脳科学と心理療法(1)私には脳科学はうさん臭かった|岡野憲一郎

岡野憲一郎(本郷の森診療所・京都大学名誉教授)
シンリンラボ 第1号(2023年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.1 (2023, Apr.)

はじめに

「脳科学と心理療法」というタイトルでこれから何回か書かせていただくことになった。最初にお断りしなくてはならないが,私は決して「脳科学者」ではない。精神科の臨床医であり,精神療法家,精神分析家である。だから新たな脳科学の知見を縷々論じるという能力はないのだ。あくまでも心理療法家の立場から脳科学がどのような意味を持っているかについての考えをエッセイ風に書き連ねることになる。どうかそのつもりでお付き合い願いたい。

今回はその初回ということで,私が精神科医として出発したころを振り返りたい。私にとって「脳科学」は単に知的好奇心を抱く分野ではない。それは心について考えることを生業とする精神科医である私にとって中心的なテーマなのだ。しかし昔は全くそうではなかった。脳科学への関心は,40年ほど前に医学部を卒業してからこれまでの間に徐々に形成されていったことである。今回はその始まりの部分から書き起こすことになる。

私の出発点としての「赤レンガ病棟」

「脳科学と心理療法」などというタイトルを付けると,まず「脳科学」という言葉に絶対アレルギー反応を持つ読者がいらっしゃることだろう。これはある意味ではよくわかる。というのも私もはじめはそうであったからだ。

1982年に医師になりたての私が研修を行ったのは,とある大学の附属病院であった。その病院の精神科病棟(「赤レンガ病棟」と呼ばれていた)では,何と「反精神医学」の風潮が生きていた。「ハンセイシンイガク」という言葉は若い読者の方々にはピンとこないかもしれない。でもイギリスのR. D. レインとかデイビッド・クーパー,あるいはフランスのフェリックス・ガタリやジル・ドゥルーズ,イタリアのフランコ・バザーリャの名前をお聞きになった方は結構いらっしゃるかもしれない。彼らがオピニオンリーダー,旗振り役となった一連の運動があったのだ。

反精神医学とは,精神科の患者さんを医療の対象とせず,対等な人間として扱おうという立場だ。まさにヒューマニズムの精神に立った動きである。その理論に立てば精神病院の閉鎖病棟やそこで行われる過剰な薬物療法(いわゆる「薬漬け」)などは病気をむしろ悪化させるようなものだと彼らは主張した。これを薬を投与する当の精神科医たちが訴えることに意味があったのである。

これらの主張はいわゆる新左翼系の動きに属し,精神医学や精神医療がもたらす人権問題や非倫理的な処遇に異議を唱える勢力となっていた。簡単に言えば「患者さんを鉄格子の中に閉じ込めるな!」という主張である。「赤レンガ」はそのような運動のリーダー的な役割を担っている精神科医たちにより構成されていたのだ。そしてそれらの流れに同調した全国の精神科医たちが,それまで多く存在していた精神科の閉鎖病棟を開放するという動きを起こしたのだ。

私は医師になってからの1年をそのような環境で過ごしたわけである。病棟では医師も看護師も白衣は決して身に着けず,普段着のジーパン姿。一見すると誰がスタッフで誰が患者かわからず,両者の垣根が取り払われた自由な雰囲気に満ちていた。そしてそこでは「生物学的」(もちろん「脳科学的」も含まれる)と形容されるような研究は患者を実験台とするものであり,患者の人権の疎外に繋がるものとして敬遠されたのである。

いわゆる「初期値効果」(デフォルト効果)という言葉がある。人は最初に与えられた環境や条件をそのまま受け入れて踏襲していくという傾向のことだ。そして私の赤レンガ病棟における「初期値」は「反精神医学的な精神医療」であり,私はそれをごく自然に受け入れたようだ。私が医師になった1980年代は,まだ学園紛争の名残が大学構内のあちこちに残っていた。医師は研究や実験にうつつを抜かさず,患者の心の問題に寄り添いつつ,精神医療の持つ旧態依然としたさまざまな問題を追及すべく社会活動に携わるべきだという雰囲気があった。

