voice 3 ニューロダイバーシティと発達支援の実際の乖離 │腰 英隆

はじめに

昨今,ニューロダイバーシティという概念が社会的に広まっています。事実として経済産業省がニューロダイバーシティ推進を掲げる等,かつては当事者運動だったものが,国家単位での取り組みとなっています。

経済産業省(2023)によれば「ニューロダイバーシティ(Neurodiversity,神経多様性)とは,Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた,「脳や神経,それに由来する個人レベルでのさまざまな特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し,それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり,特に,自閉スペクトラム症(ASD),注意欠如・多動症,学習障害といった発達障害において生じる現象を,能力の欠如や優劣ではなく,『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念」とされています。

また,村中(2020)によれば「脳や神経,それに由来する個人レベルでのさまざまな特性の違いを多様性として捉えて相互に尊重し,それらの違いを社会の中で活かしていこう」という趣旨のものとして紹介されています。

それゆえ,このような流れの中で,発達障害や発達障害が疑われる方々への旧来的な支援も見直されつつあります。その一方でヒトの「発達」という現象の記述が,実際のものを超えて,多様なように捉えられているようにも感じます。本稿では,これらの乖離について述べていきたいと思います。

旧来的な支援へのアンチテーゼとしてのニューロダイバーシティ

旧来的に発達障害は「正常」からのズレや逸脱であり,異常や欠損と捉えられ,治療や矯正の対象になっていました。しかし,ニューロダイバーシティの文脈においては,「正常」というものを想定せず,発達は多様なもので,発達障害はその1つに過ぎないというものです。また,一部の当事者のお話を伺うと「発達障害であったとしても,それが自分で,自分と発達障害は不可分である」「自閉症である自分が自分自身なのだ」と思っているのに,それを否定されたという声や,前述のような不当な治療・矯正の対象にされたという体験が散見されます。

このような文脈からすると,確かに旧来的な支援は著しく暴力的で,非人権的であると言わざるを得ず,ニューロダイバーシティのような当事者運動の中で批判を受ける事は当然の帰結といえるかもしれません。

発達支援への批判と支援の実際

その一方で,昨今の発達障害がある方々,とりわけ子どもへの支援(以下,発達支援とします)への批判としてLeadbitter et al.(2021)は次の事柄を挙げています。

(1)ニューロダイバーシティに基づいた介入は,自閉症児を「治療」または「正常化」しようとする試みに反対するものであり,多くの文脈でこのような話はもはや受け入れられなくなっている。

(2)異なる発達経路が同じ結果につながる可能性があり,それによって,非定型的な発達過程が,その個人の本質的な発達の軌跡にとって実際に有益であることを示す証拠が増えている。

(3)自閉症の診断を規定する行動の軽減に焦点を当てることは,これらの行動が異なる神経学の基礎にある結果であり,その行動を妨げることは,子どもの自然な対処戦略や発達を損なう可能性があることを考慮していない。

(4)早期介入は,子どもの発達の軌跡に(逆らわずに)協力し,子どもの自然な学習方法にも協力すべきである。

(1)について

前述の通り旧来的な不当な治療・矯正の帰結でしょう。しかしながら,それ以降については実際の支援とは乖離があるように思います。

(2)について

まず,ヒトの発達は基本的に多様ではなく同じ段階や軌跡を辿ります。同じ段階や軌跡を辿るので,それぞれの年齢で同じような現象や行動が観測されますし,それゆえに「標準化された発達検査」を作る事ができます。発達が多様であれば,各年齢における現象や行動もバラつきが大きく,一つの尺度に収まらないはずです。

身近な話で言えば,例えば,言葉の発達は中学校の英語を思い出すと分かりやすいと思います。子どもはまず,名詞を学びます。名詞を知らなければ話す事はできません。次に動詞を覚えます。動詞を覚えるので文を作れます。そこからさらに形容詞を覚えます。形容詞を覚えるので表現に広がりが出ます。発達には確かに個人差はありますが,いきなり形容詞から覚える子はいないわけです(単なる音声模倣として観測する事はあるかもしれません)。

対人関係の発達にしても,まずは二者関係から始まります。そこで三者関係,数人のグループ,もう少し大きな集団,コミュニティと広がっていきます。いきなりグループから始まり二者関係に進む事はありません(複雑な対人関係が築けるので親密な二者関係を築ける事はあります)。

感情の発達も,快─不快から喜怒哀楽といった基本的な感情を経て,より細やかな感情表現ができるようになります。哀愁や嫉妬といった感情を獲得しているのに,快─不快を獲得していないという事は理屈に合いません。

発達障害についても,多様というよりはむしろ似たような(一定方向の)傾向の現象や行動が観測されるために「診断基準」を作る事ができます。本当に方向性の異なる状態像が乱立しているのであれば診断基準を作る事ができません。

このような理由で,発達支援の視座からすると,発達には決まった段階や軌跡があり,発達障害は一定の方向性を持った現象や行動により診断されるものという事になります。もっというとさまざまな「種」の生き物には,その「種」特有の傾性があるので生態学も成立します。ヒトもさまざまな「種」の1つである以上,ある程度一定の傾性が元からあると考える方が自然です。

そのような中で,なぜ発達障害と呼ばれる典型発達と異なる状態像が形成されていくのかというと,発達には前述の通り決まった段階・軌跡がありますし,ある種の積み重ねです。

しかし,生まれ持った特性により,この段階をしっかり踏めないといった事が起こります。そうすると,そこから先の積み重ねが難しかったり,偏りが出たりします。先ほどの例えで言うと,形容詞を獲得しないので,それ以上の積み重ねが難しかったり,様子を表現するにも,名詞と擬音でなんとかしようとするような事です。

