【特集 第4号 生きづらさ再考!――こんな社会で生きてくために】いつか肩をたたきあう日まで|伊藤弥生

伊藤 弥生(久留米大学文学部心理学科)
シンリンラボ 第4号(2023年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.4 (2023, Jul.)

今日も一日おつかれさまです。
毎日いろいろありますよね。
もうクタクタ,だったりしませんか?

ひょっとして「うまくやれてる人もいるのに自分はダメだ」って思ってませんか?
でもそれって,変じゃないですかね。

ご一緒に生きやすくなること,ちょっと考えてみませんか?

本特集の願い

お・も・て・な・しのホスピタリティをはじめ世界に誇れることはたくさんある。日本が悪い社会とは思わない。でも「表面的にやさしく穏やか」なのだと私も思う。人身事故に驚かなくなって久しいことに時々ぞっとする。

この特集は頑張っても頑張っても生きづらい方たちへ届くことを目指している。

生きづらさの原因を個人に押しつけるのではなく,広く社会という視点から眺めなおし,この社会で生きしのぐ人々へ敬意とエールを送る。

支援という選択肢も示しながら,力を取り戻し生きやすくなる一助となることを願っている。

それは個人の責任ではなくて

生きづらさの責任を,個人に押しつけるところから社会の側の問題として考えるようになった例として,発達障がいはまず思い浮かぶだろう。

空気の読みにくさや注意の向け方の特徴を,性格や努力の問題としてとらえ個人の責任にするのではなく,「その特性を持つことはこの社会では容易ではない」ととらえるようになってきた。

最近ではHSP(Highly Sensitive Person)の繊細さや疲れやすさに対しても同様の変化がみられる。エビデンス不足など学術的批判はあるが,HSPと名づけることで生きやすくなった人が少なからずいることは事実だろう。

発達障がい・HSPじゃなくても

さて生きづらいのは発達障がいやHSPの人だけだろうか。関係各位が尽力しても日本の自殺者は多い。予備軍となると桁違いだ。コロナ禍の影響は大きいがその前から見られたことで,背景として非正規労働をはじめ労働問題は大きい。

こう書くと問うべきは労働や社会保障に関する政治に思えるが(その重要性は強調してもしきれないが),ここではちがう側面の社会の問題を考えてみたい。

笑顔の陰でリフレインする声

正規の職にあり輝いている人すら自ら逝く。周りはショックを受けるが,笑顔だから大丈夫とは限らない。「こんな状況だけどせめて自分は」「人に嫌な思いをさせたくない」といった切なる努力だったのかもしれない。

疲れすぎて考えられなくなった。何もかも嫌になった。衝動的に……。彼らが逝った理由は一つではないだろうが,そこでは希望を奪う声がリフレインしていたのではないか。

やれてる人がいるのに,自分はダメだ……。

「大変でもやれてる人がいるのに」「うまくやれないのは自分が悪い」,こんな声を何度も聞いてきた。絶対的なことだと彼らは言う。

そこまでしてやらないといけないのか? 外野は思う。でもきっとそこにいる限りやらないといけないのだ。だから苦しい。そこから抜け出すのも簡単じゃない。

でももう一度考えてみよう。

追い詰められると「やれないのは自分だけ」と思ってしまうが,やれなくなった人は他にもいる。別の道を選んだ人もいる。

それにやれてる人は,経済力・時間・頼れる人・能力・体力など,自分とは条件が違うはずだ。努力だけでやれてるわけじゃない。

ディスコース(当たり前)・内在化

「人と同じようにやれて当たり前」なのに,やれないのは本人が問題と考えることには,ディスコースや内在化が強く関わる。ナラティヴ・セラピーが注視するものだ。

ディスコースの専門的定義は難解なため,ここではシンプルに「当たり前」など集団で広く共有される考えとしよう。内在化とは,性格や努力など問題が人の内側に在るものと考えることだ。

こうした現象は広く近代社会にみられるが,日本ではこの傾向が強いように思う。その背景の一つにこんなことがあるかもしれない。

日本では,責めを自分に帰すサムライ的なあり方が尊ばれる。彼らはこうした傾向を,こうあるべきという叱咤叱責からだけではなく,進んでとりいれた可能性がある。おそらく彼らの憧れも人のせいにせず泣き言を言わないかっこいいタイプだ。サムライジャパンで燃える国なのだ。

