脳科学と心理療法(10)快感と脳科学──2.嗜癖の成立|岡野憲一郎

岡野憲一郎(本郷の森診療所・京都大学名誉教授)
シンリンラボ 第10号(2024年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.10 (2024, Jan.)

前回(第9回目)は,あるものを摂取したり,ある行動を起こしたりすることに伴う心地さ(L)と,それらを希求する程度(W)とは異なるということについて,ケント・ベリッジらの研究をもとにして論じた。そしてこのWを生み出しているのが報酬系のドーパミン・ニューロンであり,Lを生み出すのは脳内に点在する「快感ホットスポット」であるという点についても示した。そこではドーパミン以外の物質(オピオイド,エンドカンナビノイド,セロトニン,オキシトシン,その他)が働いているという現代的な理解について示した。なお以上の議論はベリッジらの「インセンティブ感作理論」をもとにしたものである。

私達の日常体験では,LとWは普通はバランスが取れた状態であり,そのことで心身の健康が保たれている。私達は欲しいと望んだものがすぐに,かつ適度に与えられると,それ以上は望まなくなるのが普通だ。ところがこのWとLがかけ離れていくという現象が知られている。それが嗜癖ないしは強迫という状態であり,それが今回のテーマである。

まずはWとLが通常は釣り合うという事情については,一種のサーモスタットのような仕組みが常に働いていると考えるとわかりやすいだろう。例えば私たちが脱水状態にあり,水を欲しいと感じる際は,「水を摂取せよ!」という指令が間脳の視床下部にある口渇中枢から送られてくる。そして実際に水を飲むと口渇中枢からの指令がやみ,私達は水を欲しいと感じなくなる。ちょうどエアコンなどで温度を調節する際のサーモスタットのような仕組みが働いているわけだが,より正確にはネガティブ・フィードバックというかなり込み入った生理的な仕組みとして一般化することもできるだろう。

しかし脳に何らかの異常が生じ,このサーモスタットが働くなることがある。するといくら水を飲んでも渇きを感じ,さらに水を飲み続けるということが起きてしまう。精神科領域では「水中毒」という症状があり,患者さんはウォーターサーバーに付きっきりで水を飲み続ける。そして血液が薄まってしまい低ナトリウム血症で生命に危険な状態になってしまいかねない。

この水中毒の場合,当人も水を飲み続けながら,おそらく「おいしい」とは感じないであろう。つまりLはゼロどころかマイナスになっているのだ。しかしWはいくら水を飲んでも低下しない。この種のWとLの間の乖離は,実は私たちの多くが体験していることである。特に依存症,嗜癖,あるいは強迫神経症などと呼ばれる状態では深刻なレベルでこれが生じている。

さらには最初から苦痛な体験が,それを続けているうちに心地よさを生むという場合も少なくない。走っていると最初は少し苦しくても,あるレベルを超えると快感になり,止められなくなることがある。これがいわゆるランナーズハイという状態だ。あるいは最初は辛めのカレーを我慢して食べているうちに,もっと辛いカレーを求めるようになることもある。それが極端に進むといわゆる「激辛マニア」と呼ばれる状態になるのだ。

そのような例の極めつけは「首絞めゲーム」であろうと私は考える。息をしばらく止めているうちに襲ってくる苦しさほど耐え難いものはない。しかしそれが快感につながる場合があるからこそこのようなゲームが成立する(かの阿部定事件にも登場するのでご存じの方も多いだろう)。

このような過剰な苦痛(大きなマイナスL!)による快感を求め続ける(大きく持続的なプラスW)という状態は,それが日常生活で時々体験されるのであればまだいいかもしれない。たまに趣味の集まりに出かけて若い女性にハイヒールで顔を思いっきり踏んでもらって癒される(しかもお金を払って)というのも,その人の自由であろう。しかし問題はWがおさまらずに病的なレベルにまで至る場合であり,そうなると私たちの心身が著しく損われることになるのだ。

報酬系が「焼ける」プロセス

ここからは脳の少し込み入った話になるが,報酬系におけるドーパミン・ニューロンの異常がどのように嗜癖を生むかを理解する上では,この説明は避けて通ることができない。そこでは報酬系が過剰な快感により一時的に,あるいは永続的に機能不全に陥るという事態が生じるのだ。(これを私は「報酬系が焼ける」というショッキングな表現を用いて説明するが,その意図も以下の説明で理解していただけるだろう。)

