【特集 第4号 生きづらさ再考!――こんな社会で生きてくために】支援者だからこそ,いま自分事として“当たり前”を問い直す〈前編〉|石河澄江

石河澄江(カウンセラー)
シンリンラボ 第4号(2023年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.4 (2023, Jul.)

はじめに

❖私が大切にしているもの❖

私は,名もなき実践や生きたストーリーから勝手に養分を吸い取って学んできた,いわば雑草なので,自己紹介で肩書や技法を聞かれると返答に困ってしまう。これまでの“支援”という領域との関わりを簡単に並べると,カナダ生活中にDV女性サポートのボランティアに夢中になる→スラム街で働き始め,支援される側・する側両方の人間の魅力に触れ,いい意味で倫理の常識が覆される→同志に恵まれた現場で働きながら,大学でかなり尖った社会福祉学(支援業界や専門的学問に内在する権威を問い直し,できる限り権威に甘んじない実践を学ぶ)を学び,それまでの現場経験を体系的に落とし込む→さまざまな現場で実践→働きながら,大学院で質問とストーリーの力を最大限に活かしたコミュニティワークを学ぶ→帰国しフリーランスで働き始める……といったところだ。

今まで名前のついた視点や技法にも触れ,美味しいと感じたものはお腹いっぱい食べて私の血や肉になった。私がいつも大切に表現(実践)しようとし続けているものを表せる便利な用語はないが,人生や支援で迷った時に訪れると私の心の軸を整えてくれる心の中のギャラリーはある。社会からレッテルだらけにされた母親たちの,子供への深い愛情。スラム街で生きる女性たちの綺麗ごとを超えた知恵・哲学・絆。忘れられない失敗&教訓たち。スラム街の夜勤中,誰も見ていない暗がりで,自らの苦労体験も多い無名・低時給の支援者たち放たれる優しい言葉たち。尊敬する先輩たちの独自の実践と倫理観。

もっと遡れば,心のギャラリーは支援職に出会うずっと前から存在していた。愛情もクセもひと際強烈な家庭で人間ドラマに揉まれながら育つ私を,さりげなく思いやって可愛がってくれた親戚,近所のおばちゃんたち,友人らの親。資金不足で夢を諦めかけた時に長期居候させてくれた恩人たち。沢山の人たちが私に“あたたかさ”の力を教えてくれた。私の心のギャラリーにはプロ・専門家と呼ばれる人がほぼいない。支援職に出会う前から,私を魅了し続けていたのは,人生で苦労せざるをえなかった人たちのあたたかさと生きるための知恵,そして人々の苦しみに大きく加担するような社会の仕組みに少しでも抗える 生きた実践・・・・・ だったように思う。苦労人・素人ならではの人間味や雑味のあるあたたかさ,あえて言葉にするなら,それが私の大切にしたい在り方かもしれない。

❖私の実践——仲間たちとの共同研究——❖

前述内容に関連して,私の「カウンセラー」という肩書きも隠れ蓑に近い。実際私がやっている事を例えるのなら,私自身もいち魚として同じ「海」に棲む魚仲間たちを取材し,今「海」ではどんな流れや現象が起きているのか,どんな知恵や裏技を使い,どんな哲学や希望を支えに逆境を生き抜いているのか,そんな語り話を集めている。話の中に散りばめられた“宝物”たち注1)をより多くの魚と共有して,お互いが生きやすくなれる未来を共に創造し,一匹一匹のオリジナルな泳ぎ姿が「海」全体の棲みやすさと希望に繋がってほしい……そんな願いを込めて,同じ「海」で生きる仲間たち(相談者・同志・友人等)を取材し,彼らとの“共同研究”(現代社会を生きる仲間たちの苦労と知恵を取材し,私を介して仲間間で“宝物”を共有する方法)を続けている。

注1)私は,学校や本では教われないような,その人独自の文脈を生きていく上で必要な知恵,工夫,大切にしているポリシー,願い,独自の哲学,仲間,祖先・伝統・文化等のルーツとの繋がり等,その全てをひっくるめて,“宝物”と呼んでいる。
❖この原稿で伝えたいこと❖

具体的実践やノウハウを学びたい読者も多いと思うが,今回はあえて多くの問いを提案したい。前編では,無色透明すぎて気づかないような“当たり前”について共に自分事として問い直し,人々をがんじがらめにしている結び目たちを少し緩ませたい。後編では,私たち一人ひとりの中に“すでに在るもの”を使って新しいものを作っていける可能性について一緒に考えてみたい。

