voice 6 前田重治先生を偲んで─遊びをせんとや,生まれけむ│山﨑 篤

本年2月に,恩師の前田重治先生がお亡くなりになりました。

享年95歳。

門下生として覚悟してはおりました。

訃報が届いたのは,すでに家族葬にてお弔いをなさり,初七日を終えた頃。

お通夜もなんやかんやも何もなし。これらのことは前田先生の御遺志とのことで,「私のことよりも目の前のクライアントに集中しなさい」と門下生にお告げになられたかのようでした。

ウィキペディアにあるので,先生のご経歴の詳細は割愛させていただきます。

*あえて若い方にご紹介するとしたら,日本精神分析学会と日本精神分析協会とをその初期から参加・運営して発展させ,さらには日本心理臨床学会やら臨床心理士資格認定協会などの心理職の育成と教育の礎を,文化庁長官にもなった河合隼雄先生らとともに構築していかれた先生です。精神分析や心理臨床に関する著書多数。現代の精神分析学に通底する重要な翻訳も多々なされた。ただし河合先生や小此木先生のような華やかさはナイ。

おっと。

この文章は,出版社のウェブマガジンに載せて頂くのでした。これを読む世代に向けて,前田重治先生の御業績について,チーとは触れておかねばと。

山村豊・高橋一公『系統看護学講座─基礎分野 心理学 第6版』(医学書院,2024年)第6ページの図1-2「フロイトによる意識の構造(前田重治『図説 臨床精神分析学』誠信書房,1985年,3頁による)」と,まあ書いてみました。

恩師前田重治先生がおつくりになった図が,2年ほど前の厚生労働省のカリキュラム改訂を受けて必修科目となった,看護師さんのタマゴたちのためのテキストの初めの方に掲載されています。

先生が2月にご逝去されて,4月から始まった看護師のタマゴさんたちへの講義で,テキストの中にこの懐かしい(修行中に散々眺めてはあ~でもナイ,こ~でもナイと考えてきた)図を発見したのです。学生さんたちに講義しながら,涙が出そうでした。

先生は,(臨床)精神分析学に関わる図や表をたくさんおつくりになられました。1985年の時点で1冊の本にまとめられたほどです。なので関心をもってこの文章を読んで下さっている読者の皆様も,どこかで前田先生の図,あるいは表をご覧になっていることかと思います。(「引用元を書いていないヒトもいるからなあ,ホホっ」と先生から伺ったのを思い出しました)

絵画に関する造詣のナイ私が言うのもはばかられますが,とても美学的だと思います。前田先生が医学部生だった頃には,本気で絵を生業とするかとまで思い詰められたとも聴いています。まあ,本気度はいかばかりかというのは分かりませんが,現在私がミュージシャンとしてCDを制作してアマゾンで売ってるくらいのお気持ちではあったことかと思います。「臨床精神分析学」と銘打っておられるところからして,精神分析を臨床として行っていくうえで大変に示唆に富む図や表であります。何回,これらの図表に助けられてきたことか分かりません。

臨床を志される方にはおススメの書籍です。ただし。臨床経験を重ねられる過程でゼヒ,何度も見て頂きたいと思います。経験を積み重ねた地点で,見えることが違うのではと考えております。(深い闇,のようなところもあります)

これから臨床に本格的に取り組まれる方には『心理面接の技術』や『心理療法の進め方』と言ったご著書が入門書として,とても親切な内容となったものがあります。おススメ。

その他,派手ではありませんが,日本に精神分析を「輸入した」古沢平作(こざわ・へいさく)先生との訓練分析を振り返り,現役の精神分析家という観点から考察を加えられた『自由連想法覚え書』や多くの精神分析的エッセイも記されておられますので,要チェック!! かと思います(ワタクシなんぞはそのエッセイに当てられて,若かりし頃に多くの楽曲を書いてしまったほど,です)。グッときますよ。

またさらに,現代の国際的な精神分析の業界を方向づける転回点となった,国際学会の論者の著作を翻訳された業績も忘れてはならないことかと思います。サンドラーやカーンバーグなどです。若い読者にはピンとはこないかもしれませんが,現代の精神分析学がその立場や学派を超え,臨床的事実を事実として共有しながら議論するという空気に代わった転回点での著作です。邦訳では絶版になっているものもあります。(日本精神分析協会会長である藤山先生も関わるアノ研究会では,「絶版なのか~この本が??」と大騒ぎでした,昨年!)

