【特集 心理療法ってなに?】#03 治療関係ってなに?|若井貴史

若井貴史(哲学心理研究所)
シンリンラボ 第2号(2023年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.2 (2023, May)

1.はじめに

セラピストとクライエントをつなぐ「治療関係」とは何なのか。われわれセラピストは,来談されるクライエントと治療関係を築き,セラピーを進めていくが,改めて「治療関係とは何か?」と問われると,答えるのがそう簡単ではないと気づかされる。ひょっとしたら人によって,あるいは流派によって答えが変ってくるかもしれない。本稿では筆者なりの立場で,治療関係とは何か,どのように発展するのか,あるべき治療関係とはどのようなものであるか,といった問いについて検討していきたい。

2.治療関係とは弁証法的なつながりである

1)つながりや発展を論じた哲学=弁証法

ごく常識的に捉えれば,治療関係とはセラピストとクライエントのつながりのことである。治療関係が成立するということは,つながりができるということである。では,治療関係とはどのようなつながりであるのか,そしてそのつながりはどのように発展するのか。こういった問題を論じるにあたって,本稿では,つながりや発展を問題にした哲学の一分野である弁証法の知見を参照したい。ただし,哲学史上,弁証法といってもいろいろあるので,一言断っておきたい。ここでいう弁証法とは,自然・社会・精神を貫く一般的な連関・運動・発展を扱う学問のことである(三浦,1968)。哲学史的には,ヘーゲルから,主としてエンゲルスを経て,三浦つとむが整理した学問のことである。弁証法は,世界全体の連関=つながり方や運動・発展を研究し,つながり方の一般的なあり方や運動・発展の一般的なあり方を明らかにしてきた。そこで,治療関係というつながりを問題とし,その発展を論じる際にも,弁証法の知見を参照すれば見えてくるものがあるのではないかと考えている。

2)媒介と直接

弁証法が教えるつながり方の論理構造に「媒介」と「直接」がある。これらは治療関係を考えるうえでは重要だと考えられるが,常識的な意味とは違う,弁証法独特の意義があるので,少し丁寧に説明したい。

まず媒介とは,あるものが他のものに規定されている,影響を受けている,条件づけられている場合のつながりのことをいう。たとえば,親と子は媒介関係にある。そもそも,親がいなければ子はいないし,子ができて初めて親といえるのであるから,お互いに規定し合っている。成長過程においてもお互いに影響を与え合う。このようなつながりを媒介と呼ぶのである。

他方,直接とは,自分自身が同時に他の性質をもつときの切り離すことのできないつながり,この矛盾のあり方のことである。親子関係でいえば,子は,自らの子をもつことによって,子であると同時に親でもあるという矛盾した存在となる。この場合,子は直接に親であるなどといういい方をする。別の例をあげるならば,原因は結果を媒介するだけでなく,結果は直接に原因にもなる。池に石を投げると波紋が起こり,波紋が起こるとハスの花が揺れるという場合,石が原因,波紋が結果であり,石が波紋を媒介するということができる。しかしそれだけではなく,波紋という結果は同時に,ハスの花を揺れさせる原因ともなっているわけであるから,波紋は結果であると直接に原因でもある,といえるわけである。このように,ある物事が同時に他の性質をもつときの切り離すことができないつながりを直接と呼ぶのである。

3)媒介と同時に直接性を含んでいないものはない

誤解を恐れずにシンプルに説くならば,媒介とは二つの物事のつながりのことであり,直接とは一つの物事の中の二つの異なる性質のつながりのことをいうのである。

この媒介と直接に関して,ヘーゲルは「媒介と同時に直接性を含んでいないものはどこにも存在しない」と説いている。これを治療関係で具体化してみよう。

セラピストとクライエントは,一方なくして他方なしという関係であり,お互いに何らかの影響を与え合うつながりであるから,媒介関係であるといえる。では,この関係における直接性とは何か。ヘーゲルの言によれば,媒介関係はその中に直接のつながりを含んでいるということになるのであるから,治療関係にも直接のつながりがあるはずである。端的にいえばそれは,お互いの頭の中にある相手像である。すなわち,クライエントの頭の中のセラピスト像であり,セラピストの頭の中のクライエント像である。

4)セラピストとクライエントは直接に相手の性質を帯びる

クライエントが来談し,セラピーが開始されると,セラピストとクライエントのそれぞれの頭の中には,相手の外見や声などが反映して,感性的な相手像が描かれる。だからこそ,街中で相手を見ても認識できるようになるのであるし,電話の声でも判別できるようになっていくのである。この相手像は,当初は感性的なものであるが,徐々に発展し,超感性的な内容を把持するようになっていく。その発展のあり方は次に検討していくとして,ここでいいたいことは,クライエントの頭の中にはセラピスト像ができる,つまり,クライエントは観念的にはセラピストの性質を帯びるようになるということであり,セラピストの頭の中にはクライエント像ができる,つまり,セラピストは観念的にはクライエントの性質を帯びるようになるということである。したがって治療関係とは,弁証法的にいえば,セラピストとクライエントが媒介関係にあると同時に,セラピストは直接にクライエントの性質を帯び,クライエントは直接にセラピストの性質を帯びるという,直接のつながりもある関係性のことである,ということになるだろう。

