることにしました。いっしょに食べると言っても,私から一方的に話しかけるだけで,Ⅰ君は会話もせずにガツガツ食べるのですが,ある時,チョコクリームで口の周りを黒く汚してしまったのを見て,私が「漫画の泥棒みたい」と言って写真を撮ってⅠ君に見せると,Ⅰ君はクスッと笑いました。そんな風に少しずつⅠ君に笑顔が出てくるようになり,半年ほど経つと,目が無くなってしまうくらいの無邪気な笑顔を見せるようになりました。

実母との面会

当然のことですが,施設に入所しても子どもと家族は面会や外泊などの交流を定期的に持っています。特段の事情がなければ,入所から1,2カ月ほどで家族との面会を行うのですが,Ⅰ君は半年にわたり電話での交流に留まり,直接の面会は行っていませんでした。その理由は,Ⅰ君が実母を怖がっていたからです。はじめは電話交流ですら怖がっていて,実母の声を聞いただけで電話を切ってしまう状態でした。これには実母も傷つきました。養父に実母を支えてもらいながら,電話交流を粘り強く続けました。Ⅰ君の側でも,電話の時には必ず担当職員が横について,喋るセリフのカンニングペーパーを出しながら,ちょっとずつⅠ君が実母と話ができるように応援してきました。

そして,半年たったところで,Ⅰ君も実母に会ってみようかなと言うようになりました。実母は大喜びです。すぐに面会の日程が決まり,翌週の金曜日に養父の運転で施設に来てくれることになりました。実母の喜びの一方で,Ⅰ君にとってどうなのかなという心配が,私の中にありました。心理面接の時間にⅠ君がパンケーキを美味しく食べ終わったところで,「来週の金曜日にお母さんが来てくれることになったよ」と面会のことを伝えました。Ⅰ君は一瞬で表情が消えて,「ふーん」と言っただけでした。そしてその晩,久しぶりにⅠ君の暴力事案が発生しました。

金曜日が来た

約束の金曜日が来ました。Ⅰ君は朝から落ち着きがなく,明らかにいつもよりソワソワとしていました。担任教諭の気配りのおかげで何とか無事に授業を終えて帰寮し,いよいよ面会時間の15時を迎えました。実母と養父は30分も前に到着しています。私がⅠ君の居室に声をかけに行くと,Ⅰ君はカチカチに緊張してベッドの上に正座していました。

私「Ⅰ君,そろそろお母さんと面会する時間だから,相談室に行こうか」

Ⅰ君「……」(無言でベッドから降りてくる。目が一点を見つめている)

私「Ⅰ君,緊張しちゃうよね。久しぶりだもんね」

Ⅰ君「……先生……こわい」

私「お母さんと会うのがこわい?」

Ⅰ君「……」(一点を見つめている)

私「無理しなくてもいいんだよ。……やめとく?」

Ⅰ君(首を横に振る)

私「行けそう?」

Ⅰ君(うなずく)

(相談室まで手をつないで歩いて行く。Ⅰ君の手に力が入っている)

私の思考(今日の面会は無理かもしれない。Ⅰ君が怖がったらすぐに中止しよう。お母さんはショックだろうから,Ⅰ君を寮担当にお願いして,私がお母さんの話を聞こう)

(相談室に到着。ドアをノック。Ⅰ君が私の後ろに隠れてギュッと手を握った)

私の思考(あぁ,Ⅰ君は怖いんだ。私がお母さんから守ってあげなくちゃ。)

(相談室に入室)

Ⅰ君(私の手をほどいて実母に駆け寄ると,抱きついて「ママ~!!」と満面の笑顔)

実母(クシャクシャの笑顔でⅠ君を抱きしめた)

私(呆気)「……Ⅰ君,良かったねぇ」(曖昧な笑顔)

私の失敗

皆さんはⅠ君の「ママ~!!」をどのように理解しますか。Ⅰ君は実際に実母と対面したら嬉しかった。再開した時の実母の表情が優しかったからⅠ君は安心した。Ⅰ君は実母から嫌われないように振る舞う習慣が身についていた。さまざまな考え方が成り立ちます。そして,いずれか一つの考えが正解ということではないのだと思います。Ⅰ君の胸の中には複雑な思いが渾然一体となって湧き上がったのでしょう。それは実母にとっても同じことで,お互いに一言では言い表せない複雑な感情をやり取りした場面だったと考えるのが自然でしょう。

それに対して,当時の私の捉え方は単純すぎました。そもそも実母に対してⅠ君が緊張する感覚を,「こわい」と呼んだのは私だったかもしれません。私の中でⅠ君は,親からひどい目に遭わされた“被害者“であり,”加害者”の実母を恐れているという暗黙の前提が生まれていました。Ⅰ君に寄り添っていたと言えば聞こえが良いのですが,実母を“悪者”にしていたとも言えます。

親も子も互いのことを思いながら,毎日一生懸命格闘しているのだろうと思います。できることなら,その一生懸命さがお互いの幸せにつながって欲しいものです。だからこそ,単純に善悪や正誤で親子の関係を評価するのではなく,複雑で混沌とした関係全体をつぶさに見つめて,そこに潜むパワーや善意を見出すことが、親子関係を新たな一歩に導く足掛かりになるのだと考えています。

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中垣真通(なかがき・まさみち)
臨床心理士・公認心理師,子どもの虹情報研修センター研修部長
1991年4月,静岡県に入庁。精神科病院,児童相談所,情緒障害児短期治療施設,精神保健福祉センター,県庁等に勤務。
2015年4月,子どもの虹情報研修センター研修課長,2019年4月から同研修部長,現在に至る。
日本公認心理師協会災害支援委員会副委員長,日本臨床心理士会児童福祉委員会委員,日本家族療法学会教育研修委員など。
主な著書に,『緊急支援のアウトリーチ─現場で求められる心理的支援と理論の実践』(共編,遠見書房,2016),『興奮しやすい子どもには愛着とトラウマの問題があるのかも─教育・保育・福祉の現場での対応と理解のヒント』(西田泰子・市原眞記との共著,遠見書房,2017),『日本の児童相談所─子ども家庭支援の現在・過去・未来』(川松亮ほか編,明石書店,2022,分担執筆)など

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