こうしてシンリシになった(36)|若島孔文

若島孔文(東北大学)
シンリンラボ 第36号(2026年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.36 (2026, Mar.)

「こうしてシンリシになった」ということを語るほどのこともなければ,読者の参考になるようなこともありそうもなく,面白いこともなく,申し訳ない思いで,これを書かせていただきます。

大学3年の頃,社会心理学の研究室に所属し,臨床心理学,カウンセリングなどは少し怪しさを感じていました。社会心理学の研究室では,態度と説得,同調行動などに関心があり,最終的に卒論は少数者影響をテーマに実験して書きました。でも好奇心はあり,臨床心理学の研究会に所属し,発表し,討論しとかなり熱く,あるときには激しいほどの議論が行われるそういう研究会でした。私は体育会の極真空手の部長でもあったので,通常の生活は,朝にランニング,家を出てジムへ。午後から大学で授業を受け,その後,大学の道場あるいは極真会館城南・川崎支部で稽古,そしてたまに行われる臨床心理学の研究会に参加するという生活です。

研究会では,それぞれの関心が分化したり,共通点や統合されていく部分があったりと興味深いもので,分化していく中では,精神分析推しの学生がいたり,ユング推しの学生がいたり,アルバート・エリス推しの学生がいたりと様々に関心が分かれながら「ああだ,こうだ」と討論する。精神分析関連が最初多かったので,私はユング関連の本などを読んではレジュメを作成して発表するところからはじまりました。そして,行動療法が一番しっくりして発表するようになりました。このしっくりというのは「見立てと介入のバランスの良さ」と現時点の私が言葉にすると,そのようなことになります。当時はこの研究会での討論に負けないように,聞いたことや見たことがないような心理学の本を,年に数回,八重洲の本屋に行き,ごっそりと買って読むというのが習慣でした。大学4年の夏ごろに八重洲に行ったときには,「ファントム理論」「トランスパーソナル」「パラドックス」など,タイトルや表紙にそのような説明が書いてある本を中身も見ないでとにかくごっそりと買いました。その中に「ブリーフセラピー」の本があり,スティーヴ・ド・シェイザーの論文紹介に感銘を受けました。とにかくこの感動を伝えたいと,研究会の夏合宿で「ブリーフセラピー」を発表しました。もう一つ発表したのが「社会心理学的心理療法」でした。その合宿では,同期が「逆説と対抗逆説」を発表していました。なんか似ている部分があるけれど,知識がないので,これらの関連などは分からずにお互いに討論していました。

心理学の研究が面白かったので,大学院に進むことにしました。大学4年は就職活動,大学院入試の勉強,空手の全国大会のための稽古と,精神的に多忙でした。内定を2つとり,空手の全国大会も終わって,大学院入試の勉強だけ残る形でした。大学院は,社会心理学の研究をするために進みます。それと同時に,スティーヴ・ド・シェイザーの論文紹介に感銘を受けた私は,ITC家族心理研究センターの代表である長谷川啓三先生のもとでブリーフセラピー・家族療法を学びたいと,長谷川啓三先生に手紙を書きました。当然,『家族内パラドックス』も読んだうえで。例外=すでに解決している,(時間は限定されているので)例外が拡張されれば,問題は必然的に縮小する。パレスチナの戦争も,この考え方で解決できる,と私は考えて,手紙を書きました。が,送り先の住所がわかりません。長谷川啓三先生は当時,女子大で勤務されておりました(本に所属が書いてあった)。そこで104に電話して,女子大の電話番号を入手して,女子大に電話をして住所を訊こうとしたら「長谷川先生の研究室につなぎます。少しお待ちください。」と,長谷川啓三先生に直接電話がつながる。「あの……手紙を送りたいので……住所を教えてください。」「いや,手紙持って,研究室に来たらどう?」となり,女子大の長谷川先生の研究室へ。そして,ITC家族心理研究センターでブリーフセラピー・家族療法の訓練を受けることが決まりました。

ITC家族心理研究センターでは,面接室,観察室があり,観察室に治療チームがいて,面接の進行を治療チームはモニターで観察し,面接の中盤,面接終了直前の2回,面接室からセラピストとサブセラピストが観察室に戻り,話し合いを進めていくというスタイルでした。最初は治療チームの一員として参加し,はじめて面接室にサブセラピストとして入った事例を思い出します。面接に入る前はセラピストもサブセラピストも観察室の治療チームとともにいるのですが,モニターから「バチン」と音が聞こえました。IPが母親の頬を叩いたのです。そして,その面接室にセラピストとともに入っていくという印象的な事例となりました。

私が一人でセラピストとして,担当したのは,7年間,脱毛に悩む青年でした。この事例は論文にもなっているので(若島孔文 1998 物語を拘束する —神経性脱毛症への短期療法アプローチ— 家族心理学研究,12, 15-26.),ぜひ読んでいただきたいのですが,月1回の面接で半年ほどで治りました。ほとんど髪の毛がない状態であったのに。コミュニケーションの威力を感じました。言葉は療法ともなるが,その逆の影響力もあることを考えると,恐ろしいことです。それを学びました。

大学院では,修士1年で少数者影響の研究の続きを行い,修士2年ではそこからコミュニケーション研究(相互作用的ジェスチャー)に方向転換し,修士論文を書きました。大学院博士課程に進むことにしました。今度は社会心理学ではなく,臨床心理学の研究室です。先の登場した長谷川啓三先生の研究室です。長谷川先生は女子大から東北大学に移動されていました。

