私の本棚(12)『天上の葦』(太田 愛)|竹田伸也

竹田伸也(鳥取大学)
シンリンラボ 第12号(2024年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.12 (2024, Mar.)

渋谷のスクランブル交差点で,その老人は空を指さしたまま絶命した

僕は,これまで受けた書評依頼は,すべて丁重にお断りしてきた。若松英輔は『悲しみの秘義』の中で,次のように述べている。

読者とは,書き手から押し付けられた言葉を受け止める存在ではない。書き手すら感じ得なかった真意を個々の言葉に,また物語の深層に発見していく存在である

これはつまり,著者の手を離れた本というひとつの存在と読み手との個人的な関係を結ぶ営みこそが読書であるということを若松は言っているのだと思う。そう! まさにその感覚。本を読んで思うこと,感じることは,すべて読み手である自分とその本との関係性を示している。だからこそ,同じ本であっても読み手によって感じ方が違ってくる。そんな秘め事は大切にとっておきたい。そうした理由から,書評依頼はすべて断ってきたのだ。

だが,今回は違う。僕も愛読している「私の本棚」コーナーは,書評ではない。このコーナーから毎回気づかされることは,「世界とどう向き合うかを考える節目を本が果たしてくれている」ということだ。読み手と本の個人的な関係を超えて,本は私たちにそうした機会を確かに届けてくれる。だとしたら,僕にもそうした本の話はできるかもしれない。それに,編集者も「自分の好きな本について,自由に語ってもらって大丈夫っす!」と軽い。だったら,書いてみよう。そう思って今に至るのだ。

とはいえ,僕も本大好き! なので,どの一冊を取り上げようか正直迷った。読書するときの本の選び方は,僕の場合3層からなる。仕事のど真ん中に直結する本。周辺ではあるが仕事らしい営みに関連する本。仕事とまったく関連しない本。その3つのカテゴリーからまんべんなく本を読むよう心がけて,もうすぐ……。あれ,何年になるんだっけ。忘れてしまったが,せっかくであれば偏らずにいろんな本と出会いたい。そうした想いから,このような読み方を意識しているのだ。

ところで,冒頭の一文,とても気になりません? 「いや,おまえの与太話はいいから,冒頭の文章はなんなのか,説明しろ!」と思われた方も多いのではないだろうか。この一文こそ,今回僕が取り上げたい一冊の出だしなのだ。

この本との出会いは,ひとりの編集者との会話に遡る。酒を交えつつその人と話しているとき,「こんな手練れの編集者が推す本って,どんなのだろう」という好奇心がわいた。その彼が,わずかの潜時も取らず答えた本こそ,太田愛の『天上の葦』であった。そう,「仕事とまったく関連しない本」である。

世界とどう向き合うかを考える節目を本が果たしている。この小説も,僕にそうした機会を存分に届けてくれた。この小説に伏流するテーマの1つは,「権力の暴走に,一人の人間としてどう向き合うか」であると僕は思う。

素人だけでなく,心理職を目指す大学院生からも,しばしば尋ねられることがある。それは,「心理職と精神科医の違いは何か」という問い。心理職のあなたは,これにどう答えるだろうか。僕はこう答えている。「精神科医は,あくまでも治療を目指す。それに対して,心理職は適応を目指す」と。治るか治らないかを超えて,クライエントが個人の内的世界を含む広い意味での世界の中で,いろんなものと折り合い暮らしていく力を支える営み。それこそが,心理職の生業だと思って,今日までこの仕事を続けてきた。その適応を支える際に,心理職から届けられる言葉がある。「自分の気持ちにもっと正直に生きてよい」というメッセージが,それである。本来の自分を抑圧し,周囲に無理に合わせて生きてきた人にとって,この言葉は勇気づけとなろう。しかし,この言葉は文脈によっては,違う結果を招く可能性もある。たとえば,多くの子どもへの性的虐待事件が露呈したタレント事務所の今は亡き社長のような人に届けると,何が起こるかは想像に難くない。

自分の気持ちに正直に生きる。自分の在りたいように在る。そうしたことは,超えてはならない枠の内側に収まる限り許される。そして,その枠を構成するために,国民国家という物語を共有する私たち同胞は,民主的選挙によって選ばれた代理人に国家の運営を付託し,彼らは統治するうえで必要な一定の権力を行使する。こうした体制が安定するには,「権力を行使する人間は間違わない」という信憑を,共同体に暮らす同胞が内在化する必要がある。しかし,もちろん権力者は間違いを犯す。だからこそ,間違いを補正する装置として,選挙があるのだ。でも,そうしたシステムを,権力を持つ側が形骸化させてしまうこともある。権力を持つ者が,超えてはならない個人の枠を恣意的に狭めようとすることもある。そしてそれは,権力を持つ者の外側にいる人々の生きづらさに結びつく。そこには,僕はもちろん,クライエントもいる。そうしたとき,僕は一人の心理職として権力を持つ者に対峙することができるだろうか。

私たちの国では,超えてはならない枠を構成するもう一つの力が働いている。それは「空気」だ。日本的ナルシシズムという概念を提唱し,日本人の心性について論考を深めている精神科医の堀有伸は,次のように述べている。

少なくない日本人の社会意識は,「だれがいじめる強い側で,だれがいじめられる弱い側かを見極めて,前者につながって,後者となるべく関わらないようにする」という残念な内容になっている

この社会意識こそ「空気」であり,日本人である僕はこの意識を共有している。

「権力を持つ者たちが誤謬を犯し,世間の空気がそれに与したとき,あなたはどうありたいのか」この小説は,はっきりと僕にそう問いかけてきた。個人の適応を支えるために,権力を持つ者や世間の空気に抗うことができるか。正直,とても怖い。でも,そうした状況で僕は抗える人間でありたい。心理職としての矜持を,確かな行為として表したい。空を指さす老人は,そんな僕の気持ちを勇気づけてくれたのだ。

渋谷のスクランブル交差点で,老人が指さしたものはなにか。ぜひ,この小説と関係をもって,ご自分でそれを確かめてほしい。

文  献
  • 堀有伸(2023)ジャニーズ問題で露呈した、日本社会の「嫌な風潮」とリベラル勢の「決定的な問題点」.現代ビジネス.https://gendai.media/articles/-/116517
  • 太田愛(2017)天上の葦 上・下巻.KADOKAWA.
  • 若松英輔(2019)悲しみの秘義.文藝春秋.

+ 記事

竹田伸也(たけだ・しんや)
・所属:鳥取大学大学院医学系研究科臨床心理学講座
・資格:公認心理師・臨床心理士・上級専門心理士
・著書:『一人で学べる認知療法・マインドフルネス・潜在的価値抽出法ワークブック』(遠見書房,2021),『対人援助職に効く人と折り合う流儀』(中央法規出版,2023)など

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