ただしそれはそれで,私もアレルギーを起こしそうになったこともあった。病棟の隅の倉庫に独特の角ばった字体でスローガンを書き込んだ立て看版などが雑然と詰め込まれているのを目にしたり,先輩医師たちが政治的なデモ行進に参加する際に研修医も強く求められたりすると,ちょっとした違和感を持つことはあった。しかし「患者さんに対して人間的な扱いをしましょう」というスローガンそのものには何の異存もなかった。

私は赤レンガ病棟では患者さんたちとのレクに参加し,病棟のあらゆるスタッフと患者さんたちが一つの輪になって週に1度行われる「コミュニティミーティング」なるものにも顔を出し,「これはなかなかいいものだ」と思ったりした。スタッフの間でケースカンファレンスのようなものは開かれていたが,精神医学の専門用語を頻用するのはタブーという雰囲気もあった。患者さんの診断についてあれこれ論じることは避けられている傾向もあった。診断は患者さんにラベリングをすることであり,その苦しみを理解することにはあまり関係ないという共通理解がそこにはあったのだ。

でも極端に思える主張にはすぐ反発する私である。私は赤レンガ病棟のカンファレンスで初めて患者さんのケースを出した時に,やはり診断名くらいは書き入れてもいいのではないかと思った。でも新人にそんな勇気はない。見えないような小さい字でその患者さんについて考えられるDSMの診断名を書いて出したのを覚えている。(ちなみに当時はまだワープロもなく,肉筆の原稿をコピーして配る,というのが通常だった。)私にしてはささやかな反抗精神の表明であったが,どこかに学問としての精神医学もアリだろう,研究も少しは大事ではないか,という持ちはあったのである。

私は結局「赤レンガ」に染まりながらも,次の疑問を持っていたことになる。人についての「生物学的」な理解は,その人の人間性を否定することになるのだろうか? そもそも薬物療法とは患者さんの脳に何らかの科学的な働きかけをすることではないのか?

もちろん赤レンガ病棟でも薬物療法は行われていた。さもなければ精神科は医療経済的にも生き残れないのだ。そしてきちんと薬物療法ができるためには,自分はやはり脳の勉強をしなくてはならないのではないかとも思った。そう,薬を使うというのは明確に「脳科学的」な手法と言えるのである。ただしもう一言付け加えるならば,薬の効果の精神薬理学的な理解は,あくまでも仮説である。薬が脳にどのように効いて,欝が治ったり幻聴が軽減されたりするかというメカニズムは,当時は今よりさらにわかっていなかった。だから薬物療法は純粋に科学的な基盤を持つというよりは経験的な手法なのである。

結局私が赤レンガの風潮で一番好きだったことのひとつは,精神医学の教科書を読むことを先輩の医師たちから特に強く薦められなかったことである。教科書を読むのは大学受験や医学部での詰込み教育でこりごりであった。それよりは患者さんたちとざっくばらんに話すことの方がはるかに魅力的であった。

私はそれから日本の精神科の外来や入院病棟で数年ほど研修を積み,精神科医として少しだけ自信をつけてアメリカに渡ったわけだが,少なくともこの日本での数年間,私は脳科学に関心を持つということはなかった。そのまま日本にいたらどうなっていたかを時々想像するが,特に脳に魅かれることはなく,あまり変わらない臨床の日々を送っていた可能性がある。

脳科学の前に精神分析やファントム理論があった

私は最初は脳科学には興味がなかったと言ったが,そもそも心のあり方が脳の組織を研究することで解明されるという発想は私には縁遠かった。私が医師となった1980年代と言えば,ようやく解像度の低いCTスキャンが実用化されるようになった時代であり,脳の活動を時間を追って画像で表示するfMRIのような技術など全く考えられなかった。精神分析はひとことで言うならば,あえて脳組織を介さずに患者の心に迫る手法である。心の働き方にいくつもの仮説を設け,それに基づき治療を実践していく。そしてこれは実は赤レンガの風潮と特に矛盾はしなかった。

