【特集 がん患者の心理支援──各ライフステージの特徴を理解した支援に向けて】#06 中年期のがん患者への心理支援|清水 研

清水 研(がん研究会有明病院)
シンリンラボ 第15号(2024年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.15 (2024, Jun.)

1.中年期は「人生の正午」

中年期とは,人生の中の40歳から64歳の25年間を指し,身体的,社会的,家庭的,心理的に変化の多い時期だ。心理学者のユングは,青年期から中年期への移行期を「人生の正午」と表現し,この移行期に人は危機を迎え,考え方をシフトする必要に迫られると言っている。人生は一回限りなので,成長の過程にある人生前半においては,正午の絶頂から午後の下降に至る変化を,前もって実感を込めて知ることはできない。そして,人生の後半に入ったときにはじめて,人間は衰えていくことを実感を持って悟らなければならない。

仏教には四苦という言葉があり,生きる上での4つの苦しみがあり,生老病死がそれにあたる。人生前半は「生」の苦しみと向き合うわけだが,中年期は老病死の問題にも徐々に向き合う時期だ。人生の前半は,将来自分は今よりも発展しているイメージを持ちやすいが,中年期以降にはそのようなイメージは崩れ,そして自分の人生の期限も意識する。

なので,将来の成功や,社会の中で承認されることを目的に一生懸命生きてきた人も,そのことにすべてのエネルギーを注ぐことにむなしく感じることもあるだろう。そして,どうしたら自分のこころが満たされるのか,対外的な評価から,内面の豊かさを求めるようになるのだ。

2.中年期のがん罹患がこころにもたらすもの

「がん」という病気は,中年期になってもなかなか手放せなかった「自分はいつまでも成長し続けられる」という幻想を一気に打ち砕くとともに,人に「死」を意識させ,「人生は限られている」という真実を否応なく突きつける。

健康な人であれば,中年期に生き方を変えるという課題と,ゆっくり向き合うことになる。たとえば,私自身は中年期の課題とかれこれ10年以上向き合っていて,今もまだその取り組みは続いている感覚がある。しかし,がんになった場合,そのような悠長なことは言っておれない。中年期のがん罹患は,「人生の締め切りが突然前倒しされる現実と向き合う」という意味合いがあり,がん治療を受けるなどの過酷な日々を過ごしながら,こころは全力で答えを探す必要に迫られるのだ。

3.肺がんに罹患したある男性の場合

54歳の千賀泰幸さんは,IT関連企業で新規事業開拓の責任者として全国を飛び回る仕事の鬼でした。妻と三人の子どもの5人で暮らしており,家族を守る強い父親であることが自分の役目だと思っていました。
しかし,ある日進行性の肺がんが判明し,何もしなければ五年生存率五パーセントと言われたそうです。その後二カ月の入院中,千賀さんは治療を受けながらカーテンを閉め切って一人,泣き続けました。治療の苦しさや死の恐怖ではなく,家族を残して逝ってしまうこと,家族を守ってやれなくなる自分の無力を嘆いてのことでした。強かった自分が弱い存在になっていくのがどうしても受け入れられなかったそうです。
精神的に行き詰った千賀さんは私の外来に通うようになります。私との診察の際,千賀さんは次のようなことを言います。
「先生,やはり感情のコントロールが出来なくて困っています。まだ,さめざめと泣いてしまうのです。私は家族をいつも守ってきたのです。かっこいい親父でありたかったというか,家族にとってのヒーローだったんです。ヒーローが泣いてはマズイでしょう」
そう言いながら,涙声になっていることに,千賀さん自身が一番戸惑っていました。ほんの少しの沈黙が流れたあと,横に座っていた息子さんがこう話し出しました。
「父は昔から家族にいつもこう言っていました。困ったことがあったら,助けてやるって。例えば,もし,いじめられたら父さんが相手をやっつけてやるからって。そんな感じで父はずっと,家族を守ってきたのです。病気になったからといって,父は私たちにとってかけがえのない存在であることは変わりません。今でも,おやじは我が家のヒーローです」
この息子さんの言葉に,千賀さんの涙は溢れ,私はあたたかい気持ちにつつまれました。その時千賀さんは,「強い父親でなければならない」という,ずっとしばられていた価値観から自由になったようです。
その後,千賀さんは次のように語りました。「実は,がんになる前は気づかなかったことに気づき始めたのです。がんになる前は,ばかばかしい話ですが,死なないつもり,で生きていました。死なないつもりだと,時はあっという間に流れていきました。でも,今は一日一日を大切にするようになりました。駅への道すがら,木々を抜ける風の音,通学する小学生の声,雑踏の音さえも愛おしく感じられるようになりました。季節のうつろいにあわせて木々の色はもちろん,風の色が違うことにも気づくようになりました。そして,季節は必ず巡ることも」
(稲垣麻由美著『人生でほんとうに大切なこと がん専門の精神科医・清水研と患者たちの対話』より)

