【特集 こころを支えるお仕事】自分のこころに出会う場所|岩宮恵子

岩宮恵子(島根大学)
シンリンラボ 第1号(2023年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.1 (2023, Apr.)

「推し」が支えるこころ

あらゆる年齢層のクライエントから,「推し活」の話題が出て来ることが増えてきた。「推し」とか「推す」という言葉が使われるときには,何らかの魅力をキャッチすることができた対象に「応援」というスタンスで積極的に関わろうとする意志が含まれている。「好き」とか「ファン」という言葉と限りなく近いが,どれだけ「応援」できるのか,その「推し」のことをどれだけ理解できるのかということに力点が置かれている分,少しニュアンスが違うように思う。

「推し」が発信している言葉から,その努力のありようや心情を推し量って丁寧に解釈している人もいる。そのような話からは,「推し活」のなかには,「推し量る」という想像力がとても必要なのを感じる。そしてそれが,自分自身の置き忘れていた感情や,自分が生きていくために必要な「何か」とは何なのかを知るための大事なプロセスになっていることもある。

とても厳しい症状や状況で苦しんでいる方でも,「推し」が出来たことをきっかけに,こころのつらさに変化が生じることがある。その様子からは,「推し」についての解釈が深まり,それを受け止めてくれる誰かに伝えることが,ある種の自己治療的な行為になる場合があるのを感じる。

そういうことは別に心理療法を受けている人だけに限ったことでない。「推し活」をしているほとんどの人は,同じようなことをSNSやリアルでの「推し活」仲間との交流のなかで行っている。「推し」は,今を生きる人たちのこころを支えるお仕事をしているのだ。

何もしない「レンタルなんもしない人」

こころを支える専門のお仕事の話に入るまえに,もうひとつ。
「なんもしない人(僕)を貸し出します。依頼料は1万円(中略)。飲み食いと,ごく簡単なうけこたえ以外,なんもできかねます」というTwitter発信で話題になった「レンタルなんもしない人」(以下「レンタルさん」)をご存じだろうか注1)。彼は,一人で入りにくい店に一緒に入ってほしい,人に話しにくい話をただ聞いてほしいというような依頼に淡々と応えている。

注1)https://twitter.com/morimotoshoji?s=20

彼はその依頼内容と結果をTwitterで公開しているが,それをもとにドキュメンタリーが制作され,書籍化,ドラマ化もされた。彼を通じて語られる依頼者の様子からは,普段,SNSで交わされているような感情や感覚の共有を,リアルな場でリアルな人と静かに行うことを求めている人が数多く存在していることが伝わってくる。

身近に友人や家族がいる人でも,その人たちには気を遣わねばならないし,その後の関係に影響があるからと,話すことや自分の行動に付き合わせることをためらう人もいる。だから日常的な関係がない彼をわざわざレンタルするのだ。そして大事なのは,なんもしないので,グイグイ入ってくるような侵襲性がないということだろう。レンタルさんの飄々とした存在感ゆえに,他の人が同じことをしたとしても起こらないようなことが起こっているのだと思う。

ところでとても印象的な依頼についてのTweetがあった。これは,彼についての記事のなかでも触れられている(東洋経済ONLINE,2019)。

一人では一人になれない

それは,飛び降りをした人からの「何も知らない何もしない人に会いたい」という依頼だった。その人は,命は助かったものの入院中ということだった。付き添いがあれば外出ができるということで,自分が飛び降りた場所の確認に同行してほしいと依頼してきたのである。確かに,これは知り合いであれば,かなりお互いにハードルの高い場面だろう。

外出許可をとったその依頼者とともに現場に同行したところ,「姿は見えるけれど話はできない所にいてほしい」と言われたので,彼は少し遠くに離れた。そうしたところ,「自分の本当の依頼内容は『一人になりたい』だったのかもしれません。一人では一人になれないので。(中略)一人にさせてくれる自分のための他人がいることはとても贅沢だと思いました」というメッセージがその依頼者から送られてきたのである。

飛び降りなくてはならないほどに追い詰められていた孤独な依頼者が,再びその現場に行ってみようと思ったのはなぜだろう。もしかしたらその決断をした瞬間の自分ともう一度向かい合ってみたかったのかもしれない。

