【特集 催眠現象ってなに?】#01 メスメリズムに見る催眠現象|吉田 稔

吉田 稔(吉田クリニック)
シンリンラボ 第11号(2024年2月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.11 (2024, Feb.)

1.メスメル

1)唯一の誤り

『現代催眠原論』高石昇・大谷彰共著(2012)。筆者は本書を何度も通読し,実際の催眠臨床で疑問や困難が生じた時には辞書のように活用してきた。400頁近い大著でありながら非常に読みやすい。現在のところ催眠全体を体系的・網羅的に語っている点において,この「原論」の右に出る書籍はない。ところがこの名著「原論」であるが,惜しむらくはただ1カ所だけ大きな誤りがある。

「結局,メスメルは患者にも同僚の医師たちにも見放され,パリを離れ,あちこち放浪したあげく,生誕地であるコンスタンツ湖のほとりで誰に看取られることもなく死亡した。」(p.29)

ここである。

2)「メスメリズムに見る催眠現象」の意味は?

筆者に与えられた課題は「メスメリズムに見る催眠現象」である。催眠は,これから5名のその道の専門家が論ずることになる精神分析,自律訓練法,臨床動作法,エリクソン催眠,松木メソッドなど,種々の治療法を生み出した「打ち出の小槌」だという。もしそうだとしたら,メスメリズムはその「打ち出の小槌」をも打ち出した「元祖打ち出の小槌」,本家に対する総本家なのである。従って本来問われるべきは「メスメリズムに見る催眠現象」ではなく,「催眠現象に見るメスメリズム」のはずだと思うのが……。しかし素人好事家に過ぎない筆者は,与えられた宿題を文句を言わずに粛々とこなすことにしよう。但し好きに書かせていただく。

今日の催眠の起点となった人物,それがMesmerである。彼の名前は「メスメル」とも「メスマー」とも呼ばれてややこしい。要はドイツ語の“R”の発音である。今では舞台とか歌曲でのみ用いられる「巻き舌のR」だと前者となり,現代的な「のどひこのR」では,……う~ん,これはシンドイ。実は「-ar, -erなどの母音の後の“r”は母音化して“ア”と発音する」というきまりがあってこれでは「メスマー」と表せる。まとめると,Franz Anton Mesmerは,古風にだと「フランツ・アントン・メスメル」,現代風には「フランツ・アントーン・メスマー」となる。新しければ良いとも言えない。これではかの国の首都Berlinは「ベルリン」ではなく「ベアリーン」になってしまって落ち着かない。なおフランス語では「メスメール」となろう。

ここでは名著『無意識の発見』エレンベルガー著(1980)に倣い「メスメル」と表記する。なおこの小論の大筋はこの「無意識の発見」に依拠している。そしてこの際正直に白状しておくが,筆者は全くもってメスメルびいきである。南ドイツの彼の墓にも詣でた。

3)動物磁気の発見

我らがメスメルは1734年南ドイツ,ボーデン湖(コンスタンツ湖)のドイツ領岸の小さな村イツナングIznangで生まれた。1766年ウィーン大学において「人体疾患に及ぼす惑星の影響について」なる論文で医学の学位を得る。メスメルは当初治療において磁石を用いて成功を収めたが,磁石の力は補助的な役割にすぎず,治療成功の鍵は彼自身の中に蓄積していた流体が患者の中に磁気流を生じさせたためとの確信を持った。1774年7月28日のことである。彼はこれを動物磁気(animal magnetism)と名付け,以後この動物磁気の研究とそれを用いた治療の普及に生涯を賭けることとなる。それにしても「動物磁気」とは奇妙な名前である。シュテファン・ツヴァイクStefan Zweig(1972)は「生命性磁気Lebensmagnetismus」と言うべきと述べている。

4)力動精神医学の成立(1775年)
「力動精神医学の成立は1775年にまで遡ることができる。1775年とは医師メスメルMesmerと祓魔術師ガスナーGassnerとが激突した年である」(エレンベルガー,p.61)

ガスナー(1727-1779)はカトリックの神父で,1775年当時は南ドイツのエルヴァンゲンで高名な祓魔術師エクソシストとして大活躍し大変な騒ぎとなっていた。バイエルン選帝侯の審査団によって両者の対決となったのだが,結局メスメルの勝利に終わった。エレンベルガーは,これは啓蒙主義が宗教的・伝統的社会勢力を打倒したことになるとの見解を示し,この1775年をもって力動精神医学の成立の年とした。もっとも啓蒙主義と言っても「動物磁気」は当時でさえ疑う者も多かったのも事実である。

