【特集 被害者を支援する──性暴力・性虐待を中心に】#01 心理職はいかに性暴力被害者支援に臨むのか|信田さよ子

信田さよ子(原宿カウンセリングセンター)
シンリンラボ 第14号(2024年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.14 (2024, May.)

1.はじめに

本特集は5名の著者によるそれぞれの臨床実践にもとづいた論考によって構成される。行政機関における性暴力被害の実態,私設心理相談機関におけるトラウマ治療も含めた実践,男性の性暴力被害,養護施設における性虐待被害児の支援,性暴力被害の全体像・このような網羅的内容の特集は珍しいのではないだろうか。幅広い領域における専門職として,本特集はきわめて現実的に役立つ内容になっていると思う。

さて,編者として私に期待されるものは何だろう。それは「性暴力被害者支援」というテーマをメタ的にとらえることではないか。50年近い心理職の経験を持つ私の特権なのかもしれないとさえ思う。つまり,この特集が組まれるようになった背景,臨床心理学における性暴力被害というテーマが扱われてきた歴史,さらに性暴力が絶えず政治的意図によって翻弄されてきたという歴史について述べることだ。こう書きながら,読者の期待するものは,日常の臨床に役立つものであり,そんな過去の歴史になんか関心がないのではないか,という危惧を強くする。

少し話が飛ぶようだが,ナラティブという言葉は歴史性と無縁ではない。人が語ること,それを聞くことは,記憶・過去・歴史の文脈抜きには不可能だろう。マインドフルネスという言葉でさえその歴史性とともに語られるべきだと思う。私たちは未来をつくるために過去を見るのであり,臨床心理学は歴史性を軽視してきたのではないかとさえ思っている。私自身が歴史を語らずして自分の論考を著せないと思っているので,しばらくお付き合い願いたい。

2.誰の立場で──ポジショナリティという視点──

本特集を持ちかけられたとき,心に浮かんだのは,「このようなタイトルで文章を書ける時代が来ようとは思わなかった」という言葉だ。これは正直な感懐である。性暴力はいけないこと,性暴力の被害者は深刻な影響を受ける,性暴力被害者支援も大きな役割だ,といった考えがいつのまに常識になり,いつのまに心理職を席巻したのだろう。いたずら,かわいがり,愛でると定義され,親がそんなことするはずがない,されるほうの問題だと考えられてきたのが,「性暴力」に昇格し,被害者支援が正義になったのはつい最近のことなのだ。歴史の浅さを心理職の人たちには知っていただきたい。

そう考えるのは,私自身の経験が深く影響している。それは憤り(怒り)と孤立感に満ちた経験である。それを便宜的に二つに分けて説明する。①1980年代から1990年代にかけての日本心理臨床学会や研修会における経験,②アダルト・チルドレンという言葉と2000年代に入ってからの「論座」(朝日新聞出版,2003年),朝日新聞紙上における「論争」をめぐる経験である。

精神科病院におけるアルコール依存症治療を出発点とする私自身の臨床経験は,1980年代に入ってから,アディクション専門の相談機関(ソーシャルワーカーによって運営される)でのカウンセラーとしての実践経験によってさらに広がった。いわば個人の心理や内的世界ではなく,現実に生起する生命危機を伴う暴力やアディクションの問題への介入が中心だった。逃がしたりシェルター入所を勧めたり,110番通報や生活安全課とのつきあいなどは,今から思えば得難い経験だった。当時まだDVという言葉は日本には存在せず,虐待は一部の弁護士や保健師,精神科医,アディクション関係者などがかかわるだけだった。折檻やしつけ,問題飲酒,バタードウーマンなどと呼ばれており,家族のなかに「暴力」は存在せず,したがって「加害者」もいなかったのである。社会における強姦被害者はいても「性暴力」も「性加害者」も存在しなかった。あたかも暴力や加害者が「あたりまえ」に,時には「客観的」に存在するなどと考えてはならない。すべては「誰の立場」から定義するかに左右されるのだ。この「立場性」「ポジショナリティ」という観点を抜きに,「加害者は悪い」「昔から性暴力やDVがあった」などと語ることは実に短絡的で非歴史的であり,心理職として避けるべきではないか。

