子どもたちから教わったこと(2)「安全基地」から人生が始まる|中垣真通

中垣真通(子どもの虹情報研修センター)
シンリンラボ 第2号(2023年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.2 (2023, May)

「安全基地」は特定の人

前回は「愛着(アタッチメント)」と「愛情」の違いに注目して,「愛着(アタッチメント)」の対象が広がることによって,子どもが安心して伸び伸びと生活する基盤が作られるという話をしました。

「愛着(アタッチメント)」の理解に「愛情」イメージが混入されると,主な養育者が養育のすべての責任を背負い込んだり抱え込んだりして,大人も子どもも苦しくなることがあったので,このようなお話をしました。

しかし,この説明に違和感を覚えた方もいたのではないでしょうか。「誰でも愛着対象とするのは,脱抑制型の愛着障害(もしくは対人交流障害)ではないか?」という疑問が生じると思います。確かにその通りです。まず特定の人との間に愛着関係が形成されることが大切です。

愛着理論では,不安を感じた子どもが接近する対象は「特定の対象」であり,1対1の緊密な関係に重要な意味があるとされています。「愛着関係」はまず母親などの特定の対象との間に形成されるものであり,自分に安全と安心を提供してくれる対象を特定できることが重要だと言われています。生後8カ月頃の赤ちゃんに見られる人見知りは,「特定の対象」が区別できるようになったからこそ,他の人に不安を示すようになる訳です。

比較行動学においても,過酷な自然環境の中では自分の親を見分ける能力が,子どもの生存に影響を及ぼすと言われています。愛着理論では,安全な環境と安心できる関わりを子どもに提供する「特定の対象」のことを,「安全基地」と呼んで,子どもにとって特別な意味を持つ対象と位置づけています。

「安全基地」は赤ちゃんがこの世に存在する上で,まさに拠点となる「基地」なのだろうと思います。生まれたばかりの赤ちゃんにとって,この世界は過酷な環境だと言われています。羊水に揺られてユラユラと心地よく過ごしていた胎内と違って,寒いし,重力で重いし,音や光も刺激的だし,お腹が減るし,うんちも出るし,不安と恐怖でいっぱいだろうと言われています。

そして,そんなに怖いのに,自分では何もできません。ただひとつ,泣いてお母さん(便宜上,主な養育者を“お母さん”と呼びますが,祖母や父親や里親でも構いません)にピンチを伝えることだけが,不安と恐怖から抜け出す手段です。

泣いて養育者の注意を惹くことを,愛着理論では「信号行動」と呼びます。お母さんが来てくれると,授乳をしたり,おむつを替えたり,抱っこをしたりしてくれます。お母さんに抱かれると肌の温もりや心拍の音や優しい言葉かけなどで,胎内で何の不安もなく過ごしていた頃の感覚が赤ちゃんに蘇り,恐怖と緊張が和らぎ,安心することができます。また,授乳やおむつ替えをしてもらうことで,生理的な危機感や衛生上の危機が解消されます。

このようにお母さんが赤ちゃんの心と体に安心と安全の体験を繰り返し与え続けることで,赤ちゃんは心身ともに健やかに育っていきます。

ここまでは一般的な「安全基地」の説明ですが,私がある子どもから教わったものは,「安全基地」がこの世界で生きて行くための拠点,あるいは自分の存在を確かめるための原点になっているという実感でした。

B君のこと

今回登場するお子さんをB君と呼ぶことにします。B君の生い立ちから紹介するので,エピソードが長くなることをご容赦ください。また,複数の事例のエピソードを合成した加工事例であることをお断りしておきます。

B君は,私が児童心理治療施設に勤務していたころに出会った,小学4年生の男子です。運動が得意で,勉強もできて,周囲を笑わせるのが上手で,子ども達の間では人気者でした。そんなB君ですが,生まれてすぐに乳児院に預けられていて,その後実母や家族との面会や交流はいっさいありませんでした。児童相談所の記録によると,実母にも辛い出来事があり,深く悩み傷つきながらB君の出産に至ったようでした。

B君は3歳を前に児童養護施設に施設変更になり(乳児院の利用には年齢制限があります),しばらくは大きな問題なく過ごしていました。しかし,小学校に上がった頃から,担当職員への反発が強くなり,小学3年生の頃には何を言われても反抗し,どの職員にも暴力を振るうようになったために,小学4年生から児童心理治療施設で生活をすることになりました。

児童心理治療施設に来てからも職員に反抗的で,あまのじゃくなことをするのですが,本当は何をしてほしいのかが分かりやすい子で,気持ちを汲んだ応答を返すと無邪気な笑顔を見せてくれました。