前編:自分ごととして当たり前を問い直す

❖共同研究から見えてきた「海」のはなし❖

生きづらさの具体的文脈は一人ひとり異なる一方で,現代の「海」をこれ程までに棲みづらく泳ぎづらくしている現象は,国境・文化圏・所得層・いわゆる社会的ステータス・診断名の有無・生い立ち・職業・支援者 or 被支援者等の垣根を優に超えて共通している。数ある共通要素の中から今回は二つを紹介したい。

1つ目の共通要素は無数の『優劣の物差し』に“監視”されて生きている感覚である。この『優劣の物差し』は,世間一般に通じる物差し以外にも,特定集団内で暗黙に通じる物差し(例:家族・親戚から受ける期待や落胆のまなざし,特定の職場内の「デキる人・デキない人」の基準,特定の学校内の「ちゃんとしてる・してない母親」の基準)も含まれ,その数は無限である。多角度かつ変動し続ける優劣基準やその同調圧に照らし合わせ,慎重に“答え合わせ”をしながら,常に自分の決断・行動に検閲・制限をかけて生きる窮屈さは,さまざまな違いを超えて共通している。

2つ目の共通要素は,あらゆる不足・リスクを羅列し続ける『追い立て君』や,完璧主義でダメ出しばかりする『鬼コーチ』等,現代人を追い立て焦らせ無理な頑張り方をさせる“心の声”たちの巨大な影響力である。共同研究では語り手一人ひとりが,心の声やさまざまな問題に対して独自の名前・影響力・キャラ(性格)を描く。ここでは便宜上,読者がイメージしやすそうな名前『追い立て君』『鬼コーチ』に統一しているが,実際は個人個人によって名前やキャラ設定は異なる注2)

注2)例えば『追い立て君』らの別名は『考えすぎモード』『検閲』『ひとり反省会』『自己嫌悪ラジオ』『Not-Good-Enough-Voice』『Self-Doubt』など。仲間間の体験共有を通してネーミングや定義が互いに影響し合う場合もある。診断名のような明確な定義や境界線はない。

『追い立て君』らがさまざまな『優劣の物差し』を巧みに引き合いに出して人々に無理をさせ疲弊させる手口は,ぞっとするほど共通している。今回は,違いを超えた共通点が伝わりやすいように,膨大な研究記録の中からあえて背景の異なる語り手たちの話を表にまとめた。ここではその一部を紹介したい(フルバージョンはこちらから)。表中の語り手の年齢は10代から40代,国籍は日本・東南アジア諸国・北米諸国,社会との関係性は学生・ひきこもりがち・支援職・教職,所得層は低所得者層から中高所得者層にわたる。表の上段には追い立て君の手口を,下段には語り手・仲間たちへの影響を,本人たちの言葉で載せている注3)。優劣の「優」が連想されている言葉は緑色で,「劣」が連想されている言葉はオレンジ色で表示したので,読者の皆さんに馴染みのある優劣の物差しが登場するかどうかも意識しながら読んで頂きたい。

注3)ひとつの項目が複数人によって体験されている場合は言葉を複合させている

手口①:未来の幸せ・快適・安泰のために,好きな事・興味・本音 じゃない方・・・・・を選ばせる

手口(C)(F)今更〇〇(夢)は無理でしょ? 幸せ・成功・快適・安泰がほしいなら,未来のために今は興味・情熱・ワクワク・夢が後回しになるのはしょうがないよ。周り我慢して頑張ってるんだよ?
◆ みんな早めにゴールを決めて今すべき事を逆算して最短直線コースで進んでるよ? 遅れてない?
(経済的に自立して)生活していかないといけないんだから、今後への影響も考えて動かないと! 好きな事やワクワクとか、うまくいくかわからないけどとりあえずやってみたい……なーんて甘い事言ってたら人生取返しつかない事になるよ? もういい歳なんだから!
影響❖前向きで面白い事はことごとく潰される 
周りとは違ってても自分は面白そうって感じる方角に進みかけてる時に、周りの社会的成功を遂げてる人たちから「のちのち有利に働きそうなネームバリュー・資格・進路を選んでおいた方が間違いないよ」って勧められると(…省略…注4)当初のワクワクも失う(…中略…)押さえつけられてるように感じる一方で、自分が間違ってる甘えてる逃げてる止まってるようにも感じて、世間から×をつけられてるような、引け目・うしろめたさを感じる。『社会の常識』に見合った進路を進んでる人たちを見て焦る
『社会の常識』『世間の目』ばかりを意識して未来を消去法で考えると、現実は(本音と異なる)一択に思えてくる。一択を選んだ後も自分の人生を自分で選択した感覚がなく、どこか『やらされてる感』がつきまとう。好きだったものやイキイキ満たされる感覚が思い出せなくなる
注4)省略部分はフルバージョンに記載あり

