こうしてシンリシになった(7)|浅見祐香

浅見祐香(新潟大学人文社会科学系)
シンリンラボ 第7号(2023年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.7(2023, Oct.)

1.新聞記者から「シンリシ」へ

私はシンリシになる前,新聞社で働いていた。記者として事件の遺族に取材をした経験は,今でも心に深く残っている。事件から数年経過してもなお,当時のことをまるで昨日のことのように鮮明に話し,遺族会の活動を精力的に続ける姿を目の当たりにし,帰りの車の中で涙が止まらなかった。気丈にふるまう様子はむしろ,被害に遭った事実はいつまでも消えないということを強く印象付けた。

当時の私には心理学の知識はなく,犯罪を減らすためには,犯罪をした個人が変わることより,その人を取り巻く家庭や地域など環境としての社会が変わることの方が重要だと感じていた。そんな自分にとって,「認知行動療法」という心理学的支援が,再犯の防止に効果があることをニュースで知ったときの衝撃は大きかった。犯罪行為につながる個人の行動や考え方のパターンを変えていくことで,結果的に犯罪の抑止につながる取り組みという点に強くひかれた。それから,認知行動療法に関する本や論文を読み,独学で勉強する中で,自分も直接支援に携わりたいという思いが強くなり,大学院に進学した。

実際に学び始めると臨床心理学の世界は奥が深く,一朝一夕で身につくものではないということを痛感した。大学院での2年間は知識を蓄えると同時に,それを実践でどのように活かせば良いのか,試行錯誤を繰り返すものの思うようにいかず,何度も歯がゆい思いをした。それでも諦めずに続けられたのは,「一度失敗したらおしまい」ではなく,失敗から学び,自分自身のアプローチを変えることで挽回は可能だという認知行動療法の考え方に,私自身も助けられた面が大きい。

そして,大学院での学びを通して,認知行動療法の印象は180度変わった。マニュアルに従い,プログラムの手続きを遂行するものととらえていたが,クライエントから世界がどう見えているのかについて,行動科学と認知科学の観点からのアセスメントを行い,それに基づいた効果的な支援手続きを選択していくことが大切であることを,少しずつではあるが体験的に理解していった。

2.カウンセリングって難しい

大学院修了後は,主に司法・犯罪分野にかかわる臨床現場で働きながら,そこで得られた発想を基にした研究活動を続けていった。シンリシとしての活動を続ける中で,自分自身が大きく変わったと感じるところがある。それは,犯罪行為は法律で罰される必要がある行為である一方で,その行為をせざるを得なかった人たちが一定数いるという現実を知ったことだ。親からネグレクトを受けて幼少期から生きるために食べ物を盗んでいた人や,暴力が日常的に繰り広げられる環境で育ち,自分の要求をかなえるためには暴力をふるうという手段しか学んでこなかった人もいる。

臨床現場で生育歴を聴く中で,「ここまで生き延びるのは本当に大変だっただろうな」と感じることは少なくなかった。とくに最初の1年間は,仕事が終わった後も,ふとした瞬間にカウンセリングの内容が脳裏をよぎり,オンオフの切り替えが難しかった。仕事からの帰り道に,クライエントの半生を思い浮かべたり,自分の働きかけのまずさにふがいなさを感じたり,これまでに味わったことがないようないろんな感情があふれてきて,涙が流れることも一度や二度ではなかった。 また,駆け出しの数年間は,スーパーバイズを受ける中で,自分自身の思い込みに気づかされることも多かった。このときにもらった言葉は,今の私にとってもカウンセリングを進めるうえでの大切な指針となっている。以下,いくつか紹介したい。

(1)正解でないといけない?

