【特集『物語』から読み解けるもの】#00 はじめに|岩宮恵子

岩宮恵子(島根大学)
シンリンラボ 第5号(2023年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.5 (2023, Aug.)

心理療法と「物語」がいったいどんな関係があるの? ともしかしたら疑問に思われる方もあるかもしれない。

でも,考えてみると心理療法というものは,基本的にクライエントが「自分や,自分の周囲で起こっていることについて物語る」ものである。その物語は因果で結びつけられるような単純なものでは決してない。因果で説明できそうに思えることや,そう説明したくなるようなこともあるが,そういう視点だけで解決できることなどは,めったにない。明らかな原因が分かったからといって,その原因を取り除くことができることも少ないし,原因を取り除いても解決せず,どんどん,別の原因とおぼしきものが出現してくることもある。

このように,クライエントの問題は,多層的な構造をもっていて,なかなかクリアな解決が難しいということを前提に置くことも必要になる。これは別にクライエントに限らず,生きているなかでの出来事というのは,多かれ少なかれ,このような側面を持っているだろう。

そして治療場面では,クライエントがどんな物語を生きようとしているのか,真剣に耳を傾けることになる。そのような時間を重ねていると,ほんとうに人は,生きていることそのものが自分自身の物語を紡いでいることになるのだと感じる。まさに,「生きるとは,自分の物語をつくること」(小川・河合,2007)なのである。

そのような臨床の感覚をベースに置きながら,心理療法について論じるときに,小説やマンガ,アニメ,映画やゲームなどの「物語」から,さまざまなクライエントの置かれている状況を読み解こうとする試みがある。

それには,守秘の関係で,クライエントのことを詳細に一般の人の目に触れるところでオープンにできなくても,一般に公開されてよく知られている「物語」に託して,心理療法のなかで起こっていることを語ることができるという意味もある。でも,それよりももっと重要なポイントがある。

河合隼雄(1993)は,さまざまな文学作品を取り上げて人の心の深層について考察することについて,単純にその作品を「利用して」語るというものではないとしている。また自分の言いたいことに,そっくり利用できそうな作品もあるけれど,そういうものは,あまり読んでいて感動が起こらないとも述べている。

確かに,心理的な分析を登場人物がしていたり,あまりに見事な心理描写が言語化してあったりすると,おお……すごいなあ……とは思うものの,こちらがこころの理解に向けてイメージを深めていく余地がないかもと感じる作品もある。

河合は,「自分も動かされた作品に対しては,一般に言われているような意味での「分析」や「解釈」などできることではなく,それとの「格闘」が必要になってくる」として,小説に書かれていることを「利用して」こころについて語るというような文脈で文学作品を用いるのではないと明言している。

クライエントと実際に会っているときの感覚そのままに,さまざまな文学作品と「格闘」することが必要なのだ。「物語」からこころのあり方を読み解くというのは,このような背景をもっている。

今回,この特集では,多くのクライエントが臨床現場で話題にすることがあるし,一般的にもかなり人気のある「物語」――それは漫画やアニメ,ゲームというさまざまな形態をとっている——に対して,河合が文学作品に向かい合ったのと同様のスタンスで「格闘」した結果を,それぞれの臨床家がオリジナリティあふれる筆致で展開している。

笹倉尚子氏は『きのう何食べた?』から,現代の中年期のこころについて論じている。連載が進むに連れて登場人物がしっかりと年をとっていき,その年代に応じたテーマに向かい合っているところから何が読み取れるのか,笹倉氏の視点は非常に広く深く,そして鋭い。

髙井彩名氏は『三角窓の外側は夜』から,「もののけ」という意味を含む「モノ」が何を語るのかという意味の「モノ語り」のありようと,そのような「モノ」と向かい合うときの境界の必要性について,臨床での守りがどうあると良いのかという実感を込めて論じている。

徳山朋恵氏は『ウマ娘プリティーダービー』から,さまざまな「ウマ娘」たちの物語について葛藤をどう乗り越えるのかという視点から論じている。これほどに「ウマ娘」とは多層的な読みができる物語だったのかと驚くとともに,サポートされることやサポートすることについて深く考えさせられる。

三田村恵氏は『明日,私は誰かのカノジョ』から,現代の若い女性が直面しているあらゆる問題について斬り込んでいる。臨床現場になかなかつながらないけれど,ほんとうに困難な生き方をせざるを得ない人たちについてどう考え,どういう理解の方向性があるのかと問いかける。

西嶋雅樹氏は『異世界おじさん』を論じるなかで,山ほど生み出されている「異世界もの」のファンタジーとは別ものであることを指摘している。そして自己完結した異世界体験でない場合,それはどういう意味をもつのかという視点から心理療法の構造との共通項も連想し,鋭い視点で論じている。

今回の特集号では,上記のように一般的に人気のあるサブカル的な「物語」を新進気鋭の臨床家のみなさんが,臨床心理の視点から読み解いている。

このような「物語」についての論考は,臨床家や臨床を目指す学生さんや院生さんに,こころの理解を深めるために読んでいただくだけでなく,一般の読者の方たちにとっても,自己理解を促すようなものになるのではないかと考えている。

さあ,みなさん,どうぞ「物語」についての論考にアクセスしてください!

文  献
  • 河合隼雄(1993)中年クライシス.朝日新聞社.
  • 小川洋子・河合隼雄(2007)生きるとは,自分の物語をつくること.新潮社.
バナー画像:愚木混株 Cdd20によるPixabayからの画像
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(いわみや・けいこ)
島根大学人間科学部・島根大学こころとそだちの相談センター
資格:臨床心理士,公認心理師

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