5)メスメルのその後

こうしてメスメルはウィーンで多くの患者を集め際立つ存在となったのだが,これに対する医学界の反発も強くなり,1777年この街を追われることとなった。そして1778年パリに登場。ここでも多くの患者が押しかけ治療しきれなくなった。そこで「磁気桶」を用いたり,木を「磁化」して多くの患者を一度に治した。これは集団精神療法の始まりである。しかし彼はあくまでも自分の磁気治療が科学界で公認されることを切望していた。

このあたりの様子は,誇張や脚色は当然あるが,映画『MESMER』アラン・リックマン主演,ロジャー・スポティスウッド監督(1994)を見ていただければと思う。また『悪魔祓い,聖なる儀式』フェデリカ・ディ・ジャコモ監督(2016)というとんでもないドキュメンタリー映画もある。この映画の中で登場人物が激しいけいれんを起こしたり,白目を向いたり,仰向けに棒のように倒れたりするのには驚かされる。ガスナーの祓魔術もかくの如くであったのだろうか?

しかし1784年フランス国王ルイ16世が命じた審査委員会にてメスメルの治療は禁止にはならなかったものの,「磁気流体」なるものの存在は認められなかった。1785年メスメルはパリを去る。そして1789年フランス革命が勃発。メスメルを審査した委員会のメンバーのバイイ,ラボアジェらは,混乱の中断頭台の露と消えた。

6)メスメルの体系

メスメルの治療原理の元となったものは,自分は神秘的な流体――すなわち動物磁気を身に帯びているという直感的確信であった。そして実際の治療では磁気術師は患者との「ラポールrapport」(交流)を通じて,動物磁気と呼ばれるこの流動体を流し込むことにより,「分利」を起こさせ病気を治療するというものである。

メスメルは患者に向かってすわり,自分の膝を患者の膝に触れさせ,自分の両手を合わせて患者の両手の親指をその間に入れて固く抱きしめ,患者の目をじっと見つめると,さかんに身体的接触を行なった。これは今日催眠でも「パス」として(まれに,そしてソフトに)行われている。L・シェルトークら(1987)は,この「ラポール」に関して,メスメルが心理的交流の意味ではなく,身体的接触を表わすためにこの語を選んだと推定している。

この「分利crisis」は,一般的に「危機;病気の発作,急変」などの意味であるが,メスメルにとっては,病気にかかっている証拠であり,同時に治療の手段でもあった。分利の時には患者は発汗し,叫び,呻き声をあげ,身体を震わせ始めたかと思うとそれが全身のけいれんに至る。ある患者はその体験を「私の四肢から氷状のものが出ると,今度はひどい高熱となり,悪臭を放つ汗が流れた」と述べている(メスマー,1779 (1948)/邦訳2023, p.21)。今日的な視点を持ち込むと,この分利は激しい除反応と言えよう。

ここで今一度筆者に与えられた課題「メスメリズムに見る催眠現象」について考えてみる。結論は,メスメル自身の治療では,分利はあれど催眠現象(トランス)は存在しなかった。そもそも彼は物理的治療を行なっているつもりであって,精神療法をしている意図は全くなかった……である。ここまで引っ張っておいて,ないとは何ごとかとお叱りをうけるかもしれないが,ないものはないのである。但しメスメルがいなかったら,メスメリズムも存在せず,今日の催眠もなく,精神療法一般でラポールが重視されることもなかったことは確かである。

2.ピュイゼギュールPuységur侯爵(1751-1825)

1)症例:ヴィクトル・ラースVictor Race

偉大な治療者には必ず偉大な患者がつきものである。シャルコーにおけるブランシュ・ヴィトマン,フロイトにおけるアンナ・Oのごとくである。ピュイゼギュール侯にとってそれは,ヴィクトル・ラースという農民で,何世代にもわたる侯爵家の使用人であった。以下,エレンベルガー(1980, p.81-86)に従い,私見を述べたい。

