【書評特集 My Best 2023】|池田暁史

池田暁史(大正大学/個人開業)
シンリンラボ 第9号(2023年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.9 (2023, Dec.)

出会いと親密性

毎年10月,ノーベル文学賞の発表を楽しみにしている村上春樹ファンの方々には申し訳ないが,次にノーベル文学賞を獲るべき日本の作家は田島列島であってほしいし,そうであるべきだと思っている。つまり私は田島列島に惚れ込んでいる。

もちろん,単に惚れ込んでいるだけではない。惚れ込んでいるということでいえば,他にもいろいろな作家がいる。しかし,その人たちがノーベル賞を獲るべきだとは別に思わない。田島列島は特別なのである。

現在ウェブ月刊誌「モーニング・ツー」で『みちかとまり』(田島列島,講談社,2022~)を連載中だが,彼女の現時点での最高傑作としては前作『水は海に向かって流れる』全3巻(田島列島,講談社,2019~2020)を挙げておきたい。一言でいえばボーイミーツガール物になるのだが,そこには一言ではいえない危うさがある。ひとつは「ボーイ」の父親と「ガール」の母親とがかつて不倫の関係にあり,旧に復した「ボーイ」の家庭とは異なり「ガール」の家庭が崩壊してしまっていること。そしてもうひとつは「ボーイ」が高校1年生であるのに対して「ガール」が10歳上の今年26歳になる女性であること。この2人が出会う第1話から物語は微かな不穏さをはらみながら進んでいく。

しかし,こうしたシリアスな主題とは裏腹に物語の描かれ方はきわめてユーモラスである。そして物語は途中から怒涛の王道青春恋愛漫画になる。登場人物一人ひとりの心理の細やかであまりに見事な描かれ方に,私たちは誰もがグウと喉を鳴らしてしまうだろう(ぐうの音)。

ヘテロセクシャルな男性の私は「ボーイ」である直達に感情移入するわけだけれど,本作の主人公は「ガール」である千紗だ。これは憎しみを愛が上回るまでを描いた千紗の物語である。ここでいう憎しみとは,不倫した母への,あるいは母の不倫相手である男への,その息子である直達への,それらを生み出した世界へのといった外へ向かう憎しみではない。彼女の中に居座る外的対象をもたない憎しみである(これを一般的に「トラウマ」と呼ぶこともできる)。

この物語がなぜこれほど私のこころを捉えるのか。それは,精神分析の本質的な仕事とは患者が憎しみを超える愛を抱けるようになることだ,と私が考えているからである。これは人がよりよく生きられるようになることを意味している――その意味でこれは徹頭徹尾,倫理についての物語でもある――。田島列島はそれをあまりに見事に描き切っている(それゆえノーベル文学賞に相応しいと私は思っている)。

作中で直達は「いつもそうやって自分の感情からも相手の感情からも逃げて……他人のためにエネルギーを使ってやれない」(3巻,p.25)と自らを省みる。分析家の仕事とはその逆で「自分の感情からも患者の感情からも逃げずに,患者のためにエネルギーを使うこと」によって達成される。

しかしそれは生半可な仕事ではない。そのことを強烈に教えてくれるのがオグデンOgden, T. H.の『精神分析の再発見―考えることと夢見ること 学ぶことと忘れること』(藤山直樹監訳,木立の文庫,2021)で取り上げられるハロルド・サールズSearles, H.の在りようである。そこには,転移‐逆転移のなかで「患者と結婚したい」とまで空想するサールズがいる。分析家が巻き込まれる暴力的なまでの親密性に私たちは愕然とする。

もちろん分析における愛の成就とは,患者の中の憎しみを愛が上回ることであって,患者と分析家とが現実に結ばれることではない。分析室の2人が結ばれるというエディプス的な愛は,夢見られて最終的には諦められる。このテーマにズバリ切り込んだのがベルサーニBersani, L. & フィリップスPhillips, A. 『親密性』(檜垣立哉・宮澤由歌訳,洛北出版,2012)である。「セックスをしないと決めた2人」による親密性とはどのようなものであるのか。さまざまな示唆を与える書として,少々古い本で入手が難しくなりつつあるのだが,この話題の締めくくりに紹介しておきたい。

バナー画像:Alex G. RamosによるPixabayからの画像

池田暁史(いけだ・あきふみ)
大正大学/個人開業
資格:精神分析家(日本精神分析協会,国際精神分析学会),精神科専門医,臨床心理士
主なご著書:『メンタライゼーションを学ぼう』(日本評論社,2021),『寄り添うことのむずかしさ』(共著・木立の文庫,2023)など
30年来相思相愛だと思っていたブルゴーニュワインですが,近年の価格上昇についていけず,途方に暮れています。

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