【特集 被害者を支援する──性暴力・性虐待を中心に】#02 性暴力被害とはなにか|齋藤 梓

齋藤 梓(上智大学総合人間科学部心理学科)
シンリンラボ 第14号(2024年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.14 (2024, May.)

1.はじめに

「性暴力被害とはなにか」というテーマに沿い,本稿では,性暴力とはなにか,性暴力がもたらす傷つきとはどのようなものかについて,筆者が考えるところを述べる。

性暴力は,社会の中でとても見えにくい状態になっており,性暴力について思いを巡らせていないと,目の前の人の負った傷つきを見逃してしまうことがある。また,自分の負った傷つきや自分の行った加害を見逃してしまうことがあると,自戒を込めて考えている。そのため,本稿が,性暴力について考える際の一助になればと願っている。

2.性暴力とはなにか

1)境界線

性的な行為は,日常の生活の中でも行われることがある。一方で,性暴力は,深刻な精神的後遺症を引き起こすことが分かっている。その,日常の生活の中で行われる「性的な行為」と深刻な影響を引き起こす「性暴力」を分けるものは何だろうか。性暴力は,なぜ「暴力」なのだろうか。筆者は,そう自分に問いかけるときに,境界線の概念を思い浮かべる。

境界線とは,自分自身が安心していられる,安全だと感じられる,自分の領分を守る想像上の線である。野坂・浅野(2023)は,自分のからだや持ちものを守る「物理的境界線」,こころや気持ちを守る「心理的境界線」,社会的なルールやマナーで規定された,みんなの安心・安全を守る「社会的境界線」という3つの観点から,境界線を説明している。

たとえば,自分のカバンをほかの誰かが勝手にのぞいていたら,不快に感じる人も多いだろう。相手の物に勝手に触らないということ,相手の物理的境界線を尊重することは,人間関係の基本的なルールである。同じように,どんなに仲が良くても,踏み込まれたくない心のうちをもつ人もいるだろう。自分の気持ちは自分のものであり,誰かが無遠慮に踏み込んだり,否定したりして心理的境界線を脅かした場合,それはとても暴力的な行為である。

物を借りるときには,「これを使ってもいい?」と声をかけて,相手がいいよと言ってから借りる。友人が泣いていたら,「なにがあったの?」と声をかけて,友人が話してくれたらその話を聞き,そうでないならばただ寄り添う。人々は日常生活の中で,自然に,互いの境界線を確認しあい,互いを尊重している。

2)性的行為に関する境界線

自分の身体にも境界線がある。自分の身体に,いつ,どこで,誰が触れるかは自分が決めて良いことのはずである。特に性的な行為は,無防備な,生命に直結する部分に触れる可能性のある行為であり,いつ,どこで,誰と,どんな性的な行為をするかは,自分に決定権がある(性的自己決定権)。同じように,いつ,どこで,誰に自分の身体を見られるかも,自分が決めて良いことだろう。

しかし,性暴力では,生命や親密性に関係する,尊重されるべき性的自己決定権がないがしろにされる。加害をする人は,相手の意志や感情,決定をないがしろにし,性的行為を行う。境界線を勝手に踏み越える。性暴力の被害に遭ったクライエントから,「人であるから,Noと言えば通じると思っていた。しかしそれは聞き届けられなかった。相手が得体のしれない存在に思えて強い恐怖を感じたし,自分は意思を尊重されない,モノなのだと思った」といった言葉を聴いたことは,一度や二度ではない。性暴力は,安心や安全を脅かす暴力であり,人としての尊厳を踏みにじる行為だと言える。

2023年6月,強制性交等罪は不同意性交等罪に変更となった。この変更は,日常生活で行われる性的な行為と性暴力とを分けるものが同意にあるということを示す,重要な変更であると考えている。

3)性的同意とは

では,性的同意とはどのようなものだろうか。刑法の改正を検討する会議では,性的行為をするかどうかを判断するための能力として,「行為の性的な意味を認識する能力」「行為が自己に及ぼす影響を理解する能力」「性的行為に向けた相手方からの働きかけに的確に対処する能力」の3つがあると整理した(法務省,2023)。つまり,性的行為に同意するかしないかを考えるときには,その行為が性的な行為であると認識しており,その行為をすると自分の心や身体,あるいは自分と相手との関係性にどのような影響があるか時間的展望をもって理解しており,かつ,相手からの働きかけに対して,適切にNoやYesを伝えられる必要がある。

