【特集 第4号 生きづらさ再考!──こんな社会で生きてくために】社会で生きる困難の「非単線的ストーリー」:児童養護施設で育つということ│山本智子

山本智子(近畿大学)
シンリンラボ 第4号(2023年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.4 (2023, Jul.)

はじめに

「社会で生きる困難の『非単線的ストーリー』」というタイトルを頂いたときに,何を書こうかと悩んだのだが,今まで言葉にしてまとめてこなかった児童養護施設で育った子どもたちの「思い」や「声」をここでつながせてもらいたいと思う。

なぜ,児童養護施設で育った子どもの語りをつなぎたいと思ったのかといえば,その背景に私自身の忘れられない物語があるからだ。私の母の実家は田舎の町にある古いお寺である。そして,その寺では,戦後に児童養護施設の運営を始めた。最初は,戦争孤児や親のいない子どもの救済を目的にして始めたらしいが,徐々に,親がいるのだけれど,経済的困窮や親からの虐待によって,家庭で育つことが難しい子どもたちが入所するようになっていった。今では母の実家を訪ねることもなくなったが,そこには今でも胸が痛くなるような思い出があった。

現在の児童養護施設は子どもたちの人権を守り,育てようと,熱く,厚い援助が行われている。とはいえ,制度や構造の制限を受けながら親から離れて暮らさざるを得ない子どもたちは,どのような思いを抱えながら,そこで大人になっていくのだろう。ここでは,児童養護施設で育った青年が,親との関係を思うとき,自分の置かれていた境遇やこれからの人生についてどのような思いを抱えているのかを記述していきたいと思う。

1.児童養護施設での思い出

まず,私の思い出から聴いていただきたい。私が小学生の頃の話だったので,ずいぶんと昔のことだが,母の実家で祖父の法要が営まれたとき,(今なら行政から指導される対象だと思うが)入所している子どもが法要のお膳のお手伝いをしていた。私はといえば,母手作りの質の良い洋服を着て,父と母の間に座っていた。お給仕にきた女の子は,私と同じくらいの年齢だったと思うのだが,たぶん私の様子に気を取られてしまったのか,つまずき,彼女が手に持っていたお盆にのせた汁物を私の頭から掛けてしまった。と,同時に,誰が言ったのかはわからないが,「何をしている。謝れ」という大きな声が聞こえた。私は臆病な子どもだったので,その声で泣きそうになった。私に汁物をこぼしてしまった女の子は,私に向かい手をついて「すみませんでした」と謝った。私はその様子をみて,いよいよ泣き出してしまった。同じくらいの年齢の子どもが,子どもである私に向かって,手をついて謝るという行為が,なんともいえず悲しかったのだ。私の母はその子に向かって「誰でもそんなことはある。火傷もしていないし,洋服は洗えばいいから,そんなに謝らなくていい」と小さな声で言った。

その後,その女の子がどうなったのか,法要がどう進んだのかは,まったく覚えていないが,私に手をついて謝ったその女の子の姿は,何十年たっても私の中に生きており,思い出すたびに,何もできなかった,言えなかった私を苦しめる。

2.児童養護施設とは

まず,児童養護施設とはどのような場所なのか。児童福祉法第41条によると「児童養護施設とは,保護者のない児童(乳児を除く。ただし,安定した生活環境の確保その他の理由により特に必要のある場合には,乳児を含む。),虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて,これを養護し,あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設である」と定義されている。また,児童養護施設に入所する子どもは,両親が死亡していたり,行方不明であったりと養育者がいない場合もあるが,現在では虐待を受けていたり,養育を放棄された子どもらが入所している場合が多いといわれている。

私の友人は児童養護施設で働いているが,彼女の話では,「施設では,できるだけ,家庭に近い温かく落ち着いた状態の中で,子どもたちが安心して生活が送れるように努めているのだけれど,特に大きな規模の施設になると,一人の職員が複数の子どもを担当し,職員が交代することもあって,人間関係での安定を子どもたちにどれほど与えられているかはわからない」という。また,「職員は彼らの親の代わりでありたいと思いながらも親にはなれないジレンマを抱え,愛着に課題のある子どもたちにどう寄り添っていけばよいのかといった問いに対しても,その答えがでないままに日々の生活は流れていく」という。