施設変更から数カ月たつと職員への暴力は見られなくなり,反抗的な言動も徐々に和らいできて,小学4年生が終わる頃には,寮でも学校でもB君がいると周りの大人も子どもも楽しく過ごせる,人の輪の中心にいるような存在になっていました。

ところが,小学5年生の5月頃に急に状況が変わりました。職員に対する言葉遣いが荒くなり,仲良くしていた年下の子ども達に意地悪をするようになりました。何かあったのかとB君に尋ねても,「わかんね」と答えるばかりで要領を得ません。問題が生じるたびにB君と話し合いをするのですが,徐々に問題がエスカレートしていきました。

そして,夏になる頃には,毎晩のように消灯後に廊下を走り回って,対応する職員に暴力を振るようになりました。その都度,B君を説諭し話し合いもしたのですが,B君の夜の“暴走”は止まりません。職員はほとほと困りはて,この施設での生活は無理ではないかという意見も出ました。しかし,施設を転々として来たB君なので,もう少し頑張ろうということになりました。

そして,居室を個室に移し(当時は原則的に相部屋でした),消灯後に当直職員が必ず本読みに行くことにしました。B君は渋々ながらもこの提案を受け入れ,消灯後に当直職員が来るまで自室で待つことができるようになりました。

消灯後の本読みを続けて1カ月ほどたったある夜のことでした。いつもの本読みを終えて私が居室から出ようとすると,B君が「ねえ」と話しかけてきました。

「僕のお母さん探してよ」

意を決したようなはっきりとした口調で言いました。突然のことで私は動揺しました。

〈ど,どうしたの?〉

「僕のお母さんって,ほんとにいるのかなぁ」

B君はベッドに横になったまま,天井を見つめて,独り言のように続けます。「写真も見たことがないし,ほんとは僕のお母さんなんていないんじゃないかって思うんだ」

〈いや~,お母さんはいるよ。写真なら児相の人に相談してみるよ〉

「ふ~ん」

気のない返事の後,暗い部屋に沈黙が流れました。

「……怖いんだよ……」

私は言葉を失い,B君の感じているものに思いを巡らせてみました。

〈……そうかぁ……怖いのか……〉

2人ともしばらく沈黙していました。私は,暗い部屋の中で,宇宙船から外に出て遊泳中に命綱が外れたらこんな感覚なのかなと想像し,底知れない闇に吸い込まれてなす術がないような怖さを疑似体験しました。

〈これは怖いな……。写真は児相の人に相談するね〉

「うん」

〈今日は寝られそう?〉

「うん」

〈じゃ,おやすみ〉

そんなやりとりをして,私はB君の部屋を出ました。1時間後に様子を見に行くと,B君はグーグーと寝ていました。

闇に吸い込まれる

エピソードの説明が長くなりましたが,このなす術なく闇に吸い込まれる怖さが,私がB君から教わったことです。無重力の闇の中にスーッと落ちて行って,自分が消えてしまうような感覚でした(無重力なら落ちていくことはないのですが,他に良いたとえが見つかりません)。

何かに襲われるような具体的な対象が迫ってくる恐怖とは違いますし,呼吸や心臓が止まりそうな死の恐怖とも違いますし,この先何が起きるか分からないという恐れとも違う感覚で,存在が消滅するような怖さでした。たぶん,これが「安全基地」がないという感覚なのでしょう。“吸い込まれそう”と思った瞬間に,何かにつかまりたくなります。自分がこの世に生まれ出た時に味わったであろう怖さを私は憶えていませんが,新生児が味わっている怖さは,たぶんこのような怖さではないかと想像しています。誰かが“命綱”をつかんでくれないと,何もない世界に吸い込まれて消えてなくなりそうです。

この感覚はあくまで私が感じたものなので,実際にB君が感じていた感覚と一致しているのか,本当は分かりません。しかし,B君のさまざまな問題行動の背景には,ふっと湧き上がってくる,このような怖さがあったことは推測できます。何が原因でB君の中にこの怖さが湧いてくるようになったのか,特定することは困難です。きっと,1/2成人式や他児の家族交流やホームドラマなどが複合的に作用していたでしょうし,B君が10歳を迎えて自分の家族や出自を考える年代になったことも大きな要因だったと思います。

B君自身も自分に何が起きているか分からず,予期せず湧き上がってくる怖さに,戸惑い,苛立ち,怯えていて,それを行動で表すことしかできなかったのでしょう。そして,周囲を巻き込みながら苦悶すること数カ月を経て,ようやく得体のしれない怖さを大人に伝えることができたのだと思います。