3.治療関係は相互浸透的に発展する

1)対立物の相互浸透のイメージ

ここまで,治療関係を弁証法的に考察してきた。セラピストとクライエントは,お互いに影響を与え合うという意味で媒介関係であると同時に,お互いの頭の中に相手像ができるという意味では直接性も含んでいるということを述べた。では,この治療関係はどのように発展していくのか。

この問題を考えるにあたって,また一つ,弁証法の論理を紹介したい。それは「対立物の相互浸透」という論理である。これは,イメージ的にいえば,二つの物事がお互いに相手的になりながら変化・発展していくということである。そしてこれは世界の一般的な運動・発展のあり方の一つであるとされている。

2)対立物の相互浸透の厳密な定義

この対立物の相互浸透について,三浦(1968)は次のように説いている。少し長いが,治療関係を考えるにあたって大切な部分なので,引用する。

「人間は話し合うことによって精神的に育っていきます。A君がB嬢と結婚しました。ここに二人のむすびつきが成立し,新しく媒介関係が生れたことになります。自分は自分,他人は他人という見かたから,さらにすすんで,自分は相手にとっての他人であるから,自分は同時に他人でもあるという直接のつながりにおいて見ることが必要になります。自分が相手の立場に立って自分を他人として客観的につかまないと,相手の気もちも理解できないというわけです。そして二人が話し合うとすれば,A君の思想をB嬢が受けとって影響を受け,そのB嬢の思想をA君が受けとって影響を受けるというかたちで,相互に相手の思想を自分のものにし,B嬢がA化しA君がB化する中で思想の発展が行われることになります。このように,対立物が媒介関係にあると共に各自直接に相手の性質を受けとるという構造を持ち,このつながりが深まるかたちをとって発展が進んでいくのを,弁証法では対立物の相互浸透と呼びます」
3)セラピストとクライエントも相互浸透する

ここで三浦は,夫婦関係を取り上げて,夫と妻の相互浸透を説いているが,セラピストとクライエントの治療関係についても,全く同様のことがいえる。すなわち,セラピーにおいてセラピストとクライエントが話し合うとすれば,セラピストの認識をクライエントが受けとって影響を受け,そのクライエントの認識をセラピストが受けとって影響を受けるというかたちで,相互に相手の認識を自分のものにし,クライエントがセラピスト化しセラピストがクライエント化する中で認識の発展が行われることになるのである。つまり,治療関係を築いた時点で成立していたお互いの頭の中の相手像(直接性)が発展し浸透が進んでいくのである。

4)セラピスト側の変化

より具体的に相互浸透のあり方を見ていこう。まずはセラピスト側の変化である。治療関係ができた時,セラピストの頭の中には目で見たクライエントの姿や,耳で聞いたクライエントの声などが反映し,感性的なクライエント像が結ばれる。しかし,セラピーで対話を続けていくうちに,言語やその他の形式で表現されるクライエントの認識をセラピストが受けとっていき,セラピストの頭の中でクライエントの認識が徐々に浸透していく。単に外見だけのクライエント像ではなくて,このクライエントはこのように考え,このように感じるだろうとか,そのように考え感じた結果,このような言動をとるだろうというような,クライエントの内面まで理解できるようになっていくのである。すなわち,クライエント像が超感性的な内容をも含むようになっていく。ごく簡単にいえば,セラピストのクライエント理解が深まっていくのである。これがセラピストのクライエント化の進展,浸透が進んでいくあり方であるといえる。

5)クライエント理解が深まるとは

こうなると,当初はクライエントの言葉を理解しようとしても,セラピストは自分の立場を残したまま,いわば「自分の自分化」しかできなかったものが,徐々に自分の立場を棄てて,きちんとクライエントの立場に立って相手の認識を追体験できるようになる,すなわち,「自分の他人化」ができるようになっていくのである(海保,1999)。これまで伺った成育歴や問題歴からして,このクライエントがこういう場面でこういう反応をするのは当然だということが,自分事のように分かるようになっていく。こうして,真に共感を示したり,相手に合わせた言葉づかいや介入ができたりするようになっていくのである。

6)クライエント側の変化

他方,相互浸透の進展によってクライエントはどのように変化・発展していくのであろうか。これも形式上はセラピスト側の変化と同様であり,当初は感性的なセラピスト像が頭の中に結ばれるだけであるが,それが徐々に,超感性的な内容をも含むようになっていく。セラピストの考え方や姿勢をも含んだセラピスト像が形成されていく。そうすると,セラピストがいない場面でも,「セラピストならこう考えるだろう」とか「セラピストならこういうだろう」ということが分かるようになってくる。これがクライエントのセラピスト化であり,直接的な面が発展し浸透が進んでいくあり方である。セラピストの内在化と呼んでもよいであろう。