手口②:“当たり前”“普通”から外れないよう無理させる

手口(A)“普通”になりたいなら嫌でも学校行くしかないでしょ。“普通”はうまく雑談して馴染めて当たり前なんだから
◆“普通”の母親は〇〇もちゃんと・・・・ やってるんだよ?
〇〇(年齢・肩書)なのに△△できてないってやばくない?
影響❖義務感だけで無理やり行動を引っ張る感じ。結局長続きしない劣ってる遅れてる
(F)自分の価値観や感覚ではなく,『世間の物差し』を軸にして“幸せ”を追いかけ続けてる感じ
❖『追い立て君』の声から逃れたくて用なくスマホを触る時間が増える
(A)普通”になりたくて周りを気にしたり,行きたくないのに無理して学校行ったり,したくもない雑談を無理して頑張ったりしたけど,結局途中で挫折したから,やっぱり自分は“普通”じゃないんだ,どこかおかしいんだ……って余計自己嫌悪や自暴自棄が強まった

手口③:ヘマせずちゃんと・・・・やらなきゃ……! とプレッシャーをかけて望まぬ結果に導く

手口『世間の〇×ジャッジ』批判されそうな事やってない? 周りの人間の期待や要求にちゃんと・・・・見合えてる? 組織・集団の中で白い目で見られてない? その仕事・子育て・付き合い、本当にちゃんと・・・・できてる
◆もし間違った行動・決断したら,怒られる・傷つける・傷つく・取返しつかない・生活できなくなる・社会的に恥ずかしい状況になる・世間から×つけられるから,ちゃんと・・・・やらなくちゃ
◆君〇〇なのに本当に△△できるの?
影響❖「もし失敗して怒られたり恥ずかしい思いしたらどうしよう?」と挑戦ごと断念し,悔いも残る。
(F)すべき事と未知のリスクばかり考えすぎて,常に気が休まらず苛々しやすい。目の前の瞬間を心から楽しんだり味わったりできない。大切にしたい人やものを大切にできなくなる
失敗すると情けなく恥ずかしくなって,心底ダメ人間だと感じる。
(E)ちゃんと・・・・やらなきゃ! って強く思うほどちゃんと・・・・できない気がしてきて、学校・仕事・約束事に行けない課題に取り掛かれない義務先延ばしにしてしまう

手口④:社会的にうまく立ち回れ! と本音を我慢させる

手口苦しさ不満を感じると「自分のやり方・捉え方の方が間違ってるズレてるんじゃない?」と疑心暗鬼にさせる
(B)長い目で身の安全を考えて上手く立ち回った方がいいよ?! 大人でしょ? 食べていく為でしょ?
(B)これ以上求めるのは甘ちゃん! 現実の厳しさがわかってない! これでも恵まれてる方でしょ?
(D)職種・年齢・関係性を考慮した上で最適な発言するのが安全だよ? はみ出るリスク危険
影響(B)うまくいかないと自分のやり方を責めてしまう。過剰に責任をとる
うまくいかない=自分の欠点の表れ。自信がないせいだ! 自己肯定感が低いせいだ! 自分のやり方が間違ってたんだ! 〇〇障害なんじゃ? そもそも(興味があった)△△も向いてないんじゃ?
(B)煩わしい駆け引きの中でエネルギーを消耗していく。周りの基準に合わせてるうちにがんじがらめに陥ってバランスを崩して潰れてしまう。人間らしいまともな感覚が鈍り始める。毎日が諦めてこなすだけの日々で未来がなく目がドヨンとしてくる。表面上はやり過ごせるけど心をごまかして我慢している感覚はやっぱり辛い。
(C)どんなに納得いってなくても,心病んでても,目が死んでても,機能・・(課題提出・出勤・実績・表面的な雑談等)さえ果たしていれば,問題視される事なく現状が続く