ということで私が脳科学に興味を持つ前に情熱を傾けた精神分析の話になる。少し唐突なようだが,実は赤レンガの掲げる反精神医学の精神はフロイトの生み出した精神分析に求めることができる。すでに名前の出たレインやガタリ,ドゥルーズといった人々はまずは精神分析を学び,その後独自の立場を切り開いていったことでは共通している。彼らの本にはフロイトはしばしば顔を出し,時々引用されたりしている。人の脳を知るのではなく心そのものに直接迫るという発想は精神分析も反精神医学も共通していたのである。

精神科の薬物療法が始まったのは1970年代からであるが,精神分析も反精神医学もどちらかと言えばこれに反対であったことは特筆すべきであろう。「薬で手っ取り早く心の悩みを治すなんて邪道だ」という姿勢が彼らの間にはあったのだ。私が研修を始める何年か前に,フェリックス・ガタリが訪日して我らが赤レンガ病棟にも訪れたことがあったという。その時ガタリは赤レンガ病棟の内部を見て回った後に「君たちはまだ薬なんかを使っているのか」と言ったという逸話を聞いたことがある。その頃は薬物療法は時代遅れと見なされることもあったのである。

その頃私はなぜ精神分析に期待を寄せたのだろうか。大した根拠は実はなかったのだ。そもそも私は精神分析とはいったいどういう学問かということについて,それを実際に学ぶ前には何も知ってはいなかった。医学生時代にフロイトの『夢判断』の文庫版を手に取ったことはあったが,「これはついて行けない」と投げ出してしまったことを覚えている。しかしそれは自分の理解力が追い付いていないだけだと思った。ましてや精神分析理論に疑問を持ったり反対の考えを持ったりするようなことなど考えられなかった。

その頃の私は「何かの道を究める」という姿勢だけは確かにあり,その対象は人の心だということはすでに決めていた。新人の精神科医としての私の耳に入ってくる「精神分析」は,人の心を探求して解明するための究極の学問という雰囲気があった。そしてもし実際の精神分析を学んでみて,それが心を解明してくれるには不十分であると感じたならば,自分が新しい精神分析理論を発見すればいいのだ,などと不遜なことを思っていたのだ。ただし精神分析というシステムはその中で修練を積んでそのヒエラルキーの階段を上っていくという構造を有し,それ自身もとても魅力的に感じたのである。

このころの私はまた故・安永浩先生の「ファントム理論」にも興味を持った。当時東京大学医学部附属病院分院の精神科助教授だった先生が1977年に出版した『ファントム空間論』は心の働きを論理的に追求した画期的な本であった。ただしこれも脳科学ではなかった。ただ私にとっては脳科学より魅力的な理論だったのだ。ファントム理論は私にはその概要をお伝えできることはとてもできない奥深い理論なので,ここでは名前を出すだけに留めたい。

ソフトウェアとしての脳科学?

このように私の興味は最初は精神分析やファントム理論などの精神病理学に向けられていたが,それから40年(そして特に最初の20年)が経つうちに,いつの間にか脳科学にも及ぶようになった。読者は私自身の中に何か大きな変化が生じたはずだと思われる方も多いだろうが,私にとっては精神分析への関心と脳科学への関心は矛盾せず,むしろ自然とつながっている感覚を持つのである。それはどうしてであろうか? この連載の第1回目を書くにあたり,それを読者に説明しなくてはならない。