(1)現在の児童養護施設の取り組み

全国児童養護施設協議会によると,子どもたちが安心できる場所を提供できるようにと,大きな施設であっても,少人数のグループにわけ(小規模グループケア),より家庭に近いスタイルで生活をする施設や,建物の構造自体が小グループで生活する「小舎制」の施設が増えてきており 近年は施設から離れ地域のなかで生活する地域小規模児童養護施設など,家庭に近い生活環境により生活する形が推進されている。しかし,18歳になると退所を促されるなど,生きていくには十分なスキルや条件(アパートを借りるための保証人や緊急連絡先など)が揃わないままに,退所後の社会を一人で生きていかなくてはならないという心細い状況にも置かれている現状もある。今日の児童養護施設では,子どもたちに心理的な安定を与えるために,さまざまな工夫がなされているとはいえ,厳しい社会の壁も立ちはだかることは確かであり,そこで育った子どもたちはどのような思いを抱えながら「現実の世界」を生きているのであろうか。

以下では,私が時折訪問する精神科ディケアで出会った児童養護施設で育ったという青年たちの中から,はるとさん(仮名)の語りを紹介したい。

3.はるとさんの語り

(1)「僕は捨てられた」

一人っ子だったはるとさん(20代前半の男性)は,4歳の時に児童養護施設に入所した。それ以来,両親には会っていないという。はるとさんは,「虐待行為がもう少しで死に至るほどの残虐なものだったから,面会が許されなかったのだろう」と,事実かどうかはわからないと断りながら,そう語っていた。はるとさんは児童養護施設を退所後に仕事に就いたが,人間関係がうまくいかず精神的に不安定になり,精神科クリニックに通院するようになった。そして,ある日,クリニックからもらった向精神薬を大量に飲んで病院に運ばれ,保護入院になった。退院後は病院の精神科ディケアに通っているが,他者との人間関係がうまく築けないのは自分が「親から捨てられた人間」という思いが強いからだろうと語っていた。

はるとさん:職員から両親のことや,入所した理由については何も説明がなかったから,実際はわからない。まだ小さかったから,何を言ってもわからないと思われたんやろうけど,僕はなんの説明も受けなかったから,なんで,ここ(施設)にいるのかはわからない。ただ,捨てられたんやなってことだけはわかってた。
:……捨てられたかどうかは……。本当はどうだったのか聞きたかったね。でも,18歳までそこで育ったのだから,その間に聞いてみても良かったかもしれないかな。はるとさんが思っていることとは少し違って,事情があったかもしれないしね。
はるとさん:事情ね……自分の中で,タブーになったから,聞いてはいけないと思っていたし,聞いてどうなるという思いもあった。……それに,親には親の生活もあるやろうから,今更,その理由を聞いて,会いに行っても迷惑でしかないやろし。

(2)「生きる意味を考える」

私は「迷惑なんてことないよ」という無責任な言葉を言おうとして思わず飲み込んだ。そんなこと,誰にもわからないのだ。私自身は親というものは子どもを無条件で愛していると思っているが,児童相談所で働いている友人は「それは山本さんの幻想」という。昔は一時保護してきた子どもを「返して欲しい」と怒鳴りこんでくる親が多かったが,近年では「いらないから,そっちでどうにかしてください」という親が増えてきて,愕然とすることもあるという。

はるとさん:なんか,自分はどこから来たのかが分からない,自分のルーツがわからないというのはかなりキツイです。(入所していた施設の職員に)聞いたら,きっと分かるとは思うけど,親からしたら突然,僕が現れても迷惑でしかないですよ。
:そうなんだろうか……。一度,いろんな事情とか,いろんなことを聞いておくっていうのは,悪くはないとは思うのだけど……。
はるとさん:……もうこれ以上,つらいことは経験したくないんですよね。もしかしたら,いいことがあるかもしれんけど,悪いこともあるかもしれん。悪いことがあったときに,たぶん,もう立ち直れないかもしれないから,今の状態の方がなんか希望もあるだけましかと思ってる。
:希望?
はるとさん:そう。もしかしたら,山本さんが言ったように,僕を引き取りたかったけど,できない事情があったとか。離れていてもいつも僕のことを思ってたとか。そんなこと。……でもね,そんな希望なんて本当はないことも知っているんです。……僕は,自分の過去を振り返るとき,いつも「生きている意味」いうのをずっと考えていて,そこに決定打を打たれるのは嫌なんです。
(3)「決定打」を打たれるのは嫌だ