4.がん体験後のこころの道筋

図1はCalhoun&Tedeschi(2006)が提示した心的外傷後成長モデルを簡略化して図示したものだが,がん罹患後のこころの変化をわかりやすく示しているので,ここにご紹介したいと思う。健康で平和な世界で生きてきた人の場合,自分の人生がこれからも10年20年と当たり前のように続いていくと思いながら生きていることが多いが,これが「①がん体験前の世界観」である。

図1 がん体験後のこころの道筋(Calhoun & Tedeschi, 2006より)

しかし,先ほど紹介した千賀さんのように,ある日突然肺がんに罹患したことが告げられたら,「当たり前のように10年後がやってくる」という前提が崩れる。このように,「②衝撃的な出来事」がおこると,生きる前提としていた世界観が根底から崩れ去ってしまう。そして,場合によっては「③生きる意味の喪失(=スピリチュアルペイン)」が生じる。

しかし,これは終わりではなくて,実は出発点で,患者はここから「④喪失と向き合う」と「⑤新たな状況への適応」という2つの課題に取り組みだす。このような出来事が起きたら,絶望し,激しい怒りや悲しみといった感情がこころの中で渦巻く。また,思い出したくもないのにがん告知の場面を何度も思い出してしまうということがあるかもしれない。負の感情や考えがこころの中をめぐる非常につらい時期であるが,実はこのとき患者さんのこころは足踏みしているわけではなく,すでに「④喪失と向き合う」という最初の課題に取り組んでいる。悲しみのような負の感情にはこころの傷をいやす働きがある。告知直後は「信じられない」「何とかこの状況を覆す方法はないだろうか」といった現実を否定しようとする考えが先にたつかもしれないが,だんだん,「悔しいけど起きてしまったことは変えられない」という受け止めが始まる。

現実は変えられないことを悟れば,「だったらその限られた人生をどう生きようか?」という考えが動くようになる。これが「⑤新たな状況への適応」という2つ目の課題だ。

最近,こころのレジリエンス(回復力)について注目される機会が多いが,人間は絶望したままではいられない,そこに何とか希望や生きる意味を見出そうとする生き物なのだろうと思う。そして,さまざまな試行錯誤ののち,「限られた人生」を前提とした「⑥新たな世界観」が出来上がるのだ。

5.がん体験後に生じる新たな世界観

新たな世界観の内容について,心的外傷後成長の研究からはある程度の共通項は認められており,図2に挙げた5つの要素があると考えられている(宅,2016)。この5つのうちのいくつかが組み合わさって起きてくる。

図2 がん体験後の新しい世界観~5つの変化~

5つの変化の中で,多くの人に,最初に生じる変化が「①人生に対する感謝」だ。厳しい病状を告げられると,死を意識する。「いつまで自分が生きられるんだろうか?」という不安や恐れが生じるが,その裏返しとして,実は「今日一日を生きていることがあたりまえのことではないんだ」という考えが出てくる。

人間は希少なものに価値を感じる習性がある。例えば貴金属のゴールドなどもそうで,ゴールドが石ころのようにそこらへんに転がっていたとすれば,だれも見向きもしないだろう。同様に,毎日があたりまえのようにやってくるときは日々を何となくすごしてしまうが,自分の残りの人生は数か月かもしれないと思えば,一日がとてもいとおしく思われる。