7)認知行動療法におけるソクラテスの質問法と帰納法

ここをもう少し具体的に,筆者の専門としている認知行動療法の場合で見てみよう。認知行動療法では,出来事の解釈や意味づけである「認知」が特定の不快感情をもたらすという仮説のもと,その認知を変えることによって不快感情を和らげようとする。その際セラピストは,「このように考えたらいいんですよ」というような結論を押しつける介入は基本的にはしない。そうではなく,「その考えに反する事実はありませんか?」というような,ソクラテスの質問法と呼ばれる独特の質問をし,クライエントがそれに答えることによって,クライエントが自分で認知の偏りに気づき,認知を変えていけるように援助するのである。また,セルフモニタリングや行動実験を行い,事実に語らせることによって,クライエントの認知を変えるという方法も採られる。このような事実に語らせる方法,理科で習ったような観察や実験のおおもとになっているような推論方法を「帰納法」と呼ぶ。

8)問いの内在化

さて,以上を踏まえて,認知行動療法における相互浸透,クライエントのセラピスト化とはどのようなものであるのか,考えてみたい。端的にいうならば,それは問いの内在化であり,帰納法の内在化である。クライエントは認知行動療法を受けていくにつれて,セラピストからソクラテスの質問をされ,それに答えることによって自分の認知を変え,不快感情を適正化していくというプロセスをくり返す。そして,ホームワークで,自分で自分の認知を変えて,不快な感情を和らげる練習をするように求められる。そうすると,ホームワークで一人で取り組んでいるときにも,「セラピストならこのような質問をしてくるだろうなあ」というようなことが分かってくる。これがセラピストの内在化であり,もっと焦点を絞るなら問いの内在化であるとえる。当初は,セラピストとクライエントの問答によって進展していたセラピーが,徐々に,クライエント一人の「自問自答」によって進展するようになっていくのである。これが可能になるのは,クライエントが徐々にセラピスト化するからであり,クライエントが,観念的なもう一人の自分として,セラピストを内在化するからである。

9)帰納法の内在化

同じことは,帰納法的な態度についてもいえる。概して,当初のクライエントは,帰納法とは逆の演繹法的な思考法,つまり,「自分は無能だ」とか「世界は脅威に満ちている」などといった思い込みから全てを解釈するような思考法に陥っている。しかし,セラピーの中でセルフモニタリングを求められたり,行動実験をするように指示されたりしていく中で,徐々に帰納法的な態度が養成されていく。これはすなわち,セラピストの帰納法的な発想がクライエントの中に浸透していくことを意味する。そうして,セラピーが進展していくと,セラピストがいなくても,クライエント一人で帰納法的な思考法によって,自分の認知を修正していくことができるようになっていくのである。

4.おわりに

ここまで,治療関係とその発展について,弁証法の知見を援用しながら論じてきた。治療関係とは,簡単にいうとセラピストとクライエントのつながりのことであるが,お互いに規定し合っているという媒介関係だけではなく,お互いの頭の中に相手像ができるという直接性も含まれていることを説いてきた。また,治療関係の発展とは,セラピストとクライエントの相互浸透が進展するということであり,お互いの頭の中にある相手像が発展し,浸透が進んでいくことによって,相手的な認識が形成されていくということを意味していたのであった。

このようなことが分かれば,お互いが自分の中に相手的な認識(直接性)をどのように育てていけばよいのか,逆に相手の中に自分的な認識(直接性)をどのように育てていけばよいのか,と考えて,共同してセラピーを工夫しながら相互浸透をスムーズに進展させることもできるようになる。このように共同的にセラピーを工夫し,相互浸透をよりスムーズに進展させていくことこそが,あるべき治療関係であるといえるのではないか。その際の具体的な工夫については,また機会があればいずれ論じてみたいと思う。いずれにせよ,治療関係を弁証法的に論じた本稿が,各自が治療関係を再考し,深めていくにあたって,何らかのヒントになれば幸いである。

文  献
  • 海保静子(1999)育児の認識学.現代社.
  • 三浦つとむ(1968)弁証法はどういう科学か.講談社.

バナー画像:Manfred Antranias ZimmerによるPixabayからの画像
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若井 貴史(わかい・たかふみ)
哲学心理研究所/長岡病院。公認心理師,臨床心理士。
主な著書:『認知行動療法事典』(共著,丸善出版,2019年),『自由学藝 学の継承と創造 第1号』(共著,大垣書店,2019年),『自由学藝 学の継承と創造 第2号』(共著,大垣書店,2020年),『自由学藝 学の継承と創造 第3号』(共著,大垣書店,2022年)
趣味など:一流の技を味わうこと。その一環として,旨い地酒を嗜んだり,哲学書を繙いたりしています。

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