3.口惜しくて憤りながら

1980年代末の日本心理臨床学会は現在よりはるかに力動系の研究者や臨床家たちが力を持っていた。その人たちは「父の性的行為」を訴えるクライエントや患者さんに対して,虚言や妄想と定義すべきと考えていた。それを公言する学会シンポジウムもあった。私の職場には専門家から自分の経験を否定・否認された女性たちが数多く来談した。「信じてもらえなかった」「親には親の理由がと言われた」などという心理職による対応に,彼女たちに代わって私は憤った。なぜ言葉を言葉どおりに信じないのか,誰からも信じられなかった言葉を心理の専門家なら信じてもらえるのではないかという期待を平気で裏切ることができるのはなぜかと。もともと精神分析から距離を取っていた私だが,同じ心理職として批判されている気がした。

摂食障害の女性たちのグループカウンセリング,アルコール依存症の親のもとで育ったひとたち(アダルト・チルドレン=AC)のグループカウンセリングでも,半数近いひとが「性虐待」被害を受けていた。彼女たちは専門家による二次被害を受けていたことになる。学派の理論にのっとって解釈することで彼女たちを見殺しにする心理職への恨みと怒りは,いつのまにか巨大化した。逆転移と言われることにためらいなどなかった。

2003年『危ない精神分析』(矢幡洋著,亜紀書房)が出版された。アメリカにおけるフォールスメモリーシンドローム(過誤記憶シンドローム)の動きとからめて,トラウマやACにまつわる被害者たちを批判する一冊だった。その本への批判を,今は廃刊になった「論座」(朝日新聞出版)の2003年12月号に「記憶をどうとらえるのか」というタイトルで書いた。それへの反批判を矢幡氏が「論座」(2004年2月号)に書き,朝日新聞でそれを「論争」として藤原帰一が取り上げた。私の矢幡批判の論旨は,ACという言葉が日本で広がり,やっと家族の暴力(中でも性虐待)被害を訴えることができるようになったのにそれを過誤記憶として葬ろうとするのは時期尚早ではないかというものだ。自らの性虐待被害を訴えるためにどれほどの勇気とエネルギーを要するのかを考えたことがあるのだろうか,という憤りもあった。

もともと日本心理臨床学会を中心とする臨床心理士たちの世界は,アダルト・チルドレンという言葉にはアカデミズムの立場から距離を取っていたように思う。ACに関する多くの講演を行ってきたが,心理職の聴衆はほとんどいなかった。その一連のやりとりの論争に対しても,心理職からの反応はゼロであり,むしろ私を応援してくれたのはフェミニズムや社会学にかかわる人たちだった。心理職に対して,当時の私はほぼ絶望していたといっていいだろう。こころの専門家と言われるひとたちが,当事者たちから失望されて役に立たないと見限られていることを知らないままに,研修会やスキルアップに励んでいるとしか思えなかったのである。

4.行政の後を追う

それから時は流れ,2000年の虐待防止法,2001年のDV防止法に始まる動きは,2023年の不同意性交等罪の施行に至る。さら2017年のアメリカから始まる「#MeToo」運動の日本への浸透,コロナ禍におけるさまざまなセクハラ問題の表面化,職場におけるハラスメント防止相談窓口の設置義務化などは現在進行形である。

冒頭で述べた私の感懐は,かつての心理職への失望から比べればずっと事態がよくなったという喜びと同時に,法整備に伴ってやすやすと変貌する心理職の世界への危惧にもつながる。法律ができたら,そこに心理職が位置づけられたら取り組むのだろうか。被害者になどまったく関心がないように見え,被害という言葉を使用すらしなかった心理職が,行政主導の現場に「職を与えられたから」被害者支援として参入するという事態にいささかの抵抗を覚えるのだ。

1945年8月15日,日本が敗戦したあとで,焦土から立ち上がった人たちは占領国アメリカの民主化の波に乗って,「軍国主義はまずい,民主主義こそすばらしい」と速やかに考えるようになった。学校の先生も,メディアも,国民の多くも,あの戦争は日本軍国主義が起こしたものだとしてアメリカ礼賛に向かった。映画『オッペンハイマー』(2024年公開,クリストファー・ノーラン監督)を見れば,日本に落とされた二つの原爆の加害国は明らかにアメリカであるのに,私も含めて戦後の日本人は悪いのは日本軍国主義だと信じて疑わなかったのだ。世界史的に見て最も成功した占領政策として戦後の日本が挙げられるのももっともである。昨日まで「お国のために戦った兵隊さん,ありがとう」と語ったひとが,「軍国主義がこの戦争を起こした」と言い,天皇陛下万歳ではなくアメリカ民主主義歓迎へと雪崩を打ったのである。『敗戦後論』(加藤典洋著,講談社,1997)は,そのねじれによって天皇陛下万歳と言って亡くなった膨大な戦死者と戦後民主主義を信じる我々とは分断されることを書いた。『我々の死者と未来の他者,戦後日本人が失ったもの』(大澤真幸著,集英社,2024)もその延長にあるきわめて明晰な一冊である。

