【特集 心理療法ってなに?】#04 心理療法とは,良くなるということとは,その技法とは? 〈後編〉|増井武士

増井武士(東亜大学)
シンリンラボ 第2号(2023年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.2 (2023, May)

4.自己開示とは治療者の来談者への誠実な返答である

「自己開示しました」という治療者の発言や理論的な概念が出てくるということ自体,現在の心理療法理論や実践は,治療者としての人間を,かつ心理療法自体を不自然にして,なお不健康である証のように思えてなりません。

恐らく,来談者は素直に,ないしは非常に興味深く,場合により勇気を出して,

「先生は結婚してどんな風に思っていますか?」

と聞いてくる時,

「私達の仕事のルールで,そのような個人的な質問には答えない事になっています」

などの返答は,やはり来談者から見ると,何か特別な人,変人なのか,少なくとも関係はそこで多少とも閉じるということを容易に想定できます。

また,こうした問いかけを来談者の,治療者への試しなどと捉える向きもあります。そして,仮に事実,試しであっても,来談者にとり,今の治療者は,OKかnot OKかを判断する素材を早く提示することが必要です。というのも,来談者が早めに外の治療者を探す機会を与えることとなるからです。中途半端でだらだら面接を重ねて,やっと,この治療者は私に合わない,と解ることのデメリットを考えると,人間的に不誠実どころか,来談者に別の選択肢を与える機会を必要以上に延ばしているとも言えます。「その責任は?」とまでいうことにはためらいがありますが……。

私がしたいことは,治療者が自らと来談者が一人の人間として,自分と相手を尊重していることが極めて治療的要件になるという事実を提示したいだけのことです。

スーパーバイズしていると,私に聴くより来談者に聴いた方がよほど治療的な面接になるので,私は来談者への聴き方を提示して,聴くことのサポートをする場合がとても多く,かつ実り多い結果を頻繁に聞きます。

話を結婚云々の質問に戻しますが,私なら,

「結婚はしました。けれど,やはり一人でいる時ほど自由ではなく,少し家族の事情も考えます。だから私の所では,家族がそれぞれやりたい事をやることを邪魔しない原則的なものを作っています。だから,私が近場の海外旅行に一人で行くことはためらいがありませんし,子ども達と妻がお婆ちゃんと一緒に旅行する時は私が留守番します。皆一緒に出かけられるのは春休みだけですね」

と答えました。家族や他人の事情を考え過ぎて,相互の関係念慮による極めて窮屈な関係が生み出す精神的な負荷による症状(関係念慮による相互呪縛性)と推定できる人々を,私はたくさんみているから,と答える場合さえあります。

事実,この話をした男性のうつ気分と子供の不登校に悩んでいた来談者は,この話を聴いて何か深く感じる所があり,妻や家族の前で,互いにやりたい事を邪魔しないという原則を大事にしたいことを語り,「妻や家族は1つのようでバラバラで,バラバラなようで1つのように思う」という私の気持ちが解りかけた事と平行して,うつ気分は薄らぎ,子供がぼちぼち登校しかけました。このような事例を挙げるときりがない程たくさんあります。

だから,一人の人間として素直に来談者の問いかけ答えることは治療的な面接では大切な要件となります。

5.治療的技法とは何か?

治療技法とは,筆者は広い意味では,先に示したクライアントが治療的な面接の場でそれを体験して,「良かった,心が軽くなった」とか表情や話し方が明らかに軽くなったとかの体験を促進するような,セラピストの工夫全体を示していると考えます。

