こうしてシンリシになった(37)私の心理臨床 —— 私の前-心理臨床歴から,一つの = 私の考える心理臨床家像にふれて——|岡村達也

岡村達也(文教大学名誉教授)
シンリンラボ 第37号(2026年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.37 (2026, Apr.)

わがままを言って,旧稿を改稿したものを掲載させていただくことにしました。最初1990年に首都圏心理臨床懇話会第50回記念シンポジウム「私の心理臨床」で口頭発表し,その後改稿して1993年に『専修大学学生相談室報告書 第7号』に掲載したものを,さらに改稿したものです。

1990年は私が36歳になる年で,今年72歳になるので,ちょうど人生の真ん中です。1990年はまた,臨床の訓練を始めてちょうど10年を越える年で,さらに,大学の専任の臨床現場から学部教員になってしまった年です。専任の臨床現場から離れたかなしみと,なお臨床家である/ありたいという切実な願いの中での作文でした。

心理臨床家の倫理 ——「なぜ心理臨床をするのか」

それはもう記憶に残る一番最初からのことであるが,たった一言で言えば,家族ないし家庭の居心地の悪さ,それがなかったら,私は心理臨床に惹かれることもなかったと思う。

なにが心理臨床に自分を導いたか,なぜほかならぬ自分が心理臨床をするのか,この問いに真剣に応えようとする志向を欠いた心理臨床家,あるいは,かつて一度もみずからに問うたことのない心理臨床家,また,こうした問いを将来とも自分とは無関係とする(若い)心理臨床家を,私は,私の考える心理臨床家としては認めない。「これだ!」という答えがあるのが重要なのではないし,またそれは公言する必要のあるものでもない。(また,私は「問え!」と言っているのではなく)心理臨床実践をしていればこうした問いに襲われることはあるだろうし,そのとき,その問いが襲ってくることを「ひるまず感知するくらいの感受性と勇気」,願わくは,その問いに取り組んでみる勇気をも心理臨床家の「倫理」として要請したい,ということである。(こうした問いにかつて一度も襲われたことのない心理臨床家,あるいは,なんのためらいもなく答えを言いきれてしまう心理臨床家は,ひょっとすると天性の,よほどの大家か,ズブの素人であろう。)

変化に対する畏敬 —— 心理臨床の破壊性

一方,にもかかわらず,家族ないし家庭内の大人の一人一人が,それぞれなりに私を愛していた,と感じていなかったら,私は心理臨床を続けることもなかったと思う。

(例えば,私は小学校くらいからはっきりと父が嫌いであることを意識し始め,その父はずっと昔風の言い方をすれば,「火消し」だったわけだが,この火消したるや,相手が誰であろうが火消しする。よくある話だが,思えば,私はこころの,この父と同じ「火消し」になってしまった。相手が誰であろうが区別なく援助する。また,消防の第一歩は消すどころか,延焼を防ぐ原始的な「破壊」なのだが —— これは,どこか農業の第一歩が植物を育てることではなく,植物をダメにする焼畑であることと似ているが ——)私はクライアントと援助する中で,クライアントのなにかをダメにしている,そう言ってよければ,「破壊」している自分をどこか感じている。私の感じでは,このことを額面どおりに取り,破壊しない私であるようにと援助しようとする向きは,心理臨床家としての第一の素質をまだ欠いている,あるいは,第一のトレーニングをまだ経ていないと思われる。もう少しポジティヴに言えば,破壊とはそれまでのなにかが破壊されることであって,それは変化と言っていいかもしれないが,その変化に対する「畏敬」である。

愛の幻想ないし錯覚 ——  幻滅する能力

また,どんな形であれ,愛のかけらも自分の人生の中で感じる,ないし,「幻想」あるいは「錯覚」できたことのない人は,まだ心理臨床家たる決定的素質が育っていないと思われる。否,幻想ないし錯覚したことのある自分に気づいたことのない人,と言うべきか。(ともかく,私は父が自分を愛していたこと,愛していることには気づいていた。そしてそれは,父のみではなかった。)