飛躍しすぎかもしれないが,敗戦によって起きた速やかな断絶と,心理職として性虐待や家族のなかの被害者など存在しないと考えてきた人たちが,法整備に伴っていっせいに「性暴力」はいけない,「性暴力被害者」を支援するという姿勢に転じたことは似てはいないだろうか。転じることが悪いと言っているのではない。上記二冊が指摘しているのは,その不連続性であり断絶である。これまで一顧だにしなかった虐待やDV,性暴力の被害(そして加害)に対していっせいに関心を抱き,支援のスキルを学ぶに至るまでのプロセスを理論的にどう正当化し説明するのか。そこに断絶はないのかということである。

歴史とは,無関係に起きたいくつかのできごとをつなげていくことであり,文脈化することで生起する機序を理解可能にする役割を果たす。1970年代に起きた日本臨床心理床学会の事実上の分裂を経て,1980年代に日本心理臨床学会が誕生したこと。それから現在に至るまでの歴史の中に,個人の内的世界の力動重視から昨今の「被害者支援」に至るまでの流れが断絶なく説明され言語化される必要があるだろう。そこには,公認心理師によるPTSD(心的外傷)治療が(もちろん医師の指示による)保険点数化されたことも位置づけられる必要がある。

5.おわりに

私が顧問を務める開業(私設)心理相談機関は,医療からも行政機関からも独立し,会社組織として存続して30年が経った。そこには,病院やクリニックとは異なるモチベーションを持ち,アディクションや暴力,AC,加害者・被害者といった定義がなければ,自らの問題を同定できない人たちが多く訪れる。多職種連携という言葉は,それほど私たちには必要ではない。すべてを引き受けるという姿勢がなければ,来談者(クライエント)からの信頼をかち得ないからだ。中でも性虐待・性暴力の被害者は長い長い時間をかけて変化・回復していく。それを私は,キャンサー・ジャーニー(ガン患者の旅)になぞらえて「ビクティム・ジャーニー」と呼んでいる。DV被害者や性被害者(多くは女性である)の,「被害の自覚」から始まるジャーニーに,個人・グループカウンセリングをとおしてかかわり続けてきた私は,被害についてほとんどを彼女たちから学んできた。私が望むのは同業者からの承認や評価ではなく,当事者たちから「専門家」として合格点をもらうことである。

アディクションから学んだことは,「見つける」ことの大切さだった。目の前のクライエントの語る問題の背後に「アディクションを見つける」,つまりアディクションを発見することは,その後の援助方針の作成(見立て)に大きな影響をもつ。性暴力(性虐待)を「見つける」ことも同様の意味を持つ。子どもの性虐待の発見はすでにさまざまな指標が示されているが,心理職が出会う多くの人たちの背後に性被害の経験を発見する視点を持つ必要がある。かつてはボーダー(境界性人格障害)と呼ばれた奇妙で理解不能な言動も,性被害やCPTSDという視点を持つと理解が促進されることもある。

本特集にもあるような男性の性被害,さらに性的少数者の性被害の問題も今後多く語られるようになるだろう。クライエントが性被害を受けている可能性を考慮することが,心理職としての条件になってもいいとさえ思っている。そのためにも,1980年代から始まる心理職の歴史の中に理論的断絶を克服して性暴力・性虐待の問題を位置づける必要があるだろう。

信田さよ子(のぶた・さよこ)
原宿カウンセリングセンター
資格:公認心理師,臨床心理士
著書:『家族と厄災』(生きのびるブックス,2023),『共依存—苦しいけれど、離れられない 新装版 』(朝日文庫,2023),『タフラブー絆を手放す生き方』( dZERO,2022),『家族と国家は共謀する』(角川新書,2021),『暴力とアディクション』(青土社,2024),『心理臨床と政治 こころの科学増刊』(日本評論社,2024)など多数

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