voice 4 伊藤研一先生の死を悼んで │小林孝雄

2023年9月初旬,学習院大学教授の伊藤研一先生が,病気のため亡くなられました。享年69歳でした。在職されていた学習院大学では,「伊藤」姓の先生が複数いらっしゃったことから,学生・院生・同僚の先生方から,「研一先生」と親しみを込めて呼ばれていました。訃報を受けて,連絡を取り合った先生方や教え子の方たちのメールには,「優しい笑顔」の文字をたくさん目にしました。私の記憶の中に残っている伊藤研一先生も,優しい笑顔です。ご病気で大学を休まれるとうかがったのが,2022年の6月だったと記憶しています。あまりの早い悲しい知らせに,いまだに実感がわきません。

伊藤研一先生は,東京生まれの東京育ち,東京大学入学時は理系で,地球物理学科から教育学部教育心理学科に移られ,心理臨床の世界に入られました。博士課程まで進まれ,文京区教育センター,文教大学学生相談室,大正大学カウンセリング研究所を経て,文教大学人間科学部臨床心理学科教授,学習院大学文学部心理学科教授を歴任されました。

ご専門は,来談者中心療法,フォーカシング,内観法,壺イメージ療法,臨床動作法,遊戯療法などを主軸に置きながら,学習支援や料理などの日常活動も含め,クライエントさんの状況やニーズに対応し柔軟に多面的にアプローチする支援を心掛けていらっしゃいました。

私が,伊藤研一先生と初めてお目にかかったのは,九段にあった「日精研心理臨床センター」で院生時代に私がアルバイトをしていたとき,夜間の講座「発達と臨床」の講師でいらっしゃったときだったと記憶しています。大学院の後輩と知り,きさくに話しかけてくださいました。その後,大学院にて非常勤講師として持たれた授業を受講し,フォーカシング・セッションを受け,この先生にぜひにと思いスーパーヴィジョン(SV)をお願いし,長く継続して引き受けていただきました。『私とパーソンセンタード・アプローチ』(飯長喜一郎・園田雅代編著,2019,新曜社)に,伊藤研一先生のSVのことを,「決してこちらに顔色をうかがわせないような『ありよう』であることが強く印象に残った」と書いた部分について,「そう書いてもらってとても嬉しい」とおっしゃっていました。

伊藤研一先生をどう表現したらよいのか,と考えたときに,まず浮かぶ言葉は,自由,遊びごごろ,です。そして,偉ぶらない,気に入ったものや人にはほれ込む。お酒好き,音楽好き。この先生,とほれ込んだ先生には,すでに学習院大学教授というお立場であろうと偉ぶらずに教えを請うたり,主催する研究会にお呼びする。研究会後の歓談時にはお酒を飲み,専門のお話しにとどまらず趣味のお話しなど楽しそうに誰とでも語り合う,そんな姿が伊藤研一先生らしい姿として記憶に刻まれています。SVなどの「教える」場面では,偉ぶらず,学ぶ側の主体性を尊重する姿勢を崩さず,自らが相手に対して権威的,威圧的にならないように慎重であったという印象を持っています。

ここ数年は,伊藤研一先生と,セラピスト・フォーカシングや,スーパーヴァイザー・フォーカシングのセッションを持たせていただくことが多かったのですが,何度か,「ああ,これを村瀬孝雄先生に見てほしかったなあ」とおっしゃっていました。伊藤研一先生が50代半ばを過ぎた頃くらいからだと思うのですが,一見,自由気ままに振る舞っているように見える姿に,どこか寂しさ,切なさ,孤独感が漂っている気がし始めました。もともとあったものに,ようやく私が気づいたのでしょう。伊藤研一先生は,大学教員と並行して,スクールカウンセラーなど現場での臨床も積極的に続けていらっしゃいました。世代に由来するものなのか,あるいは個人史に由来するものなのかはわかりませんが,何か行き過ぎるアカデミズムに異を唱えるような,反骨精神をどこかにずっと抱えていたように感じます。矢沢永吉好き,ロック好きは,そこにつながるのかもしれません。革ジャンを着て,ちょっとだけ前かがみで,小さい歩幅で速足で歩く伊藤研一先生。少年のような好奇心で,あの世で,もう面白いものを見つけて嬉しそうに誰かに語っているような気がします。

ベースを弾く伊藤研一先生

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小林孝雄(こばやし・たかお)
所属:文教大学人間科学部心理学科
資格:公認心理師,臨床心理士
主な著訳書:チューダー&メリー(岡村達也監訳 小林孝雄・羽間京子・箕浦亜子訳,2008)ロジャーズ辞典.金剛出版.
岡村達也・小林孝雄・菅村玄二(2010)カウンセリングのエチュード.遠見書房.

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