こうしてシンリシになった(16)いつでも,どこからでも|押切久遠

押切久遠(法務省保護局長)
シンリンラボ 第16号(2024年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.16(2024, Jul.)

1.保護観察官

「保護観察官」という仕事がある。

民間ボランティアの保護司の方々と共に,地域社会の中で,犯罪や非行をした人の再犯防止と立ち直り支援を担う専門職の国家公務員だ。主に法務省の出先機関である保護観察所で勤務している。

大学の法学部で,刑事政策・犯罪学を学んだ私は,少年非行に関する専門家になりたいと願い,家庭裁判所調査官を志望した。

当時の家庭裁判所調査官試験は心理学・教育学・社会学のいずれか一科目を選択して受験する仕組みであったため,犯罪社会学に関心のあった私は,迷わず社会学を選択した。

そして,社会学で受験可能であった国家公務員試験にも運良く合格し,縁あって,保護観察所を所管する法務省保護局に採用された(実情としては,敗者復活戦で拾っていただいたのだった)。

2.犯罪や非行をした人たちとの出会い

採用半年後に保護観察所の保護観察官に任命されたとき,私は,犯罪や非行の原因は環境や社会構造にこそあり,それを改善することができれば更生への道は開けると信じていた。実践を通じて社会課題をあぶり出し,それに働きかけるのだと燃えていた。

しかし,現実はそうストレートではなかった。

刑務所や少年院を出たものの身寄りのない人を保護する「更生保護施設」担当の保護観察官となったのだが,そこに集まるのは海千山千の人たちだった。彼ら彼女らの一部は,ルールを守らず,嘘をつき,もう大丈夫と思った矢先に万引きをしたり,薬物を使ったりした。

いま思うと,大学を出たばかりの私の歯が立つ相手ではなかったのだが,懸命に関わった。彼ら彼女らの多くが,予想通り,過酷な生育環境に育ち,家庭にも教育機会にも恵まれない人たちだった。

そのうち私は,なるほど,社会環境を変えることは大切だが,それだけだろうかと考えるようになった。同じような過酷な環境で育っても,犯罪や非行をする人とそうでない人との違いは何なのだろう? と思うようになった。

3.こころへの関心と学びの始まり

自然と私の関心は「こころ」へと向かった。

犯罪や非行をした人の,「どうせ自分なんか」という強い無力感はどこからくるのだろう? 犯罪や非行をしたにもかかわらず,「自分が悪かった」と素直に反省できないのはどうしてだろう?

そんな疑問を抱くようになった。

また,更生保護施設の担当から地域の担当に変わり,そのエリアで暮らす保護観察対象者やその家族との面接を繰り返すうちに,もっと面接が上手くなりたいと心底思った。

相手の話をよく傾聴して,本音と思えるような言葉を引き出し,こちらが伝えたいことも十分に伝えた会心の面接の翌日に,相手が再犯をしてしまう。逆に,やや感情的になって自分を出し過ぎ,上手くいかなかったと反省しきりの面接が,相手の心に響いている。そんな,面接の不思議について,もっと知りたくなった。

もう一つ,加害者の更生を支える私にとって忘れてならないのは,被害者の方々のことであった。

保護観察官になってしばらくし,小西聖子先生の『犯罪被害者の心の傷』(白水社,1996)を読んだ時の衝撃は今も忘れられない。それまでの私には,被害者の方々の深い苦しみや心の傷がよく見えていなかったのだ。犯罪被害を受けたことによって生じる複雑な心理について学びたいという思いも強くなった。

そうした中,30歳のときに,保護観察官をしながら,夜間大学院のカウンセリングコースに通うこととなった。そこは,自らの職域における実際的な課題を抱えた社会人が集まり,共に学ぶ場であった。その学びの何と楽しかったことか。

大学院で出会った恩師は,学校心理学の石隈利紀(いしくま・としのり)先生であった。先生は,学者としては異例の経歴で,30歳を過ぎてからアメリカの大学で学び直して心理学の博士号を取得し,研究者やスクールサイコロジストとして実績を積んだ後に帰国。私の通う大学院で教鞭をとっていた。

