キョウジュの心理学(9)臨床家,大学知を考える|富樫公一

富樫公一(甲南大学
シンリンラボ 第37号(2026年月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.37 (2026, Apr.)

なぜ,大学なのか。

臨床家は,つい考えてしまう。

大学教育を必要としない医療系資格もある。シンリガクを学んでいなくても,抜群の臨床センスを持った人はいくらでもいる。

制度としての大学教育と臨床実践はつながっているのだろうか。

特に,精神分析をやっていると,引っかかる。

精神分析は,もともとアカデミアの外で発展してきた。

フロイトは,「素人による精神分析」(1926)のなかで,非医師(lay analyst)による精神分析実践を認めた。精神分析にとって,医師資格は本質ではないということだ。

私は米国で精神分析の訓練を受けたが,その場所は大学とは無関係だった。訓練生のほとんどは,医師や心理士,ケースワーカーなどの基礎資格を持っていたが,何も持っていない人もいた。今や,大学や大学院の専攻に関係なく,みんな臨床家だ。

臨床実践家になるのに,シンリガクは必ずしも必要ではない。

私は大学でも大学院でも,精神分析を学ぶことはなかった。臨床心理学さえ,まともに学んだとは言えない。というか,大学にはほぼいなかった

大学にいるときでも,カネがなければ食堂で無駄話,臨時収入があれば芝生でバーベキューだった

嫌いな授業は途中で抜け出した。

今でこそ,英語で臨床をしたり,海外で講演をしたりしているが,英語は大の苦手だった。半期15回の英語の授業は,とにかく苦痛だった。頑張ろうと思うのは初回だけで,2回目にはもう嫌になった。3回目以降は,結局食堂で無駄話だ。おかげで,英語は何度も再履修になり,4年間ずっと一年生の英語の授業を受けていた。

臨床心理学や精神分析っぽい授業は,比較的出席したが,キョウジュの話をさえぎって,言いたいことだけ言って出て行った。

ひどい学生だ。

人一倍文献を読み,いろんなことを考えていたつもりだが,授業とは無関係のところでやっていた。

学会で昔のセンセイに会うと,罪悪感と恥でいっぱいになり顔をあげられない。

「いやー,富樫君じゃないか。立派になったね。大学時代から切れ味がよかったよね。君が言っていたことは全部覚えているよ」

拷問に近い。

どんな失礼な言動をしたのだろうと記憶を探るが,何一つ覚えていない。

大学院はもっとひどい。授業の記憶はゼロだ。授業内容も,学んだことも,まったく覚えていない。その期間は,ほとんど精神科で働いていた。実践に出たくて,進学と同時に職に就いた。

臨床心理士指定校がなかった時代だ。カリキュラムはそれっぽかったと思うが,今のように体系化されたシンリガクではなかった。実習の場所さえなかった。

あれから指定校ができた。リンショウシンリシになりたい人は,学部は何であれ,大学院で定められたカリキュラムを修めなければならなくなった。

その後,コウニンシンリシができた。なりたい人は,学部から大学院まで誰かが決めたカリキュラムをこなさなければならなくなった。人生の深みを知った40歳に目指したくなっても,18歳と一緒に大学で学ばないといけない。