そこであれこれと考えていくうちに,一つのアイデアが湧いた。それは精神分析と脳科学との関係はコンピューターのソフトウェアとハードウェアとの関係に似ているのではないかということである。つまり脳というコンピューターのハードウェアに心というソフトウェアがインストールされているという発想である。パソコンやITに非常になじみ深くなっているはずの読者なら,容易に納得していただけるのではないか。そして私の関心は過去40年の間に,精神分析というソフトウェアから脳科学というハードウェアの研究に移ってきたわけである。ただし私が精神科医になった1980年代前半は汎用性のあるパソコンそのものが存在しなかった。後にハードウェアとかソフトウェアとかの用語や概念を用いるようになってから振り返り,そのような比喩を思いついただけである。そしてその意味での心のソフトウェアとしては,精神分析やファントム理論が最も出来栄えがいいものとその当時はみなしていたのである。ただし心は非常に巧妙かつ複雑に作られており,もちろんそのソフトの作者は「神のみぞ知る」存在としか言いようがない。しかしそのあり方を解明することが心を理解することに繋がり,そのソフトウェアの本質にかなり接近しているものとして,精神分析や,ファントム理論などの精神病理学に興味を持ったのだ。

このように考えると私が当初は脳科学に興味を持たなかったのも無理もないと言える。それはソフトウェアとしての心には関心を向けても,それを動かすハードウェアとしてのパソコンのCPUやRAMやハードディスクや,それらをつなぐ細かな配線には本質的な意味を見出せなかったのだ。

ちなみに100年以上前に心の探求を志したフロイトの場合は,ハードウェアとしての脳への関心が先行したことは興味深い。彼は中枢神経を構成する神経細胞を顕微鏡下に見出し,その個々の神経細胞の在り方から心の理論を打ち立てようとしたのだ。それが1895年に書かれた「科学的心理学草稿」であったがこれは失敗に終わった。その後フロイトはそれとは全く異なる心の理論を描きだした。それが無意識や意識,自我や超自我といった抽象的な概念を用いた精神分析理論だった。フロイトの局所論モデルも構造論モデルも,いわばソフトウェアの仕組みを説明するためのものだったということができるだろう。

ところが私はこの40年のうちにある一つのことに気が付いたのだ。それは端的に言えば,心のソフトウェアは恐らく存在しないであろうということだ。そこには脳というハードウェアしかなく,ソフトウェアなどない。ハードウェアが大事なのだ。つまりフロイトの発想とちょうど逆のことが起きたのである。

あるいはこう言い換えてもいいかもしれない。脳においてはソフトウェアとハードウェアとは分かれていない。おそらく両者は同一なのだ。そして心を知る一つの具体的な手法は脳の活動を知ることなのだ。そして両者が同一であるということは,デカルト的な二元論から現代的な心身一元論に回帰するということになる。

おそらく多くの脳科学者が私のこの見解に同意するだろうと思うが,その背景として2つが挙げられよう。1つには脳の画像技術の発展が大きく影響している。例えばfMRIにより見ることのできる脳の興奮の経時的なパターンは,その時心が刻々と体験している内容にかなりよく対応している。ノセボ効果による痛みと医学的な根拠のある痛みが脳の特定部位における同様の興奮のパターンを示すことなどはその一例だ。

そしてもう1つは,いわゆるニューラルネットワークモデルの発展であり,それを飛躍的に精緻なものにしたディープラーニングの技術である。きわめて膨大なスケールの人工的な神経ネットワークというハードウェアに繰り返し自己学習を行わせることで,人間的な知性と見まごう能力が獲得される。それは2016年に韓国の囲碁のチャンピオンに圧勝したグーグル社のアルファ‐碁や,同じくグーグルの対話ソフトであるLaMDA,そして最近世間をにぎわしているオープンAIのチャットGPTの例が私たちの頭に浮かぶだろう。もちろん「主観性やクオリアを備えた心とAIを混同するな!」というお叱りの声はすぐにでも聞こえてきそうだが。

ということでこの連載エッセイは多少なりとも波乱含みの旅立ちとなった。これから10回以上をどのように書いていくかは完全に筆任せであるが,あくまでも私の体験に基づいて書いていきたいので,もし気が向いたらお付き合い願いたい。

(ビジュアルはAlexandra_KochによるPixabayからの画像)
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(おかの・けんいちろう)
1982年 東京大学医学部卒業,1987年 渡米,米国精神科レジデント,精神科専門医,2004年 帰国後,2014年~2022年 京都大学教育学研究科教授,2022年 本郷の森診療所院長

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