ヴィクトルは軽症の呼吸器疾患を患っていた。侯爵はメスメルの忠実な弟子であったので,メスメル流に動物磁気を使って「分利」を試みたところ,彼はけいれんも運動錯乱もなく,逆に奇妙な睡眠に入った。その状態は通常の覚醒状態よりも意識が明晰で,声を出してしゃべり,いろいろの質問に答え,普段よりずっと頭の回転がよくなったという。これは「完全分利」(la crise parfaite)と呼ばれ,この状態で患者は磁気術師との選択的な「交流」(rapport)をもち,命ぜられるままを実行し,分利終了後に完全健忘を残した。そして自然に起る夢遊病とこの磁気睡眠との類似性は明らかで,人工夢遊病と命名された。この状態に対して,後にブレイドBraidが「催眠」の名を与えることになる。さらに一部の患者には,会話の対等さがあって「それは磁気をかける者とかけられる者の駆引きとさえ言えるものであった。この駆引きのために,治療はともすれば“患者主導の治療”の様相を帯びた。磁気をかけられた患者の方が自分の病気を診断し,病気の進展を述べ,しばしば治療法を処方する」これは「透見性」(lucidité)と呼ばれた。

2)「催眠現象の発見」

上記の記述をみると,「催眠現象の発見」当初からトランスのみならず,一気に二重人格まで登場し,侯爵は今日でいう自我状態療法(部分人格に働きかける治療)を行なったことになる。当時磁気治療は,身分の上の者が目下の者に無料で行なうもので逆はありえなかった。ヴィクトルの第2人格が才気に富んでいた点については,彼は主人の言動をつぶさに見聞きしており,主人と同一化したいという願望があったからで,さらに駆引きに関しては貴族-小作人の社会関係によって説明できるのではとエレンベルガーは述べている。なるほどと思わせる。(エレンベルガー,1980, p.226-227)

さらにピュイゼギュールは“磁気術師の訓練や症例検討会を行なったのだが,これはフランス革命によって中断することとなる。その後ブルジョアジーが台頭したが,磁気術師は生活の糧のために料金をとるようになり,治療者は患者に命令をしていく形になり,侯爵の治療のような牧歌的な対話の要素はなくなった。トランス状態において,封建的な社会では治療者-患者関係が対等であったのに,皮肉にも民主主義社会では不平等になってしまった。この関係がまた平等になるためには,ミルトン・エリクソンの登場を待たなければならない。

ともかくこうしてメスメリズムmesmerismは,メスメルの動物磁気を用いる「身体療法」に端を発しているものの,既に彼の存命中に弟子のピュイゼギュール侯が見いだした人工夢遊病(催眠)を用いる「精神療法」への方向に大転換した。それに伴い動物磁気も,これを実在するものとして,次に比喩的なものとして,そして遂に否定されるに至ったのである。

なお今日夢遊病Somnambulismというと,睡眠時随伴症群のような脳のレベルの病状をさす。歴史的にはこれと鑑別は困難であろうが,ヒステリーとの関連が問題となる。ジャネは,自然発生的夢遊病と人工的夢遊病(催眠)の本質的な違いは,後者は磁気術師という人間の厳格な管理下にありその指示にしたがっている点を挙げている。

3.ピュイゼギュール以降のメスメリズム

フランスでは,ピュイゼギュール以降もさまざまな磁気術師が登場した。ファリアFaria師は流体論を否定し,全ては患者の中で起こると主張した。彼の名は小説家デュマが「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」の登場人物として用いたことで知られている。

ドゥルーズDeleuzeは,ピュイゼギュールの弟子で流体論者であった。しかし「ラポール」の中に患者と磁気術師との相互作用をも認めるようになった。その他,ノワゼ,ベルトラン,シャルピニオン,ラフォンテーヌ,テスト,……多数の磁気術師たちによってメスメリズムは発展し,彼らによって,ラポール,催眠トランス,二重人格,催眠中の健忘,後催眠暗示など今日催眠現象と呼ばれているもの全てが記載されたと言って良いだろう。従って「メスメリズムに見る催眠現象」は何かという問いの答えは,「全て」である。今日催眠現象と呼ばれているもの全てが,磁気術師達にとっては先刻ご承知の知見だったのである。しかし彼らの輝かしい業績は一旦忘却され,ジャネらによる再発見を待たなければならなかった。

一方スコットランド出身の外科医ジェイムズ・ブレイドJames Braidは,施術者からの動物磁気は存在せず,脳生理学的な見地から全ては患者自身のうちで起きることを証明した。そして人工夢遊病を,神経催眠neurypnology(綴りに注意),さらに催眠hypnotismと名付けた(Gauld, 1992)。ここにおいて動物磁気説はとどめを刺されるに至ったのである。