ほかにもさまざまなディスコース(当たり前)がある。私たちは周りの声を無視できない。

個人を追い詰める社会の力

そもそも責任をとること自体は悪いことではない。私も無責任な人は苦手な方だ。

でも消えたくなったり実際に消えるほどになるのはどうだろう。ここまで多くの人が追い詰められるということは,この社会にそうさせる強い力があると考える方が自然だろう。

実際に無理をさせられている

さて彼らが追いつめられたのは,ディスコース(当たり前)や内在化のためだけだろうか? 他にも社会の問題があると思う。

実際に彼らは無理をさせられていないか? 今はどこも人手不足だ。責任感が強い人が無理せずに済む場を探す方が難しい。私も無理をさせなかったことがないとは思えない。

もちろん私も努力するが,極めて残念なことに,社会の構造がすぐに変わる見通しは薄く今後も彼らは多くを担うだろう……。

できることをしていこうと思う。

こころを支える仕事をする上で私はナラティヴ・セラピーをよりどころの一つとしている。この視点から考えてみたい。

ひと呼吸おいて

彼らが倒れそうになった(倒れた)時,「頑張りすぎ」「手を抜けばいい」といった言葉をかけたくなるが,ひと呼吸おこう。

こうした言葉は「この苦しみ/不幸は自分が作った」という解釈になりうる。頑張って疲れきった先にこう思えば,消える方へ大きく傾きかねない。こうした状態は抑うつ状態とも言え専門薬も助けになる。しかし本人のせいとなるカラクリがある限り,同じことが起こりうる。

例えば「まじめだから」と担わされ,つぶれたら「まじめだから」と責任転嫁される無限ループがあれば,繰り返し消えたくなっても不思議ではない。

光を宿すように

彼らと眺めなおしてみよう。生きづらさにつながる当たり前をほどいてみよう。頑張りを強いてきたのは何だろう。ゆったり対話を進めていく。

大変な努力への労いと敬意も忘れずにいたい。

どうしのいできたか教えてもらい,こんな中でも自分の大切なもの──価値観・好み・願い・存在・つながりなど──を手放さずにやって来たことを,振りかえるのが役に立つかもしれない。

自分のあり方について,ここでは活かしあそこではもういいようにされないといった棚卸に彼らが進むこともあるだろう。

好きな歌・他愛ないおしゃべり・一日の終わりの発泡酒,いつもの店・あの人の背中・遠くで思ってくれる人の眼差し……。

「それでも続く日々」を生きる術(すべ)やよすがを,思い起し拡げていくことを彼らが選ぶかもしれない。

光を宿すよう手伝おう,彼らの力になるコトゴトが。今はまだ忘れられている。気づかれるのを待っている。

解毒剤,あるいは生きていくための足場

どうしても「頑張らなくていい」と言いたくなったら,頑張らずに済む環境の保証が必要だろう。この保証なしでの効果には限りがある。

またこうしたことは一律に行うことではない。不登校に対して登校刺激を与えないのが常に正解とは限らないのと同じく,「頑張らなくていい」という言葉が役立つこともある。

しかしここまで書いてきたことはあまり焦点を当てられない側面であり,事態は深刻と思われとりあげた。

社会の構造がすぐに変わらなくても「こんなに苦しいのは自分のせいではない」とわかることは解毒剤となり,正当性を取り戻すことは生きていくための足場となる。

ジェンダーなど生きづらさをめぐる多くの社会の問題と通底することとして記しておきたい。

嫌な時間を過ごしているヒマはないはずだから

時代はダイバーシティ。やれることや価値観も人によって違う。
わかっているはずなのに余裕のなさがそれを吹き飛ばす。いっぱいいっぱいなのかもしれない,追い立てる人も。