うそをつく能力 —— 真実性

問われるといつも私はそこから語ることにしているのだが,高校時代の進路選択はあいまいだった。家族ないし家庭に居心地の悪さを感じていた私は,何度か合法的家出を試みていたが,たった一度だけ成功したことがある。高校2年の夏,大学受験の準備をするという,まったくの口実で,都会でほぼ一か月間予備校に通うことができた。そこで知りかつ驚いたことの一つは,地方とは比べものにならないほど大量の書物=知識の存在であった。本屋,古本屋に通うのが日中の日課となった。

生きてさえいればいい! —— ただ生きることだってとっても大変なことなんだ!

(夜は飲みに行ったり,深夜放送のDJの追っかけをしたりする。予備校にはほとんど通わなかった。最初のテストで,自分にとっては不出来だったが,全体ではあまりにもいい評価をもらってしまい,嫌気がさしていた。いわゆる「よい」評価は,一面私をよろこばせるものであることは確かだが,と同時に,ある種の不安と失望の種であることも確かだ。こうしたことを,私は私の人生で何度も経験している。いま気づいたのは,そのゆえにか,私は決して自分が決定的な評価は勝ち得ないように,いつも「二番」くらいに自分を置くようにしていることに気づいていた。おそらく,「一番」にはなりえない自分を見ぬいているようにも,また思える。)「立派」を目指して生きることは,私の中で,どこか放棄されている。ほどほどであればいい。否,ほどほどでなくったっていい。のちに述べるように,ただ生きていさえすればいい。ただ生きることだってとっても大変なことなんだ!

「 生きてある根幹ないしその支え」にかかわる —— いつまでも「ひよっこ」でいたい

たまたま最初に購入した一冊が,宮沢俊義の『憲法[第3版]』(勁草書房,1962年)という本だった。薄いペラペラの本で,数時間で読み終え,感動したことを覚えている。「自分が生きてある根幹,ないし,その支え」にかかわるものだったら,たぶん,なんでもよかったのだろうと思う。

(憲法を私はそんなふうに観念していた。心理臨床にたどり着くまで,こうした志向はその後もさまざまに形を変えて存続し)かつては,こうした志向を青年期的なものと感じていたが,いまになっても,これはやはり自分にとって根本的志向なのではないかと思えている。まだ青年期なのだろうか。否,クライアントが生きてある根幹,ないし,その支えにふれるのが,心理臨床の一面であるとするなら,私の中に,自分の中のそれにふれうるものがあるのはよいことだと思われる。その意味では,いつまでも青年期,「ひよっこ」でいたいと思う。

承前・ギリシャの英知 ——「 同じものは同じものによって知られる」

別言すれば,私は私の中に私の統合失調性を感知できるから統合失調症のクライアントとかかわれるのだし,私の中に私のボーダーラインパーソナリティ性を感知しうるからボーダーラインパーソナリティ症のクライアントとかかわれるのだ,などなど,「見るものたる眼は,見られるものたる対象と同族化し,類似化した上で,観照にのり出さなければならない。…… 眼が太陽と似ていなければ眼は断じて太陽を見ることができない」(斎藤忍随・左近司祥子訳『プロティノス「美について」』講談社学術文庫,2009年,p.89注1))というギリシャ以来の英知を,あらためて確認したいと思う。これを欠いたかかわりは単なるいじくり回しだ,とあえて言おう。

注1)訳注:「知の成立する条件として類似性を挙げるのは,ギリシャ的知識論の特徴で,アリストテレスはそれを次のように定式化している。「類似せるものは,類似せるものによって知られる」『霊魂論』(404b)」(p.96)。
人権 —— 心理臨床におけるヒューマニズムの無条件性

進路決定を迫られた私は,宮沢には確かに感動したが,本当にそれでいいのかとも思えないまま,法学部に進学して,将来は憲法学者ないし判事になりたいと言うようになった。

いまは同じ法曹なら,私は弁護士を迷いなく選ぶと思う。なぜか。いかなる人権といえども,その軽重を問うたり,判じたりするのではなく,人権たることを,ただただそれが人権であるがゆえにのみ,擁護したいと思うからである。