馴染みのある〇×基準はあっただろうか。心の声も多種多様なので「私の心の声の場合はもっと〇〇だな」等と考えて下さった方がいたら嬉しい。私自身も『追い立て君』の手口にまんまとハメられては,後で気づいて自分オリジナルの物差しで決断・行動し直す事も多く,仲間たちの知恵や哲学の恩恵を大いに受けている。

❖パンデミック?! 私と『追い立て君』の出会い❖

『追い立て君』のような“心の声”がパンデミックである確信を得たきっかけは,2019年に国際フォーラムの場を借りて私自身の『追い立て君注5)』の当事者体験を発表した事だった。12年間の充実したカナダ生活から帰国し,徐々に仕事中心の生活に染まっていく中で大切な人・もの・時間を大切にできなくなりかけていた時期だった。人前での発表ごとは即断る私だが,当時はまさに崖っぷちで仲間なしでは『追い立て君』には抗いきれないと悟り,〇×ジャッジ覚悟の捨て身の試みだった。バーチャル空間で『追い立て君』を講演者として迎え「どうやって人間味あるスミエを『(タスクをこなすだけの・・・・・・)マシーン』にできたのか」というテーマでプレゼンをしてもらった。

私の予想に反し,文化圏・仕事環境の異なる参加者たちや,『追い立て君』とは無縁にしか見えない先輩・恩師たちまでが,支援者としてではなく当事者として共感してくれた。「共に『追い立て君』に抗って,もう一度自分のペースで自分の大切にしたいものを大切にできるようになろう!」という一体感に包まれた私は,当初の「支援者として情けない感」は微塵も感じず,『追い立て君』はパンデミックであるという確信と,共同研究を通して「集団免疫」を作りたい! という希望に満ちていた。それ以来,『追い立て君』『鬼コーチ』に関する知恵・工夫・哲学は国内外の同志・相談者・友人たちと積極的に共有しているが,パンデミックである確信は強まる一方である。

ここで私が問いかけたいのは,表内の仲間たちの苦しみは「異常」「病的」なのか,という問いだ。少なくとも私には,予期せぬ落石にあたって流血するのと同じくらい,当然かつ健康的な痛みにしか思えない。流血した個人個人には診断名や社会的〇×がつけられ責任を負わされる一方で, 同時多発・・・・ 落石問題については十分な実態の解明も保護対策もなされていないように思う。フリーランスで活動する私は,心療内科・大学の学生相談室・依存症の支援団体等で社会的文脈の異なる仲間たちから日本語・英語で相談を受けているが,現在の相談内容の少なくとも7,8割は『追い立て君』『鬼コーチ』が関連した苦しみである注6)

注5)当時私が実際に使った名前は『マシーン化』。人間味・雑味を消し,マシーンのように求められたクオリティを維持してタスクを片づけていく事を最優先させる心の声。山盛りのタスクを全て終えた者にしかリラックスする権利や,大切な人たちと楽しい時間を過ごす権利が与えられない。
注6)主訴は別問題でも主訴に関連する「意味づけ」を『追い立て君』らが巧みに操っている事も多い。
❖「優」が「劣」をつくる?❖

文化人類学者ウェイド・デイヴィスのある話が今も深く引っかかっている。ある原住民の長が「すでに何百年も続いている豊かな暮らしと伝統文化があったのに,なぜあんなひどい侵略をした白人布教者たちをそもそも受け入れたのか?」と尋ねられ,その長は「(白人が)私たちを“人間”にしてくれると約束したから」と答えた。デイヴィスは,侵略される側の人間に「(侵略する側の人間より)劣っている存在である」と植え付ける事が植民地化という行為の本質であると説明した(Ayed, 2020)。

虐待や虐め等わかりやすい攻撃・否定を受け続けた結果,被害者に「劣等感」が植え付けられる話は一般的に馴染みのあるイメージだろう。しかしこの話のように,相手に何のあからさまな攻撃・否定をせずとも,何なら善意しかなくとも,相手が「優」に近づく為の手助けを約束するという行為だけで,相手に「劣」(まだ「優」基準に満たない=不十分)の感覚が植え付けられ,相手が多少の犠牲を払ってでも「優」の集団に同化しようする……そんな権力構造も生まれうるのではないか……と考えていると,ふと白人布教者による約束と自分の支援者という立場が重なって少しゾッとした。「カウンセラー」という立場も,極論を言ってしまえば,「(ちゃんとした)“人間”になるための手助けをします」風のイメージをもたれがちな業界であり,相談者の側も,自分を「優」の基準に照らし合わす内に強く意識するようになった「劣」を改善したくて相談に来る人も多いのではないだろうか。