たまにはみんな,足を投げだし空でも眺めたらいいのかもしれない。一ミリずつでも大事なものを取り戻していけたらと思う。

大きな時の流れで見てみれば,ここにいるのはそう長くないのかもしれない。お互いいい時間を過ごせたらと思う。「嫌な時間を過ごしているヒマはない」はずだから。

いつか肩をたたきあう日まで

お疲れのところお読みくださりありがとうございます。

ちょっとでもほっとすること,好きなことは何ですか? どうぞ続けてみてくださいね。自分にあうものが一番です。

よろしければ私たちも使ってみてください。こころを支える仕事もサービス業,使っていただきナンボです。お手数ですが自分にあう方を探してみてくださいね。

「大変だったけどさあ」,いつか肩をたたきあいましょう。きっとそれは,先に逝った彼らも願ってくれること。今はもう穏やかな風に吹かれて。

あなたとも「人生の同僚」でいられたらと願っています。

本特集の記事のご案内

この社会における生きづらさに関して,拙稿で十分展開できなかった点について,他でもない方々に執筆いただけた。

「語る」という行為,ディスコース(当たり前),自分らしい幸せ/生きる術,こころの専門家の探し方/使い方,人生の同僚について,今あなたに届けたい言葉をどうぞご一読ください。

文  献
  • 정세랑 Chung Serang(2016)피프티 피플 Fifty people.(斎藤真理子訳(2018)となりの国のものがたり1 フィフティー・ピープル.亜紀書房.)
  • 平山雄也(2022)メンタルクリニックでのブリーフ的支援.In:黒沢幸子・赤津玲子・木場律志編:思春期のブリーフセラピー─こころとからだの心理臨床.日本評論社,pp. 170-183.
  • Ishikawa, S.(2014)Co-researching Hikikomori problem with insiders’knowledges : Creating ‘Nakama’ (Comradeship) across the ocean & generations. International Journal of Narrative Therapy and Community Work,4 www.dulwichcentre.com.au
  • Ishikawa, S Druker, A(2019)Anti-Machinalization(a.k.a Burn-out)Global Summit
  • 伊藤弥生(2022)未来のポジションから考える思春期へのブリーフ的支援.In:黒沢幸子・赤津玲子・木場律志編:思春期のブリーフセラピー─こころとからだの心理臨床.日本評論社,pp. 184-198.
  • 伊藤弥生(2023)嘘ではない希望と:特集こころを支えるお仕事.シンリンラボ創刊号(shinrinlab. com
  • きたやまおさむ(2021)ハブられても生き残るための深層心理学.岩波書店.
  • 国重浩一(2013)ナラティヴ・セラピーの会話術─ディスコースとエージェンシーという視点.金子書房.
  • 宮本理江子・小泉今日子(2012)四十代で本物の愉しみが見えてきた.特集おんなの後半─小泉今日子の後半論.クレア2012年12月号臨時増刊; 24-27.
  • 燃え殻(2022)それでも日々はつづくから.新潮社.
  • Mogan, A.(2000)What is narrative therapy? : An easy-to-read introduction. Dulwich Center Publications.(小森康永・上田牧子訳(2003)ナラティヴ・セラピーって何?.金剛出版.)
  • 斎藤真理子(2022)韓国文学の中心にあるもの.イースト・プレス.
  • 坂本真佐哉(2019)今日から始まるナラティヴ・セラピー─希望をひらく対人援助.日本評論社.
  • 田中ひな子(2020)解決志向アプローチ.In:日本ブリーフサイコセラピー学会編:ブリーフセラピー入門─柔軟で効果的なアプローチに向けて.遠見書房,pp.54-62.
  • 山本智子(2016)発達障害がある人のナラティヴを聴く─「あなた」の物語から学ぶ私たちのあり方.ミネルヴァ書房.
  • 横山克貴(2023)倫理を問い直す実践としてのナラティヴ・セラピー. In:ナラティヴとケア,14; 72-80.
  • よしもとばなな(2009)人生の旅をゆく.幻冬舎文庫.
  • 和田靜香(2021)時給はいつも最低賃金,これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。.左右社.
  • White, M. & Epston, D. (1990)Narrative Means to Therapeutic Ends. Norton.(小森康永訳(2017)物語としての家族(新訳版).金剛出版.)
+ 記事

(いとう・やよい)
所属:久留米大学文学部心理学科
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書:伊藤弥生(2022)未来のポジションから考える思春期へのブリーフ的支援.In:黒沢幸子・赤津玲子・木場律志編:思春期のブリーフセラピー こころとからだ
の心理臨床.日本評論社.
伊藤弥生(2007)不妊治療における心理臨床にみる女性たち.In:園田雅代・平
木典子・下山晴彦編:女性の発達臨床心理学.金剛出版.
趣味:ゆるめの「NO FASHION,NO LIFE」です。メガネにわりと凝ってます。

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