生きてさえすればいい! —— さしあたりそれ以上問うものはない

顧みればさいわいなことに,大学受験に失敗した。都会の予備校に通うことになり,晴れてついに,いまに続く家出に成功した。大学受験の失敗は,私に大きなショックを与えるはずのものではなかったはずである。と言うのも,受験,そして,合格,不合格ということについて,驚くほどなんの観念も持っていなかった。(いわゆる否認だったのかもしれない。)ところが,私は,(否認だったとすればそうとしか言いようがなかったが)「別の」ショックに襲われた。新宿や上野に野宿する人たちを見て,私は自分が,「生きるということ」についていかに脆弱であるかを思い知らされた。大学受験だなどと言い,予備校通いだなどと言い,ところで,自分は本当に,なんとしても自分で生きていく力を持っているのか。当時の私にとっての答えは,「ない!」に決まっていた。それでも私は生きていたかったし,そこに自分の非力をいかにうとましく感じようとも,大学にすがるしかなかった。(これはかなしくも,ほとんどいまも変わっていないようだ。野宿して生きていく力がまだないばっかりに,まだ,またもや,大学にいる。それが私の,裸形の,生きていることについての実感だ。)私は,野宿する人たちとともに生きられる勉強をしたいと思った。そんなとき出会ったのが,務台理作の『哲学概論』(岩波書店,1958年)だった。哲学は,存在するものを存在するがままに見-取るものである注2)。これによって,野宿する人たちも,そしてなにより私自身も,この世に所を得ることができる。そう思えた。憲法を含めた法律の規範性=当為への嫌悪,端的に,存在することそのことの意味を見-取ることへの大きな転換,が私の中で生じた。

私の臨床感覚というものがあるとすれば,その第一はこの点にあると思う。 生きてさえいればいい! それ以上に求めるものはない。求められるものなら,求めればいい。しかし,生きてさえいればいいということをさし措いて,それに先立って求めるものはなにもない。生きてあること以上のなにものも問うまい。その先はどうあってもいい。

注2)「哲学はその本来の使命として現存の社会現実を全面的に問題化せざるをえないような性格 ── 即ちそれに対して批判的に関係せざるをえないような性格を負わされている。批判的に関係するとは …… 全面的にこれを問題化するという意味である。…… 問題のない平地にことさら問題の波を起こし,矛盾がないのに強いて矛盾のための矛盾をひきおこすわけではなく,現存の社会現実のなかにいろいろな矛盾問題がじっさいに含まれて居り,その矛盾問題を正直に取りあげるというまでである」(務台,1958, p.5)。
善意の尊大さ —— 心理臨床家の第一要件,利他性

だがまだ,行為する力,行為したいと思う力もないことを感じていた。大学に通うようになった。ひょんなことからセツルメント活動をするようになった。が,ほとんど最初からつまずいた。「あの地域は……」と言われるその地域も,そして,そこに生きる人たちも,なにか特別な気がしなかった。自分と変わりないように思えた。そこが「あの地域は……」だとすると,私は「あいつは……」となるようなおぞけを感じた。「あの地域は……」と言う仲間たちに,善意(善意とは,法律では,無知ないし不知を意味する)を感じるとともに,尊大さを感じた。

承前・利他性

また,さまざまな思想的闘争があり,それにもついていけなかった。私は,思想は好きだったが,思想に基づいてではなしに人とかかわり合いたいと思った。否,現に生きてあるという生活の営みの中から,そこに息づいている思想を取り出し,ふさわしい所を得させしめることの方に興味があった。(これは観念の世界でのことを言ってるのではないのだ。)

