脳科学と心理療法(7)解離性障害の脳科学・その2──人間の脳はマルチコアなのか?|岡野憲一郎

岡野憲一郎(本郷の森診療所・京都大学名誉教授)
シンリンラボ 第7号(2023年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.7 (2023, Nov.)

前回(第6回目)は,解離性障害の脳科学的な理解について論じたが,重要な部分は今回に先送りになっていた。まず前回の内容を軽く復習しよう。

多重人格状態(DID)という極めて不思議な状態があるが,その場合脳の中でいったい何が起きているのだろうか,という疑問から始めた。そこでその状態をパソコンにおいて複数のアプリが立ち上がった状態に例えたのだった。その場合2つの可能性があるとした。1つは1つのCPUが,それらのアプリを高速で代わりばんこに処理する「タイムシェアリング」という方法である。もう1つは最近のパソコンのように,いくつかのCPUが組み合わさっていて(マルチコア),それぞれのCPUが1つずつアプリを処理するという,いわば同時並行的な方法である。そして前者は人間の脳では不可能らしいということがわかった。そこまでが前回である。

今回は,後者の「マルチコア」モデルが,DIDにおいて脳で生じていることの比喩として可能なのかの検証を行う。

人間の脳はもともとデュアルチコアである

人間の脳はもともとデュアルチコアである

まず最初に申し上げなくてはならないのは,実は人間の脳は生まれながらにしてデュアルコアであるという事実である。それは脳が基本的には右脳と左脳に分かれており,それぞれがある程度独立して機能していると考えられているからである。このことは多少なりとも医学や心理学に詳しい人にとっては常識的かもしれないが,一応解説しておこう。

実際に脳は,左右の間に明確な切れ目があり,物理的に左右に分かれている。中枢神経系が1本の細長い構造だとすると,1本の脊髄を上にたどると,中脳の先,つまり大脳は二股に分かれているのだ。それを左右脳半球という。そしてこの左右半球は,脳梁という部分で橋渡しをされている。(梁(はり)とは左右をつなぐ柱の意味である)。そしてここが肝心なのだが…… 左右の脳にはそれぞれが一つずつ心が備わっているのである

ただし人間が2つの心の間で混乱しないのは,この脳梁という連絡路のおかげだ。脳梁は2つの脳の間をつなぐ約2億本と言われるケーブル,すなわち神経線維による連絡路である。それにより左右の脳はものすごい速さで情報をやり取りしているので,左右の機能はバラバラになることはないのだ。

私がこう言うと,みなさんは次のようにおっしゃるだろう。

「いや,そんな話聞いたことありませんよ。どの心理学の教科書にも,人は2つの心を持っているなんて書いてありませんよ!」「人間の体はだいたい左右対称でしょう。でも体が2つある,とは言いませんよね。人間には心が2つなんて,正気で言っているのですか?」

そうおっしゃりたいのはよく分かる。何しろ私たちは脳が解剖学的には2つに分かれていると知った後も,だから心が2つあるとは思わなかったのだ。そしてそれを私たちが知ったのは,前世紀の半ばからである。いわゆる「脳梁離断術」が行われるようになり,実際に左右の脳が切り離された人々を観察するという機会を私たちが持つようになってからである。

脳梁の切断という大胆な手術

左右脳のかけ橋である脳梁を切り離すという,大胆な手術が行なわれ始めたのは1940年代のことであった。最初に施術した医師はよほど勇気がいったことだろう。しかしそこには深刻な医学的な理由があったのだ。当時重症の癲癇(てんかん)の患者さんを扱っていた医師が,その発作をどうしても鎮めることができず,治療の最後の手段として,左右の脳を切り分けることを思いついた。その根拠は,一方の脳に発生した癲癇の波が脳梁を通して脳全体に広がることを防ぐためであった。そして実際にこの手術で著効を示す患者さんが沢山出た。こうして結果的に左右に切り離された脳(分離脳,と呼ぶ)を持つ患者さんが出現することになったのだ。

ところがこの分離脳を持つ患者さんの一部には,次のような奇妙なことが起きることが知られるようになった。左の脳(右半身の体の活動を支配する)と右の脳(左半身の体の動きを支配する)がバラバラに機能するようになったのだ。あたかも彼らは2つの別々の心を持つように,である。たとえば右手でボタンをかけようとしても,左手ではそれを外そうとするということが起きたのだ。

