【特集 第4号 生きづらさ再考!――こんな社会で生きていくために】こころの専門家の探し方・使い方│平山雄也

平山雄也(こころとからだつながるクリニック院長)
シンリンラボ 第4号(2023年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.4 (2023, Jul.)

1.はじめに

私が精神科医になったのは,自分自身がこころのバランスを崩して治療やカウンセリングを受け,これを自分の仕事にしたいと思ったことがきっかけだった。今では沖縄で精神科・心療内科クリニックを開業し,私自身がこころの専門家と呼ばれる立場になっているが,クリニックを開業したのも,昔の自分は診療を受けたかったと思えるような場を作りたいという思いもあってのことだ。今回は文章を通して,それぞれに合った「こころの専門家の探し方・使い方」を考えて,感じてもらえたらという思いで,私自身のこころの専門家との体験を綴ってみようと思う。

2.こころの専門家との出会い

私がこころを最初に意識したのは,高校生の時に部活でやっていたテニスで,試合の時に緊張してしまい実力を出せないことに悩んでいた時だ。あまり本を読む方ではなかったが,メンタルトレーニングの本を購入して読んだりしていた。結局そこまで大きな改善はなかったが,今思えばあれがこころの専門家との書籍での最初の出会いだった。

さて,私が最初に直接こころの専門家に出会ったのは大学の工学部に通い始めた18歳の時,選択した心理学の授業の講師の先生だった。講義の名前は確か「人間関係の科学」だったと思うが,内容は残念ながらあまり覚えていない。ただ,面白かった,この授業を取って良かったと思った感覚だけは残っている。

その授業から1,2年経った頃,「その時」は突然に訪れた。当時家庭教師のアルバイトをしていたのだが,教えている子の母親と帰り際に玄関先でいつものように世間話をしている時に突然頭が真っ白になり,うまく話せなくなったのだ。おそらく心臓もドキドキして,手足も少し震えていただろう。いずれにしてもどうしたらよいか分からなくなり,何とか会話を切り上げて逃げるようにその場を立ち去った。その場から離れるとその心身の反応はすぐに落ち着いたが,恥ずかしさや,何が起きたか分からないとにかく不安な気持ちを抱えつつ,空を眺めながら,自分の車まで歩いて行ったことは今でもよく覚えている。

その日を境に,だんだんと緊張する場面や人が広がっていった。一番ひどい時には,自分の部屋で一人過ごしていても家族がいるだけで緊張してビクビクしているような状態で,眠る前だけが唯一ほっとする時間,という感じだった。外に出るのはつらかったが,出なくなると二度と外に出られなくなる気がして,大学には通い続けていた。

3.大学の相談室へ

それから少し経った頃に大学の相談室の戸を叩いたのが,こころの専門家に相談する初めての機会だった。相談には何度か通ったと記憶しているが,どんなことを話したり言われたりしたかはほとんど覚えていない。ただ,この悩みをまだほとんど誰にも話せていない状態だったので,人に話せて,それを否定されたり評価されたりせずに聞いてもらえたことはとても大きかったように思う。また,緊張することを伝えた相手には,緊張しても少々楽な気持ちで接することができることや,この状態の自分を馬鹿にしたり,ダメだと言ったりしない人間がこの世にいることを体感できたことは,こころの支えになったのだと,今回振り返って改めて感じる。

また大学の相談室は,誰にも言わずに無料で利用できたのでとても助かった。それでも,行く前には行くかどうかすごく悩んだ。相手がこころの専門家だったとしても,見ず知らずの人に自分の悩みを話すのはとても勇気がいるものだ。もちろん,見ず知らずの人の方が言いやすい面もあるが。学校に通っている場合,スクールカウンセラーや相談室は,学校の先生を通さなきゃいけないとか,行くところを誰かに見られる可能性があるとか,利用しづらい部分もあるかもしれないが,やはり敷居の低いこころの専門家への繋がり口だと思う。

また,当時はインターネットがちょうど普及し始めた時期で,人に関わることも,外に出ることも,お金も必要なく情報を得ることができ,相談室も大学のホームページから見つけることができたりと,とても助けになった。今はリモートでのカウンセリングも盛んなくらいだし,ネットからこころの専門家につながる方がほとんどではないかと思う。こころのことに取り組む時は,何をするかも大事だが,どんな人とするかというのもとても大事だ。気になる専門家がいたら,その人の書いている文章や,写真など,得られる情報はできるだけ得て,自分に合いそうな人を,ぜひ十分に吟味しつつ探してもらいたい。

4.対人恐怖症を治すホームページ?