はるとさんのいう「決定打」という言葉は,「捨てられた」と思っている今の気持ちを親の事情を聴くことによって,より強固なものにし,「生きている意味」が失われることを怖れているように聴こえた。しかし,今を生きている人々のどれほどが「生きている意味」を問いながら生きているのだろうか。むしろ,そういった「意味」さえ,探す必要もなく安心して満ち足りた生活を送っている人も少なくないだろう。はるとさんの語りを聴きながら,はるとさんが「生きる意味」を問い続けなくてもよい状況が訪れてくることを願っていた。

ある日,はるとさんが入所していた児童養護施設の職員から,「はるとさんの父親は母親と離婚してから行方がわからなくなったけれど,母親は再婚して,〇〇市に住んでいる」という連絡をもらったという話をしてくれた。私と話すようになってから,自分が育った施設に電話をして,「両親のことで知っていることがあったら教えて欲しい」と頼んだそうだ。

はるとさんが職員から聞いた話だと,はるとさんの父親は,アルコール依存症だったそうだ。働かないので経済的に困窮しているだけではなく母親への暴力行為が酷かったという。そのため,母親ははるとさんを置いて逃げ出したということだった。その後,父親からのはるとさんへの酷い虐待もあり,一時保護されたのだが,そこで父親には養育する力がないと判断され,はるとさんは児童養護施設に措置されることになった。

(4)「これ以上,つらい思いはしたくない」
:お母さんのことがわかって良かったね。一度,会いに行ってみる?
はるとさん:いや,今はまだいけないような気がする。結局,僕を置いて出ていったということは「捨てた」ということだろし,母親には新しい家庭があって,そこで,旦那さんや子どもらと楽しく暮らしていて,そんなところに訪ねて行っても,仕方ないような気がする。
:……仕方がない? お母さんにいろいろ聞いておきたいこともあるんじゃないの?
はるとさん:きっと僕だけが忘れられているんやと思う。もう,これ以上,つらい思いはしたくないから,会いに行くのは正直怖いです。

はるとさんは「これ以上,つらい思いはしたくない」と語った。はるとさんが言うように,母親には新しい家庭があり,そこで楽しく暮らしていて,私はそうは思いたくないが,はるとさんのことを「忘れている」ということもあるかもしれない。少なくとも,はるとさんがそう思っているのであれば,会うことによって,余計,つらい思いをすることになるのだ。

(5)「いろんなことが完結した」

はるとさんは,始め,自分がなぜ児童養護施設で暮らさなくてはならなかったのかの理由を知りたいと言っていたが,それが実現するかもしれない状況を前にして,恐怖を覚えているのはよくわかった。「もう一度,捨てられたらどうしよう」という思いが,母親に会いたいという思いを押さえつけているのだろう。そのため,今,無理をして会うよりも,その時期をもう少し待った方がよいのかもしれないと思っていた。

はるとさんとは,たまにプログラムやワークショップを通して,一緒に活動したり,話を聴かせてもらったりしているが,職員から母親の住所を教えてもらってから1年が経っても,まだ母親には会いに行っていないという話だった。しかし,その間,はるとさんはずいぶんと元気になってきたように感じた。将来仕事に就くための就労移行支援プログラムにも参加しているという話だった。そんなとき,明るい顔でこんな話をしてくれた。「なんかもう,いろんなことが自分の中で完結したというか。もう,どうでもいいような気がしています」と。はるとさんは,自分の中で何を完結させたのだろうか。