そして,そこをベースにさらに積み重ねを行っていくため,2年,3年と経過するにつれて,その遅れや偏りはより顕著になります。そして,一定のライン(診断基準)を超えると,発達障害という診断をつける事も可能になります。反対に,発達の段階をしっかり踏めていると,自然と典型発達に近くなっていきます。

(3)について

このような問題も,無理やり表面的な振舞いを変えさせるような取り組みを行うのであれば,本人にとって有害な結果となるかもしれませんが,前述のように,背後に必ず積み重ね残したものや,偏った積み重ねがあるため,自閉症の診断を規定する行動が起こっているのであって,いくつか前の発達段階に戻り,必要なピースをはめる事により改善する事も少なくはありません。

(4)について

強度行動障害を想定すると分かりやすいですが,それらは介入をしないと命を落とす事もあるため,もはや介入に議論の余地はありません。

何よりも,発達支援,特に早期療育は,ある程度積み重ねができた発達を,後から無理やり変えるのではなく,これから積み上がっていく発達のピースを一つ一つ丁寧に重ねていく営みといった側面が強いですし,支援の原則は「正の強化」です。つまり本人達が適切な行動を学びやすい環境を設定し,そういった行動を起こした場合,ポジティブなフィードバックを行います。

異なる回路があるように見える

ニューロダイバーシティの文脈で,しばしば「脳の仕組み」「脳の回路」の違いという表現が出てきます。しかし,発達特性がある子ども達が典型発達の子ども達と異なる行動を取るのにはメカニズムがあります。

例えば「空気の読めない子」がいたとします。こういった子がなぜ空気を読めないかというと,その状況とそこにいる人達(子ども達)の表情,その前後の文脈などの要素のどれか,もしくはこれらのいくつかを,気づいていなかったり気づいていても頭の中で繋がっていなかったりするために起こります。

そのため,ある子は一つ一つの要素を気づかせるだけで適切な反応をする事ができるようになります。また,ある子は表情を読み取る経験を積む事で正しい反応をする事ができるようになります。別の子は「状況─表情─行動」の組み合わせを一緒に整理する事で正しい反応をする事ができるようになります。

また,言葉の理解がなかなか発達しない子どもの中には視覚情報を頼りに何とか周囲の環境に適応しようとする子がいます。その結果,ある程度周りの子と同じような事ができるようになりますが,やるべきことが複雑になっていくとどこかで急に上手くできないという事態に直面します。そのような時,一見するとできる事も多いので大人からは「不思議な子」に見える事もありますが,実際は単に言葉を知らなかっただけという事もあります。

このように,実は脳の仕組みや回路が違うのではなく,このような情報処理を行う際に,どこかに入力の漏れや,処理の際の関連づけや変換のエラー,出力の際の遅延や未統合があるために起きているのであって,決して異なる回路がある訳ではありません。そのため,改善も可能なのです。

ニューロダイバーシティと発達支援の違い

ニューロダイバーシティにせよ発達支援にせよ,双方共に背景は異なります。それゆえ,当然ながら相反する事は生まれてきます。

例えば,ASDがある成人に対し「あなたは正常ではないので訓練が必要です」と言ったとすると,それはその人の人生をも否定する事になりますので,当然適切ではありません。しかし,そういった事が歴史的にあり,そういった背景に発達した概念であれば,当然ながら「正常」へのアンチテーゼを提示したり「正常」そのものを捉え直すように発達するのは自然な事です。

一方で,子どもの発達という,ほぼゼロから積み重ねていく営みに従事している支援者からすれば,「この体験」「この積み重ね」をしないとどうしても次のステップに行けない事や,仮に非典型的な行動を取っていても(程度の差はあれど)適切な積み重ねをする事で典型的な振舞いを自然とできるようになる事を知っています。また,そういった介入をしない事による予後の悪さも知っています。

例えば,村中(2020)も,ニューロダイバーシティ視点に立つと「やり方を全員に固定する学び方」はまったく理にかなっていない,「多くの人にとって良い方法」はありえても「全員にとってよい方法」は存在しない,「個に合った学び方を」,「自分の特性に合った学び方を身につけることができているかどうかは生涯にわたってその人に大きな影響を与える事柄」といった事を繰り返し強調しています。

早期療育はまさに,そういった積み重ねを丁寧なアセスメントに基づいて,その子に合ったやり方,合った量で,必ず成功体験と喜びのうちに終わるように行います。

このように,ニューロダイバーシティと発達支援は相互に接点が少なく乖離が起きてはいるものの,決して矛盾するものではないというのが実際ではないでしょうか。

文  献
+ 記事

腰英隆(こし・ひでたか)
児童発達支援・放課後等デイサービス 川崎・東京管理職
資格:公認心理師,臨床心理士
大学院修了後,引きこもりの社会復帰支援や中学校の相談員を経て,障害者支援施設にて約6年勤務。その際,行動上の問題の大きさや,それにより当事者の方々の生活だけでなく人権も大幅に制限される場面を目の当たりにし,早期支援の必要性を強く感じ現職に就く。現在では,子どもの発達のアセスメント(検査含む)と支援,関係機関との連携,調整,交渉,事業所内での人材育成,地域の幼・保園のコンサルなどを行っている。
主な著書は,『心理学と心理的支援(新・社会福祉士シリーズ 2)』(分担執筆,岡田斉・小山内秀和編,弘文堂,2022)

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