【特集 第4号 生きづらさ再考!――こんな社会で生きてくために】「人生の同僚」と生きる:韓国文学が教えてくれるもの|斎藤真理子

斎藤真理子(韓国語翻訳者)
シンリンラボ 第4号(2023年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.4 (2023, Jul.)

1.「同僚」という韓国語

日本語の「同僚」という言葉は,「職場または地位・役目などが同じ人」を指す(『広辞苑』)。上司でも部下でもなくフラットな関係にある職場の人,というのが一般的な受け止め方だろう。

韓国語にも「同僚」という言葉があり,「トンニョ」と発音する。韓国の辞書を見ても「同じ職場や同じ部門で働く人」ぐらいの意味で,日本語と大きな違いはない。だが日常的には,この定義から伸び伸びとはみ出して使われている様子をしばしば見かける。

例えば,ある作家(○○さんとしておこう)とやりとりをしていたときのことだ。何かの資料として送ってくれた写真に,すてきな木彫りの人形が写り込んでいた。とても可愛かったのでそう言うと「同僚作家の●●さんにもらったんです」という返事が返ってきた。これを日本語にするなら,「作家仲間」がぴったりだ。韓国語の「同僚」は限りなく「仲間」に近い。

2.「愛する同僚のキョンヒさん」

そういえば,昨年翻訳したSF小説『タワー』(ペ・ミョンフン著,河出書房新社)にも,ここぞというところで「同僚」という言葉が出てきた。

『タワー』は,674階建てという超現実的な高層ビル「ビーンスターク」を舞台にしたSFだ。ビーンスタークは一種の都市国家で,ここが現代のソウル,あるいは韓国のメタファーであることは読めばすぐわかる。

この小説の中に,世界じゅうの,お互いに顔も知らない大勢の人々が,インターネットの力を用いて,行方不明になったパイロットを探すという章がある。そのパイロットは,ビーンスターク市民の資格を得たいがために傭兵パイロットになり,タクラマカン砂漠に墜落して負傷してしまったのだ。

だがビーンスターク政府は傭兵の命を救うつもりはなく,墜落位置すら特定しようとしない。そこでこのパイロットと縁のある人々が,巨大な砂漠の衛星写真をインターネット上にアップして人海戦術で写真をチェックするという,気の遠くなるようなプロジェクトを立ち上げる。

プロジェクトのスタートに際して,パイロットの元恋人である女性が,身近な知り合いの女性に呼びかけの手紙を書く。その書き出しが「愛する同僚のキョンヒさん」と始まっているのだ。

韓国語では「愛する」は「大好き」の強調ぐらいのニュアンスでよく使うが,この呼びかけを日本語でどう表現したものか。悩んだ末,「大切な仕事仲間のキョンヒさん」に落ち着いた。まあまあ不自然ではないと思うが,「愛する同僚」という言葉に漂う体温のようなものは消えてしまったなあと残念に思う。

3.一つの病院を通してコミュニティを描く『フィフティ・ピープル』

「同僚」と「仲間」はやっぱり,ちょっと違う。「仲間」は「友達」に近く,お互いに選び選ばれて共にあるという感じがするけれど,「同僚」はあくまで,仕事のために集まったらそこにいた,偶然出会った人々だ。だからこそ,その人たちを愛することができたらラッキーでハッピーなのだと思う。それだけでちょっと世の中が怖くなくなる。

このような視点は,1984年生まれのチョン・セランが書いた連作小説集『フィフティ・ピープル』(拙訳,亜紀書房)にも色濃く感じられる。

『フィフティ・ピープル』は韓国で2016年末に刊行され,2018年に日本語版が出た。これは,今まで私が翻訳した中でいちばん読者に愛された本だと思う。

この小説は,郊外のとある都市の大学病院にかかわる人たちのショートストーリーを集めたものだ。病院が舞台といっても,医療関係者の話ばかりではない。取材を活かしたさまざまな仕事現場の描写が次々に出てきてとても面白く,多様な人たちが協力したり反発したりしながら働く様子は,まさに同僚絵巻だ。