先生は,アルバート・エリス Ellis, A. の論理療法の専門家でもあったため,累犯者の認知傾向(イラショナル・ビリーフ)を研究テーマとしていた私は,迷わず先生に師事した。論文作成をめぐり,ゼミで先生と言葉のボクシングをする時間は,何よりも楽しく研究者として鍛えられた時間であった。

何とか無事に大学院を修了し,臨床心理士の資格も取得できた。

4.その後の職業人生

シンリシの資格を得て,いざ臨床の海へ! と張り切った私だった。しかしその後,保護観察所の管理職(課長・所長)や法務省の研究所の研究官を計7年間務めた以外は,霞が関での官僚的な仕事に計16年間ほど従事することとなった。人事,予算,庶務,政策の企画立案,法案の作成,国会対応などの行政的な仕事だ。

ただ,心理学の知識は思いのほかその仕事に役立った。例えば,政策立案として,認知行動療法をベースとする犯罪者処遇プログラムや,新しいアセスメントツールを開発・導入するとき。制度改正の前提となるデータの収集・分析を行うとき。また,職員の方のメンタルヘルスの状況を把握して,同僚や上司として寄り添うとき。それらのとき,いかに臨床心理学の考え方が役に立ったことだろうか。

逆に,行政的・組織的な仕事を通じて,シンリシの活動に役立ちそうな知見を得ることもできたと思う。例えば,人事や予算やプライドというものが人の行動にどのような影響を与えるのか,物事を進めるのに調整や根回しがいかに大切か,内容はもちろんだが順序というものがいかに大切か,といったことを経験的に理解することができた。

臨床から離れていた間に,もしかしたら私は,クライエントについて多角的・大局的に理解し,実社会における多様な解決方法を想像することができるようになったのではないかと思う。

言うまでもなく,シンリシの活動は真空の中で行われるわけではないので,シンリシとしてのキャリアだけでなく,その他の多様な社会経験こそが活動に役立つのだと思う。

5.シンリシにとって大事だと思うこと

ただ,私がいつも思うことの1つは,経験に溺れてはいけないということだ。社会経験が豊富だからといってシンリシが務まるわけではもちろんなく,シンリシは心理学の専門性を磨き続ける必要があるのだと思う。

そこで私も,仕事のかたわら,52歳のときに公認心理師の資格を取り,54歳のときに恩師である石隈先生のもとで学び直すこととし,57歳で博士号(心理学)を取得した。

そして,もう1つ大事に思うのは,感受性をなるべく鈍麻させず,磨き続け,その瑞々しさを保つことだ。齢と経験を重ねるうちに,おそらく着実に私の感受性は擦り減ってきた。

それでも,今でも私は,色んな出来事に緊張し,悩んだり傷ついたり考え込んだりしながら何とか日々を過ごしている。

なぜこんな歳になってもデリケートな面が多いのだろう,と嫌になってしまう一方,私は未だ自分の感受性がそれほど鈍麻していないのではないかと安堵する。

クライエントと向き合うとき,その心の痛みを共に感じることができなければ,シンリシをやる意味もないように私は思う。

6.これからシンリシになる

現在の仕事を精一杯頑張り,ある程度の区切りを迎えたら,私は本当のシンリシになりたいと考えている。臨床の難しさや厳しさはきっとあるだろうが,それ以上に,そこから得られるのであろう喜びや学びが楽しみだ。また,引き続き,犯罪や非行,行政,学校教育,多機関連携といったテーマについて,心理学的な観点からの研究や教育や地域貢献を行っていきたいと思っている。

最後まで読んでくださった方には,「こうしてシンリシになった」というよりも「これからシンリシになる」というふうな話にお付き合いいただき,大変恐縮であった。

ただ,何歳になっても,どんな道からでもシンリシになれるのだと,いま改めて私は思っている。

+ 記事

押切久遠(おしきり・ひさとお)
法務省保護局長
資格:臨床心理士,公認心理師
主な著書:『クラスでできる非行予防エクササイズ』(単著,2001年,図書文化社)
『非行・反社会的な問題行動』(編著,2003年,図書文化社)
『ケースから読み解く少年事件・実務の技』(分担執筆,2017年,青林書院)
『教育・学校心理学』(分担執筆,2019年,遠見書房)

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