voice 5 乾吉佑先生を偲んで│古田雅明

専修大学名誉教授の乾吉佑先生が,2023年9月7日の朝に,80歳のご生涯を閉じられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

先生は専大退職後も,付属の心理教育相談室で心理療法を続け,多摩心理臨床研究室を開室して精力的にSVと研究指導を続けておられました。私は専大大学院のゼミ生の時から精神分析的なものの見方や関わり方を教わり始め,以来25年近くご指導いただきました。

7月末のグループSVが最後となったのですが,その日の指導は鬼気迫るほど熱く,本当はお疲れだったのでしょうが,とてもお元気に見えました。8月10日早朝に入院するのでしばらくお休みしたいとご家族から連絡があった時は突然のことで頭が真っ白に。とはいえ先生の強靭な精神力で,すぐ回復すると期待していました。しかし残念なことにその後一目お会いすることもかなわぬままのお別れとなりました。未だに信じられず,研究室に行けばいつもの笑顔で「これ美味しいんだよ!」と大好きなアンコの和菓子を出して下さる気がしてなりません。

乾ゼミは先生のお人柄のおかげでいつも明るく活気にあふれ「知識は栄養と共に取り入れる」をモットーに,大抵何か食べながら行われていました。普段は料理上手な奥様の手作りお弁当だったのですが,大学院ゼミのあった水曜日はゼミ生と一緒にデリバリーを頼む日として構造化・・・されていました。昼は宅配弁当を食べながら論文指導,夜は出前をとって学会準備といった感じでした。メニューを見て熟考しつつも,昼は毎回,肉野菜炒め弁当,夜はけんちんうどんを注文。しかも「これ美味しいね~」と毎回満面の笑み。「いっつも同じものでよくまぁ飽きませんね」と半ばあきれながら尋ねると「心理臨床家はね,一貫性と連続性が大事なんだよ」と茶目っ気たっぷりに言うのです。

先生の茶目っ気は別の形でも活かされました。70歳のお祝いを企画したゼミ生に「ただ感謝するのではなく,乾から学んだこと,乾を超えたこともテーマにして欲しい。乾を題材に大いに議論し,遊んで結構!」とおっしゃったのです。仕切り屋だった先生主導の企画で,教え子が学んだことは『心理臨床との出会い 心理臨床家の成長』(金剛出版)として上梓,一方遊びの部分は『乾吉佑先生古希記念誌 別冊 出会いと心理臨床』(遠見書房)という内輪向けの冊子にしました。Freud, Sのハンスの症例「ある五歳男児の恐怖症分析」のオマージュとして「ある70歳男児の分析」と題した特集を組み,初期のスーパーバイジーでベテランの著名な先生方に「心理臨床家 乾吉佑」について対談してもらいました。先生は時々「SVはね,敵を作るようなもんだよ」と言っていらしたので,企画の大胆さに驚いたものです。この時,遠見書房の山内社長に特別寄稿と冊子の制作をお願いしたご縁があり,僭越ながら追悼文を書かせたいただくことになりました。

先生は非常に繊細かつ入念に準備をする努力家でした。学会発表の指導では,読み原稿に息継ぎやパワポをクリックするタイミングまで書き,発表直前まで赤入れする独自の準備法を教わりました。「発表時間が〇分だから,〇文字まで読み原稿を書ける。これは400字の原稿用紙だと計〇枚だね」と即座に教えてくれたものです。これは「原光景ならぬ原稿計という現象である」と例の冊子に書いたところ,笑って読んでくださいました。今思うと失礼を沢山してしまったと反省しきりですが,私たちが自由に遊ぶことを受け入れてくれた懐の広い,温かく身近な存在でした。しかし社会的なお立場を振り返ると稀有で偉大な存在であったことに改めて気付きます。

精神分析家の資格を有する日本の代表的なlay analystであり,精神分析学会で発表した青年期心理臨床におけるnew object論は広く知られる臨床理論となっています(『思春期・青年期の精神分析的アプローチ』(遠見書房)所収)。また,岩倉拓先生との対話の中から生まれた治療ゼロ期と臨床現場を耕す姿勢は,多様化する臨床現場で奮闘する心理臨床家に新しい認識を与え現場をエンパワーしました。お亡くなりになった時も心理臨床学会の副理事長,臨床心理士会の副会長という要職におられました。小此木啓吾先生や河合隼雄先生と長年一緒に仕事をしてきた乾先生は,組織のNO2として裏方の苦労を運命的に背負う方だったようです。実行委員長になった精神分析学会第50回記念大会の時,何と運営事務を請け負っていた日本学会事務センターが不祥事を起こして破産し,開催が危ぶまれる大混乱がありました。また河合先生が病に倒れたため,乾先生が急遽,臨床心理士会の会長代行になった時期も資格問題を巡って大荒れでした。この時,珍しく先生に呼び出されて学会や士会の手伝いを頼まれたのですが,ゼミとは違い,厳しい表情で苦悩し静かに憤る姿を見ることになりました。人には言えない苦労や心痛が相当にあったからこそ,人の痛みの分かる大きな器となられたのでしょう。どんな人にもとても細やかな気遣いをする方でした。教え子はそれぞれ色んな乾先生と出会ったと思いますが,今回私から見たお人柄の一端をご紹介させていただきました。合掌。

けんちんうどんを食べる乾先生
(『乾吉佑先生古希記念誌 別冊 出会いと心理臨床』より)

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古田雅明(ふるた・まさあき)
大妻女子大学大学院 人間文化研究科 臨床心理学専攻
資格:博士(心理学),臨床心理士,公認心理師
主な著書:『力動的な心理アセスメントワークブック』(乾吉佑監修/加藤佑昌・森本 麻穂編著/橋爪龍太郎・古田雅明著,創元社,2023),『キャンパスライフサポートブック:こころ・からだ・くらし』(香月菜々子・古田雅明著,ミネルヴァ書房,2019)
趣味:犬の散歩

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