また,患者としてそこを通過した人,病院のそばのお店の主人,病院の職員の知人や友人までと範囲を広げると,ほとんど一つの街を描き出すのと変わらない。チョン・セラン自身,大学病院の近くに住んだことがあり,「大病院は一つのコミュニティを表現するのに非常に適している」という思いを持ってこの設定で小説を書きはじめたそうだ。

4.「同僚愛」という言葉

本当に多くの人の仕事と生活が活写されているが,一つ例を挙げてみよう。婚活に悩む若い人の物語。ホン・ウソプという,病院の広報部で働く男性の話だ。

ホン・ウソプは,親しい同期の人がほとんど強制的に紹介してくれたパク・チヘと何度か会い,デートする。二人ともずっと婚活をやってきて,内心では「疲れるなあ」という気持ちを抱いている。先輩には「40人ぐらい会わないといいお相手には見つからない」と言われたり,失礼な人に当たって嫌な思いをしたりする。

そんな思いまでやりとりできたのだから,ウソプとチヘの相性が悪いわけではなかったのだろう。だが結局,つきあいは途切れてしまう。物語は,婚活の日々を乗り越えてそれぞれ違う人と結婚した後,大型スーパーで二人が一瞬再会するところで終わる。

つきあっていたころのウソプのチヘに対する気持ちが,こんなふうに回顧されていた。「惹かれたとか,ときめいたというには無理がある。それより,同僚への親近感に近い気持ちだった」。翻訳しながら,この表現がとても面白いと思い,惹かれた。

ところで,実はここにも翻訳上の大きな問題があった。私が「同僚への親近感」と訳した箇所は,原文ではずばり「同僚愛」だったのだ。「同僚」という言葉を生かしたくて,最終的に「同僚への親近感」としたが,本当は「愛」という言葉も生かしたかったのである。家族愛,姉妹愛,兄弟愛という言葉はあるし,「愛社精神」などという言葉もあるが,この場合は適切な訳語が見つからず見送った。

5.韓国文学の持つ力

ともあれ,ここを読んで,『フィフティ・ピープル』という小説には随所に「同僚愛」が溢れていると気づいた。さらに,同僚への視線というフラットな友愛のまなざしは,仕事場だけに限ったことではないと思った。そこで,訳者あとがきには次のように書いた。

「この『同僚への親近感』が一つのキーワードだと思う。家族のように近い人間関係ではなく,すれ違う程度の人々,良き隣人たちの存在が社会にとってどんなに重要かを,著者は描きたかったのだろう。『フィフティ・ピープル」にはそんな,『人生の同僚』としてつきあいたい顔ぶれが並んでいる」。

そして読者の皆さんは,それぞれの人生の同僚をたくさん本書に見つけてくださったのだと思う。

ここ何年か,韓国文学は旺盛に翻訳され,本好きの人たちの間で知名度を高めてきた。そして韓国文学の読者たちは,本を読む楽しみという範囲を越えて,何か「力」としか言いようのないものをそこから受け取っているようだった。そのことを,『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)という本の中では「不条理で凶暴で困惑に満ちた世の中を生きていくための具体的な支えとして,大切に読んでくれる人が多い」と書いたのだが,『フィフティ・ピープル』はその筆頭の一冊といえるだろう。

6.同僚ネットワークで街が成り立っている

この小説集の面白いところは,一人一章で完結するわけではなく,ある章の中心にいる人が他の章ではさりげなく脇役になっていたり,ときには名前を伏せて出没したりすることだ。何度も読むと「あ,これはあの人のことだな」とわかってくる。そこで巻末に書き込み式の人名索引をつけて,誰がどこに出てくるか,読者が索引を完成できるようにした。

全体として,一つの街を「同僚ネットワーク」に見立てて展開される小説集といってもいい。そして最終章では,このネットワークが一瞬だけ最大活用される。

そこでは,突発的な事故に立ち会った人々が知恵を出し合う様子が生き生きと描かれる。読者はその人たち全員の名前を知っているが,彼ら自身はお互いの名前を全部は知らない。そこに英雄はいない。中心人物はいない。社会的地位は関係ない。そもそもこの小説自体が,主人公のいない/全員が主人公の小説なのである。

