荒井久美子(京都教育大学総合教育臨床センター)
シンリンラボ 第37号(2026年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.37 (2026, Apr.)
1.はじめに
あなたには「好きなもの」があるだろうか。好きなことでも,好きな有名人でもいい。ただ受動的に楽しむだけでなく,能動的に関わりながら継続して楽しんでいる「好きなもの」が。筆者である私にもある。少し前までは某男性アイドル事務所のオタクをやっていたが(今もほんのり続けている),最近ではすっかり宝塚歌劇のオタクとなり(というか,大学時代ぶりに出戻った),贔屓(宝塚歌劇で言うところの特別な推し)のご卒業(いわゆる退団)を先月見届けたところだ。
私がスクールカウンセラーとしてかかわることの多い思春期・青年期のクライエントの「好きなもの」としてよく挙がるのは,アニメや漫画,ゲームなどのサブカルチャー・ポップカルチャー,アイドル・俳優・Youtuber等の「推し」やそれらを対象とした「推し活」などである。
2.主訴を語れない/語らないクライエント
心理面接とは本来,主訴と呼ばれる何か解決したい悩みや問題についてクライエントが話し,セラピストとともに考え,問題の解決やクライエント自身の成長を目指す営みである。しかし,思春期・青年期のクライエントにおいては,悩みや困りの自覚がない,自覚があっても言語化できない,言語化できても語られている主訴はあくまで表面的なものであって,真の主訴は隠されている,など,主訴を語らない/語れないといったことも往々にしてある。セラピストはクライエントとの関係づくりのために,あるいは,何か面接の糸口になるようなものはないかと考えて,趣味や好きなものについて質問することがある。休みの日に何をしているのかといった質問の答えとして,好きなものが語られることもある。好きなものの話は多くはポジティブな話題のため,クライエントにとっては語りやすいものである。
3.心の窓としての「好きなもの」
山中(1978)は,そのように語られるものを「窓」と表現し,「患児のもっている限局した指向性—多くは趣味という形で開かれている—を『窓』と呼んでいる」と説明した。また,「患者の『窓』に合わせて,彼らが興味を示す部分に同調させつつ関わっていくと,そのときどきに彼らの選んでいる『本』がみごとに彼の内界の発達や変容の状態を明瞭に表していることに気づかされる」とも述べているが,この「本」を「漫画・アニメ」や「ゲーム」,「推し/推し活」などに置きかえるとより理解しやすいであろう。そのような「好きなもの」を心理臨床的に分析しようとすることで,クライエントの内界にアクセスしようという試みも可能となる。
4.心理面接において「好きなもの」を語ることの意義
思春期・青年期のライフサイクルにおける発達課題がアイデンティティの確立であるというエリクソンErikson, E. H.の提唱はよく知られるところである。自分が何者なのかを模索する際,「好きなもの」はアイデンティティと強く結びついており,「好きなもの」を語ることは,自分を語ることにもつながる。
自分が「好きなもの」を誰かが一生懸命に聞いてくれて,わかろうとしてくれる。好きなものに夢中な自分を大切に扱って,尊重してくれる。心理面接という守られた場でその体験が存分にできることそのものが,クライエントの内面の成長を支えるこころの土台となるのではないだろうか。そして,その土台があるからこそ,次のステップとして面接外での人間関係に繋がっていき,さらに社会に繋がっていくといった挑戦が可能になるのである。
5.「好きなもの」をどのように聴くか
ここまで好きなものを「語る」ことについて述べてきたが,「聴く」側であるセラピストにも聴き方の工夫が必要である。基本的にはクライエントに教えてもらうスタンスで丁寧に聴いていくとよいのであるが,全く知らない作品やジャンルの場合は,聴くことに苦慮することもある。語られた「好きなもの」について面接後に調べたり,実際に触れてみたりして理解を深めることも有効であるし,面接の場で検索して画像や映像をクライエントと共有しながら話を聴くことが効果的なときもある。浅くてもよいので日頃から様々なジャンルにアンテナを張って見聞を広げておくことも役に立つだろう(ぜひこの「心理面接の道具箱」のコーナーも活用されたい)。
逆に,語られる作品やジャンルについて知りすぎているときも聴き方に工夫が必要である。セラピスト自身がどの程度知っていると自己開示するのか,また,その作品やジャンルに対する主観的な考えや思い(ポジティブなもの,ネガティブなものも含めて)をどうコントロールしながら聴くのか,かなり繊細な工夫が必要となるときもある。
6.おわりに
心理面接にやってくるクライエント全員に「好きなもの」があるわけではないし,「好きなもの」の語りを聴く面接が誰にでも有効というわけでもない。もちろん,「好きなもの」がないといけないということでもない。それでも,スクールカウンセリングにおいてクライエントに「好きなもの」があるとわかると,ある種の安心感を私は覚える。このクライエントの未来はきっと大丈夫だ,と感じる。「好きなもの」は,その人の心を支えるだけでなく,社会の窓としてもまた開かれる可能性を持っているからである。
文 献
- 山中康裕(1978)思春期内閉Juvenile Seclusion—治療実践より見た内閉神経症(いわゆる学校恐怖症)の精神病理—.In:中井久夫・山中康裕:思春期の精神病理と治療.岩崎学術出版社,pp.17-62.
荒井久美子(あらい・くみこ)
京都教育大学総合教育臨床センター,京都府スクールカウンセラー,
近畿大学非常勤講師,龍谷大学非常勤講師,
日本スクールカウンセラー協会理事。
資格:臨床心理士,公認心理師
主な著書:『サブカルチャーのこころ―オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた』(編著,木立の文庫,2023)