相談室に通いながら,自分の状態や改善方法について,いろいろと調べることは続けていた。すると,どうやら自分の状態は対人恐怖症と呼ばれている状態に近いことがわかった。また,森田療法をベースとしてどのように対人恐怖症を治すか,について書かれてあるホームページも発見した。そこにはたくさんの人が質問や改善した報告を書き込んでいる掲示板などもあり,食い入るように読んだことを覚えている。このページを運用していた人がこころの専門家と呼べるかどうかは分からないが,藁をも掴む思いだったし,そこに書かれているやり方に納得したこともあり,そこに書いてあることに倣って自分なりの「恐怖突入」をしてみることにした。対人緊張が強まってから行かなく? 行けなく? なっていたサークルに,また行き始めることにしたのだ。

サークルに戻り始めた当初は本当に緊張し,頭が真っ白になって,自分も相手も何を話しているか半分くらいしかわからない感じだった。それでも周りは普通通りに接してくれたので,変わらず緊張はするものの,これでも何とかなるのだと,かなり気持ちが楽になった。数年経ってから当時のことについてサークルの友人数名と話したことがあるが,全然気づかなかったと言ってくれる人がいたり,何となく前と違うなとは思ってたけどと言ってくれる人がいたりと,とにかく皆優しかったことを覚えている。

近年は書籍だけでなくインターネットでも,こころの専門家が発している情報と出会うことができる。この文章もインターネット上に掲載されるが,当時の私のような方々の助けにもなれば嬉しい限りだ。ただ,今も昔も,ネットでもネットでなくても,情報は玉石混交なので,ぜひ信頼のおける情報を拾ってもらいたい。私自身ある程度値段のする情報教材を購入して,大した内容じゃなくてすごく後悔した経験も何度もある。個人的にはネットからの情報は無料のもので十分で,あとは書籍などから情報を得るのが良いのではと思う。

5.医療との関わり

サークルへも復帰できて気持ちとしては少し落ち着いたのだが,緊張自体はあまり緩まず,その後も気功やヨガ,太極拳などを習ったり,スピリチュアルヒーリングみたいなものを受けたり,サプリメントを飲んでみたりと色んなことを試していた。それでも状態は大きく変化することなく,こころの専門家との新たな縁もないまま,時が過ぎていった。

次のこころの専門家との出会いは,工学部を卒業し大学院に進学した後,医師を目指してまた受験勉強をしていた頃だった。再受験の不安や,人がたくさんいる中での試験の緊張とうまく付き合っていくことが難しく,どうしたらよいものかと思っていた時に,父親が心療内科を受診すると言い出したのだ。再受験について相談した際,両親には自分の対人緊張についても話をしていたが,その際に父親からも何年もの間書痙に悩まされていたことを知らされていた。受診については家族に迷惑がかかるかもしれないからと,子どもが巣立つまで待っていたようだが,末子である私も大学を卒業し,このタイミングでという思いだったようだ(記載については父親の了承を得ています)。そして,父親の受診の話を聞いた瞬間,私自身も心療内科を受診することに決めた。それまでは医療や薬に対する漠然とした怖さや,それらにできるだけ頼りたくないという気持ちがあったが,父親の決意を見て,自分も医療の門を叩いてみようという気持ちになったのだ。

すぐに予約も取れ,自宅近くの心療内科への通院を始めた。おそらくそれまでの経緯などを話したのだと思うが,どんな話や説明をされたかなどはやはり全く覚えていない。ただ,処方された薬を飲むと少しぼんやりして緊張が和らぎ,日常を過ごすのが楽になったことはよく覚えている。

そうやって薬の助けも借りつつ医学部に無事合格し,緊張しつつも新たな学生生活を過ごすことができていた。症状が出始めてから4年ほど経っていたが,一人で悩んでいた一年に比べてこの頃は,緊張の度合いは3割減くらい,気持ちのつらさは4割減くらいになっていたように思う。ただ,やはりもっと楽になりたいという気持ちはその後もずっと持ち続けており,漢方薬を試したり,ヒーリングを受けたり,合気道を習ってみたりと,いろいろと試行錯誤を続けていた。

このように私の場合は症状が出始めて4,5年経ってから,医療のこころの専門家にお世話になった。回復には薬の力はそれなりに大きかったと思うので,もう少し早く行っておけばよかったかもしれないという思いもあるものの,それまでいろいろ試行錯誤したことで自分で納得し,受診する覚悟ができたのかもしれない。また,受診は家族に勧められたわけではなかったが,家族に話していたことでスムーズにできたので,信頼できる周りの人たちに自分の状態や状況を伝えておくことは,いろいろなところに繋がる助けになると思う。

6.民間のカウンセリングルームへ

医学部に入って4年ほど経った頃,以前通ってパニック障害が改善したというカウンセリングルームを知人に紹介され,定期的に通い始めた。そこではまた話をしたり,自律訓練法をしたりという感じだったが,私自身はあまり大きな変化を感じずにいた。

順調にいけばあと数年で医師になるという時期になっても,不安や緊張とまだまだうまく付き合えてない焦りがあり,何かよい方法はないかと思っていたところに,知人から別の心理療法とそのカウンセラーを紹介され,またすぐに予約を取った。結果的には,その心理療法を受け始めてから徐々に緊張や不安が軽減していき,数年後に医師になってからは,ほとんど薬を飲まなくても過ごせるくらいの状態になっていた。医師になって1年程過ぎた頃,お守りがわりに財布に入れていた薬を全て捨てたことをよく覚えている。