はるとさん:母親のことは,いずれ会いに行ってもいいかなと思うようになっています。たぶん,行かないとは思うけど(笑)。
:そうなの? 行かないんや(笑)。でも,そう思うようになったのは,何か吹っ切れたの?
はるとさん:自分の人生に起こったことを「吹っ切る」ていうのは,まだまだ難しいけど,だいぶ,整理はできてきたように思います。
:そうなの? どんな感じに整理できてきたの?
はるとさん:母親が再婚して子どももいるっていう話聞いたやないですか。最初は,腹が立って,自分だけが置いて行かれて,「なんやねん」と思ってたけど,時間が経って「母親,幸せにしてるんやな」て思ったら,「まあ,ええわ」と思えたんかな。
(6)「捨てられたことを許したい」

自分が置いて行かれて,淋しい思いをずいぶんとしてきただろうに,「母親が幸せなら,まあ,ええわと思えた」と言った。実際,そう思えるようになるまで苦しんだだろうと思うが,そこには,一般的なそれとは質が違うかもしれないが,母親に対する愛情と言えるようなものがはるとさんの中にあったのだと思った。そして,むしろ,はるとさんが語ったこの言葉は,はるとさんの母親に向けてというよりも,はるとさんの内部に檻のように沈み込んでいた「親を憎んでいる小さな子どもである自分」に向けての言葉のように感じた。

:職員さんにお父さんやお母さんのことを聞いて,少し変わったのかな?
はるとさん:どうなんでしょう。「だからどうした」っていうのはあるけど,まあ,一回,謝って欲しいとは思ってる(笑)。親にはもう親の生活があるいうのはわかっているから,そこに入っていこうとは思わないけど,一回,謝ってくれたら,できるかどうかわからんけど,許したいと思う。

自分を捨てた親を「許す」ということが,はるとさんのいう「完結」であり,これからの人生を歩いていくために,吹っ切らなくてはならない思いだったのであろう。

今では,はるとさんの周囲には精神科デイケアのスタッフだけではなく,新しく通い始めた就労支援事業所や,「困ったらいつでも相談においで」と言ってくれる児童養護施設の職員,高校時代の恩師など,はるとさんのこれからを支えようとする人々によって温かい輪ができあがっている。その輪の中では,はるとさんの言葉にならない思いを聴きながら,一緒に泣いたり,怒ったり,家族とは違う形ではるとさんを見守ろうとしてくれているようにみえる。まだまだ,節目節目で上がったり下がったりと小さな波は来るだろうが,周囲の人々による継続した援助がはるとさんに安心感を与え,少し前に進もうとする力を育んだのだと感じた。

おわりに

はるとさんだけではなく,私が関わってきた児童養護施設で育った子どもたちは,親がいない寂しさや不安を抱えて,それでもなんとか生きてきたという。また,入所している子どもは,はるとさんと同様に,親からの酷い虐待を受けている場合が多く,退所後も情緒が安定しなかったり,人を信用することが難しかったり,小さな音にでも脅えるなど生活上の困難を抱えている場合もある。そして,はるとさんと同じように,「生きる意味」をずっと考えていたり,「生まれてこなかったら良かった」,「自分には生きる価値がない」と思っている青年たちがいることが切ない。彼らは施設での生活を振り返りこう語る。「些細なことでもいいから,聴いてくれる人が欲しかった」と。施設の構造上,難しいのかもしれないが,彼らの声に耳を傾ける誰かの存在が彼らの「今」を変えていくのではないかと思う。

「語る」という行為には,人が抱える苦悩や深い傷を回復させていく力がある。たとえ,家族との間に絶望するような体験や引き離されたという憤りがあったとしても,家族とは異なる他者との対話の中で,自分の人生を整理し直し,癒され,これからの人生を生きていく力を拓いていくものになるのだ。

倫理的配慮

はるとさんには,本稿の趣旨を理解していただき,こうして文章にすることを快諾いただいた。はるとさん個人のプライバシー保護のために,若干の加筆・修正は加えたが,はるとさんの言葉や思いは,そのままに記述した。

文  献
+ 記事

山本 智子(やまもと ともこ)
所属先:近畿大学教職教育部
資格:公認心理師・臨床発達心理士
主な著書:『家族を超えて生きるー西成の精神障害者コミュニティ支援の現場から』(創元社,2022年12月),『発達障害がある人のナラティヴを聴くーあなたの物語から学ぶ私たちの在り方―』(ミネルヴァ書房,2016年)など
趣味:トレッキング

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事