次に狭義の技法として分かりやすくするために具体的な事例を記しましょう。

私との心理療法の初対面の面接で,いつものように何気なく,

「調子はいかがですか?」

と聞くと彼女は下を向いて黙ってハンカチを取り出して両手で揉み出しました。

私は即座にこの子は,とにかく言葉にするのをとてもためらう子で,非常に恥ずかしがりやであることがわかり,面接室内にあるタオルを取り上げて,

「あなたの気持ちはこんな風ですか? ね,」

と聞きながらタオルを恥ずかしそうにモミモミしました。

すると彼女は,静かに頷きました。そして,またタオルで,

「こんな気持ちもない?」

とタオルをピンピン引っ張りました。

彼女は首を横にふりました。

私は,気持ちが柔らか過ぎて人の態度に過敏な子のように思えたので,

「今から先生が簡単な質問するから,口でなく首で頷くなり答えてね」

と告げ,

「お名前は花子さんですね? 正しかったら首で頷いてね」

と聞くと,彼女は頷く。

「それでは,今日は朝ご飯はパンだった?」

彼女は首を横に振る。

最後辺りに,

「貴女は言葉にするのはとても恥ずかしいし苦手な人かな?」

彼女は少しだけほっとしたように頷く。

という風な面接を続けて,

「あまり長く居ると疲れることが心配なので,次は気が向いたらまた来て下さい。気が向かない時は無理して来ないでもいいですよ」

と告げ別れました。

この後の面接については省きますが,数回会ううちに彼女はポチポチ登校を始めました。

一見何の変哲もないこのような面接は,彼女が面接を受けて良かったと思えるようになるための私なりの工夫であり,技法です。

やや専門的に言えば,治療構成場面をとても狭くしてタイトにする試みです。

この工夫は彼女が初対面で言葉にすることがとても苦手な子,という理解や共感を一つの素材として技法が提示させています。

この反対に,随分緩い場面構造は自由連想的な場でしょう。例えば,「何でもいいので,思い浮かぶことを自由に話してください」といった場面構成です。その場合,彼女は押し黙って困りはて苦労して,「もう二度とあんな所に行きたくない」というふうになることを想像するのは非常に容易です。

私は,そこで使われる技法はクライアントの苦慮する世界の共感として使用されることが治療的な面接では肝要であると長年の体験から心がけています。

特に,セラピスト自身の都合上,クライアント中心的な方法や人間観に拘ったり,行動療法だけに拘ると,まさにセラピスト中心的な方法となり,ここでいう治療的な面接とはなりにくいようです。

行動療法の草分けとして知られたY先生と仕事を一緒にする機会に恵まれ,よく話をしました。その時,私達はごく普通の話し合いをしていたつもりが,私の発言の後,

「そうして先生は一人友達が出来た訳ね」

とか言われ,なるほどそのように自発的反応を強化すると同時に私の中にある考え方が変わったりしたことが頻繁にありました。逆にY先生の発言に意外な攻撃性を感じて,

「それで意外と先生は頭に来てるよね」

とか私の印象を述べると,しばらく何か考えている様子で,

「先生もわりとやるわね」

と互いに大笑いしたことを思い出しました。

一芸を極めると,どのような場面でも適応できると実感させてもらったことを思い出しました。

6.セラピストになろうとする方々へのアドバイス――理論を信じずその場の自分の体験を信じて下さい――

私達の時代,九州大学の本格的な臨床体験は大学院生から始まりました。それは,私の希望もあり入院病棟を持つさまざまな精神科病院に週1~2回,外来や入院患者さんの精神療法を専門にしたものでした。

ついでですが,物価にすると,今のスクールカウンセラーより数倍の謝礼も頂きました。

また,より臨床的場面を求めて産業医大医学部に奉職して附属精神科精神療法外来を作りあげ,10数名のスタッフと仕事をしながら,さまざまな精神科病院や三菱化学黒崎工場でカウンセリングを担当しました。いずれにおいても予約は数か月先まで埋まるような忙しさでした。

その仕事はクライアントが1日最低5人,週3日臨床づくめで,のべ,50余年間でざっと計算してみたら約4万回位の面接を持った事になります。

その間,紆余曲折ありましたが,全ての理論と理屈を全部棚上げして信頼できる事実,実際起こっていることだけを見ると,そこでは来談者と治療者と言われる二人の人間がいて,互いに相手の言葉や言葉にならない雰囲気などについて何かを感じ合っていて,そこに相互の交流関係があるという事実しかありません。

治療者の役目は,相互関係においてクライアントより僅かに己の心が開かれているという事実しかありません。だから治療者が己の心を開いて,その場にそれを投げかける事が可能です。