脚 注

1. そっちの方が給料は高かったりする。

2. 怒られた。

3. あるいは,無駄にキャンパス内をぐるぐる回っていた。ちょっとおかしかった。

4. 「餓死くん」と呼ぶとかわいい感じがしますね,と前回のあと学生に言われた。


制度としてのシンリガク

コウニンシンリシになる人が大学で学ぶことになっているのは,法律で定められたからだ。

「心理学に関する専門的知識及び技術をもって……」(公認心理師法第二条)のあの一文だ。専門的知識と技術を学ぶ場所は,大学と大学院だということになった。

法律ができると,すぐに,体系化されたシンリガクが上から降ってきた。学部は25科目,大学院は10科目で構成される。

なるほど,これがシンリガクだったのか。

シンリガクを知らなかった私は,初めてその姿に触れた。これを身につけた専門家がコウニンシンリシだ。

それまで,業界の主な資格は,リンショウシンリシだった。文部科学行政と連携しているが,民間資格だ。そこに,厚生労働省と文部科学省の共管の国家資格ができた。

数十年の伝統を持つリンショウシンリシがあったのに,なぜ,それが国家資格にならず,コウニンシンリシができたのか。

考えてみれば,不思議なことだ。

リンショウシンリシとコウニンシンリシは,違うのか。

別だということは,思想や理念が違うのか。

違うのなら,両方持っている人はそれをどうやって両立させているのか。

同じならば,なぜ二つあるのか。

問いはいくらでも出てくる。

しかし,これは,公の場所であまり語ってはいけない。身の安全のためだ

公式の歴史は,遠見書房の『公認心理師の職責』に書いてある。穏やかに過ごしたい人は,それを読むだけにしておくのがよい。

実際の歴史は,穏やかには語られない。

〇〇〇系と〇〇〇系は,周辺の細かな団体との合体と分裂の中で,政治家を巻き込んで,戦いを始めた。怪文書が飛び交い,こっちの陣営についてくれないかと,夜中に謎の電話がかかってきた。利権の

【編集部からお詫び:ここから254文字を強制削除しました】

してやる!」と,会議の席で叫ぶ人もいるありさまだった。

きれいごとでは済まされない経緯があったようだ。

しかし,その中核は,シンリガクとは何か,リンショウシンリガクとは何かの理念の違いだ。

センセイたちは,みんな真面目だ。社会適応が危ぶまれるほど個性的な人たちだらけに見えても,それぞれの信念と正義がある。自分の描く正しいシンリガクを大学制度に組み込もうと,真剣に議論してきた。

それを民主的にすり合わせたところに,現代のコウニンシンリシ用シンリガクが出来上がった。最初の提案の原型をとどめていないものもあるが,これこそが現代の心理学者たちの知の集合体として体系化されたシンリガクだ。

制度はシンリガクという実体を形にしたものではない。

それは,シンリガクを実体があるものにするためのものだ。


脚 注

5. あまりにも影が薄いので,ときどき存在を忘れる。

6. 人のことは言えない。


制度の中の教育

制度は,私たちに呼びかける。

「授業を抜け出して,バーベキューをやれ」という呼びかけではない。

「ワレワレはシンリガクだ。お前は誰だ」という呼びかけだ。

ある者は,自分はシンリガクの教育者だと名乗りを上げ,ある者は,自分はそれを身に着けたいと願う学習者だと応える。社会や心の問題は,そこに生まれたシンリガクに回収される(Cushman, 1996, 2002; 富樫,2025)。

コウニンシンリシは,その制度の中でのみ成立する。

コウニンシンリシは「心の専門家」と称されるが,この制度で学ぶのは心ではない。シンリガクだ。

それは臨床家なのだろうか。

制度は,共有可能なイデオロギーを中核に据える。コウニンシンリシでいえば,それは再現可能なもの,評価可能なもの,測定可能なものとして具体化されたシンリガクだ。

誰が実践しても,誰が教えても,同じ結果になるものがあるとされている。

しかし,臨床は必ずしもそうではない。

目の前の一人にしか起こらないこと,その場でしか成立しない応答,二度と同じ形では現れないものを扱う。

大学は,知を普遍化し共有可能なものにする装置として語られることがある。しかし,これは歴史的に形成された制度的産物だ。

もともと大学は,移動や対話の自由に支えられた教師と学生による団体であり,知を伝達するメディアだった(吉見,2011)。個別に生まれた知を他者と分かち合うための関係の場だ。

