脳科学と心理療法(8)左右脳問題|岡野憲一郎

岡野憲一郎(本郷の森診療所・京都大学名誉教授)
シンリンラボ 第8号(2023年11月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.8 (2023, Nov.)

第8回目は左右脳の問題である。今回このテーマの伏線は,解離について論じた第6,7回目にあった。この流れで左右の脳の違い,特に右脳についてぜひ論じたいと考えたのである。

左脳と右脳:機能の違い

最初に予備的な説明をしたい。ここに掲げた図1(Blog, Creativity, Featured, Scarce, Skills, Talent, TED, Trendsより筆者が改変)は,左右の脳の機能の違いについて見事に示したものだ。

図1

左脳に冷たい岩のようなものや,コンピューターに向かって事務作業をしている人たちが描かれている。右脳は自然が豊かで彩りがあり,人々はリラックスしたり体を動かしたり絵を描いたりして幸せそうである。このように異なる性質を有する左右脳は,あたかも2つの別々の心のように見える。

このような左右脳の違いが明らかとなったきっかけが,第6回で紹介した分離脳に関する研究であった。以下にその実験について多少詳しく説明したい(「Natureダイジェスト」に掲載されていた図2をお借りする)。

図2 https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/figure/v9/n6/36734/3

分離脳の患者

図2に示した通り,脳梁を切り離された「分離脳」の患者さんは,視野の右側に示した○は左脳にのみ,左側に示した□は右脳にのみインプットされるようになる(一番左の図)。そこで視野の右側に「顔」が示された場合は,それが左脳にのみ伝わるので,患者さんに「何が見えますか?」と問うと,左脳は言語を持っているために「顔」と返事をする。また視野の左側にのみ「顔」を示した場合は,それが右脳に伝わるが,右脳は言葉を操れないために左手で顔を描くのだ(中央,および右の図)。ただし後者の場合は,視野の左側には何も見えていないので,左脳はあくまで「何も見えていません」と言う。そして「どうして左手で顔を描いているのですか?」と問われると,左脳は「退屈なので顔を描いてみました」などと言って取り繕うのだ(ちなみに文字の苦手な右脳でも単純な文字は理解することができるから顔を描くことができる)。

このように左右が切り離された脳が,それぞれバラバラにふるまうという驚くべき事実が知られるようになって,左右脳の機能の分化が知られるようになったのだ。

4つの脳

これらの知見に加えて,私たちは最近『WHOLE BRAIN:心が軽くなる「脳」の動かし方』(テイラー,邦訳2022)という強力な資料を得たことで,このテーマについてより深く考えることができるようになった。著者のテイラー女史は,左右脳の機能をさらに2つに分け,合計4つの脳があるとするが,これは非常にもっともな理屈である。なぜなら左右脳とも大脳皮質(思考をつかさどる)と大脳辺縁系(感情に関係する)を有しているからである。これらを彼女はキャラ1(左脳の思考部分に相当),キャラ2(左脳の感情部分),キャラ3(右脳の感情部分),キャラ4(右脳の思考部分)という風に分けている。それをあえて説明的に表すと以下のようになる(ただし「キャラ」という用語の代わりに私自身の言葉で言い換えている)。

•左思考脳……論理的,詳細志向的,客観的,分析的,言語的,過去志向的。

•左感情脳……用心深い,恐怖に基づく,猜疑心,融通が利かず,利己的,批判的。

•右感情脳……優しい,大らか,無条件で愛する,恐れ知らず,信頼,感謝。

•右思考脳……大枠志向,主観的,象徴やイメージ,抑揚やメロディー,未来志向。

テイラー女史の本を読むと,これまで左脳として強調されてきたのはどちらかと言えば左思考脳のことであり,右脳として強調されてきたのは,右思考脳だったということになる。また右脳は左脳より早期に発達するという理解がアラン・ショア(Schore, 2019),その他により示されたが,それには少し加筆されるべきところもあろう。たしかに左思考脳は遅れて発達するであろうが,左感情脳は闘争・逃避反応を起こすような部分であり,これは左脳の中でも生後かなり早い時期から活動を開始する必要がある。さもないと赤ん坊は厳しい自然界で生きていけないことになるのだ。