さて,個人的なことに向かいます。

私こと,重治先生の末弟の一人。

取り立てて明確な目標もないままに,九州大学教育学部に進学しました。

ところがこのホンモノの精神分析家と巡り合うことができて以来,フロイト先生が始めた精神分析のとりことなりました。「精神分析? エビデンスもないし,サイエンスではないよ」と学内では随分といじめられましたが,前田重治先生の下で勉強を始めさせていただき,修士論文までご指導いただきました。

先生からは,精神分析や人生の指針となるような多くのものを,たくさん頂いたものだと振り返ります。

時は折しもバブルの絶頂期。

とはいえ長崎にて代々と続く商家のご長男であり,芸術や美学,映画や絵画についての造詣も深かった先生です。今振り返れば滑稽にさえ見える,バブリーな時代とは一線を画しておられました。洒落た大人の遊び方のようなものも学ばせていただいた気もします。お生まれは昭和の時代ですが,先生から大正ロマンの空気を吸わせていただいたようにも思います。

先生との私的な思い出について。さらに。

ご指導いただいた卒業研究のレジュメをご覧いただいて一言。「美しくない,な」と。エビデンスがないなんて言わせたくない,と若気の至りで関数電卓(当時)弾いてでっち上げた「エビデンス」が,美しいわけないですね。最初はこのコメントに衝撃を受けましたが,のちに深く納得したところとなりました。

一度だけ叱られたこともあります。学内での修士論文発表会の席にて,学部長(故人)から開口一番投げつけられた「アイデンティティ(エリクソン,ですね)なんてあるの?」に私は絶句してしまったのです。後で研究室に呼ばれて「あそこはしっかり言わなくては,ね」と言葉は穏やかでしたが,大学関係者として生きていく上での覚悟を迫られたと思います。(一個上のセンパイへの「精神分析ってなあに?」よりもマシだった,とは思います)

門下で自由に活動させていただく中で,前田先生に頂いた言葉の一つに次のようなものがあります。

「センセイ,精神分析とか臨床とか上達していくには,どうしたらいいですか?」(ワタクシ:当時業界入りしたばかりのチンピラ学生),「たくさん遊びなさい」(重治先生),「ヹ? フロイト先生のアレ読む,とかあの勉強会に行け,とかではなく,ですか?」(私)。

「そう,だよ」(さらりと。先生)。

これには面食らった気がします。

まさかアッシーやメッシー,ジュリアナでお立ち台やら「24時間戦えますか」でガンガンいけよ,というわけではありますまいが,と。

アワワと弾けていった泡の向こうに,先生は人間が本来的に持つ欲望や根源的な情動と,フロイト以来精神分析が取り組んできたこころの仕組みを見据えておられたのかもしれません。

先生に頂いた言葉の意味って何だろう? あのお方が言ったとかいう「遊びをせんとや生まれけむ」なのだろうか?

問いは立ちました。

時代は流れ,「失われた30年」とかって物知り気におっしゃる方もある昨今。

分断,対立,格差と自己責任。

社会全体も大きく変容していったように見えます。コロナ禍での自粛生活が追い風となり,オンラインだなんてものも「意外といける」とか感じたりもしています。さらにはITやネットの進化,メタバースやAIまでも。

刺激的なことは増えたし,面白おかしく過ごしているように見える人も多いようですが,イギリスの小児科医であり精神分析家であったウィニコット先生が言う意味での遊ぶこと;playingが容易には成り立ちづらい社会になったかのようにも思います。恩師である前田重治先生からいただいた言葉に紐づいて,私の問いは立てられたまま過ごしております。

前田重治先生,本当にありがとうございます(現在進行形)。

先生に頂いた言葉に励まされて,そしてその生きざまの御姿を追いかけるようにして生き抜ぬこうとしております。折に触れていただいたエッセーから伺えるようには,先生のようには格好良くはありませんが,不調法ものとしてそれなりに歩んでいきたいと思います。

*ご仏前に勝手ながら(わきまえもせず),先般できた「こころにバイタミン」のPVをお供えさせていただきます。若かりし頃に,先生のエッセーからヒントをいただいて,一気に書いた曲です。(バックバンドは,あの,きたやまおさむと多くの録音とCD発売をものにした「レッドベリー」です。私のPVはインパクトありきですが,彼らの楽曲は噛めば噛むほどに,という大人のテイストです。精神分析臨床と同じかな,とは。ユーチューブで,ゼヒと)

合掌。

山﨑 篤:JPS精神分析的精神療法家センター(正会員)

文  献
  • 前田重治(1976)心理面接の技術─精神分析的心理療法入門.慶応義塾大学出版会
  • 前田重治(1978)心理療法の進め方─簡易精神分析の実際.創元社.
  • 前田重治(1984)自由連想法覚え書─古沢平作博士による精神分析.岩崎学術出版社.
  • 前田重治(1985)図説 臨床精神分析学.誠信書房.
  • 山村豊・高橋一公(2024)系統看護学講座─基礎分野 心理学 第6版.医学書院.
+ 記事

山﨑 篤(やまさき・あつし)
やまさきファーム代表。
精神分析的精神療法家(JPS精神分析的精神療法家センター正会員)。
山﨑篤&グレイトフルゼットというバンドを率いて,ミュージシャンとしても活動中。
*アマゾンでダウンロードしてください。
では。先祖伝来の田畑へ。畔の草を刈りに行って参ります。ドンマイモ植えた!

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