個別に生まれた知が一般化され,再現可能な知へと編成されるとき,その過程で何が残り,何がこぼれ落ちるのだろうか。

シンリガクが,再現可能で,一般化可能で,測定可能な知の体系ならば,目の前の一人にしか起こらない出来事を扱う臨床は,そこに収まりきるのだろうか。

私たちが出会う患者やクライエントは,制度の中で学ぶシンリガクでは語れない心を持っているかもしれない。

コウニンシンリシ全員が臨床家なわけではない。しかし,ほとんどの人が臨床実践をするために資格を取る。

臨床実践に出ていく者たちに,この制度は何を伝えようとしているのだろうか。

コウニンシンリシ制度が体系化したものは,シンリガクであって,臨床そのものではないのかもしれない。

それは,臨床を語るための言語や形式なのかもしれない。

そう考えると,この問いを手放さずにいられる人を育て,世に送り出すことに,制度の意義があるのかもしれない。

しかし,その問いは,制度の中では決して答えられない。


脚 注

7. 臨床家でないコウニンシンリシは大学にたくさんいる。


理事長室に呼び出された

今にも降り出しそうな雨雲に覆われたまつたけ山の山頂では,いつになく多くのカラスが甲高い声をあげていた。

赤煉瓦を模した管理棟の正面玄関をくぐると,薄暗いホールの真ん中では,スポットライトに照らされた理事長の胸像が睨んでいた。

エレベーターが最上階に到着するのに,随分時間がかかった。扉が開くと,厚い赤絨毯がまっすぐに奥の扉まで伸びていた。

左手にポツンと置かれた秘書カウンターには,無表情の女性が座っている。

「お待ちしておりました」女性は座ったまま頭を下げた。「奥の扉です」

先週,メールをしてきたのはこの人だろうか。

差し出された手の先を見ると,赤絨毯のずっと奥に,高級そうな木で重々しく組まれた観音開きの扉があった。

ゆっくりと歩きだすと,窓のない廊下の両側にはやけに大きな油絵が並んでいた。

「お見えになりました」

背中からさっきの女性の声が聞こえた。部屋の主に来訪を告げたのかもしれない。

靴底から伝わる赤絨毯の厚みが足音を吸い込んだ。

天井から音が聞こえる。

見上げると,すりガラスの天窓の向こうに,暗い光がぼんやりと滲んでいる。

雨が屋根を叩いていた。

降り始めたようだ。

赤絨毯の先の扉は重く閉じられている。

振り返って秘書を目で探したが,赤絨毯の向こうのカウンターはひどく遠かった。下を向いているのか,女性の顔は見えなかった。

ドアノブは冷たかった。何度か手を懸けなおしたのち,力を込めた。

「失礼します」

部屋の奥から談笑する男性たちの声が聞こえた。

扉を入ってすぐの壁際の飾り棚には,大きな青い壺が二つ並んでいる。反対側の壁には,飛び立つカラスの水彩画がかかっていた。

「どうも」ガッカチョーが顔を出した。

「あ,センセイもいらしていたんですか」

教員宿舎の前で手を合わせる姿を思い出した。あれは,本当にガッカチョーだったのだろうか。

いつもと様子は変わらない。

「理事長センセイにご紹介します」

奥に足を数歩進めると,黒皮張りのソファの中央に深々と身をゆだねる体の大きな男性と,左に身をかがめるようにして座る小柄な男性の姿があった。中央の男性の後ろには,手を前で組んでまっすぐにたたずむ若いスーツ姿の男性が立っていた。背後の壁には,「知性」と墨で書かれた額がかかっていた。