カウンセリングの中では,クライエントに対し,行動分析や認知などについての心理教育を行う場合もある。そういった場面で,クライエントの理解の正確さについとらわれてしまい,間違いに反応してしまう自分がいた。しかし,カウンセリングの目標に立ち返ると,正確に理解してもらうことよりも,クライエントの自己理解が深まったり,主訴の解決に役立ったりするかどうかの方が重要だ。「100点を目指さなくてよいのではないか」という指摘を受け,こういった自分自身の思い込みの強さに気づくことができた。

しかし,この思い込みは根深かったようで,その後も正解にこだわる自分がいろいろな場面で顔を出してきた。「クライエントから心理学の専門知識に関する質問を受けた時には,正解を言わなければいけない」,という気持ちが先に来て,そこに関心を持ったクライエントに対する理解が後回しになることもあった。また,「経験していない人にはわからない」とクライエントが発言した際に,知識や経験から想像して,何とか答えようとしたこともあった。「わからないから,教えてほしい」と率直に対話できるようになったのは,しばらくたってからだった。

(2)やる気がないから取り組まない?

集団形式のカウンセリングで,カウンセラーからの問いかけに「特にない」としか反応が返ってこないクライエントがいた。カウンセリングへの動機づけが低いのかと考え,動機づけを高める働きかけを行ったが,取り組みの様子は変わらなかった。悩んでいたところ,「やる気がないわけではなくて,内容が理解できていない可能性もある」という指摘を受けたときには,目からうろこだった。

とくに大人の場合には,さまざまな自身の特徴との上手な付き合い方を,経験的に学習していることが多い。わからないときに,「わからない」というのではなく,「どうでもよい」というそぶりを見せることもその1つといえる。集団形式の場合は,カウンセラーだけではなく他の参加者との相互作用(場合によっては力関係)の影響も大きく,考慮が必要となる。

(3)大切なのは結果だけ?

私はこれまで,主に違法行為を含む依存の問題への支援に携わってきた。この領域では,支援のターゲットとなる問題行動が,比較的明確であることが多いという特徴がある。再発したからといって,治療に取り組んできた経過が無駄になるわけではないにもかかわらず,当初,再発をしたかしていないかという結果ばかりに目が行く自分がいた。「再発までの期間が延びたことも回復の効果の表れ」という指摘を受け,結果にとらわれてプロセスを大切にできていない自分に気づかされた。

3.私の思う「シンリシ」

カウンセリングでは,クライエントが見ている世界を理解することがとても大切だと感じる。クライエントの視点に立って,カウンセラーとしての自分とは異なる個性をもち,異なる環境で生活しているクライエントの立場を想像しながら,理解を試みることによって,支援が展開していく。正論を押し付けるのではなく,クライエント自身に「自分に合っていそうだな」,「試してみようかな」と思ってもらえるように試行錯誤することは,難しくもありやりがいを感じる部分だ。

そして,クライエントが自己理解を深めること(セルフ・モニタリング),自分自身のコントロール力を向上させること(セルフ・コントロール)はカウンセリングにおいて共通した目標になると考えている。その目標に向かうためには,カウンセラー自身がセルフ・モニタリングとセルフ・コントロールを高めていくことが大切だ。自分自身がこれまでの人生経験の中で学習していった思い込みについて自覚的になることもその1つである。私の場合は,正解にこだわってしまう,できない理由をやる気のせいにしてしまう,結果に目が向きがちである,など自分自身にさまざまな思い込みがあることを知った。きっと誰もがそれぞれの「当たり前」である思い込みがあり,それそのものに良い悪いはない。自分の特徴に自覚的になり,カウンセリングを妨害しそうな時にはコントロールすることが大切なのだと思う。

私は心理学を学ぶことを通して,仕事以外の時間にも,自分の大切な人たちが「今,何を考えているのかな」,「どのように感じているのかな」,と想像することが増えた。そうすることで,日々のコミュニケーションも,心理学を学ぶ以前より円滑になったと感じる。シンリシという仕事は,私自身の生活にも良い影響があり,また,そうした人生経験すべてが,カウンセラーとしての幅を広げる糧にもなる。現在の自分の効用と限界を理解しながら,その時その時,精一杯取り組むことが,誠実なカウンセリングにつながるとも思う。これからも,新しい知見に触れ,さまざまな人と出会い,人生を通したライフワークとしてシンリシとしての仕事に取り組んでいきたい。

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・名前:浅見祐香(あさみ・ゆか)
・所属:新潟大学人文社会科学系
・資格:公認心理師,臨床心理士

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