子どもたちから教わったこと(3)世界は僕の重みを受け止めるのか|中垣真通

中垣真通(子どもの虹情報研修センター)
シンリンラボ 第3号(2023年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.3 (2023, Jun.)

サンゴ礁は楽園か

前回は,「安全基地」のお話をしました。赤ちゃんが生まれ落ちた時は,消えてなくなるような怖さに吸い込まれそうになっているのかもしれないので,この世界に存在し続けるためには,落ちないように支えてくれる安定した“地面”が必要であるということと,その“地面”は,「安全基地」から与えられる安心体験が基盤となっていて,その上に他の人からもらった安心体験も積み重なることでさらに広がっていくという内容でした。最後のまとめでは,サンゴ礁が岩礁から島になり,そして陸地にまで広がることに例えたので,南国のエメラルドグリーンの透き通った海と,雲ひとつない晴れ渡った青空を思い描かれた方がいらしたかもしれません。でも,すいません。これはメタファーのマジックです。世界は美しいというイメージで,きれいにまとめたくてサンゴ礁にしました。

もしもリゾートのような美しい風景の中でずっと暮らせるのであれば,世界は常に明るく喜びに満ちたものになるのかもしれませんが,現実はきれいごとばかりではありません。南の島ではスコールが降りますし,台風の通り道にもなります。サンゴ礁には地下水脈がないので,飲み水の確保も切実な問題です。その人の見方によって,サンゴ礁は楽園でもあり,過酷な生活環境とも言えます。ひとつの島のことを“楽園”と呼んだり,“過酷な環境”と呼んだりして正反対のことを言わせているものは,人間の認識です。無機質に言い表せば,サンゴ礁は炭酸カルシウムの塊が海面から頭を出しているだけです。現実の世界はただそこにあるだけですが,人はそこに意味を付けて認識します。

内的ワーキングモデル

認知科学によると人が世界を認識する時には,五感が捉えた情報を再構成して,そこに経験に基づく意味付けをしています。近年,人工知能の研究が飛躍的に進み,コンピューターが自己学習をして情報を再構成する能力を高めているそうですが,人間は赤ちゃんの頃から自然にその営みを行っています。だから,赤ちゃんが日々経験していることは,この世界に意味付けをするための基礎データを集積する自己学習だと言えます。生まれてから数カ月が経ち,基礎データがある程度集まると,赤ちゃんなりに“この世界はこういうものなんだ”というイメージが形成され始めると言われています。世界を捉える際のこの基本的な構えのことを,愛着理論では「内的ワーキングモデル(internal working model)」と呼びます。この概念はボウルビィが提唱したもので,愛着形成のプロセスと深く関連しています。

例えば,赤ちゃんが空腹などで不快や怖さを感じて泣き声を上げると,養育者が寄ってきて授乳をして空腹を満たしたり,あやして不快な興奮を鎮めたりしてくれます。このようなお世話を昼も夜も毎日繰り返し与えてもらうことで,赤ちゃんは“この世界ではピンチの時には助けが来るんだ”とか“自分は守ってもらえる存在なんだ”と感じて,世界が安全であるというイメージを形成します。そして,生まれ落ちた時は怖かったこの世界でも,“ひとりじゃないから大丈夫”と安心できるようになります。さらに心地よいことや嬉しいことを繰り返し体験することによって,“この先もいいことがあるぞ”と世界に希望を感じられるようになるのだと思います。赤ちゃんは安心を与えられる過程を通じて,世界や自分のイメージを形成しているということです。

「内的ワーキング」モデルには,世界に対するイメージと自分に対するイメージの2つの側面があります。赤ちゃんは泣き声を上げることで世界に働きかけ,世界はお世話やあやすことで応えてくれるという形で,赤ちゃんと世界の間に「働きかける」と「応えがある」というつながりが生まれます。そして,世界は「応えてくれるもの」というイメージが赤ちゃんに刷り込まれます。なお,生後間もない赤ちゃんにとって周囲の環境は,人物と物質の区別がない混然一体としたものとして捉えられているので,“世界が応える”と表現しています。さらに赤ちゃんが世界からの応答を受け止めるたびに,その応答に込められた関心の強さや情緒的なエネルギーが赤ちゃんに“手応え”を与え,“手応え”の記憶が徐々に蓄積されることで赤ちゃんの中に自分の「存在の重さ」がイメージされていくのだと思います。だから,世界が応えてくれた記憶が少ない子どもは,“自分の存在は軽い”とか“存在価値が乏しい”と感じがちになります。(応えてくれた記憶が少ない理由として,赤ちゃんの神経発達の特性のために社会的刺激への感受性が低いという赤ちゃん側の要因も影響するので,母親の愛情不足が原因だと言っている訳ではありません。)