小柄な男性は学長だ。着任時のセレモニーで,辞令を手渡された。あのときも,おどおどとした様子だった。

それにしても,男ばっかりだな。

いつも余計なことが気になる。

「君が例の助教か」

中央の大柄が,書類をポンとテーブルに投げ出した。標準語に整えようとしているみたいだが,関西の抑揚が漏れていた。

間違いを指摘され,何度も再提出させられた入職時の履歴書だった。

男は座ったまま,私をじっと見ている。

誰も,何も言わなかった。

「失礼ですが,突然呼びつけられ,例の,と言われるのは心地よくありません」

男は表情一つ変えない。

隣のガクチョーは身をすくめた。

横に立つガッカチョーの顔は見えないが,動じる気配はない。

「率直やな。血の気が多いのは悪くない」男はガッカチョーに目を向けた「センセイが推すだけのことはある」

「ごらんの通りです」

男は立ち上がって,はち切れんばかりのスーツの前のボタンをかろうじて留めた。

「失礼した。私が理事長です。ガッカチョーから,以前より話は聞いてます。少し言い方が雑になってしまったな。そこは勘弁してください。三日月の件では,こちらのために動いてくれたと聞いている。その点については,礼を言わせてもらう」

理事長は深々と頭を下げた。スーツのボタンが一つ飛んだ。

本人は気がついていないようだ。

さすがに,頭を下げた。

「こちらこそ,失礼な物言いをしました。お詫びいたします。しかし,あの件では,私は何もしていません。お礼の言葉をいただけるようなものではありません」

業者が勝手にばらまいただけだ。

「まあ,座ってください」理事長は腰を下ろした。「誰がやったかは問題ではない。ああいう案件には困ってたんや。学科会議に出てきた書類には,横領を裏付けるものが一通り揃っていた。業者に架空の請求や領収書を発行させて,法人から資金を動かしてたようだ。君を陥れようとしたのも,それを見られたからだろうな」

「私は,自分の無実が証明できればそれで充分です」

「彼には,法人内の別の大学に移ってもらう」理事長は,目をじっと見てきた。「向こうは,こちらの意向を無下にはできへん。一昔前やったら,人事権は学部教授会にあったが,文科省がええ具合に整理してくれた。今は,教授会は単なる諮問機関になった。私がそこに入れろと言ったら,入れられる」

「処分はないということでしょうか」

「ない」答えは速かった。ガクチョーもガッカチョーも何も言わない。「法人内で処理する。被害者は法人だ。法人が被害を認めなければ,何もなかったのと同じことになる。法人の代表は私や。私が何も言わなければ,何もない」

「しかし……」

「しかし,なんや?」

学科会議の翌日,事務室から漏れ聞こえてきた声が浮かんだ。

「あんな執行を法人が認めていたこと自体,不自然ですよ。消しゴム一つだって,立て替え払い禁止なんですよ」

胸のあたりがざわついた。

協力する業者がいたこと自体不自然だ。三日月のところは,大きな研究を抱える理系の研究室ではない。文系の教員が動かせる予算はたかが知れている。相手にメリットがあるとは思えない。