博士課程のときは,国立病院と児童相談所で心理職として,臨床を行いました。そして,周りの先生方からたくさんのことを教えていただきました。国立病院では,朝から18時,19時まで,お昼の休憩時間が取れない日もあるほど,ひたすら面接をしていました。一つ一つの面接は真剣勝負でした(「勝負」というと怒られるかもしれませんが,私にとっては必要な表現です)。児童相談所は,非行と不登校を主に担当しました。面接室の外での動きを学びました。

上記のような嘱託や非常勤の仕事を終えて,大学に向かいます。そこから23時くらいまで論文を読んだり,書いたりなど研究のことを進めていきます。また,金曜日夜には,家族療法の外来面接が行われていました。

ここまで振り返りましたが,私はどこで臨床心理士になったのか,思い出せません。資格者のカードを調べてみると,2000年4月臨床心理士取得,と書いてあります。28歳のときということになります。当然,当時は指定大学院のような制度でもなかったし,あまりにも記憶がありません。目の前の臨床や研究をやり続けることで頭がいっぱいであったのでしょう。当時,東北大学では,日本心理臨床学会,日本カウンセリング学会など大きな学会を毎年のように開催していた時期でもありました。

一方で,公認心理師の試験のことは数年前でもあるし,資格を取らなければならない,という思いがあったので,よく覚えています。東北大学のOG・OB,博士課程の大学院生,皆,第1回を受験するので,また,現任者講習会東北会場の講師でもあったので,「受かるか,死ぬか」の思いで勉強していましたから。

2000年3月に博士学位取得後,ふくしま自治研修センターで働きながら,横浜市スクールカウンセラー,MCRというひきこもり回復支援のNPOの立ち上げ,神奈川県犯罪被害者支援センターの立ち上げなどに伴い,ひきこもり,被害者の臨床へと進んでいきます。スクールカウンセラーは子どもたちの成長をあらゆる場面で見られて,とても良い経験でした。MCRというひきこもり回復支援のNPOは,病院や児童相談所では組織のルールにより手が出ないケースがあることに問題意識を持ち,設立しました。2002年に立正大学心理学部の専任講師になり,数年,精神科クリニックで心理療法を担当することもありました。

2008年4月に東北大学大学院教育学研究科の准教授として戻り,長谷川啓三教授のもとで家族療法のライヴ・スーパーヴィジョンを復活させ,家族再統合プロジェクトを県の児童相談所に協力し行い始めました(若島孔文・長谷川啓三・狐塚貴博 2011 東北大学臨床心理相談室における家族再統合プロジェクトについて 東北大学大学院教育学研究科臨床心理相談室紀要, 9, 17-20.)。

2010年秋に東北大学で日本心理臨床学会を開催し,2011年3月に東日本大震災が生じました。個人や組織の自己組織能力を如何に引き出していくかということに改めて着目した手法が大切と感じられた経験となりました。人のこころの回復には,様々なことが役立っていることも,改めて理解することができました。書き始めると膨大になるので省略し,本を紹介します。関心がある方はご一読いただけたら幸いです(長谷川啓三・若島孔文(編)2013 震災心理社会支援ガイドブック —東日本大震災における現地基幹大学を中心にした実践から学ぶ— 金子書房)。

大震災による死者のことを考えているうちに,それ以上の人々が毎年亡くなっている自死の問題が気になり始めていました。そんなとき,仙台市弁護士会自殺対策ワーキンググループとの勉強会がはじまり,その対策について計画・実施をしていくことがはじまりました(森川夏乃・若島孔文・板倉憲政・三道なぎさ・小林 智 2015 自死予防対策として始まる弁護士との連携について 東北大学大学院教育学研究科臨床心理相談室紀要,13, 49-53.)。

ここまで来ても,まだシンリシになっていません。私はシンリシになっていないのではないかと悲しくなります。さて,そんなことをしているうちに,数年前から左耳がよく聴こえなくなり,シンリシとして致命的な感じになっております。そこで,数年前から私がはじめているのが,全く新しいタイプの集団療法の計画と,運動療法です(若島孔文・鴨志田冴子 2025 ひきこもり青年に対し運動療法を手段とした目的本位な関わりを行った事例 日本森田療法学会雑誌, 36, 1-9.)。これからはこの2つをより発展し,臨床心理学に貢献できればと考えています。

以上,シンリシになれたのでしょうか。いつかなれるのでしょうか。わかりません。

参考:動画:若島先生を大解剖!ちーちゃんと若島孔文先生のコラボ対談 Wakaken Ch【東北大若島心理学研究室】

訂正情報:動画URLを修正 2026.3.17

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若島孔文(わかしま・こうぶん)
東北大学大学院教育学研究科教授
ご資格:家族心理士,ブリーフセラピスト(シニア),臨床心理士,公認心理師。
主な著書:『短期療法実戦のためのヒント47—心理療法のプラグマティズム』(単著,遠見書房,2019),『心理療法・カウンセリングにおけるスリー・ステップス・モデル─「自然回復」を中心にした対人援助の方法』(共編著,遠見書房,2024),『臨床心理学概論』(共著,サイエンス社,2023),『テキスト家族心理学』(共編著,金剛出版,2021)ほか
趣味:犬の散歩

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