勉強は楽だ —— 事例検討会の悲惨

哲学を含めた思想に惹かれつつも,思想を思想としてのみ取り扱うこと,ないしは,思想が当為=規範的に受け取られることに嫌気が差した。「当為」から「当」の落ちた,ひたすらなる「(行)為」,に惹かれるようになった。これはセツルメントが私に残した大きな功績である。活動の中で,子どもたちといかにかかわるか大いに悩んでいたとき,ある仲間が「もっと心理学,勉強しなきゃダメかなぁ」と言い,私は,知らないくせに「心理学じゃなくて児童心理学だよ」と言ってしまっていたことが妙にこころに残っていた。そんな,勉強という楽な仕方で人とかかわり合おうなんて,なんてバカなことを言うんだ,と思っていたが,ずいぶんたってから,そのことが気にかかって,私自身心理学の本を読んだ。

勉強という楽な仕方,という考えは,当時より私の中にある。もう少し正確に言えば,単に知識を取り入れるという仕方,と言った方がいいだろう。

話は飛ぶが,事例検討のコメントから私は知識を仕入れようとは思っていない。コメントしてくれる人の臨床家としての生きざし,ありように学びたいと思っている。知識不足は単なる勉強不足であって,私にとっては,避くべき恥にして罪である。知識がなかったばっかりに援助しそこなったとあっては,という意味である。その意味で,私は,勉強は人の何倍もしたいと思う。それは見出しとは別の意味で,確かに「楽」だ。コメントする側にせよ,される側にせよ,事例検討の場をそういう場にしている人,勉強不足の人,勉強の多さを誇る人,を見ると腹が立つ。事例検討の場を,そんなもったいないことに使ってはいけない! そこは勉強の寡多を問わず,臨床家の個性同士がぶつかり合い,そのことを通じて,お互いに(!)育ち合っていく場だ!

臨床的知の獲得 ——  刻々自分が内的に変化したい

率直に言って,哲学書に疲れていた私には,心理学の本は面白かった,と言うより,週刊誌を読むくらいやさしく読めた。

哲学書を読むとは,あるいは,哲学するとは,その書物ないし思想について,自分なりの理解の視点を獲得ないし確立する営為であって,単に理解することとは大いに異なる。単に理解しようとすると,わからないの一言で終わってしまわざるをえない。どの哲学書にも拒否されることになる。理解することが大事なのではない。理解できる視点を自分の中に獲得ないし確立することが大事なのだ。各々の哲学書はそう問いかけているのだと思う。私が哲学から学んだ第一のことはこのことだ。これは,そう言ってよければ,私の臨床感覚の一部になっていると思う。つまり,対象に出会ったとき,対象を理解しうる視点を自分の中に獲得ないし確立したいと思う。そのために,私は,あえて言えば,刻々自分が内的に変化したいと思う。それが私にとって臨床的知の獲得であり,臨床をする楽しさである。あえて言えば,私は哲学書を読むように,クライアントとともにいたい。

承前・ 私のわがまま —— 身につけること

顧みて,私は自分をつくるために哲学に惹かれていったと思うが,力不足だった。それに比べて,心理学の本は,まぎれようもない理解の視点を,親切にもそちら側から提示していてくれていたから,その視点にのっかって単に理解しさえすればよかった。心理学書を読むような感覚を与えてくれるクライアントも確かにいるにはいる。が,クライアントに心理学書のようにはなってほしくない,というのが私のわがままである。わかりやすさを,私は浅薄だとは思わないし,大好きだが,自分の手間が省けてしまうところが面白くない。手間が省ければ省けるほど情報量は豊かになるが,身についたものにはならない。そう思う。

自分を楽にすること,それはどんなことだっていいことだ —— 症状の有意味性

心理学に気持ちが移っていった。楽を否定しつつ,私自身,楽についたのである。

苦労するのもいいことだが,楽をするのもいいことだ。なにより,自分を楽にする術を知っているということは,もっといいことだ。それさえ知っていればどんな苦労にも耐えられる。私はそう思う。私がクライアントによく思い,ときに言ったりすることの一つ,「(苦しい)症状だって,どこか少しあなたを楽にしているはずだ。自分を楽にすること,それはどんなことだっていいことだ。症状を完全な悪者視しないように。首を絞めることになっちゃうよ」,は,この辺から出てきているのかもしれない。