前回の連載(第9回目)でお示しした報酬系の図を思い出していただきたい。VTA(腹側被蓋野)から延びるドーパミンのニューロンが興奮すると,その興奮の強さに応じて側坐核のシナプスにドーパミンが放出され,側坐核の側のドーパミンの受容体がそれを受け取る。これが快感として体験されるが,その度合いは,いっぺんにどれだけ多くの受容体がドーパミンを受け取るかにかかってくる。ただしその度合いはたいていは一定範囲の中を揺れ動くのである。つまり私たちの日常にさほど強烈な快は訪れないのだ。

ところが何らかの理由で異常なほどに強烈な快感を,それも何度か繰り返し体験すると,この報酬系の構造が異常を来たす。具体的には次のような2種類の変化が起きることが知られている。

①同じ刺激でもVTAからのドーパミン・ニューロンの興奮が低下していく。

②側坐核のドーパミンの受容体の数が減ってしまう。

なぜこのような事態が起きるのかは詳しくは知られていない。ただ私たちの体は,普通は生じないような強烈な快感に対しては,それを異常として感知し,快感の度合いを正常値に保つために報酬系にこのような変化を起こすのである。そしていったんこれが起きると,正常に復するにはかなりの時間がかかることになる。ちょうど熱いものを食べて焼けた舌が回復するのに時間がかかるようなものだ。

そこでこの異常に強烈な快が生じるのは脳生理学的にはどのような場合かを考えよう。それは血液中の嗜癖物質の濃度が一気に高まり,側坐核のドーパミンの受容体をいっぺんに刺激するような事態である。普通嗜癖薬物は,どのように吸入するかにより血中濃度の上昇のスピードがかなり異なる。それを口から飲み込んだ場合には消化管から吸収されて血液中に入るので30分~1時間と比較的ゆっくりである。それに比べて筋肉注射なら数分後とかなり早くなり,静脈注射では数秒後と格段にそのスピードが増す。そして一番早いのが肺から吸入する方法だ。

例えばクラックコカインのように,煙で吸って肺胞を通じて血中濃度が一気に高まるときに,最も強烈な快感が生まれる。もちろんそれは一時的な快感だが,その強烈さによって一気に嗜癖が形成されやすいことが知られている(たばこの極めて強い嗜癖性もまた,吸い込んで肺胞から吸収されたニコチンが一気に脳に達することに関係している)。

まだ何も変化をこうむっていない報酬系はこのクラックコカインの吸入に最大限に反応するあろう。だから初回の使用による快楽は筆舌に尽くしがたいものだという。しかし一定の間隔を置いて何回か同じ体験をするうちに,報酬系は徐々に「焼け」て行き,反応が鈍くなる。最初の量のクラックコカインではもはや初回の強烈な快楽を味あわせてくれない。いわゆる薬物の耐性の形成である。そしてそこで生じる不幸は,もはやコカインによる強烈な快感を得られなくなるというだけではない。

「つぶれ」の苦しみの正体

報酬系が焼けた結果どうなるのだろうか? それは何の感情も湧かず,意欲がわかない,ちょうどうつ病のような状態である。覚せい剤やコカインなどの中枢神経刺激薬を使い続けた人がそれを急にやめた時に訪れる苦しみはいわゆる「つぶれ」と呼ばれるが,ちょうどこれが相当するだろう。これがどうして生じるのだろうか?

実は私達は報酬系がある程度興奮している状態で,通常のやる気や満足感を保っていることができる。言うならば報酬系の興奮というコップの水は,常にある程度満たされていることで,適度の幸せ感を維持することができるのだ。しかしこのコップの水位が下がってくると,その幸せ感が減り,私達はうつ状態のようになってしまうのだ。だから通常の日常生活における普通程度の幸せ感の維持もまた報酬系の重要な働きなのである。

この件については,実は前回の連載に伏線を張っておいたので思い出していただこう。サルに緑信号を見せた後にシロップを与えるということを繰り返すと,そのうち緑信号を見せた時点ですでにドーパミンが興奮するという実験について説明していた。そして私は次のように続けた。「ところでこの実験にはもう一つ重要な見どころがあった。それは緑信号を見せた後にサルにシロップを与えなかった場合に起きることだ。その場合サルは期待を裏切られたことになるが,その際はドーパミンの興奮がいわばマイナスになり,サルは著しい不快を体験することになる」

この「ドーパミンの興奮がマイナスになる」という言い方は,説明なしに聞いても意味不明だったはずだ。なぜならここではドーパミンの興奮が起きるか起きないか,という書き方しかしていなかったのである。だからドーパミンの興奮がゼロではなく「マイナス」というのは意味をなさなかっただろう。しかし実はドーパミン・ニューロンの興奮は日常的に,一定程度は常に起きていているのである。先ほどのコップの水のたとえだ。そして繰り返し薬物を使用することで報酬系のドーパミン・ニューロンの興奮も受容体の数も低下すると,ドーパミンのコップが空っぽに近くなってしまう。これはうつ状態に似た実に苦しい体験だ。実際実験的に脳内のドーパミンを枯渇させたラットは何事にも興味を失って運動を停止してしまうことが知られている。