厳しく叱責され続けたC君

赤ちゃんは世界との肯定的な交流を通じて,世界とのつながりと自分の存在感を感じ取ることができ,その結果,世界を信頼し,未来に期待することができるようになるという趣旨の話をしてきました。しかし現実を見ると,世界を信頼できず,未来に絶望している子どもも少なからず存在します。そういう子ども達から見たら,世界はどのように見えているのでしょうか。“見えている世界がこれほどに違うのか”と,私が驚嘆した男の子がいました。今回はそのC君のエピソードを紹介したいと思います。なお,事例の個人情報や経過などに改変を加えてあります。

C君は,中学2年生の男子です。C君が小学2年生の頃に実母が再婚して,養父はC君とよく遊んでくれました。ところがC君が小学4年生の時に赤ちゃんが生まれると,養父はC君に赤ちゃんの世話を手伝うことを強く求めるようになりました。C君が小学5年生になると万引きが始まり,養父が厳しく注意したものの改善せず,養父の叱責が厳しさを増すにつれて,深夜徘徊や野宿をするなどC君の問題行動が深刻になりました。そして,小学6年生の時についに両親がギブアップして,施設入所となりました。

入所した当初のC君はいつも猫背で上目遣いに大人を睨みつけ,注意されると「いつも俺ばっか怒られる」と反発し,年下の子どもへの乱暴な言動も見られました。C君はおかずをお代わりするのが好きで,好き嫌いなくよく食べました。また,毎日布団で寝られるのが嬉しいと言っていて,入所から1年ほどたつと,背が伸びてきて無邪気な笑顔を見せるようになりました。この頃になると,C君が自作した双六が下級生の人気を集め,いつも数人の小学生がC君と双六をして遊んでいました。

中学2年生の頃にはC君の生活が安定して,学校の成績も上向いてきたので,中学3年生の1学期中に退所して自宅での生活に戻ると良いのではないかという検討が始まりました。まずは中学2年生の夏休みに長期に帰省して,自宅でどの程度安定した生活を送れるのか試してみました。

はじめの2週間は問題がなかったのですが,自宅生活が長くなると徐々にC君と養父の関係が悪くなり,養父が以前のように厳しく叱責するようになりました。こうなることは想定内でしたから,父子関係がこじれる前にC君に帰園してもらい,ご両親と話し合いをしました。そして,この問題に対して家族の一人ひとりが何をできるのか,検討していきましょうという約束をしました。

これで自宅復帰への第一歩を順調に踏み出せたと思い,私としてはひとまず安心したのですが,その矢先に事件が起きました。それは,夏休みが明けてすぐのことでした。C君が深夜に無断外出をして,近所のコンビニで漫画やお菓子を万引きしたのです。さすがにこれは想定外でした。施設に入所してから,盗みの問題は起きていませんでした。事件が発覚した日に,私とC君はじっくりと話し合いました。まず事実確認をしましたが,はじめのうちC君は「憶えていない」などと答えをはぐらかしました。私はあらかじめ周辺情報を集めておおよその事実を把握していたのですが,こちらからC君に事実を突きつけることはしませんでした。

「この聞き取りは怒るためのものではなくて,君がどれくらい正直に話せるかの勝負の場だから,頑張ってみな」と伝えて,私は「頑張れ」「話せそう?」と促しつつC君の言葉を待ちました。その内にC君はポツポツと事件の経緯を語り始めました。夏休みの帰省がうまく行かなかったことで,“本当は家に戻れないのではないか”という不安が湧いてきて,寝付けない夜が続き,苦しくなって無断外出に至ったのだそうです。

C君のひと言

ひとしきり経緯を語り終えると,C君は「すっきりした。ありがとう」と言って,しばらくボーッとしていました。その間に私がメモを整理していると,C君が唐突に「俺の人生ってあと何年くらいあるかな?」と言いました。私はてっきりC君が前向きな気持ちになったのかと思って,「70年くらいじゃないかな。たっぷり時間があるし,色んな可能性があるよ」と答えました。するとC君は深いため息をつきました。そして,「70年もあるのかぁ」と肩を落としてうつむきました。

「俺さあ,朝が来るのが嫌なんだよ。『また一日が始まっちゃった』って毎朝思ってる。大人から怒られないように,毎日頑張っているんだよ。
幸せなのは怒られなかった日の寝る時なんだよね。『今日は1日怒られなかった』って安心するんだ。
こんなのをあと70年も繰り返さなきゃいけないのか。はぁ……」