「カウンセリング」のうさんくささ —— まがいもの

もう一つ心理学への私のルートはあった。教養学部時代,哲学史を教わっていた坂部恵さんが,「大学新聞」で,確か,哲学への一つのルートではなく,哲学入門への一つのルートとして,ミンコフスキー,ビンスワンガー,ボス,出たばかりの木村敏の『分裂病の現象学』(弘文堂,1975年)などの現象学的精神病理学をまとめて紹介していたことである。(私の哲学の選択はハイデガーだったが,それはこのことに影響されていたかもしれない。私はあるきっかけからみずからハイデガーを選び,そこから現象学的精神病理学,そして臨床心理学に移ってきたと決めていたが,こうして書いている最中にこのことに思い当たった。)また,ひょんな機会から,精神療法は医者の専売と思っていたのが,そうでもないらしいことを知った。カウンセリングということばも初めて聞いた。余計なことだが,ちょっとうさんくさい,まがいものじみた感じがしていた。

「 〜 する『力』ある『存在』」として自分を感じること —— 「 〜 する」こと

最後に,大学卒業をひかえて,いまの自分では社会に出てもやっていけないことははっきりしてきていた。もう少し自分には時間が必要なことがはっきりしていた。私は時間をかせぐと同時に,もう一度最初から勉強をし直したいと感じ,そうする決心をした。この決断は,私が初めてした決断と言ってよい。内面的にさまざまの決心と言うべき決心をしたことがなかったわけではもちろんないが,自分の決心が本当の決断として実感されたのはこのときが初めてだった。決断の内容は問題ではない,決断しうる力のある存在として自分を感じられるかどうか,それが問題だと思った。

この決断しえた実感の意味は,私の中で,いまでも生きている。そう言ってよければ,私のカウンセリングや心理療法の治癒像の大事な一部を成している。つまり,決断の内容も,実際決断するか否かも問わず,決断できる存在として自分を感じられるか否か,それが問題だ。

「答えは問いの辺にあり」—— ふつうの人のふつうの悩み

私はカウンセリングや心理療法をかじってみたいと思っていた。そして,現実的には,法務省ないし家庭裁判所で仕事をしたいと思っていた。(他に,心理学を学び,カウンセリングや心理療法に関心があったにしても,それを活かせる場所を思いつかなかったからにすぎない。が,次に述べる教育心理学科4年のときに受験したものの,二次試験に遅刻して反故にしている。一時方向感覚を喪失したし,なにかアンコンシャスなものが働いていたに違いないが,それでよかったのかどうか,いまもわからない。)

当時土居健郎さんがいた医学部の保健学科に学士入学するか,その大学院に進学することや,教育心理学専攻の大学院に進学することも一つの選択肢にあったが,勉強が間に合わず,結局教育心理学科に学士入学することにした。(なぜ医学部を受験することを考えなかったか。いまの私だったら,きっとそうしていたと思う。もっともっと人間をいろいろな角度から学びたいからだ。当時は,正確には,考えなかったのではなくて,考えられなかったのだ。たぶん両親が,最初の受験のとき,それを私に望んでいたからだと思う。[医師になってほしいというより,鄙にあって地元国立大学の医学部進学は,学業成績に伴う自然だった。だから嫌だった。]ついでながら,私が最初に読んだ臨床心理学関係の本は,土居健郎さんの『精神療法と精神分析』[金子書房,1961年]だった。)教育心理学科時代,2年間をかけて私がしたことと言えば,あるきっかけを捉えて,カウンセリングを受けることだった。主訴は,対人緊張,人中で話せない。しかし,話してみたいことは最初から決まっていた。家族ないし家庭の居心地悪さ,特に父についてであった。カウンセリングを通じて,家族ないし家庭にせよ,父のことにせよ,それはもうそういうものとして,そのことにこだわらずに,少しはやれるようになったように思う。それ以上に私が決定的に気づいたのは,私の父親問題に果たした,おそらく母の問題であり,そして,家族全体が一つの病理的構造を成してることに,いまさらながらのようにはっきりと,気づいた。