左右脳が別々の心を持ちうるという発想がなかった当時の医者たちにとってこれは驚くべきことであった。その後この脳梁離断術を行わなくても,脳梗塞や脳出血などで脳梁が破壊された人の場合,やはり左右脳の情報の交換ができなくなって分離脳の状態になることが分かった。そのような患者は,たとえば一方の手が自分の意志に逆らって勝手に動き出すという,いわゆる「他人の手症候群(alien hand syndrome)」を示すようになったのだ。

このようなケースを通して理解されるようになったのは以下のことである。私たちは自然な状態では左右脳に1つずつ心を持っているのだ。しかしそれらは脳梁により連絡を取り合っているために,両者の間での合意や妥協形成が即座になされ,結果として両者が1つになっているという錯覚を私たちは抱くのである。

ただしそれぞれの脳半球が担当する2つの心は,かなりその能力に差異があることになる。私達人間の言語野はほとんどが左半球に存在するが,そのことからも予測されるとおり,右脳の心自身は言葉を発することができず,絵を描いたり行動したりすることでしか意思を示すことができない。他方の左脳の心は言語能力は一人前にあるが,感情の体験やその表現に乏しいのだ。

以上述べたことは,私が人間の脳は基本的にデュアルコア的であるという主張の根拠である。つまり脳というコンピュータは,左右に一つずつのCPUを備えたコンピュータのようなものだ,というわけである。しかしそもそもここでいうコア,すなわち意識が宿るような脳の組織とは,実際にはいかなるものなのだろうか?

そもそも「コア」とは何か?

まさにこの問題について20年以上前に考え,理論を提出した学者がいる。ノーベル賞受賞者でもある脳科学者ジェラルド・エデルマンGerald Edelmanの「ダイナミックコア」説である。エデルマン先生にはこの連載にもすでに何度も登場していただいている。エデルマンは人の意識は脳の特定のネットワークに宿るとし,それをくしくもコアと呼んだ。CPUに対する通常の呼び方と同じである(詳しくはダイナミックコア(dynamic core)つまり「力動的なコア」という言い方をしている)。

Gerald Edelman(1929-2014)

そして以下のように述べる。

「ある神経細胞の集合体は,以下のような条件を満たす場合にのみ,意識としての体験を生み出す。それらは機能的な集合の広がりの一部が,視床皮質システムの再入(reentrant)による関わりを通して,数ミリ秒の間に高度の統合を達成する時である。そしてその意識的な経験が維持されるためには,その機能的な集合体は,高度に複雑でなくてはならない」(Edelman, Tononi, 2000, p.144)

専門用語が並んでいるので,ちょっと読んだだけでは分かりにくいだろう。そこで脳の仕組みを少し説明しよう。まず人と脳には嗅覚を除いた視覚,聴覚等の五感や体性感覚が流入してくるが,その最初の中継地が視床という部分である。視床は感覚の大まかな輪郭をつかんで大脳皮質へと送り込むという重要な役目を果たす。ただしそれは一方通行な流れではなく,視床⇔大脳皮質の両方向性の,つまり行ったり来たりの情報のやり取り(再入)が行われている。この大脳皮質や視床を構成する一群の神経細胞の塊を彼がコアと呼んでいるのだ。そして視床‐皮質システムが左右に一対あるということは,それぞれが一つずつダイナミックコアを形成していることになる。

エデルマンはありがたいことに,前書の4年後の著書に,それを図示したものを提示している(Edelman, 2004)。それを図1の左側に示す。右側の図は私がこれを簡略化して描いたものだ。

図1

この図の真ん中に視床(Thalamus)が描かれ,もう一つの中継地である大脳基底核(basal ganglia)が描かれているが,これらは本来脳の中に納まっているが,分かりやすいように一番上の脳の図から外して別々に図示されている。

そして図2は,人の脳がこれを左右に2つ持っている様子を描いたものだ。

図2

さて興味深いことに,エデルマンはこのコアが分裂したり増殖したりすることと精神の病との関連について示唆している。次の引用を見よう。

「脳の特定の場所はこのダイナミックコアに常に属しているのだろうか? このコアは分割されたり,増殖したりするのだろうか? この複数のコアの存在に関する病理的な状況はあり得るのだろうか? あるいは一つのコアに異常があるのだろうか。次のように予測することには意味があるだろう。意識に関する病理,特に解離性障害や統合失調症は,ダイナミックコアの病理によるもので,その結果としてダイナミックコアの複数化を引き起こすのだろうか?」(Edelman, Tononi, 2000, p.152)

さらには彼らはダイナミックコアが一部切り離されて独自に(無意識的に)働くことを想定して,それにより「ヒステリー症状」(つまり転換,解離症状)を説明しようともしている。