ただそこに一緒にいただけの誰かがそれぞれの経験知を口にすると,それを受けて誰かが即座に動く。小さな連携の連なりが形になる。問題解決に直結しなくても,より弱い立場の人を助けたり,不安な人を励ます人もいる。

事態が収拾されると人々は散っていく。まるで,交差点で一緒に信号が変わるまでの時間を共有した人々のように。だが,一瞬で形成されては散っていく同僚ネットワークのおかげで街は守られているのだ。

舞台となっている街は決してユートピアではない。さまざまな現実的な矛盾を抱えている。だが,人々はいろいろな局面で助け合うことができると,著者は示したかったのだろう。本書を読者の皆さんが愛してくれたのは,一人ひとりの人物の魅力だけではなく,この,ゆるやかにつながり助け合う群像への信頼感ゆえではないかと思う。

7.困難に面した子供たち

いちばん胸が痛く,そしていちばん感銘を受けたのが,チョン・ダウンという小学生の男の子の章だった。

先にも書いたように『フィフティ・ピープル』には,とても深刻な,生死にかかわる話も出てくる。子供たちも例外ではない。十代の高校生が殺害される事件が起こり,その被害者遺族と加害者家族両方の様子が慎重に描かれている。ダウンは加害者側の家族だ。めちゃくちゃになってしまった家庭で,頑張って気持ちを引き立てて暮らしているけれど,子供にはどうしようもない事態がダウンに訪れる。母親が生きる気力をなくしてしまったのだ。

ある日ダウンが学校から帰ってくると,ドアが内側からテープでふさがれている。必死でドアを揺さぶって開けると,母親が倒れている。確かめてみると心臓の鼓動はある。ダウンは必死で119番に電話して「ママが病気みたいなんです」と告げる。

オペレーターに言われて流し台を見ると,燃え残りの煉炭がある。ドアと窓をすぐに開けるようにとオペレーターは言う。「まわりに大人はいませんか?」と聞かれてダウンは隣家や周囲の家のブザーを押してみるが誰もいない。実は,ダウンの住む地域は再開発が決まって,大勢の人が立ち退いた後なのだ。

今まで必死で我慢してきたダウンは泣き出しそうになってしまう。そのときにオペレーターがかける言葉がグッとくる。

「ダウンにもできることがあるよ。ママの口の中に,息を邪魔するものがあるかもしれないから見てください。ない? ないんだね? それじゃあ,ママが息をしやすいように,体を横に向けて」

8.一人ひとりの名前の大切さ

「ダウンにもできることがあるよ」という呼びかけは何て大事なことか。小説に描写はされていないが,この電話でオペレーターはまず,子供の名前を聞き取り,メモしたはずだ。そしてここぞというときにちゃんと名前で呼びかけている。顔の見えない電話で,自分の名前をちゃんと呼んでくれる人の対応は,子供にとってどれほど心強いだろう。そして「できることがある」と安心させる方向で言葉を使ってくれることも。

だが,チョン・セランはリアリストで,一足飛びにハッピーエンドが訪れたりはしない。とても緊迫した,読む人の心をぎゅっと締めつける章である。だがその中で,ダウンの名前を呼ぶという一見小さな行為が,本書に張り巡らされた同僚ネットワークの奥深さを伝えてくれる。

キム・イジンという看護師さんの章では,親友の赤ちゃんに初めて会いに行く何気ない1日のことが綴られる(その親友とは,先に書いたホン・ウソプの結婚相手だ)。

イジンは二時間かけて親友の家に向かうが,まだ会ったことのないその赤ちゃんの名前が思い出せない。ちゃんと聞いたはずなのに。

そして,赤ちゃんを迎えて生活の変わった親友と時間を共にして帰ってくるとき,イジンはバスの中で携帯の連絡帳に赤ちゃんの名前を「ジェジュン」と入力する。もう忘れないように。