たとえば,Noと言っては自分の人生が脅かされる状況では,Noということは困難である。また,その行為が自分の心や身体にどのような影響をもたらすかを考える力が発展途上である10代の子どもを,言いくるめる形で,あるいは子どもからの信頼や好意を利用する形で大人が性行為に及んだ場合,それは同意ということはできない。当然のことではあるが,キスをすることは性行為への同意ではなく,ハグをすることも性行為への同意ではない。意識が朦朧とした状態,意識がない状態で,性的な行為をするかどうか判断することはできない。

出来事が性犯罪と判断されるかは,法律上の問題となる。しかし少なくとも心理支援の中で,性的同意について考えることは重要だと考えている。筆者は,性暴力の被害を受けた人の支援の中で,「傷ついた体験について話したのに,セラピストがその傷つきを理解してくれなかった」という訴えをたびたび耳にする。人の尊厳を踏みにじる行為とはどのようなものか,どのような行動が人を深刻に傷つけるのかに思い巡らせることは重要だろう。

では,同意のある性的行為とはどのようなものだろうか。研究の結果,同意のある性交とは,尊重しあう対等なコミュニケーションが日常生活の中にあり,その延長線上に存在すると考えられた(齋藤・大竹,2020)。YesといってもNoと言っても,自分の人生は脅かされず,自分と相手との関係性も変わることがない。そう思うことができるコミュニケーションの先に,同意のある性的行為があると考えられる。

5.性暴力がもたらす傷つき

ここからは,性暴力がもたらす傷つきとはどのようなものかについて考えていく。

性暴力は,心に傷つきをもたらすような衝撃的な出来事,トラウマ(心的外傷)体験の一つとされる。被害後,人々は,眠ることができない,食欲がない,出来事のことを思い出したくないのに思いだしてしまう,悪夢を見る,世界や他人が信用できなくなる,被害に遭った自分を責めるなど,心身にトラウマ反応を示すことが多い。また,性暴力は,心的外傷後ストレス症(PTSD),依存症,うつ病,自殺企図などの発生リスクをあげることが分かっている。

こうして記すだけでも,性暴力被害後の精神的後遺症の重篤さが伝わるだろう。しかし,性暴力が被害を受けた人にもたらす傷つきは,そうした心身の変化にとどまらないと感じており,心理支援においては,その傷つきに思いを巡らせる必要があると考えている。以下,出来事そのものがもたらす傷つき,周囲の人々や機関による二次的被害,社会がもたらす傷つきの3点から述べる。

1)出来事そのものがもたらす傷つき

これまで,性暴力は人の尊厳を踏みにじる暴力であると記してきた。性暴力の被害当事者の手記では,次のように記されている。「もう一つ考えていたのは,性的な存在として扱われるということそのものについてだった。泥棒はわたしのことを,どうでもいい存在として扱った。…(中略)…そのときの泥棒の態度のひとつひとつを思い出すだけで,圧倒的な無力感に支配され,動けなくなった。それらはすべて,「お前の苦しみや考えなどどうでもいいのだ」という考えをはっきり示していた」(池田,2023)。また,望まない性交を経験した人々へのインタビュー調査では,当事者がその経験での傷つきを「完全に道具だなって思った」「なんか本当にモノだと思われているんだなっていう気持ちになって」と述べている(齋藤・大竹,2020)。

こうした語りからも,尊厳や主体性が侵害される経験が,その後の人生に大きな影響をもたらすことは想像に難くない。性暴力という出来事そのものがもたらす傷つきは大きく,実際,性暴力の被害後,自分を大切にするということが分からなくなることや,主体的に何かを判断することが難しくなることもある。安全と安心の境界線が混乱した結果,自分を傷つけるような行動が増える,混乱した性的関係をもつようになる,死にたい・消えたいという気持ちが続く場合もある。

2)周囲の人々や機関による二次的被害

Herman(1992)は,「トラウマの中核にあるのは,無力化と他者との断絶の経験である」と述べており,他者との断絶もまた,性暴力がもたらす傷つきである。

二次的被害という言葉は,もともとは,捜査機関において疑われたり適切に対応されないことで,被害を受けた人が二次的に傷つく場合があることを表していた。現在ではそれだけではなく,周囲の人々や機関による,被害を受けた人を非難する言動や被害を過小評価する言動も含まれる。

内閣府(2024)の調査では,不同意性交等の被害後,被害を受けた人が他者に相談した割合は4割程度であった。そもそも今の社会では,性暴力の被害について相談することはハードルが高い。また,性暴力は人から傷つけられる被害であり,人や社会への信用が揺らぐ中,誰かに相談することは非常に勇気のいることであろう。もしも,それを超えて相談した際に,周囲の人から「あなたが悪い」と責められたり,「たいしたことない」と傷つきを受け止められなかったりしたならば,それは深い傷つきとなる。