右脳という「私」

さて以上を予備知識としたうえで,私の今回の主張を多少誇張した形で申し上げよう。

右脳こそが私たちの本音であり,真の自己(true self)である。人はそれに基づいて行動を開始し,左脳はあとからそれを理屈付け,正当化しようとする。つまり左脳は右脳の真の意図を押し隠す機能を有するとさえ言えるのである。

私はいつもは「真の」とか,「偽りの」という表現をなるべく避けるようにしている。というのも,「何が真で何が偽りか」というのは究極の二分法であって,現実世界はこのようにすっぱりと二つに分けることができないものばかりだからだ。

しかしこの右脳が真の自己という表現は決して言い過ぎではないと思う。なぜなら右脳は私達の体験の最初期の相を反映しているからだ。ただしこの主張を理解していただくためには,左右それぞれの脳についてもう少し詳しくお話ししなくてはならない。

右脳が先に働きだす──愛着と発達の関連

まずは右脳だ。右脳に関して一番興味深いことは次のことである。右脳はおそらく人間の心の基礎部分を担っているのだ。そもそも赤ん坊が最初に心を持ち始める生後1年間,脳はもっぱら右側しか機能していないのである。最初の外界との接触,そして母親とのやり取りなどは,ほとんどこの右脳が行なうことになる。だから心の基本部分は右脳に備わるというわけだ。

そもそも右脳の主たる機能は,この世に生を受けたばかりの赤ん坊がまさに必要としているものである。右脳は外部からの情報の全体を捉え,空間的な大枠を理解し,母親の感情を読み取り,非言語的な情緒的な交流を行うことができる。つまり世界全体を大づかみに理解するのだ。そしてそれはまさに赤ん坊が生まれ落ちてからさっそく必要としていることである。

赤ん坊は見えるものの詳細部分を分かる必要もないし,母親の言葉の意味を詳しく理解する必要もない。これらは左思考脳の役割だが,後になって重要となってくるのだ。さらには左右脳をつなぐケーブルである脳梁自体が最初の1年は十分に機能していないため,情報交換も十分できない。ということで赤ん坊は右脳のみの片肺飛行と言ってもいい(ただし身体を動かし,感じるという機能は左脳でも生下時にすでに開始している)。

この右脳優位の状態で赤ん坊は最初の1年でみっちり母親との関わりを行う。そして最初の言葉を発する以前から,赤ん坊は人としての心の基礎を築いてしまう。母親のもとで安心し充足しつつ,母親と目を合わせ,微笑みかけ,感情の交流を持つ。その結果として赤ちゃんは自他の境界を持たず,すべての人が一つの生命体の集合的なエネルギーだと感じるという。

このような乳幼児の右脳の機能を育て上げるのは,実は母親(養育者)の右脳であるということを明らかにしたのが,アラン・ショアの研究である(Schore, 2019)。母親は声の抑揚や優しい表情などで赤ちゃんと心を通じさせる。この時に主として機能しているのは母親の右脳である。乳幼児と関わる際は,彼女の右脳もまた全開なのだ。右半球は情緒と表情の処理だけでなく,声の抑揚,注意,触覚情報の処理にも関与する。そしてここに母親の右脳と赤ん坊の右脳どうしの一種の交信が起きると言われている。両方が共鳴ないし共振し合っていると言っていい。2つの音叉を並べて片方をハンマーで打ち音を鳴らすと,もう1つも鳴り出す,という具合にである。

左脳は虚言症か,サイコパスか?

