私の本棚(11)『ふたりのロッテ』(Kastner, E)|本阿彌はるな

本阿彌はるな(さっぽろ悠心の郷 札幌はな発達デイサービス)
シンリンラボ 第11号(2024年2月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.11 (2024, Feb.)

『ふたりのロッテ』を初めて読んだのは小学生のころ,主人公の少女たちと同年代だった。ふたりのものがたりに引き込まれ,共感し,夢中になって読んだことを覚えている。そして,その後も何度となく読み直している。

今回の執筆のお話をいただいたとき,「座右の書」と言われて真っ先に浮かんだのがこの本だった。しかし,その後しばらく迷いがあった。心理学の専門書をあげるべきではないのか,児童文学でいいのか……いろいろと逡巡したが,結局はやはりこの本に戻ってしまった。

この本にはふたりの9歳の女の子が登場する。そのうちのひとり,ルイーゼは父子家庭,もうひとりのロッテは母子家庭で育っている。たがいにまったく知らなかったふたりが,夏休みに親元を離れて過ごす「子どもの家」で出会うところから,物語は始まる。ふたりは驚くほど見た目がそっくりだった。初めは戸惑いや反発もあるが徐々に仲よくなり,いろいろと話すうちに,ふたりは自分たちが生き別れの双子であることに気づく。そして,ふたりなりにいろいろと考え,計画を立てて,行動していく。

この物語の中で,ふたりから発せられる言葉に,小学生の私はとても共感した。そして大人になった今,読み返すといつもハッとさせられる。

(以下は本書より部分的に抜粋)
「ほんとうは,あたしたちを半分に分けてよいかどうか,まずあたしたちに,たずねなくちゃいけなかったんだわ!」
「なぜおとうさんはあんたに,おかあさんが生きてることを,ちっとも話さなかったの?」
「そしておかあさんは,おとうさんの生きてることを,あんたにかくしていたのね?」
「いい両親だわね,どう? まあ,おぼえているがいいわ,いつかふたりにあたしたちの意見をいってやるから! おどろくわよ!」
「そんなことしてはならないわ」「あたしたちは子どもにすぎないんだもの!」

私はふだん子どもの発達支援の仕事をしている。発達支援の現場では,子ども自身ではなく,子どもと関わる保護者や教員といった周囲のおとなによる相談から,子どもとのかかわりが始まることが多い。これは発達支援に限らず,子どもにかかわる相談や支援全般に当てはまることのように思う。

そして,子どもにかかわる相談は,そのまま子どもの周囲のおとなとの間で進んでいくことも多い。子どもの年齢が低いほど,そして子どもになんらかの病気や障害があるほど,そうなりやすいように思う。相談の中では,専門の医療機関を受診するかどうか,どのような福祉サービスを使うのか,進学先をどうするのかといった,さまざまな意思決定が行われる。これらは,子ども自身に大きく関わることであり,時として子どものこれからを左右する大きな意思決定であるが,最終的には保護者を初めとする周囲のおとなによってなされることが多い。

子どもはおとなが守るべき存在である。しかし,それはおとなが子どもに関わることをなんでも勝手に決めていい,ということではない。子どもは守られるべき存在であるとともに,ひとりの人間として人権を持った,権利の主体である。どんなに年齢が低くても,どんな病気や障害があろうとも,差別されることなく,生命・生存・発達に対する権利を有し,自分に関わることに意見を表明する権利を有する。そして,子どもに関することが決められるときには,子どもにとってもっともよいことは何か,子どもの最善の利益を第一に考えることが求められる。これは,日本も批准している国連の子どもの権利条約の基本的な考え方であるとともに,2023(令和5)年5月に施行されたこども基本法注1)にも通じるものである。

注1)日本国憲法および児童の権利に関する条約の精神にのっとり,令和4年6月に成立し,令和5年4月に施行された法律。すべての子どもについて,基本的人権があり差別されないこと,適切に養育され平等に教育を受けられること,自分に関係することについて意見を表明したり参加したりできることといったこども施策の6つの基本的理念などからなる。

本来,子どもにかかわる相談や子どもにかかわる決定は,子ども自身が意思表示し,決定する権利があるのだ。子ども自身が明確な形で意思表示や決定をしきれない場合に,子どもの代わりに周囲のおとなが決定するのである。おとなによる決定はあくまで子どもの代わりに行うものであり,「この子どもがもっとも望んでいることは何か」「この子どもにとって最善の選択は何なのか」を常に考えながら,決定する必要があると思う。

子どもにかかわる相談をしていると,時として,子どもと周囲の大人の意思は相反することがある。このようなとき,私たちは,どれぐらい子どもの視点に立つことができているだろうか。子どもは何を望んでいるか,子どもにとって最善かどうか,ということをどれぐらい考え,それを周囲のおとなに伝え,子どもとおとなの間の調整を行えているだろうか。

冒頭のルイーゼとロッテの言葉に戻る。これらの言葉一つひとつが,おとなの事情に巻き込まれた子どもたちの痛々しいほどの心の叫びのように聞こえる。

自分たちの人生にかかわる重大なことなのに,なぜ自分たちの意見を聞いてくれなかったのか,なぜ何も教えてくれなかったのか,自分たちも意見を言いたい……。その一方で「あたしたちは子どもにすぎない」という無力感のような,おとなへの気遣いのような,子どもたちの揺れる思いも伝わってくる。かつて子どもだった私も,そのような気持ちの間で揺れ動くルイーゼとロッテに共感したことを思い出す。

『ふたりのロッテ』の物語はハッピーエンドだ。子どもたちの思いが最善の形でかなえられる。でも,現実はいつもそうとは限らない。そのような現実の中で,少しでも子どもたちの意見が尊重されるように,子どもたちにとって最善の決定を行えるように,私たち支援者はなによりも子どもにとっての最善を考えながら,周囲のおとなともかかわっていく必要があると思う。

この本は,私に,時として忘れてしまいそうになる子どもの心を思い出させ,また,一人ひとりの子どもが人として尊重されるべき存在であること,権利の主体であることを思い出させてくれる大切な一冊である。

文  献
  • Kastner, E(1949)Das doppelte Lottchen.(高橋健二訳(1975)ふたりのロッテ.岩波書店.)
+ 記事

本阿彌はるな(ほんあみ・はるな)

所属:特定医療法人さっぽろ悠心の郷 札幌はな発達デイサービス
資格:公認心理師・臨床心理士

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事