7.専門家になってからも

よく患者さんにどうやって病気を治したのか質問されるが,その度にそもそも自分は治ったのだろうかと考える。なぜなら私は今でも人に対してや人前で,おそらく平均以上に緊張すると感じているからだ。ただ,薬が必要なくなった,医療の手を借りなくても良くなった,という意味では治ったんだなと思ってもいる。私が受けた心理療法では,体の感覚を通じて過去の痛みに気づいたり,その痛みを抱えた過去の自分をイメージの中でケアしたり,というようなことをやった。最初は何をやっているのか全然わからなかったし,頭の中でこんなことやって何か意味があるのだろうか,などと思っていた。ただ,受けているうちに段々と,自分が知らず知らず傷ついていたり,気持ちや言いたいことを我慢したり,感じないようにしたり,していたんだとわかってきた。そういったことを通して,自分が何を感じているのか,どうしたいのかが,病気になる前よりも分かるようになったし,そこに意識を向けるようになった。そしてそのことは,結果的に緊張や不安が和らぐことにつながっていったと思う。

その後医師として,精神科医としての修行を重ねて今に至るわけだが,今でもたくさんのこころの専門家のカウンセリングや研修を受けている。他人のこころのことをわかるのはとても難しいが,自分のこころはもっとわからないし,見誤るからだ。こころの専門家という仕事は,自分のこころの状態がはっきりと仕事に影響するので,自分のこころを一緒に眺めてくれる人が必要だと思っている。ちなみに現在お世話になっているこころの専門家の方々とは全員,書籍を通じて出会った。書籍にはインターネットを通じて出会うことが多いが。自分自身の臨床の勉強のためにと手に取った本を読んでいくうちに,ぜひこの方のカウンセリングや研修を受けてみたいという思いが強まり,ホームページなどを通じて連絡を取ってという形だ。書籍とインターネットのハイブリットでの出会いである。

8.最後に

出会いというのはつまるところ「ご縁」だ。ちなみに「ご縁」という言葉は,仏教の「縁起」に由来していると言われている。では「縁起」とは何か,ウィキペディアで調べてみると

「縁起とは,他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は,原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく,条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。」

とある。

出会いは,出会おうと思っての行動だけでなく,自分とは無関係なことや,自分は全く知らないことも含めて,本当に無数のことが影響して成立している。その中の何か一つでも欠けると,出会いは成立しなかったり,違った出会いになったりするわけだ。

先程のどうやって病気を治したのかという問いの回答の一つは,ピンとくることをとにかくやっていったことかなと思っている。私の場合はそうしていく中で縁が縁を呼んで,最終的には自分に合った心理療法やこころの専門家とのご縁に繋がったが,それも偏にやり続けた結果だ。動きつづけていくことで色んなことや人に出会うし,出会うのはこころの専門家でなくてもよくて,自分のためになる,近づくと呼吸しやすくなる人やものと繋がっていけばいい。そうした中に,もしかするとこころの専門家と呼ばれる人もいるかもしれない。そのくらいがよいのではないか。

システマという格闘技をご存知だろうか?「相手を倒す」ことではなく,「自分が生き残る」ことを目的としていることが特徴的な格闘技だ。システマには「呼吸を保つ」「リラックスする」「姿勢を保つ」「動き続ける」という4原則があるが,これは実生活や人生を「生き残る」上でも大事なことだと思っている。私の歩んだ道は全部正しかったわけでも,最短だったわけでもないと思うが,できる範囲でこの4原則を実践して「生き残り」,その結果今に繋がってきたのだと思う。この4原則がしっくりくる方はぜひ頭の片隅に置きつつ,動き続けてみて頂きたい。

そして,
動き続けるにしても,何をするのか,どれくらいするのか迷ったら,こころの専門家が作った「解決志向ブリーフセラピー」の中心哲学である3つのルールをぜひ参考にしてみてはと思う。

〈ルール1〉
もしうまくいっているのなら,変えようとするな。
〈ルール2〉
もし一度やって,うまくいったのなら,またそれをせよ。
〈ルール3〉
もしうまくいっていないのであれば,(何でもいいから)違うことをせよ。

あなたが信頼できて,こころの奥底に潜んでいる声を一緒に待ってくれる何かや誰かに出会えることを,こころから願っている。

文  献
  • 北川貴英(2013)逆境に強い心のつくり方 システマ超入門.PHP研究所.
  • 森俊夫・黒沢幸子(2002)森・黒沢のワークショップで学ぶ解決志向ブリーフセラピー.ほんの森出版.
+ 記事

平山雄也(ひらやまゆうや)
所属:こころとからだつながるクリニック院長
資格:精神保健指定医
主な著書:平山雄也(2022)メンタルクリニックでのブリーフ的支援.In:黒沢幸子・赤津玲子・木場律志編:思春期のブリーフセラピー──こころとからだの心理臨床.日本評論社.

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