また,ソーシャルワーカーのマイケル・ホワイトは「〇〇できるのは当たり前だ! できないのは×だ! □□できるならなお望ましい」等の〇×ジャッジされる感覚や,その〇×視線を意識しながら自分の行動を検閲・制御する行為が,現代人を蝕む「不十分感」(注:マイケル・ホワイトの「不十分感」の描写は『追い立て君』らによる影響に酷似している)。その内容は『追い立て君』らによる影響に酷似の爆発的蔓延に大いに関係している,と明快に紐解いている(White, 2002)。このような〇×ジャッジの視線は“社会統制” 注7)の機能を帯び,社会の一員である私たちは,その〇×ジャッジの物差しをもって監視・規制される側であると同時に,その物差しで自分や他人を測る度に〇×ジャッジの同調圧や監視されてる感を強化・蔓延させている側でもある(White, 2002)という考察は,まさに仲間たちとの共同研究を通して辿り着いた実感とぴったり重なっている。

 注7)ここでは,社会秩序の維持の為に個人の思考・感情・行動を拘束する,社会的同調を強いる,という意味で使いたい。

〇×ジャッジの社会的機能やその歴史的背景を徹底的に解明した歴史学者・哲学者フーコー曰く,〇×ジャッジの視線が社会統制として機能するメカニズムに大きく貢献しているのが,近代の“専門家”と呼ばれる人たちによって開発された,人間の能力・人間性を優劣やカテゴリー別に振り分け特定の意味づけをするツール(物差し)の数々で(Foucault, 1995),医療・福祉・教育機関等で幅広く実施されている診断基準・IQ検査・心理検査・偏差値等もその一部に含まれる。それらの物差しが作り出してきた“意味づけ”や“イメージ”が大衆文化まで広く浸透・定着し,人々(医療・福祉等と関わりがない人々も含む)が日常レベルで味わう「不十分感」をより濃く形作っているのではないかというのだ(White, 2002)。

❖”当事者”にも”加担者”にもなりうる支援者——その責任と苦労——❖

ここで,私は支援者・専門職の存在や,診断・検査ツール・優劣基準の有効利用の可能性を否定したいわけではないという点を強調したい。無数に存在する優劣の物差しと無縁に生きていくことは,いち支援者としてもいち社会の一員としても不可能だろう。私が焦点を当てたいのは,いち支援者でありかつ社会の一員でもある私たちは,パンデミックに苦しむ当事者となる可能性も大いに高いと同時に,パンデミックを勢いづける(悪意なき)加担者にもなりうるという,非常に厄介な立場にあるという点だ。例えば,いち社会人・いち母親・いち女性としても×を付けられず,かつ相談者に対して適用されがちな優劣の物差し(精神安定度・性格・能力等)でも×がつかないような振る舞いを慎重に維持できる支援者人口が一定以上に保たれれば,〇が当たり前で×は「劣」であるという基準はさらなる正当性を帯び,『追い立て君』らの説得力アップに貢献しうる。またそれと同時に,測る側・測られる側の両役を同時にこなす苦労と窮屈さは,支援者or被支援者の垣根や,社会的成功・経済的安定等の格差を超えて共通している。

〈後編につづく〉

+ 記事

石河澄江(いしかわ・すみえ)
【所属】フリーランス(仕事に応じて自由に契約)
【資格】公認心理師,オーストラリアの心理士資格
【コメント】カナダの(日本よりも更にあからさまな)格差社会で底辺に追いやられた人たちを支援する中で,資本主義・個人主義社会の弊害を“福祉”で補うループに疑問を感じ,現在は自然・遊び心・人間関係の豊かな田舎に移住。困っている人を見捨てず変わり者も排除しない,ゆる~くあたたかい繋がりの中で、お金や“自立”だけに頼らずに,助け合って生きていく心地よさを実感しながら,自身の在り方や今後の活動の方向性を見直す毎日。
文中の「共同研究」の実践にご興味のある方はsumie_i★hotmail.comまでご連絡ください。その際は、★を@に置き換えてください。

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