小さなことだけれど,一人ひとりの名前を覚えて,呼ぶことの大切さが伝わってくる。名前を記憶することで,その赤ちゃんが将来生きることになる社会への想像力もぐっと強まるような気がする。

9.同僚の名前を呼ぶということ


ここからは私の経験の話になる。

15年ほど前,カフェでコーヒーを飲んでいたら,隣のテーブルで30代ぐらいの2人が職場の話をしていた。「うちの部署も派遣の人が来てるけど,しょっちゅう入れ替わるから名前がわからないの,みんなも私も,そのお兄さんに用事があるときは『はけんさーん』って呼んでて,そういうのどうなのって,思うけど……」。だいたいそんな内容だったが,その言葉が妙に心に残って,忘れられない。

その人も,もしその「お兄さん」がネームプレートをさげていたら名前を呼ぶだろう。だがそれがないから,ぎこちない思いをしながら「はけんさーん」と呼ぶ。私も,派遣で働いていたとき,何カ月通っても「●●さん」とその派遣元の会社名で呼ばれる職場と,いつの間にか名前を覚えてくれる職場とがあった。やっぱり,名前を知られずに終わった人間関係は,同僚とは思いづらい。

あまりにも当たり前のことだが,すれ違うだけの人にもみんな名前があるということ。それを意識するだけでもほんの少し,社会の見え方が変わる。そういえば『フィフティ・ピープル』の章タイトルはすべて人名で,「ソン・スジョン」「イ・ギユン」「クォン・ヘジョン」……とえんえんと名前が続く様子はなかなか圧巻である。

そして,『フィフティ・ピープル』の日本版と同じ年に刊行されたやはり韓国の小説『82年生まれ,キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著,拙訳,筑摩書房)は,「◯◯ちゃんのママ」とか「●●さんの奥さん」ですませられがちな女性の名前を取り戻そうとするかのように,執拗なまでに「キム・ジヨン氏は~」「キム・ジヨン氏は~」と連呼する文体を採用していた。

10.シンクホールから若者を守りたい

『フィフティ・ピープル』で,個人的に私がいちばん「同僚感」を感じたのが,チェ・エソンという女性だった。二人の息子を持つ母親だが,次男の妻であるペ・ユンナが道路にできた大きなシンクホールに落ちて大怪我をしてしまう。

シンクホールは道路や地面の一部が突然陥没する現象で,日本でも鉱山跡,採石場跡,下水道管路,地下鉄工事現場などで起きることがある。

エソンは友達に「菩薩」と呼ばれるほど優しい性格だが,この事故には「生まれてこの方経験したことのない怒りの炎が燃え上がって」,行政のいろいろな部署に抗議の電話をかける。だが多くは電話にちゃんと出てもくれないし,詳しい話を聞こうとしても謝罪せず,他のところへ責任転嫁ばかりする。

一方で,突然足元に大穴があくという事故は,ユンナに大きなショックを残す。大怪我をして入院しているユンナは,「また足元がボコンってなったら……」と怯え,引っ越しを検討したいと言う。今までユンナはマイペースで元気な人だと思ってきたエソンは,「繊細な子だったんだな」と気づき,何かしてやりたいと思うが,一度失われた世界そのものへの信頼感を取り戻してやることは,簡単ではない。

そのために自分でできることを何でも試すエソンの姿が印象的だ。韓国の人たちは何かにつけて占い師に相談することがよくあるが,エソンも,友達と一緒に占い師のところへ行ったとき,「あの子がまた元気を取り戻すためにはどうすればいいか」と尋ねる。

占い師がアドバイスしてくれたのは,現代人にとっては気休めにしかならないようなことだが,それでも「何もしないよりは気持ちが楽になる」。そんな,いてもたってもいられないエソンの親心はユンナにも伝わったのだろう。邪気を遠ざけるといわれるあずきを入れた絹の袋を作り,病院の枕元に置いてやると,ユンナが久しぶりに笑顔を見せた。

