こうしてシンリシになった(31)|佐藤宏平

佐藤宏平(山形大学)
シンリンラボ 第31号(2025年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.31 (2025, Oct.)

「自分はどのような経緯でシンリシになったのか?」

思い返すと,「シンリシを目指そう!」の前に,「大学で心理学を学ぼう!」という思いが先にあったと思います。文系だった私の学部選択において,法学や政治学,経済学は全くイメージが湧かず,歴史,文学,哲学を専攻しようと思えるほどに高校の国語や社会に興味も持てず(成績も振るわず),こうした学問をわざわざ好き好んで大学で学ぼうとは思えませんでした。ただ高校3年生の夏に部活が終わるまで,進路希望アンケート欄は「経済学部」でした。これは高校の先生から,文系で学部が決まっていない人は「経済学部」と記入するよう指導されていたためです。

当時,私は経済学部で心理学が学べるものと信じて疑っていませんでした。キャリア教育が浸透し,各大学でのオープンキャンパスが開催され,インターネットで大学の情報に手軽にアクセスできる現代の高校生には考えられないことかもしれませんが,インターネットもない時代の田舎の高校生であった私は,素朴にそんな勘違いをしていたわけですから恐ろしい話です。また経済学部卒の父親が心理学の講義を受講したと話をしていたためそんな勘違いをしたのだと思います(当然の如く,大学1,2年次の教養教育科目の話だったのですが,当時の私は大学のカリキュラムの構造を全く理解していませんでした)。

こう書きながら,高校で心理学を垣間見た個人的なエピソードを1つ思い出しました。教育実習に来られた実習生の先生が,卒論データの収集で生徒全員にバウムテストを実施したのです。バウムテストといっても1対1で実施する本格的なものではなく,クラス全員に一斉に実施した「集団式(?)」のバウムテストでした。私がどんな絵を書いたか細かくは覚えていませんが,木の絵で人の性格がわかることに大きな衝撃を受けました。

また高3の受験期だったと思いますが,勉強の息抜き(逃避?)で,心理学関係の新書をよく読んでいました。啓蒙書として書かれた心理学関連の新書は,実験や調査の結果に基づき論が展開されており,哲学などの抽象的な内容のものに比べればとっつきやすく,高校生の私にも理解できるものでしたので,大学で心理学を学びたいとの思いを強めていきました。とはいえ,この時点で,シンリシを目指そうと固く決めていたわけではなく,進路については漠然と民間企業のサラリーマン,中学校・高校の教員(教科指導というよりも自分が部活動で取り組んできた競技の部活指導がしたかった……),病院のシンリシ,短大・大学の心理学の教員などを考えていたと思います。私が高校生の頃は,公認心理師はもちろん存在しておらず,ちょうど臨床心理士資格が出来たばかりのころでした。

そしてさすがに高3ともなると,経済学部では心理学を学べず,文学部か教育学部行く必要があると理解するくらいまでにはキャリア発達しておりました(遅すぎますが……)。文学部で学べる知覚心理学や生理心理学といった基礎的な心理学よりは,臨床心理学,教育心理学,発達心理学に興味があったことや,漠然と考えていた進路の一つに教員があったことから,教育学部を志望し,進学することとなりました。

大学入学後,1年次は教養科目ばかりでしたが,教育心理学専攻に進んだ2年次からは,教授学習心理学や発達心理学の概論や演習があり,3年次からは佐治守夫先生や氏原寛先生が書かれたテキストを使った臨床心理学の講義もあり,興味深く受講することができました。また,3年次後期からのゼミは,その後現在も大変お世話になっている長谷川啓三先生のゼミに配属となりました。

この頃,進路については,家庭裁判所の調査官を一時考えてみたり,やはり民間企業かと思ってみたりしておりましたが,もともと大学院進学を考えていたことに加え,研究会合宿や読書会などを通じて大学院生の先輩方との出会いもあり,さらに大学院に進学することで臨床心理士の受験資格が得られることを知り,大学院進学を考えるようになりました。また大学院生がカチャカチャとパソコンのキーボードを叩き,統計処理をしたり論文を書いたりしている姿が当時の私にはとても格好よく見えました(当時一般にはパソコンは普及しておらず,会社員や公務員,学校の先生方の多くはパソコンを使えませんでした)。