次は左脳についてである。分離脳研究から窺える左脳は,かなりのくせ者である。左脳は右脳が始めたことについてもっともらしい説明をする「説明脳」でもある。しかも「すみません。わかりません」等とは素直に言わず,あくまでも言葉で取り繕うのである。

このような左脳のあり方の由来を考えてみよう。先ほど赤ん坊はもっぱら右脳で生きていくという事情を説明したが,1歳を過ぎて子どもが言葉を話すようになった時のことを考えよう。

子どもは自分の考えを伝えるという営みを覚える。それにワンテンポ遅れて子どもが覚えるのは,自らを偽ることだろう。

たとえば子どもがおもちゃを乱暴に扱って壊してしまう。それに後になって気が付いた母親が子どもに「これやったの,だれ?」と問う。言葉はまだ出なくても叱られていることが分かった時には子どもはおそらくうつむくだけだろう。しかし言葉を覚えると「僕じゃないよ」とか,あるいは「○○ちゃん(一緒に遊んでいた友達)がやったよ」と言うかもしれない。言語の世界に入った子どもがかなり早期から発見するのは,言葉が時には魔法のように働いて自分を窮地から救うということだ。

ただここで重要なのは,おそらく左脳に嘘をつく意図はないということだ。左脳は説明脳であり,ある意味では出まかせを生産するのである。そしてそれが虚偽であることを認識して後ろめたさを感じるとしたら,それはもっぱら右脳の方なのである。

ただし右脳とカップルされた状態の左脳は,合理性を追求し,物事を秩序立てるといったポジティブな働きをする。テイラー女史による左思考脳の特徴(前掲)を思い出せば,左脳は言語で理論的に考え,てきぱきと仕事を進める際に大活躍をしていることになるのだ。

切り離された左右脳は暴走する

これらの左右の脳の機能は,お互いが抑制し合い,譲り合い,その結果としてその人の知性や経験を反映した常識的なものとなるだろう。ところが脳の各部分は周囲から孤立すると暴走する傾向にあることに注意したい。それは左右脳の関係についても言える。

右脳梗塞などで左脳がフリーになると,いわゆる「反側無視」という不思議な現象が見られる。彼らは食事を出されても,お皿の右半分のものしか食べなかったり,時計を描いてもらっても,まるい文字盤の右半分に1から12までの数字を詰め込もうとする。また左片側麻痺になっても,動かなくなっている左手について尋ねられると,「ほら,ちゃんと動いていますよ」と事実と異なることを言うかと思えば,「これは私の手ではありません。あなたの手じゃないですか?」と言ったりする。このような左脳の主張は時には妄想的にすらなることが知られる。

また左脳の中でもブローカ野(運動性言語中枢)がウェルニッケ野(感覚性言語中枢)から切り離されて孤立すると,いわゆる「ウェルニッケ失語症」となるが,その際は言葉は流暢で多弁ですらあるが,言い間違いや意味のない言葉を羅列する等の様子が見られる。つまり喋る能力だけが切り離されて勝手に暴走している壊れた機械のようになってしまうのだ。

このように切り離されると暴走する左脳は,やはり倫理的な判断についてはかなり右脳に頼っている可能性がある。左脳は嘘つきのサイコパスではないが,その代わりに倫理的な事柄に無関心である可能性がある。

この件についてとても興味深い実験がある。Gazzanigaたち(Miller et al., 2010)は分離脳患者に2つのストーリーを提示した。1つはある部下が上司を殺害しようとするが,毒と間違えて砂糖を盛ってしまった(その結果殺害には至らなかった)。もう1つはある部下が上司に砂糖を提供しようとして間違えて毒を渡し,その結果殺害してしまった。これを右脳だけの人と左脳だけの人に聞かせると,何と左脳だけの人は,両者の道徳的な意味を区別することができなかったというのだ。

では右脳が孤立した場合はどうか。左脳に切り離された右脳の振る舞いについては,テイラー女史の生の体験が非常に参考になる。彼女は自分が誰かもわからなくなり,自他の境界がなくなり宇宙と一体になったと感じたという。「左脳がついに完全停止を余儀なくされたとき,私は右脳の安らかな意識に包まれ,そこでは危機感がすっかり失われ,……ただこの瞬間だけに存在していました」(p.41)。そう,生後間もない赤ん坊が満ち足りている時の世界なのである。