これはある種,晴れがましい感じ,心地よさを伴った。問題は問題としてはっきり捉えられたとき,ほとんど解決されたも同然である。そんな感じを持った。これも私の臨床感覚の重要な一部を成すものになっている。問題を解決することではなく,問題をはっきりと捉えられるようになること。そこまでくれば,その問題をどうするかは本人の決断次第。解決するもよし。どう解決してもよし。解決しないことにしてもよし,である。また,どうしたって解決できないこともある。答えは問いの辺にあり,とは,哲学する根本的姿勢の一つだが,これを,私は,正しいと実感している。正しく立てられた問いは,その内に,すでに,解を含んでいる。カウンセリングや心理療法は,その正しい問いを立てるまでの営みである。そう感じている。さて,正しい問い=解を得たのちどうするか。普通の人の普通の悩みが待っているだけである。

本格的なカウンセリングや心理療法 —— 常識人の資格

同じく,対人緊張,人中で話せない自分は,いまも大して変わりがないと思っているが,これにも,そうこだわらずに,少しはやれるようになったと思う。問題にこだわって動けない自分から,問題にこだわらずに動ける自分に,少しはなったと思う。問題があることが問題ではない。そのことで動けないことが問題だ,そう考えるようになった。

このこともまた,そう言ってよければ,私のカウンセリングや心理療法の治癒像の大事な一部を成している。あらためて言えば,問題解決にこだわっている限り,そのカウンセリングも心理療法もまだ本格的ではない。と言って,そういったカウンセリングや心理療法を否定するつもりは毛頭ない。私のいき方と違うというだけ(!?)のことであるし,問題解決の,対症療法的にせよ,具体的処方とおぼしきものを,なにも持てない,あるいは,持たない心理臨床家はなによりまず「常識人として」失格であろう。

「たった二面しかなくてよく生きてられるねぇ」—— なんて尊大で,嫌味な!

また,私の両極性に対してカウンセラーが提示したイメージがある。両極性は裾野の広さを示すものだ,というものである。当時私はこれに反対したし,いまもそのまま受け入れる気にはならない。が,気づいてみれば,この比喩を,私はよくクライアントに使う,ないしは,クライアントについて思い描いている。勝手なものである。(そう言えば,このことを高校1年のとき,担任との個別面談で,なにか気になることがあればなんでも言え,と言うので,話してみたことがある。困りはてた顔あらわな担任の答えは,とうてい私を満足させなかった。ほとんど,担任に失望した,と言うより,担任にも答えようのない自分をかかえていることに絶望したことを鮮やかに思い返す。) 

私はいま,この自分の二面性ないし何面性かを自分の治療的武器と考えている。チューニングの拠点をいくつか持っているということである。私はよく冗談に,「二面性がある」などという訴えを聞くと,「たった二面しかなくてよく生きてられるねぇ」と言い返してみることがある。自分のカウンセリングを通して,カウンセラーの提示したイメージに対抗するものとして,編み出したものらしい。転移の中での産物である。

承前・ 私の限界 —— やっぱり尊大なんだ!

実際,二面性に悩むなどは,私にとっては,問題が小さく感じられる。神経症圏のクライアントに私が失敗することがある原因は,この辺にあるのかもしれない。

私がまだまだうまくともに生きることができていないにもかかわらず,いわゆるボーダーラインパーソナリティ症圏のクライアントに限りない近しさを感じるのもまた,この辺にあるのかもしれない。まだまだうまくともに生きることができないのは,その何面性かを行動化を通じて意識化してゆくという道のりに対してせっかちだからだろうと思う。

 統合失調症圏のクライアントには限りない安心を覚える,と言っては経験不足と言われようか。それでも思うのは,統合失調症圏のクライアントは面どころか点ばかり,それでいてと言うべきか,だからこそと言うべきか,おそるべき素直なのだ。私の極限を,私はそこに見る。それはどこか懐かしい感じなのだ。

