私の本棚(7)『生きがいについて』『人間をみつめて』(神谷美恵子)|岡本祐子

岡本祐子(広島大学名誉教授)
シンリンラボ 第7号(2023年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.7 (2023, Oct.)

生きることの危機に寄り添う                           

古希に手が届く年齢が近づくと,自分の人生に深みと活力を与え続けてくれた「本」とその著者との出会いの意味は,鮮やかに自覚される。本稿では,神谷美恵子先生とその代表作『生きがいについて』,『人間をみつめて』を取り上げたいと思う。本来ならば,敬称をつけず「神谷美恵子」と記載すべきであろう。しかしながら私にとって神谷先生は,まさに青年期以来今日まで,文字通り「先生」であり続けた方である。ここでは私の長年の内的感性にそって,「神谷美恵子先生」とお呼びすることにしたい。

読者の皆さんは,神谷美恵子(1914-1979)という方をご存じだろうか。1979年10月,もう44年も前に亡くなられたが,今日もなお私たちに,人が生きることはどういうことなのかという〈問い〉を投げかけ,心に力を与え続けている方である。神谷美恵子先生は,長く国立ハンセン病療養所 長島愛生園の精神科医療に携わった精神科医である。『生きがいについて』,『人間をみつめて』をはじめ,数多くの著作が遺されている。

『生きがいについて』(1966,みすず書房)は,神谷美恵子先生の初めての作品である。長島愛生園で出会った入園者の方々に,単に医師と患者という関係のみでなく,一人の人間として向き合い,その苦悩に寄り添い,対話を続けた著者の実体験と,成長期からの文学・哲学・思想など,幅広い読書の蓄積から生み出された著者自らの思索が結実した名著である。治療薬がなかった第二次世界大戦直後までの時代,そして戦後も隔離政策が継続されていた時代は,ハンセン病と診断されることは,療養所で生涯を送ることを意味し,それまでの生活・家族・仕事のすべてを失うことであった。本書は,そういう「人生の危機」に直面し,生きがいを奪い取られた人々が,その後の療養人生の中で,自分の体験を見つめ直し,新しい生きがいを獲得していくプロセスを考察したものである。

『人間をみつめて』(1971,朝日新聞社)は,著者がハンセン病医療に携わることになった動機付けと経験と,長島愛生園での診療や入園者との交流の所感を綴った「島日記」などから構成されている。著者自身が,長島愛生園での仕事にどれだけ喜びと生きがいを感じていたかを,一層身近に理解することができる。

私は高校生時代,将来の職業,大学での専門など,進路選択ではさんざん迷った。人間の心に関わる仕事をしたいと思いつつも,精神医学や臨床心理学という学問分野や,職業も,大学の研究者や臨床現場での心理臨床家など選ぶべきことはたくさんあった。しかし高校3年生ともなり,ようやく臨床心理学という専門を志してみよう,働き方は大学での勉強の中で考えていこうと,一応,「最初の模索」に納得した。

そういう夏に,神谷先生の著書を高校の倫理社会の先生が薦めてくださったのである。私は衝撃に近い感覚を持った。精神科医でもこのような現場で働き,哲学的探求ができるのか!!! そして,神谷先生の人間に対する温かなまなざし,患者さんのすぐ傍に立ち,その苦悩に真摯に向き合う姿勢と言葉に感銘を受けた。そして大学生になったら,ぜひ長島愛生園を訪ねてみたいと強く願った。神谷先生の思索の原点と仕事の現場を知りたいと思ったのである。

1974年の春,初めて愛生園を訪ね,1週間滞在した。ハンセン病の過酷な歴史については,ここでは記さない。「神谷美恵子先生の本を読んで来た」のだというと,愛生園の入園者の方々には心から歓迎された。当時はまだ隔離政策の中にあったが,それでも宗教的な団体の慰問はあった。そんな中で島の入園者の気持ちは,娯楽の慰問も気晴らしにはなってありがたいが,本当の願いは「自分の体験してきたことを一対一で聴いてほしい」ということだった。初めての訪問で,このことは切々と心に響いた。こうして学生時代から一対一で話を伺うための訪問が始まった。岡山県の東のはずれ,広島の隣の県なのに,当時は,JR, バス,船を乗り継いで片道5時間もかかった。たくさんの方との付き合いはできなかったが,それでも5,6人の方とほそぼそと交流を続け,50年がすぎ,現在,生きておられる方はもう2人だけになった。

その長年の対話の中で,常に自らに問い続けてきた問題が,危機体験の意味ということであった。我が国において20世紀にハンセン病を病むことほど,苛酷な危機はないと言っても過言ではないであろう。入園者の方々は,生涯を通して「病者としてのアイデンティティ」しかもつことを許されなかった。人生を通じて,常に身体の危機,社会との軋轢,生きることそのものの限界にさらされてきた。しかしながら,私が訪ねて来ることを心から喜び,自分たちよりもはるかに若い私に,自らのこれまでの生きざまを包み隠さず語ってくださった入園者の方々の多くは,少なくとも現在は,穏やかに人生を受容しておられるように感じられた。

私たちは,自らの心の声に耳を清ませるとき,なぜ,「障害を持って生きる」姿に引き付けられるのだろうか。それは,人間の生と心の実相により近づくことができるからである。くぼみやゆがみのない球には,影はできない。ゆがみがあるからこそ,その形がはっきりととらえられる。人生の中で体験される不自由さ,意思どおりに動けないことは,それを象徴的に示している。だからこそ,障害を持つ人が自らの経験を語った言葉は,心に響き,長く心に刻み込まれ,その後も聴き手に問いかけ,思索を深めてくれる。この心奥に響く経験がなければ,この奇蹟のような長い関わりは実現しなかったであろう。このような愛生園での「経験の語りを聴く」経験を通して得たものは,幾重もの理不尽性,背反性を生き,「危機を生きのびる」とはどういうことなのかという〈問い〉に対する生きた答えである。神谷先生の著書に導かれて,私自身もその心的世界にわずかなりとも参加できたことを,心より感謝している。

ちなみに,神谷美恵子先生には,ついにお目にかかることは叶わなかった。親しくさせていただいていた入園者の方々が,私のことを神谷先生に手紙でご紹介くださった。神谷先生も,自宅に訪ねてきてくれるならお会いしましょうとおっしゃった。まだほんの学生なのにこのようなお心遣いを頂いたことに,私は心からうれしくて,ご訪問させていただく日時を約束し心待ちにしていた。しかし,当時の先生はご病気がちで入退院を繰り返しておられた。お約束の日の数日前に再び入院されることになり,訪問は延期されたままご体調は回復せず,亡くなられた。私の青年期の,ほとんど唯一の叶わなかった願いである。

文  献
  • 神谷美恵子(1966)生きがいについて.みすず書房.
  • 神谷美恵子(1971)人間をみつめて.朝日新聞社.
  • 神谷美恵子(1980~1985)神谷美恵子著作集 全12巻.みすず書房.

+ 記事

岡本祐子 (おかもと・ゆうこ)
広島大学名誉教授,HICP東広島心理臨床研究室代表,教育学博士,公認心理師,臨床心理士

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事