もちろん焼けた報酬系にもコップの水が少しは残っているのであり,多少は快感刺激には反応する。美味しい食事をしたり,SNSでの発言に「いいね」が付いたらそれなりに嬉しいはずだ。しかしそれらの刺激に対する報酬系の反応はごくわずかである。日常的なささやかな幸せなどもはや存在しない。唯一の救いであるクラックコカインでさえ,到底初回のような快感は与えてくれないのである。

さてこの焼けた報酬系は,どうなるのか? 幸いなことに,火傷の場合と同じように,必要な手当をすればある程度までは回復していくのだ。コカイン以外には何の楽しみも得られなかった人Aさんを考えよう。彼はコカイン所持で逮捕され,収監される。そして一切薬物を使用することなく月日が経てば,報酬系は徐々に修復されていくのだ。コカインを絶たれた「つぶれ」の時期を経て,彼は徐々に人間らしさを取り戻していくだろう。そして差し入れてもらった小説にも興味を示し,食事の時間がやがて待ち遠しくなる。Aさんの報酬系は,VTAの興奮の度合いも受容体の数ももとの状態に近づいていく。そして見かけ上はほぼ健康体に戻った彼は,刑期を終えて久しぶりの娑婆の空気を吸って満足感を味わうだろう。では彼は薬物依存の病魔から解放されたのであろうか? 否,である。

渇望という魔物

久しぶりに街を歩いたAさんは,例えば彼はある清涼飲料水「●●コーラ」の宣伝を目にするかもしれない。そしてこの●●の2文字から,自分が過去に憑りつかれた薬物のことを思い出す。そして同時にAさんは自分は今や,昔関わったヤクの売人と連絡ができる立場にあることを心の隅で自覚している。その瞬間に,突然の苦痛に襲われる可能性がある。それは今,即座にクラックコカインを使用できないことの苦しみなのだ。これが渇望と言われる現象である。そして彼をこれから待ち受けるのは,何かの刺激によって突然襲ってくるこの渇望である。刑務所にいた時は一見平穏だった彼の心は,一気に薬物依存者のそれに逆戻りしかねない。彼はこれに今後一生さいなまれることになる可能性が高いのだ。

読者の皆さんは「同じことは刑務所で起きていてもおかしくないか?」と思われるかもしれない。たしかにコカインを吸入することを一生懸命想像すれば同じ状態に陥ってもおかしくない。でもそのリアルさははるかに弱い。刑務所ではたとえ薬物をやりたくても,麻薬業者への連絡は事実上決してできないことを知っているからだ。だからコカインを実際に吸入するという想像は十分に生々しくは生じないのだ。これが決定的な違いなのである。

前回(第9回)で示したマイナスWの原型を思い出してほしい。目の前のチョコレートが取り上げられた時の苦痛,である。薬物を使用することを高度のレベルで想像するためには,それが現実的に可能な状況が必要なのである。そしてそれは刑務所内では訪れないのだ。

ある窃盗癖のあるBさんの話をしよう。彼はスーパーでどうしても万引きがしたくなり,実行を繰り返すことで何度も警察に通報されてしまった。そして拘留されたものの,最終的に2年間の執行猶予付きで釈放になった。その猶予期間の間はBさんは一度も万引きをしたいという願望に襲われることはなかった。

さて余裕で執行猶予の期間を過ぎ,Bさんもその周囲も,もう万引きはしないだろうと考えていた。ところがある日朝起きたBさんは異常にソワソワし,体の中の不思議な衝動を感じ,「何かがおかしい」,と感じたという。そして気が付くとあえて財布を持たずにスーパーに向かい,いくつかの商品を鞄に入れてそのままレジを通らずに店を出ようとしたときに御用になった。そして警察に通報され,全てが振出しに戻ってしまったという。

Bさんがなぜその日朝からソワソワし,運命づけられたようにスーパーに向かったかは不明である。しかし彼が体験していたのは万引きをすることの激しい渇望であったことは確かだ。そしてそれを確実に癒すために,彼は現金をあえて持たずに店に出かけたのである。

このBさんのケースで渇望を引き起こした重要な因子はお分かりだろう。執行猶予を過ぎたことで刑務所に直行するというリスクが去ったということである。万引きへのハードルが下ったことで,万引きをしている自分をより生々しく想像できたことが激しい渇望を生んだのだ。