私は,その丁寧な投げかけこそが,面接を治療的にする,いわば最も人間的で早期にクライアントの心を軽くするという事実を毎日のように体験して来ています。

例えば,患者さんに聞かれることで,

「先生の若い頃の異性の友人関係等少し聞いてみたいのですが……」

といった質問に,

「若い時にね,午前と午後に分けて,私の下宿部屋で女性に会う約束をしたところ,午後の方が早く来て,鉢合わせとなった二人が意気投合してしまってね,二人から私は責め立てられ,挙げ句の果て,二人が一晩私の下宿に居座ってしまい,私は友人宅に泊めてもらってね,友人がまた面白がって,私を馬鹿にしてね,まだ覚えているよ」

などと話をすると,

「先生,面白いというか,変わり者だったんですね」

と患者さんは言います。私は,

「変わり者というより,ある種の馬鹿だったよね」

と言うと,場が和み,うっすら笑いさえ起こり,緊張は緩みます。そして,「実は……」と,クライアントの話が出てきたりします。

このような事は私の面接では日常的であり,頻繁にあります。自己開示等の言葉は,素直に己を語ることの治療的な実態とか表現を変える必要があります。すると,クライアントの心も開きやすくなるからです。面接の場は決して特別な場ではなく,日常の場の延長です。そうすると,クライアントの心も開きやすいのです。

私自身の好みですが,「一体自分を語らない治療者にどうして己の心を預けられるだろうか?」というE・H・エリクソンの言葉があります。

また,この事実を少し経験して,来談者の言葉にならない心を聴こうとすると,その場における自分の直感や言葉になりにくい感じや患者さんの言葉にならない心を聴くことが,深い理解と共感のもとになることがわかってくるでしょう。この二人の互いの自分自身についての語り合いこそ,我々が見落し,忘れてきた重要なことで,それは理論でなく,事実で素直な心一つの語り合いが我々人間が変わる大事な要件であることを学び直すことが,さまざまな理論が行きかう今だからこそ,来談者のために必要だと痛感しています。

心理療法とは難しい理論で成立せず,簡単な事実からしか成立し得ないものなのだ,とうことを再度示したいと思います。

7.私は奇形です。あなたは?

神田橋先生のスーパーバイズの時,

「私は患者さんと話す方が,訳の分からないおべっかや思ってもいないことを平気で言ういわゆる適応しているイエスマンより,よほど人間的に好きなのです。患者さん達は結局,何のために生きているのか? という問いかけを心に支障がくるまで問い続けますが,私には患者さんほどの純粋さはないからです」などと言いました。その時神田橋先生は,

「増井君,貴方は奇形なのです。しかし奇形は形があるから無形よりまだマシで,形があるから手で触れたりさわったりして,可愛がりようがあるのです」

と言われて,なんだかホッとした体験をしました。そして,私はその奇形のおかげで50余年も心理療法に打ち込めたのです。

だから皆さんが各自の奇形ぶりを大切にすることは,自分の生き方を大切にすることになるでしょう。

ところで,あなたは正常という奇形があることを,ご存じですか?

文  献
  • 増井武士(2008)治療的面接への探求〈2〉.人文書院.
  • 成瀬悟策監修・田嶌誠一編著(2019)壷イメージ療法―その生いたちと事例研究.創元社.
  • 増井武士(2019)来談者のための治療的面接とは―心理療法の質と公認資格を考える.遠見書房.
  • 神田橋條治(1988)発想の航跡―神田橋條治著作集.岩波学術出版社.
  • 増井武士(2022)精神療法でわたしは変わった―苦しみを話さず心が軽くなった.木立の文庫.
  • 増井武士(2002)不登校児から見た世界―共に歩む人々のために.有斐閣.
+ 記事

増井武士(ますい・たけし)
東亜大学大学院臨床心理学専攻 客員教授
医療法人 福岡聖恵病院顧問及び精神療法増井外来
資格:臨床心理士 インターナショナルフォーカシングティーチャー(国際フォーカシング指導者)
著書:参考文献の他に,『治療的面接の探求 第1~4巻』(人文書院,2008)
『迷う心の整理学』(講談社現代新書,1999)
『来談者のための治療的面接とは』(遠見書房,2019)
趣味:ヨットクルージング シュノーケリング 船旅 車 建築設計など多趣味

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