私は,「そうだったのか……」とつぶやいて黙り込みました。C君には強制収容所のように見えている灰色の世界が垣間見えて,それが私の思い描いた明るい未来とあまりにもかけ離れていることに言葉を失ってしまいました。

“逃げるための人生”

この事件が起きるまで,私にしてみればC君の生活は落ち着いていて,楽しく過ごしているように見えました。しかし,C君の心の中では未だに怒られないように逃げ回る生活が続いていたのです。この時のC君から見れば,この世界は一見安全そうでも,いつ怖い状況になるか分からない所であり,いつでも逃げられるようにしてなければいけないというイメージだったのだと思います。

自分自身に対するイメージも,“本当はいない方がいい存在”だったのだと思います。だから長期帰省の失敗によって,“この家には俺がいない方がいいんだ”という不安が湧き上がってきて,夜になると入眠困難を来たしたのでしょう。本来であれば,強い不安に襲われて怖い思いをしている時には,「安全基地」に接近して安心を回復してくれれば望ましいのですが,残念ながらそれができるほどC君の「愛着(アタッチメント)」が形成されていなかったのです。だから,夜のコンビニに逃げたのでしょう。

安全な場所がなく,安心を与えてくれるつながりもない,怖くてひとりぼっちの世界であれば,生きるためには脅威を避けることが最も大切で,なりふり構わず,脅威が生じたら目先の対処方法に飛びつく気持ちも分かります。世界の見え方は,その人の生き方に強く影響します。C君の人生は,“逃げる人生”だったのだと思います。約束された“安全の地”がない世界で,行く当てのない無限の逃避行を続けていたのです。だから,「70年もあるのかぁ」と,口をついて出たのでしょう。希望を持てない人生は,苦行に近いのかもしれません。

楽しいことがある生活が普通

「幸せなのは怒られなかった日」というC君にとっての幸せも,よく考えると違和感があります。安全に過ごせることは幸せの前提ではありますが,さらに楽しいことや嬉しいことがあるから幸せなのではないでしょうか。例えば,コンクリートで基礎をうっただけの建物が建っていない宅地を見せられて,「僕のマイホームだよ」と言われたら皆さんはどう思われますか。私からすれば,「いや,本体を建てようよ」と言いたいです。安全は目指すものではなく基盤であり,その基盤の上に嬉しいことや楽しいことが構築されている生活が普通の生活なのだと思います。

幸いなことに,C君は楽しい生活を築くことができました。あの事件の後に両親面接を何度か持ち,家庭にもC君の気持ちを代弁する味方がいてほしいと伝えました。母親がこの話をよく理解してくれて,帰省中にC君が一方的に叱責され続けることがなくなりました。そして,予定通りに自宅生活に戻り,C君は無事に高校に進学しました。それから数年後に,C君が施設に挨拶に来てくれました。「大学に入れたよ。高校は楽しかった。俺も“普通”になれたと思う。父親とは相変わらずうまく行かないけどね」と言って,いたずらっぽく笑いました。

補足の解説

C君の笑顔で今回のお話を終わりにすると,心地よい余韻を残せるのでしょうけれど,強引に話を進めた部分の補足説明をさせてください。「愛着(アタッチメント)」のタイプ(型)が決まってくるのは,生後1歳前後と言われています。C君が問題行動を呈したのは小学生になってからなので,「愛着(アタッチメント)」で説明するのは無理があると思われた方がいるかもしれません。むしろ,養父からの叱責によるトラウマが原因ではないかという考えもあると思います。私もトラウマの影響が大きかったと考えています。結局のところ,「愛着(アタッチメント)」形成が弱かった子どもが,深刻なトラウマ体験を負った結果がC君の姿だったと言って良いのだろうと思っています。

+ 記事

中垣真通(なかがき・まさみち)
臨床心理士・公認心理師,子どもの虹情報研修センター研修部長
1991年4月,静岡県に入庁。精神科病院,児童相談所,情緒障害児短期治療施設,精神保健福祉センター,県庁等に勤務。
2015年4月,子どもの虹情報研修センター研修課長,2019年4月から同研修部長,現在に至る。
日本公認心理師協会災害支援委員会副委員長,日本臨床心理士会児童福祉委員会委員,日本家族療法学会教育研修委員など。
主な著書に,『緊急支援のアウトリーチ─現場で求められる心理的支援と理論の実践』(共編,遠見書房,2016),『興奮しやすい子どもには愛着とトラウマの問題があるのかも─教育・保育・福祉の現場での対応と理解のヒント』(西田泰子・市原眞記との共著,遠見書房,2017),『日本の児童相談所─子ども家庭支援の現在・過去・未来』(川松亮ほか編,明石書店,2022,分担執筆)など

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事