渇望のメカニズムは分かっていないことが多いが,これが記憶のメカニズムに関わることは確かである。そしてその意味でこの現象はトラウマのフラッシュバックと似ているところがある。フラッシュバックは過去のトラウマ体験が,ありありと,生々しく蘇り,あたかもそのトラウマの渦中に身を置いているような体験である。時には何の予告もなく襲ってきて,激しい自律神経系の反応を伴う。嗜癖もフラッシュバックも,脳がある刺激に感作された状態ということができる。感作とは,アレルギー反応のように,特定の抗原に触れて突然激しい生理学的な反応を起こすようになった状態である。

さいごに サリエンシーの脳科学

前回(第9回)と今回で快と不快の問題について脳科学的な考察を加えた。快や不快は脳のさまざまな部位において実に複雑なメカニズムで私達の体験を彩っていることがお分かりであろう。前回紹介したような「最終共通経路説」のようなシンプルな図式では説明や理解ができないことは示せたと思う。私達が日常的に直感的に受け入れている「私たちは快感を希求して行動をする」という原則(快感原則)が当てはまらない場合がむしろ多いと言えよう。

WとLの乖離に表されるように,私達は実際にそれに関わっている時にはもはや心地よさを味わえなくても,それでも特定の物質や行動を希求するようになる。その典型が先に見た渇望という現象であった。そこで快楽原則は次のように書き直す必要がある。「私たちは快/苦痛の回避を希求して行動する」。結局それがフロイトが唱えた「快・不快原則」そのものということになり,100年前の彼はこの最も基本的な原則にはすでに到達していたのだ。

この快と不快のテーマを去るのは名残惜しいが,もう紙数が残されていないので(実はオンラインなのでそんなことは必ずしもないのだが),一つこのテーマに付け加えておきたいことがある。それは強迫という,これも実に不思議な現象である。強迫行為(compulsion)とは,たとえば自分の手が汚れているように思えて(強迫思考obsession)何度も洗ってしまうような行為をさす。あるいは出がけに家の鍵を締め忘れた気がして何度もチェックしに帰るといった行為である。頭ではもう大丈夫だとわかっているが,それを繰り返さないと気が済まないし,再度手を洗ったりカギを確かめたりした後に,再び気になり,繰り返さないではいられなくなる。

この強迫思考や強迫行為は,事実上嗜癖や渇望と同じ構造を持つということが分かるであろう。行動の結果得られるのは決して快そのものではなく,苦痛のさらなる高まりを回避したことによる一時的な安堵なのである。

嗜癖の場合は実際の薬物の使用やギャンブルに勝つことなどの強烈な快感が原因となるが,この強迫については,実はほんの些細なこと,ないしは偶発的なことが切っ掛けとなりうる。なぜそんなことが気になるかが,本人にもわからないということが多いのだ。

ある患者さんは,顔に手をやっていてたまたま右の頬の小さなできものに気が付く。そしてそれを何気なく触っているうちに血が出てしまった。しばらく放っておくと瘡蓋ができて治りかけたのだが,そこを触っていると瘡蓋がわずかにめくれた部分が気になり,それをはがして出血してしまう。それを繰り返すうちに,できものの痕が徐々に広がっていったのだが,どうしても止められなくなってしまう。

この種の経験は,程度の差はあるであろうが,皆さんの多くが体験なさっているだろう。どうしてそれが右頬のニキビのあとであり,左中指の爪の端のささくれでないのか。それに答えなどない。たまたま意識がその部分に向かってしまい,そこから離れなくなってしまったのである。

今回は私達の意識の中に存在する記憶や思考が,渇望やフラッシュバックや強迫行動などの強烈な反応を引き起こすことがあることを示したが,そのような現象の正体は何か。心理学や脳科学ではそれをサリエンシーsaliency(顕著性,などと言う訳語がある)と呼び,現代の一つの重要な研究課題となっている。しかしそのような新しい呼び方を作ったからといって依存症や強迫の問題は解決したことにはならない。ただしこの種の問題は肉体を持った私たちにのみ起きる現象であり,知性を持つのみで報酬系を持たないAIには縁遠い問題であることは確かだ。快や苦痛,感情,質感といった体験(クオリア)を有することで,人間の心は確かにAIとは一線を画しているのだ。

文  献

  • ダニエル・Z・リーバーマン,マイケル・E・ロング著(梅田智世訳,2020)もっと!:愛と創造,支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学.インターシフト.
(ビジュアルはAlexandra_KochによるPixabayからの画像)
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(おかの・けんいちろう)
1982年 東京大学医学部卒業,1987年 渡米,米国精神科レジデント,精神科専門医,2004年 帰国後,2014年~2022年 京都大学教育学研究科教授,2022年 本郷の森診療所院長

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