また,4年次,大学院の先輩からお声がけいただき,精神科クリニックでデイケアの手伝いのアルバイトをさせていただくこととなり,さらにその精神科の先生からの紹介で,不登校児童生徒の家庭教師を何件かさせていただくことなりました。この家庭教師は,訪問時,その子がやりたいことにつきあう家庭教師(いわゆる治療的家庭教師)であり,子どもによっては2時間ずっと格闘ゲームをすることもありました。これらの体験が,私にとって,クライエントと最初の出会いでした。

その後,大学院に進学しましたが,私が入学した大学院は臨床心理士指定大学院ではない教育心理学専攻の大学院でしたので,学内実習施設の心理相談室はもちろんのこと,実習科目も皆無で,もっぱら講義や演習が中心でした。また家族療法に影響を与えたさまざまな認識論や思想に関する研究会やロールシャッハテスト研究会など,カリキュラム以外の学びの機会もありました。

大学院の2年次からは,長谷川先生からの紹介で,学部からアルバイトをしていたクリニックとは別の精神科クリニックで週に一日,心理士のアルバイトをさせていただくこととなりました。主な業務はロールシャッハテストやバウムテスト,知能検査といった各種心理アセスメント業務と心理面談業務でしたが,幸いにもそのクリニックの経験豊富な心理士の先生方に懇切丁寧に教えていただくことができました。

その先生のうちお一人の先生は,新潟大学名誉教授で当時仙台白百合女子大の教授をされていた石郷岡泰先生でした。石郷岡先生はお酒好きな先生で,飲み会にもしばしば誘っていただき,宴席の場でも心理臨床について多くを学ばせていただきました。臨床心理士の養成大学院が今ほど多くなかった時代(私が在学していた大学は,私が博士課程を満期退学し大学に就職した後に指定大学院となりました),臨床心理学を志す大学院生にとって,地域のクリニックや病院,また児童相談所などでのアルバイト経験,心理支援の実践に触れる貴重な学びの機会だったように思います。

そして修士課程で修了するつもりで入学した大学院でしたが,修士2年次の段階で進路未定だったことや博士課程の先輩(現在東北大学で教鞭をとられている若島孔文先生)にお誘いいただいたこともあり,博士課程に進学することとなりました。博士課程でも,二つのクリニックでのアルバイトは続けており,また1年次秋に臨床心理士試験を受験し臨床心理士を取得しました。

また博士課程の2年次より,これも先輩(現在西九州大学で教鞭をとられている山中亮先生)からのお誘いで,中学校のスクールカウンセラーとして勤務することとなりました。ちょうどスクールカウンセラーの活用補助事業が始まろうとするスクールカウンセラー需要が急速に拡大する時期で,当時のスクールカウンセラーの多くは20代の若手心理士でした。

スクールカウンセラーが日本で初めて導入されたスクールカウンセラー黎明期,守秘義務の問題をはじめ,さまざまな課題も少なからずありましたが,スクールカウンセラーとしてのさまざまな体験と,若手を中心とした勉強会やベテランの先生が講師を務めてくださる研修会を通じて,多様な学びを得た時期でした。また私自身,クリニックでの心理業務とスクールカウンセラーの業務との間に大きなギャップを感じていました。学校の中で一人しかいないスクールカウンセラーという立場で,学校の中に突然出来たカウンセリング室を,どのように生徒や保護者そして先生方に広め,理解していただくかといった苦労がありました。そして,ここでもさまざまな子ども達,そして保護者の方々,さらには学校の先生方との数々の出会いがありました。ちなみに今でも中学校や高校のスクールカウンセラーをさせていただいており,学内実習施設の心理相談室と並び,私の臨床フィールドの一つとなっています。

この原稿を読み返し,また「私はどのような経緯でシンリシになったのか?」と自分に問うた時,それは紛れもなく「数々の人との出会い」そして「ご縁」だったと思います。

この場を借りて,さまざまな出会いやご縁に,改めて感謝申し上げます。

+ 記事

佐藤宏平(さとう・こうへい)
山形大学 地域教育文化学部地域教育文化学科
教育学博士
資格:臨床心理士,公認心理師
主な著訳書:『事例で学ぶ家族療法・短期療法・物語療法』(共著,金子書房),『学校臨床ヒント集』(共著,金剛出版),『社会構成主義のプラグマティズム』(共著,金子書房),『臨床心理学概論』(共著,サイエンス社),日本家族心理学会編『家族心理学ハンドブック』(共著,金子書房),フランクリンら編『解決志向ブリーフセラピーハンドブック』(共訳,金剛出版),ソバーン&セクストン著『家族心理学―理論・研究・実践』(共訳,遠見書房)ほか
趣味など:硬式テニス,バイク,音楽鑑賞,お酒

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事