そして,今日一日をすごせることが当たり前ではないことに気づき,感謝の念が沸くと,人は貴重な時間をどのように過ごすのかということを一生懸命考えるようになる。これが「②新たな視点(可能性)」で,人生においてほんとうに大切なことは何か,自分にとっての優先順位をつけ,生きがいについて深く考えるようになる。

人生の優先順位を考えたのち,多くの人がもっとも重要だと思うことは,「③他者(自分にとって大事な人)との関係」だ。大きな病気になると,いろんな困難が生じる。今までさまざまな問題を自分の力で乗り越えてきた人でも,「今度ばかりは立ち行かない」と感じることも少なくない。そんな時に,家族,友人,さまざまな方が手を差し伸べてくれるような体験をすると,あらためて「自分はたくさんの人に支えられて今を生きているんだ」と思うようになる。

そのほかにも,自分を押し殺すのをやめて「自分の素直な気持ちのままで生きても大丈夫なんだ」と思う変化が「④人間としての強さ」であり,超越した力を感じ,自然に対する感性がとっても鋭敏になることもあり,これが「⑤精神性的変容」にあたる。

このような気づきを経て,例えばある患者さんは「残りの時間は限られてしまったかもしれないが,自分には大事なものがたくさんある。毎日毎日を大切に,精いっぱい生きよう」といった考えに至るのだ。もちろん,ここにたどり着くまでの時間は人それぞれで,なってしまったものはしょうがないと割り切れる人と,悲しみや怒りに押しつぶされそうになってしまう人もいる。

なので,レジリエンスが存在するということを安易にとらえすぎてもいけない。すべての人が新たな状況に簡単に適応できるものではないし,レジリエンスの裏側には大きな苦しみがある。病気になって気づけたこともあるが,「それでもできれば病気にならなかったほうがもちろん良かった」とがん患者は感じていることを,忘れてはいけない。

6.中年期のがん患者への心理的支援

中年期のがん罹患は,心理的に健康である人にも危機をもたらし,いままでの世界観が崩壊するとともに,新たな適応にむけて進もうとすることを述べてきた。このプロセスの中で,その語りを聴く人の存在は,大いに力になる。

家族には心配をかけてはいけないと,こころの中に秘めている思いを話したり,怒りや悲しみなどの感情を出したりする場がない人はたくさんいる。そういう人にとって,自分の気持ちを遠慮なく表出することができて,自分の気持ちが理解されるという体験は非常に重要である。

なので,がん罹患前から個別の精神的な課題を抱えている人は別であるが,多くの患者が必要とするのは,共感的なアプローチである。ある意味オーソドックスで特殊な技法は必要としないのだが,私自身はがん患者を援助する臨床を始めたときは,大きな困難を抱えた。それは,当時私が30代前半であり,外傷後成長後モデルにおける「がん罹患前の世界観」しか知らなかったからである。

中年期のがん罹患に伴う心理的危機を援助するには,援助者も老病死について理解しておく必要がある。このことは,援助者の世界観にもより広い見地をもたらし,人生を豊かにするという副産物をもたらすことを,自分自身の体験からは実感している。

文 献
  • Calhoun, L. G. & Tedeschi, R. G. (Eds.)(2006)Handbook of Posttraumatic Growth: Research and Practice. Routledge.(宅香菜子・清水研監訳(2014)心的外傷後成長ハンドブックー耐え難い体験が人の心にもたらすもの.医学書院.)
  • 宅香菜子編(2016)PTGの可能性と課題.金子書房.

バナー画像:Davie BickerによるPixabayからの画像

清水 研(しみず・けん)
がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長
日本精神神経学会精神科専門医指導医,日本総合病院精神医学会専門医指導医,日本サイコオンコロジー学会登録精神腫瘍医
金沢大学医学部医学科卒業,医学博士(東京医科歯科大学)
平成15年度よりがん専門病院で精神科医として臨床活動を行っており、対話したがん患者・家族は4000人を超える。

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