4.メスメリズムの拡散

メスメリズムのような無意識に働きかける治療法は,精神分析同様,多くの人の心を揺さぶるようである。ドイツではフランスとは異なり,当初からアカデミーの世界でも動物磁気は公認されて,自然哲学者,ロマン主義者が研究を続けた。それは流体説への共感とピュイゼギュールの「透見性」から発展した超能力への関心のためである。特にドイツロマン派の作家は,メスメリズムの強い影響を受けている。例えば,まだメスメルが存命中の1814年に刊行されたE・T・A・ホフマン(1976)の「磁気催眠術師Magnetiseur」。ここでは一人の磁気術師によってある男爵家が滅亡するまでが物語られている。わが国では森鷗外が1905年「魔睡」を書いたが,これは「催眠術」のことである。江口(2007)によると,この小説では「とりわけ催眠による女性の性(セクシュアリティ)のコントロールと解放というこの時代の男性が抱いた古典的怖れが主題となっている」という。かなりスキャンダラスな小説で鷗外は厳重注意を受ける破目になった。

かくしてメスメルの鋭い眼光から放たれた動物磁気は,メスメリズムという「元祖打ち出の小槌」を生み出し,そこから“全うな”催眠以外にも,舞台催眠,オカルティズム,新宗教,文学,ホラー映画などが次々に世に打ち出されたのである。そのため我々の催眠の学会では厳しい倫理規定をつくってこうしたアヤシイ連中が混入しないように常に目を光らせているのであるが,よくよく考えてみればこれらの有象無象はいわば催眠の同胞達なのである。ホフマンの研究者亀井(2002)は,「催眠術に関する既成イメージの払拭がいかに困難であるか」と述べ,さらに「むしろそうした妖しげなイメージへの嗜好こそが一般にはあるという事実」を指摘している。この良からぬ兄弟達の存在は,偏った知識や暗示として我々の催眠治療に影響を与え続けている。この特集では,催眠はいろんな治療の元となった至極フツウの安全な治療ですよ,とアピールしたいのであろうが,大文豪森鷗外までも敵に回しているのであるから,まず勝ち目はない。断言しておく。しかしそれでも催眠臨床家たる者,この催眠に対する患者の「偏見」すらも「利用」(M. エリクソン)してラポールを築き,日々催眠をしているのである!

5.メールスブルクMeersburg

メールスブルクは南ドイツらしい小さな風光明媚な街である。港ではなぜか馬蹄形の磁石をもったメスメル像が我々を迎えてくれる(Lenk,2007)。その像の下にはメスメルのライバル,ガスナー神父も悪魔に十字架をかざしている。1815年3月5日,メスメルはボーデン湖畔のこの地で世を去った。彼が最期を迎えた病院は今はワイン博物館となっていて,そこには「医師であり“動物磁気”の発見者,フランツ・アントン・メスメル,ここにて永眠す」と記してある。メスメルは孤独死をしたのではない。従って「原論」の記述はこの点,完全に間違っているのである。こんな素晴らしい街で死ねるとは,何と幸せな人生だったろう! 彼の墓は街中から少し外れた墓地にある。凡そ磁気術を極めんとする者,まずもって梅斯梅爾メスメル師が墳墓に参るべし!