B君は運動能力や社交性があって人気者になれる恵まれた資質を持つ人であることを思うと,なぜこのような怖さが彼に生じたのか不思議な気がします。複雑な生い立ちがこのような怖さを生み出してしまうのでしょうか。この問いに対する私の答えは,「半分NOで,半分YES」です。

何ゆえ「NO」なのかというと,この怖さは新生児が誰しも感じるものだとすれば,皆が共通して体験している怖さであり,複雑な生い立ちによって形成されたものではないからです。しかし,複雑な生い立ちが影響している側面もあるので,「YES」とも言えます。多くの子どもがB君のように湧き上がる怖さに脅かされることはなく,安定した生活を送っています。B君が多くの子どもと違う点は,複雑な生い立ちを背負っていることです。

B君は養育者の変更が多い生活歴のために,安定した愛着関係を体験できていなかったと考えられます。愛着(アタッチメント)は,混乱した感情と不快な興奮から回復する機能を持ちますから,B君は混乱や不快からの回復力が弱かったのです。

強いストレスがかかった時や情緒発達の節目を迎えた時には,誰しも心の安定が揺らぎ,不安や怖さが湧き上がりやすいものですが,B君は他の子どもに比べて不安や怖さに飲み込まれやすかったのでしょう。怖さを波に例えるなら,大きな波が押し寄せてきた時に避難できる“島”が,B君の場合は小さかった,あるいは仮初めの浮島でしかなかったと言えます。

ここで“島”に例えたものが,愛着理論で言う「安全基地」です。“ここに居れば大丈夫”という安全性に裏打ちされた安心感をもたらす拠り所となる,人物あるいはイメージ(内的対象)のことを言います。

B君の心の中に存在した「安全基地」は,残念ながら,小さな基地,もしくは流されかねない基地だったのでしょう。それでもB君は,自らの資質を駆使して,自分の力で安心や楽しみを獲得しようと努力し,その結果人気者になれたのだと思います。ただ,思春期の嵐と対峙する時期を迎えたところで,彼が築いた基地では“大丈夫”ではいられなくなってしまいました。

「安全基地」には脅威に揺るがない「安定性」と,変わらず存在し続ける「一貫性」が備わっていることが大切なのだと,私はB君から教えられました。

前回のお話では,安心できる対象が広がることが健全な発達だと言いましたが,まず拠点となる「安全基地」を築いてこそのことです。養育者が赤ちゃんに与えた安心体験の蓄積によって,サンゴ礁が生まれる過程のように,まず中心部が“怖い海”の波間に頭を出して“安心の島”になります。

そして,この“島”の周りに,段々と他の人からの安心体験も付着して,同心円状にサンゴ礁が発達していき,“陸地”が形成されます。“陸地”が大きくなれば,“怖い海”からは遠ざかることができて,安全な環境で安心して過ごせることが当たり前という,地に足がついた安定した生活が送れるようになります。

このような安全を保障し安心を提供する“陸地”が大きくて安定していれば,不安や恐怖に襲われた時にも,それに耐え回復する力が備わり,子どもの情緒が安定します。支援の現場では,子どもをたくましく育てたいと考えて,あえて苦痛や困難を子どもに強いる家庭と出会うことがありましたが,私は“怖い海”の水かさが増すばかりだと感じていました。不安や恐怖に負けない心を育てるためには,子どもに安心体験をたくさん与えて,“大丈夫”という気持ちを育む方が理にかなっているのではないかと思います。これは,大人の社会にも通用する考え方かもしれません。

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中垣真通(なかがき・まさみち)
臨床心理士・公認心理師,子どもの虹情報研修センター研修部長
1991年4月,静岡県に入庁。精神科病院,児童相談所,情緒障害児短期治療施設,精神保健福祉センター,県庁等に勤務。
2015年4月,子どもの虹情報研修センター研修課長,2019年4月から同研修部長,現在に至る。
日本公認心理師協会災害支援委員会副委員長,日本臨床心理士会児童福祉委員会委員,日本家族療法学会教育研修委員など。
主な著書に,『緊急支援のアウトリーチ─現場で求められる心理的支援と理論の実践』(共編,遠見書房,2016),『興奮しやすい子どもには愛着とトラウマの問題があるのかも─教育・保育・福祉の現場での対応と理解のヒント』(西田泰子・市原眞記との共著,遠見書房,2017),『日本の児童相談所─子ども家庭支援の現在・過去・未来』(川松亮ほか編,明石書店,2022,分担執筆)など

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