その結果,彼は「一人では一人になれない」という他者を求める地点にたどり着いた。そのためには,ただそこに「居る」だけの「なんもしない人」の存在が必要だったのだ。もしかしたらその依頼者は,一人になることが出来たときに,いかに自分が今まで「孤独」であったのか,ヒリヒリとした痛みとともに感じたのかもしれない。そんな連想も湧いてきた。

レンタルさんは,この依頼者を含め,深刻な状況にある人や困っている人に対して,何か役に立とうという意識はないように見える。ただ,面白そうだから,ただ,そこに居合わせることになったから自分に出来ること(なんもしないこと)をしているだけだ。

なのに,レンタルさんの意図とは別に,ただ,なんもせずにそこに居ることが,結果的に依頼者のこころを支えるお仕事になっているのが大事なポイントだと思う。

こころを支えるプロのお仕事

日常に接点がない人間だからこそ,身近な人間には言えないことを語ったり依頼したりすることができて,そこに一定の料金が生じるという点では,心理療法の枠組とレンタルさんがしていることに共通点がないわけではない。しかし,彼がしているようなスタンスで専門的な「こころを支えるお仕事」をしていくことは無理だ。というか,それでは誰もプロだと認めてはくれないだろう。

こころを支えるプロには,臨床心理の専門的な知識を身につけたうえで,多角的な見方や対処の方法などをクライエントの状況に応じて考えられることが必要だ。

そしてクライエントと話し合いを続けるなかで,困っていることへの理解の方向性が生まれたり,苦しみの暗闇に光が差したりすることを目指すのが大事なことだろう。このように何らかの解決がもたらされることを期待する人に対して,どのようなアプローチが必要なのかを判断し,いろいろな職種の人たちと協力し合って,その人の現実を支えながらこころを支えていくことを求められている。チームでこころを支えることの意義が重要視されることもかなり増えてきた。

その一方で,上記のレンタルさんの依頼者のように,クライエントのなかには,一人になりたくて,面接室にやってきている人もいる。

「一人になりたい」,つまり自分の存在を静かに深く感じたいという願いが叶うためには,何も邪魔をせず,自分の存在をこころに留めながら一人にさせてくれる他者の存在がどうしても必要になってくる。でも何も邪魔をしないというのが,言葉通りの「何もしない」だと,それは専門的な「こころを支えるお仕事」にはならない。

クライエントの無意識を含めたすべてを信じてそこに一緒に居ることができたとき,クライエントはきっと「一人になる」ことが出来る。そこから,クライエントにとってほんとうに必要な「何か」が生まれてくるのだろう。「推し活」でも,自分が生きていくうえで必要な「何か」について知るプロセスの重要性との関係について述べたが,その「何か」に近づいていくことが,現実に向かう力を生み出していくのだと思う。この「何か」としか言えないものをひとつひとつ言葉にしていく作業が,心理療法のなかで行われていることである。だからこそ,心理療法のなかで何が起こっているのか言葉にして伝えていく作業はとても重要なのだ。

おわりに

心理療法というこころを支えるお仕事には,多様なアプローチがある。このシンリンラボでも,いろいろなアプローチをさまざまな角度から紹介することになるだろう。心理療法という括りは一緒でも,アプローチの方向性や目標が違うものもあるかもしれない。でもそのすべてのベースに共通しているのは,ひとのこころを深く理解していこうとする真摯な姿勢だろう。

ChatGPTは,どんな専門的なことでも,質問したらスラスラと流暢に答えてくれるらしい。自分の悩みとかを伝えたら,それにまつわる的確なアドバイスを返してくれることも可能になってくるだろう。マザーコンピューターにメンタルケアもしてもらうSFのようなことも,何だかありうるような時代になってきた。

このような時代だからこそ,余計に地道にこころを支えるお仕事について語り合う場が必要になってきているのだと思っている。

文献
+ 記事

(いわみや・けいこ)
島根大学人間科学部・島根大学こころとそだちの相談センター
資格:臨床心理士,公認心理師

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