「動物磁気――この『動物』という形容詞は『アニマ的』すなわち『魂的』という意味で元来はあったかもしれない――ということばを,我々の『気』に置き替えるならば,彼の説くところは,われわれ東洋人の耳に全く奇異に感じられなくなるかもしれない。磁気流体を,経路における流れと置き替えてもいいだろう」(中井久夫, 1987, p.278)。
文 献
  • L・シェルトーク,R・ド・ソシュール(長井真理訳,1987)精神分析学の誕生―メスメルからフロイトへ.岩波書店,p.19.(Chertok, L. &Saussure, L. D.(1973)Naissance du Psychanalyste: de Mesmer à Freud. Payot.)
  • 江口重幸(2007)シャルコー―力動精神医学と神経病学の歴史を遡る.勉誠出版,p.146.
  • アンリ・エレンベルガー(木村敏・中井久夫監訳,1980)無意識の発見(上).弘文堂.(Ellenberger, H. F.(1970)The Discovery of the Unconscious. Basic Books.)
  • Gauld, A.(1992)A history of hypnotism. Cambridge University Press, p.281.
  • E・T・A・ホフマン(深田甫訳,1976)磁気催眠術師.In:ホフマン全集1(カロ風幻想作品集Ⅰ).創土社.
  • 亀井伸治(2002)支配のテクスト,テクストの支配―E・T・A・ホフマン「磁気催眠術師」について.早稲田大学比較文学研究室「比較文学年誌」,38; 119-136.
  • Lenk, P. & Weidhase, H.(2007)Magische Säule Meersburg. Verlag Stadler.
  • フランツ・アントン・メスマー著(1779),ギルバート・フランカウ編(1948)(広本勝也訳,2023)メスメリズム―磁気的セラピー.鳥影社,p.21.
  • 森鷗外(1995)魔睡.In:森鷗外全集Ⅰ 舞姫/ヰタ・セクスアリス.ちくま文庫.
  • 中井久夫(1987)『精神分析学』の誕生について(解説).In:L・シェルトーク,R・ド・ソシュール(長井真理訳):精神分析学の誕生―メスメルからフロイトへ.岩波書店,p.278.(Chertok, L. &Seussoure, L. D.(1973)Naissance du Psychanalyste: de Mesmer a Freud. Payot.)
  • 高石昇・大谷彰(2012)現代催眠原論―臨床・理論・検証.金剛出版.
  • シュテファン・ツヴァイク(佐々木斐夫訳,1972)フランツ・アントン・メスメル.In:ツヴァイク全集12,精神による治療.みすず書房,P. 58.
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吉田 稔(よしだ・みのる)
吉田クリニック
資格:医師,公認心理師,臨床心理士
趣味など:ドイツ語学習,SE/30以来のMac User,親指Shifter,流体論者

目  次

1コメント

  1. 全体的に、文系のエッセイを読んでいるのか、科学の催眠の話をしているのかよく分からなかったです。

    「ここで今一度筆者に与えられた課題「メスメリズムに見る催眠現象」について考えてみる。結論は,メスメル自身の治療では,分利はあれど催眠現象(トランス)は存在しなかった。そもそも彼は物理的治療を行なっているつもりであって,精神療法をしている意図は全くなかった」
    まず、ここが意味不明でした。
    「催眠現象ってなに」という特集で、催眠現象が何かを全く示さないまま、催眠現象が存在しなかったと言われましても…
    そもそも、その人の意図は現象が催眠であるかと何か関係があるのでしょうか?
    私は最近、非状態論の立場に傾きつつあるので、「催眠状態」(トランスではないですよ)という言葉を怪しく感じるのですが、もし「催眠状態」が科学的に存在しないことが判明した場合、「あなたはだんだん催眠状態に入ります」などと誘導して催眠現象を起こす人は催眠を行なっていないことになるのでしょうか。
    物理現象のために催眠を使うこともよくあるものと私は認識していますが、メスメルが自分が純粋に物理現象を起こしていると思っていようが、それが催眠現象であるか否かの判定とは関係ないと思います。

    「多数の磁気術師たちによってメスメリズムは発展し,彼らによって,ラポール,催眠トランス,二重人格,催眠中の健忘,後催眠暗示など今日催眠現象と呼ばれているもの全てが記載されたと言って良いだろう。従って「メスメリズムに見る催眠現象」は何かという問いの答えは,「全て」である。」
    催眠現象はなんなんなのかは分からないまま、催眠現象はメスメリズムから一歩も出ないものだという結論に至ってしまったようです。
    催眠現象⊆メスメリズム……理系的な読み解きがいけないんでしょうか。
    100年以上新しい現象が見つかっていないのは、催眠現象の確からしさと見るべきなのか、学術研究の怠慢と見るべきなのかよく分かりません。

    「我々の催眠の学会では厳しい倫理規定をつくってこうしたアヤシイ連中が混入しないように常に目を光らせているのであるが,よくよく考えてみればこれらの有象無象はいわば催眠の同胞達なのである。」
    ここは全く同意します。
    私が非状態論を学べるようになったのも、学会で言うところのアヤシイ連中に当たってしまうのでしょう。
    倫理的な催眠「療法」は、試行回数も応用の幅も狭い様な気がしていて、「術」は英語でartですけど、やっぱり技術はいろいろな使われ方をする中で磨かれ、そこから理論が生まれるのでしょう。
    アヤシイだけでなく、害悪なことに催眠を利用する人がいるのも現実なのでしょうけど。

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