これらの引用文は貴重である。なぜならエデルマンの研究をそのままDIDの理論に引っ張ってくることにゴーサインを与えてくれているからだ。

多重人格状態において生じているマルチコア

そこで最後に本題である。エデルマンのダイナミックコアのモデルはどこまでDIDに応用可能なのだろうか? そして私たちはすでにヒントを貰っていることになる。それはダイナミックコアの複数化と,人格の複数化が対応しているのではないかという示唆をエデルマン自身が行なっているからである。

すると極めて単純に考えるならば,いわゆる二重人格,すなわち「ジキルとハイド」のような2つの人格を持つ状態については,私たちの持つ左右の脳が何らかの原因で別々の人格を宿した状態として理解できるのかもしれない。ところがここからいわゆる多重人格(DID)の状態を説明するわけにはいかない事情があるのだ。

仮にDIDの方の人格としてAさんとBさんという2人がいたとしよう。するとそれぞれが左右脳に1人ずつ宿ってもらうというのが好都合だろう。しかし人格が2つという最もシンプルな場合にでも,そのような形はとらない。すでに述べたとおり,右脳は言葉を操ることができないというハンディを負うが,DIDの人格たちはたいていはどの人格も普通に言葉を話す。その上で独特のアクセントを持っていたり,幼児語で話したり,外国語を操ったりするのだ。人格さんの半分は言葉が話せない,ということは普通は起きない。

実際の患者さんの人格の別れ方は,この分離脳の患者のような能力や性格が全く異なる別れ方ばかりではない。たとえば現在20代半ばの主人格Aさんと,高校時代にトラウマを受けてその記憶をとどめ,そこから時間が経たずに高校生にとどまっているA’さんとに分かれているケースがある。あるいは主人格Aさんとは異なる性と性格を持ったもう1つの人格Bさん,という風に分かれていることもある。そしてその人格の数も2つにとどまることはむしろ例外で,多くの場合は2桁以上を有することが知られているのだ。つまり複数のダイナミックコアが出来上がっていて,それぞれが一つの人格を担当していても,それらは左右の脳に偏ることはせず,両側の脳にまたがって自由闊達に活動をしているのである。そこでこれがDIDの場合に重複しているというイメージを描いたのが次の図である。

図3

最後に

今回の連載をお読みになっても,多くの方は不全感を持たれるかもしれない。それは私自身も同様だ。エデルマンの考えた心の基盤としてのダイナミックコアはかなり説得力があるように思える。そして分離脳のように,左右にある視床‐皮質経路が一つずつ孤立した状態で,2つの心が成立するということが実証されている。だから心とダイナミックコアとの関連性はかなり確からしいように思える。しかし臨床で出会うDIDの患者さんのように,数十にものぼる人格が存在し,しかもお互いが他人のような振る舞いをすることを説明するために,視床‐皮質経路がどのように切り分けられ,それぞれがどのようにして混線することなく独立して機能しているのだろうか? その答えは全く見つかっていない。そしてダイナミックコアの考案者エデルマンも,その疑問について特にヒントを示さずに,2014年5月17日にこの世を去っている。

私自身は次のように考えてとりあえず満足することにしている。まずDIDの患者さんの脳を調べて,そこにいくつもの人格の存在を視覚的に確認することは極めて難しいであろう。恐らく各人格はおなじダイナミックコアを巧みに共有しているのだ。その辺を工夫して描いたのが図3である。

ちなみに,いつかあるDIDの患者さんが,自分ともう一つの人格の関係を,バニラとチョコレートの二色のソフトクリームに例えたのが頭に残っている。白と茶色のアイスは決して混じることなく,アイスクリームコーンの上で螺旋をなしている。するとDIDの場合複数の人格は,虹色のフレバーのソフトクリームのように,一つのダイナミックコアにおさまっているのかもしれない。そのイメージで描いてみたのが図4であるが,この図を載せて発表した英語の論文(Okano, 2022)は,今のところほとんど反響を得ていないのが,少し残念である。

図4

 

文  献
  • Edelman, G.(2004)Higher than the Sky. Yale University Press.
  • Edelman, G. & Tononi, G.(2000)A Universe of Consciousness. New York: Basic Books.
  • Okano, K.(2022)The Role of Dynamic Core and Mirror Neuron System in Dissociative Disorder. Medical Research Archives, 10(12); December issue, Vol.10 Issue 12.
(ビジュアルはAlexandra_KochによるPixabayからの画像)
+ 記事

(おかの・けんいちろう)
1982年 東京大学医学部卒業,1987年 渡米,米国精神科レジデント,精神科専門医,2004年 帰国後,2014年~2022年 京都大学教育学研究科教授,2022年 本郷の森診療所院長

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