出来事の性質や被害後の対処,物事の考え方に加えて,他者からの否定的な反応が精神的後遺症を重篤にするという知見も存在する(Ullman et al., 2007)。周囲の人々や機関による二次的被害による傷つきも,性暴力がもたらす傷つきの一つだと言える。

3)社会がもたらす傷つき

では,そうした周囲の人々や機関による,被害者非難や被害の過小評価は,何から発生しているのだろうか。そもそも,性暴力の被害を人に相談しにくいのは,なぜだろうか。なぜ,被害を受けた人は,自分自身を責めることがあるのだろうか。

社会には,レイプ神話(Rape myth)という言葉で知られる,性暴力への誤った認識が存在している。それは,「被害者にも落ち度がある」「男性が性暴力に遭うはずがない」「セクシュアル・マイノリティは性的に奔放なはずだからそれは性暴力ではない」といったものである。

今でも,性暴力の被害に遭った人は,「そんな服を着ているからだ」「加害者について行ったからだ」「なぜ逃げなかったのか」「自業自得だ」と非難され,「大げさだ」「元気そうじゃないか」「それは性暴力ではない」と被害を過小評価される。社会でもSNSでもそうした言説は流布しており,それを目にした人は「被害に遭った自分が悪い」「人に相談するのは恥ずかしいことだ」「人に相談してもムダだ」という気持ちになる。

もしも社会が,「性暴力は暴力である」「あなたは悪くない」「あなたは再び人生を取り戻す力があるし,私たちはそのサポートをする」というメッセージを伝え続けたならば,被害を受けた人は,社会への信頼を失わず,尊厳が守られている感覚を抱くだろう。しかし現状,そうはなっていない。性暴力のもたらす傷つきは,性暴力という行為そのものがもたらすだけではなく,社会によってももたらされている。

6.性暴力被害とはなにか

性暴力による精神的後遺症は,他のトラウマ体験と比べて重篤であると言われる。それにはさまざまな要因が考えられるが,非人間化,つまり加害者が被害者を意思のある人として扱わないことが,被害後の精神的後遺症に影響を与えているという知見(Moor et al., 2013)や,先述した,被害後の他者からの否定的な反応が精神的後遺症を重篤にするという知見(Ullman et al., 2007)も存在する。「性暴力被害」とは,人の尊厳を踏みにじるその行為そのものだけではなく,社会の中に存在する性暴力への誤った認識からの影響も含む,社会的な暴力被害であると考えられる。そうであるからこそ,心理支援において,被害を受けた人が,主体性や能動性を取り戻す,人や社会への信頼を取り戻すという視点を欠かすことはできない。

冒頭に述べた通り,性暴力は,社会の中でとても見えにくい状態になっている。そのため,被害を受けた人自身も,自分の傷つきに気づくことが難しい場合がある。しかし支援者は,性暴力のもたらす傷つきに思いを巡らせ,気づくことが重要であると考えている。

文   献
  • Avigail Moor, Enav Ben-Meir, Dikla Golan-Shapira. et al., (2013)Rape: A Trauma of Paralyzing Dehumanization. Journal of Aggression, Maltreatment & Trauma, 22(10), 1051-1069.
  • Herman, J. L. (1992) Trauma and recovery. Basic Books/Hachette Book Group.
  • 池田鮎美(2023)性暴力を受けたわたしは,今日もその後を生きています.梨の木舎.
  • 法務省(2022)刑事法(性犯罪関係)部会第8回会議議事録.
  • 内閣府男女共同参画局(2024). 男女間における暴力に関する調査報告書.
  • 野坂祐子・浅野恭子(2023) My Step 改訂版.誠信書房.
  • 齋藤梓・大竹裕子編著(2020)性暴力被害の実際─被害はどのように起き,どう回復するのか.金剛出版.
  • Ullman, S. E. , Filipas, H. H. , Townsend, S. M. et al.,(2007). Psychosocial correlates of PTSD symptom severity in sexual assault survivors. J. Traum. Stress, 20: 821-831.

名前:齋藤 梓(さいとう・あずさ)
所属:上智大学総合人間科学部心理学科准教授。
資格:臨床心理士,公認心理師,博士(心理学)。
主な著書:『性暴力被害の実際─被害はどのように起き,どう回復するのか』(共編著,金剛出版,2020年),『性暴力被害の心理支援』(共編著,金剛出版,2022年),『性暴力についてかんがえるために』(一藝社,2024年)

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