黙っていられなかった。

「大学での問題は,文部科学省に報告義務があります。報告したうえで,第三者を立て,きちんと調査すべきではないでしょうか」

「医学部誘致を控えている。文科省はともかく,厚労省の顔はつぶせない。誰にも邪魔はさせない。法人の収支報告書に何の問題もない」

「医学部?」

どん,と理事長室が揺れた。

「工事のくい打ちや」理事長は,まっすぐこちらを見たままだ。「少し遅れてる。認可が下りたら,すぐにでも,上物を建てられる状態にしてもらわな困る」

「私は,何のために呼ばれたのでしょうか」

「君には,こちら側に立ってもらう。三日月の代わりに協力してもらう」

「協力,というのは何をせよということでしょうか」

理事長は少しだけ笑った。笑ったように見えただけかもしれない。

「難しいことやない。君は頭がええから,すぐ分かるやろ」

答えにはなっていない。

「医学部は,そう簡単に認可が下りるもんやない」理事長はゆっくりと言った。「厚労省はうるさい。文科省とは比べものにならへん」

ガクチョーが小さくうなずいた。ガッカチョーは黙ったままだ。

「だが,こちらも準備は進めている」理事長は続けた。「もう止める段階ではない」

また,どん,と低い音が響いた。床の奥から,地面を打つ振動が伝わってくる。

「工事は始まっている」

「認可が下りる前に,ですか」

「計画は,動かしながら整えていくもんや」

「整える,というのは」

「必要な条件を,順に満たしていく」

その言い方が,妙に引っかかった。

「資金も含めて,ですか」

一瞬だけ,部屋の空気が止まった。

ガッカチョーが,わずかに視線を落とした。

「君は察しがいい」理事長は言った。「そういう人間は嫌いやない。三日月も,よく働いてくれた。ただ,ちょっとばかり線引きを誤っただけや。法人のためなんか,自分のためなんか。そのあたりが曖昧になった」

静かな声だった。

「それだけのことや」

それだけ?

「君には,そういう心配はしていない」

理事長は,ゆっくりとこちらを見た。

「ガッカチョーから聞いている。君は真面目や。理念がある。そういう人間は,使い道がある」

横のガッカチョーの気配が,少しだけ近づいた。

「医学部ができれば,この大学も変わります」ガッカチョーが声を出した。「シンリガクも,本格的に医療の中に入っていける。臨床のあり方そのものが変わります」

その目は,まっすぐ前を見ていた。

理事長ではなく,その先を見ているようだった。

「そのためには,多少の調整は必要です」

「調整ですか」

「君には,附属病院のポストが用意されています。理想とする心理臨床をはじめから組み込んだ形を作れます」

心がざわめいた。

「制度はな,正しいことをするためにあるんやない。正しかったことにするためにある」

理事長が話を戻した。

「君も,いずれ分かる。難しくはない。書類の流れを少し整えるだけや」

誰も何も言わない。

「すでに,いくつかは動いてる」理事長の声が,少しだけ低くなった。「君の名前でな」

「……どういうことでしょうか」

「三日月の後任として,いくつかの案件は引き継がれている」

理事長は,テーブルの書類を指で軽く叩いた。

「形式上は,すでに君が関与していることになっている」

背中に冷たいものが走った。

ガッカチョーは何も言わない。

ガクチョーも,視線を落としたままだ。

「もちろん,問題はない」理事長は続けた。「書類は,すべて適正に処理されている。もう少し整えれば,それで済む話や。大学は書類で決まる。その点は,もう分かってるやろ?」

壁にかかっている額が目に入った。

「知性」

墨の文字が,わずかに揺れて見えた。

文  献
  • Cushman, P.(1996)Constructing the Self, Constructing America: A Cultural History of Psychotherapy. Addison-Wesley/Addison Wesley Longman.
  • Cushman, P.(2002)How psychology erodes personhood. Journal of Theoretical and Philosophical Psychology, 22 (2); 103.
  • Freud, S.(1926)The question of lay analysis. In Strachey, J. (Ed. & Trans.), The standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud.(Vol.20, pp.179–250.)Hogarth Press.
  • 吉見俊哉(2011)大学とは何か.岩波書店.
  • 富樫公一(2025)分断の中の治療者―事者性と倫理的転回.岩崎学術出版社.
+ 記事

富樫公一(とがし‧こういち)
資格:公認心理師‧臨床心理士‧NY州精神分析家ライセンス‧NAAP認定精神分析家
所属:甲南大学‧TRISP自己心理学研究所(NY)‧栄橋心理相談室
著書:『精神分析が生まれるところ─間主観性理論が導く出会いの原点』『当事者としての治療者─差別と支配への恐れと欲望』『社会の中の治療者─対人援助の専門性は誰のためにあるのか』『分断の中の治療者―当事者性と倫理的転回』(以上,岩崎学術出版社),『Kohut's Twinship Across Cultures: The Psychology of Being Human』『The Psychoanalytic Zero』(以上,Routledge)など

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