私がてこずるのはうつ病圏のクライアントだが,それと言うのも,クライアントの方が,私の多面性に対して遠慮して,一面的にサービスしてくれるからだ。そのサービスをどう受けたらいいのか,どうお断りしたらいいのか,まだよくわかっていない。

私は本物の「職人」になりたい —— なお自分の資質のみしか信じられない頑固さ

修士課程に進学した。臨床のトレーニングと実践が始まった。ここから以降が本稿に続く課題である。私が考える若干の心理臨床家像についてはすでに提示してしまったが,これに加えて,心理臨床家像についてではなく,心理臨床についてなにがしかを語れればと思う。(お里のせいで,どうも無理らしい。) 

ただ私なりの心理臨床家について,いまはっきり思っていることは,前提としてこのようなものを書き出したところから,私には, 心理臨床はその心理臨床家個人の自己実現(嫌なことばだ! 私が一番嫌いな業界用語の一つだ)としてのみ,本格的には可能であるということだ。自分の生きてある姿,その中に孕まれているもの,を自分の職のなににも代えがたい第一の資源とする。(おこがましくも,若い心理臨床家を見ていると,知的に冴えすぎてしまっていて,あるいは,そのことばかりを目指しすぎて,知的劣等ばかりに感じ入りすぎていて,あまりにも生かされていないその人たち自身の資源が多すぎる,と感じている。)当然勉強は誰にも負けないくらいする。だから,自分一人に閉じこもるわけではない(つもり?)。しかし,誰にも負けないくらいの勉強の上に立って,なお自分の資質のみしか信じられないくらいの頑固さは必要だろう。どんな職人にせよ,本物はいつもそうだと思う。(偽物もまた自分をそう思い成すが……。)そして,私は,本物の「職人」になりたいと思っている。

承前・町医者のアナロジー ——  ただ自分のためだけに生きているような,それでいて……

私は自分の心理臨床家像として,「無冠=無名の,勉強家の,貧乏で,頑固な」町医者を一つのアナロジーとして胸にいだいている。変わり者と言われ,世間では通用せず,しかし求める人とは人を選ばずともに生きる。と言って,信者をつくる宗教ほど偉くはならない(なれない)。そんな市井の,「ただ自分のためにだけ生きているような,それでいてそのことが誰かのためになることがたまさかあることをよろこびとできる」ような,そんな心理臨床家。単なるわがままかもしれない。道は遠い。ただこういうありようもあるのだということだけは,いまは頑固に,そして,ひそやかに主張し続けたいと思う。

羨むべきブリリアントな技法や理論を横目に —— 技法化,理論化の現象学の実践を求めて

単なる技術志向,理論志向は,いまの私には無縁である。それがいかに羨むべくブリリアントであっても,である。

また,私の獲得した,そしてするかもしれないであろうなにものも技法化=理論化したいとは思わない。技法化=理論化と言うなら,技法化=理論化する技法=理論を,まずは技法化=理論化してみたい。否,「技法化=理論化する技法=理論を,技法化=理論化する技法=理論」を技法化=理論化してみたい。否,(以下無限に続く)と思えるのみである。

なんだか当たり前のことを,ずいぶん力んで記してしまったような気がしてならない。しかし,正直に書いてみた,またもやつもりである。

結論 ——  私は,私の心理臨床の基盤を,自分の生きてあることの中に求めている。

以上

+ 記事

岡村達也(おかむら・たつや)
文教大学名誉教授。1985年,東京大学大学院教育学研究科教育心理学専攻第一種博士課程中退。専門は,臨床心理学・カウンセリング。
主な著書に『思春期の心理臨床』(共著,日本評論社,1995),『カウンセリングを学ぶ』(共著,東京大学出版会,1996,2版2007),『カウンセリングの条件』(日本評論社,2007),『カウンセリングのエチュード』(共著,遠見書房,2010),『臨床心理学中事典』(共編,遠見書房,2022)などがある。

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