物語は,エソンのこんなモノローグで終わっている。

「菩薩じゃなく,修羅になってでも守ってやりたい子どもが四人いる。そんな子どもたちを守るために,あずきしか持っていないなんて。あずきぐらいしか,ないなんて」。

長い人生,そして地球の長い歴史の中で見たら,親と子だって一瞬の同僚だ。そんな,スパンの長い風が『フィフティ・ピープル』には流れている。

11.無念の死の堆積の上で

韓国で初版が出てから5年めの2021年に『フィフティ・ピープル』の改訂版が出たのだが,改訂版のあとがきでチョン・セランは,この小説を書く前に,自宅から数十メートルの位置でシンクホールの事故が起きたことを初めて明らかにしていた。幸い負傷者は出なかったが,その後,別のシンクホールの事故で死亡者が発生し,作家自身も強い不安感を抱きながら生活してきたという。

チェ・エソンの祈りのような言葉には,チョン・セラン本人の思いも重なっていたのかと,私も思いを新たにした。

そして改訂版のあとがきには,「地域共同体の事故被害者への哀悼の気持ちが,この小説の出発点だったのではないかと思います」という言葉もあった*。

このことはとても示唆的である。植民地支配,南北分断,朝鮮戦争,軍事独裁政権と厳しい歴史の中を歩んできた韓国では常に,哀悼のあり方が社会を問うことにつながってきたからだ。

例えば1948年に,不正選挙をめぐって起きた「済州4.3事件」では,2万5000人とも3万人ともいわれる市民が虐殺されたが,彼らの死はすべて「共産主義者の煽動によるもの」とされ,報道が規制され,追悼や真相究明はおろか,事件について語ることさえ許されなかった。それは時代が下って1980年に起きた光州事件(韓国では「5・18光州民主化運動」が正式名称)にも共通である。

このように,哀悼さえ禁じられた無念の死の堆積が韓国の歴史には横たわっている。作家たちがこれらの事件を自由に作品化できるようになったのも,1987年の民主化以降だ。

*詳しく触れる余裕はないが,ここには二〇一四年に起きたセウォル号の沈没事件も深くかかわっているはずだ。

12.哀悼は現在と未来のためにある

チョン・セラン自身も『シソンから,』(拙訳,亜紀書房)という小説の中で,朝鮮戦争のさなかに,敵軍ではなく味方の軍隊によって殺された人々のことを描いていた。その際に家族全員を失った女性が,『シソンから,』の主人公である。長い歳月が経った後,家族の遺骨が埋まっているはずの土地に工業団地の造成が計画されていることを知った主人公は,「何十人もの人が埋まったままでそこを整地してしまったら,この国に未来があるだろうか? 記憶を失ったままで前に進める共同体は見たことがない」と語る。

過去を踏まえ未来を見通す。その視線の強さが『フィフティ・ピープル』を貫く同僚愛の根底にある。亡くなった一人ひとりに名前があり,失われた命は帰ってこない。それを思うことが,現実世界での「人生の同僚」たちとの連帯を,水面下で支えているのではないか。

日本の読者が『フィフティ・ピープル』や韓国文学に勇気づけられるのは,このことと無関係ではないと私は考えている。哀悼は過去のためではなく,現在と未来のためであり,過去に注ぐ眼差しが深ければ深いほど,現実の中でせめてできることを探そうとする熱意も高まる。

オペレーターがダウンに呼びかけたように,誰にでもできることがある。だからできるだけ多くの「人生の同僚」の名前を覚え,ここぞというときにはちゃんと呼べる自分でありたいと,チョン・セランの小説を読みながらそう思っている。

+ 記事

斎藤真理子 さいとう・まりこ
1960年新潟市生まれ。韓国語翻訳者。主な訳書にチョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』,ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(以上河出書房新社),チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房),チョン・セラン『フィフティ・ピープル』,ファン・ジョンウン『ディディの傘』(以上,亜紀書房)など。最新刊はパク・ソルメ『未来散歩練習』(白水社)。2015年,パク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフンとの共訳,クレイン)で第一回日本翻訳大賞受賞。著書に『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス))。

趣味は編み物ですが,なかなか編めません。

撮影:増永彩子

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