私の本棚(8)『その場で関わる心理臨床──多面的体験支援アプローチ』(田嶌誠一)|西脇喜恵子

西脇喜恵子(東京有明医療大学)
シンリンラボ 第8号(2023年11月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.8 (2023, Nov.)

心理職として,おそらく私は「腰が軽い」タイプなんだろうと思う。

といっても,今流行りの生成AIが説明してくれるような「浮気や不倫の傾向」「恋愛において軽率」などという意味ではもちろんなく,簡単にいえば,従来の心理の専門家よりもだいぶ身軽に,そして相談室の外まで気軽に動く臨床スタイルといったところだろうか。

臨床心理の世界に転じるまで,新聞記者として,事件・事故や裁判を取材する日々を送っていた。「殺人事件発生」の一報が入れば,取るものもとりあえず現場に駆け付け,ゼロから情報を集め記事にする。それが日常だった。

そして,その連続の中で私は,ある虐待事件に出会い,それを機に臨床心理士になることを決めた。臨床心理士として,カウンセリングを通じて心にアプローチしながら,事件の被害者の役に立ちたい,そう考えたのである。

しかし,実際に被害者支援にかかわってみると,相談にいらっしゃる方を,相談室の中でただひたすら待っているだけでは役立たないと感じることが少なからずあった。

ひとたび事件や災害が起きるとすぐに,「こころのケア」と言っていただける社会になったのはありがたい限りだが,心身の回復を目指すには,カウンセリングだけでは不十分で,実は,生活そのものの再建,安全感や社会への信頼感の再構築,刑事手続きへのかかわりといった現実を支えることが不可欠となる。他方,事件に遭ってすぐにカウンセリングの必要性を感じ,私たちのもとを自らの足で訪れる被害者が多いかといえば,そうではない。事件の衝撃や混乱の中で,ヘルプシーキング(一人で抱え込まずに周囲に助けを求める)行動がすぐにとれないのは,ちょっと考えれば容易に想像できるところだ。

だから,私は相談室の外に出た。支援を必要とする人のもとに出かけていくアウトリーチと呼ばれる臨床活動だ。事情聴取や裁判への付き添い,その後のフォローアップなど,被害後の現実にかかわりながら,心のケアにあたる。あるいは,現実を支えることで心の回復を目指す。そこでは,法廷脇の廊下のソファや裁判所の控室がにわかカウンセリングルームになる。新聞記者として身につけたわずかばかりの司法手続きに関する知識や情報が,ときに助けになることもある。当初,漠然と抱いていた臨床心理士としての働きぶりとはずいぶん異なる姿だが,意義ある臨床の形だろうと信念をもって取り組み始めた。

この腰の軽さは,インターネットやSNSが発達していない「とにかく足で稼げ」と言われた時代に記者を経験したことの遺産のようなものかもしれないが,同業の心理職からはよくこんなことを言われた。

「それって,心理の仕事なの?」

いやいや,これこそ心理の仕事でしょう。心の中では強くそう思いつつ,でも,それをうまく説明する言葉を持たなかった私は,ときにその言葉に傷つき,心理職としてのアイデンティティが揺らぐこともあった。

その中で出会ったのが本書「その場で関わる心理臨床」だ。

なにより本の帯に書かれている言葉が秀逸なのだ。

「問題は面接室の中で起きてるんじゃない!! 生活の中で起きているんだ!!」

そうそう,まさにそれ!

読み進めていくと,本書の主張は終始一貫して明確だ。安心で安全な生活という土台を用意しないまま,密室型の個人心理療法やカウンセリングをただ施すのは,「食事を与えずにビタミン剤を投与する」ものだと言い切る。そして,問題を,その人の現実の生活文脈から切り離して見立て,関わることに警鐘を鳴らしつつ,より効果的な専門的介入をするには,「その場で関わる心理臨床」という視点がもっと重視されるべきだと説く。随所で繰り返される「生活の中でどのような体験を蓄積していくかが大事だ」という議論は,臨床に限らない私たち生活者に通底するものとして,胸にじんわり沁みてくる。

本書ではもちろん,「その場で関わる」ことのメリットがそこここに散りばめられている。生活を通して,個の内面に働きかけるだけではなく,そこにあるさまざまな関係に介入できること,同時に,そこにいる周囲の人たちに今度は「その場で関わってもらえるよう」準備を整えられること,ネットワークを活用できることなど,その一つひとつは,相談室の外で臨床活動を展開する私にとって,どれも深く頷くものばかりだ。

被害者支援では,被害に遭った当事者だけをケアして終わりになることはまずない。その意味では,「被害者支援」ではなく「被害をめぐる支援」とするのが,その実態を忠実に表現することになるのかもしれないと,いつも思っている。被害当事者のみならず,家族や友人,地域といった周囲を支援する。また,中長期的には,そのような周囲の人たちが被害当事者のサポート源にもなってくれることを願いながら,ネットワークを支える。心理職だけではまったく手の及ばないことは法律家に頼り,福祉や行政のシステムを活用し,ときに社会に対しアドボケートする。ものすごく視野を広げれば,私たちが支え合って生きていける社会のシステムづくりでもあるのだろうと,そんなふうに考える。

ところで,「それって心理の仕事なの?」という問いを解くための道標を手にした満足感とともに読了し本を閉じると,そこには最後のしかけが隠されている。

帯の裏の言葉。

「心はアマチュア 腕はプロ,補おう腕の不足は体力で」 田嶌臨床の真骨頂

「腕はプロ」と言い切れない自分は,「腕はプロでありたい」ぐらいの言い方に変更させてもらいつつ,しかしこれを自身の臨床を励ましてくれる言葉として,何度となくかみしめている。

最後に。アウトリーチ支援の全面推し活のような本書の中だが,よく読んでみると「現在生き残っているすべての心理療法は正しい(すなわち効果がある)と考えている」といった言葉がさりげなく埋め込まれている。そして,ああ,そうなのだと,ここでもまた深く頷く自分がいることを実感する。この言葉こそ,心理臨床にかかわる仲間と共有したかったのだと切に思う。専門家として,今日もただひたすら誠実に心理臨床に取り組むすべての仲間に,そして,それを目指す若い世代に,ぜひ一読していただきたい「推し本」だ。

文  献
  • 田嶌誠一(2016)その場で関わる心理臨床──多面的体験支援アプローチ.遠見書房.

+ 記事

西脇喜恵子(にしわき・きえこ)
公認心理師・臨床心理士・元朝日新聞記者
所属:東京有明医療大学
被害者支援に関する分担執筆:『喪失のこころと支援』(山口智子編,遠見書房,2023),『心の専門家養成講座 第11巻 危機への心理的支援』(窪田由紀編,ナカニシヤ出版,2022),『児童虐待における司法面接と子どもへのケア─基礎研究から新たな実践へ』(上宮愛ほか編著,北大路書房,2021)など。

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