分離脳が示す人の心の在り方

最後に分離脳から見えてくる人間の脳と心の在り方について私なりの見解をまとめたい。私は左右の脳は相互補完的であり,2つがあって1つなのであるということを述べた。しかしその上で私は左右脳のうちで優位なのは右脳の方だと言いたいのだ。右脳は主で,左脳は従である。精神医学では実はさかさまで,言語野のある方(ほとんどの場合左脳)を優位半球,反対側(ほとんどの場合右脳)を劣位半球と呼ぶ。しかしこれは不正確で誤解を招きやすいと私は考える。

本当は右脳が優位であるという点を忘れるとどうなるだろうか。それは左脳の産物を絶対視してしまうことにつながる。そしてそれは私たち現代人が,特に欧米風の考え方に毒されかけた場合に陥ってしまう問題でもある。

例えば私たちの行動を規制しているのは,自然法則であり,法律である。そしてそれらは左脳により生み出され,磨き上げられるのである。自然科学の分野であれば,この左脳の優位性は必然なのだろう。最近の例であるが,常温での超電導物質が発見されたという研究が発表された。しかしその報告が人類にとっていかに朗報となる可能性があっても,厳密な論文の審査でその正当性が認められなければ,それが却下されざるを得ない。

しかしもう一つの左脳の産物,すなわち法律はどうか。それが具体的に運用された時のことを想像しよう。あなたは被告の席に座り,原告の訴えがいかに誤っているかを主張している。そして非常に多くの場合,あなたは次のような体験を持つのだ。「いくらこちらの主張の正しさを法的根拠をもとに主張しても,裁判官はそれを聞き入れてくれないではないか」目の前の裁判官があなたの主張を生理的に好かないとしたら,最初からあなたの話を論理的に追うことを放棄するかもしれない。それどころか裁判官は,あなたが用いたものとは別の法的な根拠をもとにあなたの主張を却下しかねない。そのような体験を通してあなたが知るのは,法律はしばしば,誰かの右脳による行動を極めて巧みに正当化すべく用いられることが非常に多いということである。

いかに弱者を守り,強者の不正を取り締まるべく法律を整備しても,常に勝つのはそれを巧妙に利用する強者達だ。彼らは自らの右脳に基づいた行動を巧みに正当化するために左脳を利用するのである。もちろんそれをなし得るのは,ごく一握りのお金と権力者を有する人たちなのである。しかしその力や影響力は決して侮れない。

だから某国Aが某国Bに軍事侵攻を開始する時,Aの首相や大統領の左脳はこう言うのだ。「B国にいるわがA国民を守るための自衛の手段だ。その意味では先に仕掛けたのはB国の方だ」。弱肉強食の国際社会での紛争ほど,人類の左脳の産物(国家間の条約,国連憲章など)が意味をなさないという例はないだろう。その意味では人間社会もまた,言葉を持たない野生動物の右脳同士の戦いと少しも変わらないのである。

文  献
  • Miller, M. B., Sinnott-Armstrong, W., et al.(2010)Abnormal moral reasoning in complete and partial callosotomy patients. Neuropsychologia, 48(7); 2215-2220.
  • Schore, A.(2019)Right Brain Psychotherapy. W. W. Norton & Company.(小林隆児訳(2022)右脳精神療法.岩崎学術出版社.)
  • Taylor, J. B.(2021)Whole Brain Living: The Anatomy of Choice and the Four Characters That Drive Our Life. Hay House.(竹内薫訳(2022)WHOLE BRAIN:心が軽くなる「脳」の動かし方.NHK出版.)
(ビジュアルはAlexandra_KochによるPixabayからの画像)
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(おかの・けんいちろう)
1982年 東京大学医学部卒業,1987年 渡米,米国精神科レジデント,精神科専門医,2004年 帰国後,2014年~2022年 京都大学教育学研究科教授,2022年 本郷の森診療所院長

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