私の本棚(10)『超人ナイチンゲール』(栗原 康著)|村澤和多里

村澤和多里(札幌学院大学)
シンリンラボ 第10号(2024年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.10 (2024, Jan.)

ナイチンゲールかっけぇ……。これがこの本を読んだ感想だ。この本が講談調で書かれているので,こちらの思考も影響される。

現在,ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が終息していないなか,テレビにクリミア半島の地図が映らない日はない。170年前のクリミア戦争の最中,ナイチンゲールは傷病兵へ近代的看護を施したことで名声を高め「クリミアの天使」と呼ばれた。これは多くの人たちが共有している知識であろう。そこには聖母のように清純なイメージがある。しかし,本書において描かれる姿はそれとは異なっている。そこには運命に突き動かされ,社会の既成概念を打ちこわしていくような激しい姿がある。「ハンマーをもった天使」などという見出しなどにはその一端がうかがえるだろう。

しかし,象徴的なのはカバーの袖に書かれた次の文章である。

野郎ども,やっちまいな…(中略)…うおお,いっぱいあるじゃねえか。つぎからつぎへと必要物資をもちさっていく。なにをやったのか。軍の物資を強奪したのだ。ヒャッハー。(p. 169)

もちろんこれは著者による過剰な脚色である。このように書くと,この本がなかばふざけた内容の本ではないかと思われるかもしれないが,決してそうではない。本書は,保守的社会によってつくられた清純さというイメージをひっくり返し,ナイチンゲールの本性を浮かび上がらせようとするものである。型破りさを暴露することだけが目的ではない。

ところで私は,この本を読んだときにある種の既視感に襲われた。私は以前に,精神科医の中井久夫の臨床哲学についてまとめたことがあるが,この栗原の本を読みながら,もういちど中井の姿を発見したように思ったのである。

考えてみれば中井は『看護のための精神医学』(医学書院,2004)という看護学生向けの精神医学のテキストを手がけており,その冒頭には「看護できない患者はいない」という有名な一文がある。これは中井の精神科治療についての態度を述べたものでもあるが,これはまさにナイチンゲールのおこなった革命に通じる。医学が病気を治すことだけを目的とするならば,治療の困難な病に対しては無力である。しかし,看護は違う。たとえ回復は望めない病に対しても看護はできる。

このような視点から中井の代表作である『精神科治療の覚書』(日本評論社,2014)を読み直すと,それがナイチンゲールの主著である『看護覚え書』(現代社,2011)に重なるものであることがよくわかる。そこに書かれている中井の臨床哲学の核心を私なりに要約すれば,身体のリズムや生活環境を整えていくことを通して,患者に備わっている自然回復力が最大限に発揮できるようにすることである。

ナイチンゲールの『看護覚え書』を見てみると,驚いたことにまったく同じことがすでに書かれているのである。その序には,すべての病気の本質は「回復過程」であると述べられている。つまり,ダメージを受けた身体がそれを癒そうとする「自然の努力」が病気として現れるのである。そして看護がなすべきことは,自然が患者に働きかけるために最も良い状態を整えることであると述べられている。回復力を増長させるためには,生命力の消耗を最小限に抑えることと,生活環境を最良に整えていくことが肝要とされる。これらはすべて中井が述べたことでもある。

また,中井は自身の治療論の源泉のひとつとして,伝説的な精神科看護師,シュビングの姿勢をあげている。重篤な患者の傍らにすわり,安心のなかで共にあるということを何よりも大切にしている。これはもちろんシュビングのなかに宿ったナイチンゲールの姿勢にほかならない。

くわえて,中井は精神科病棟の設計にあたって患者の自然治癒力を最大限に発揮できるような設計を試みているが,ナイチンゲールもまた患者の自然回復力を活性化させるような病院建築の設計を試みている。それはナイチンゲール病棟と呼ばれ,徹底した換気,ナースステーションによる一望管理,感染を予防するための区割りなどが特徴的である。もちろん中井の設計は身体管理を極力少なくしようとする点ではナイチンゲールとは対極にあるということもできるが,その根底に生命力の消耗を抑えることと,自然回復力の活性化という思想は通じている。

このように書くと,中井久夫の臨床哲学がナイチンゲールのそれの写しであると思われてしまうかもしれないが,そうではない。私は,2人の置かれた状況と,そこでとった方法が似ていたために同じ結論に達したのではないかと考えている。中井はウイルス学者として出発し,ナイチンゲールはクリミアでコレラなどの感染症と戦っていた。そして彼らの足を踏み入れた臨床現場はあまりにも悲惨な環境だった。そのような体験から必然的に免疫力や自然回復力への着目が生まれ,中井の場合はその考え方を統合失調症の治療にも当てはめたということではないだろうか。

本書を読んで,私は精神科医療に携わったことがありながら,いままでナイチンゲールについて深く知ろうとしなかったことを恥ずかしく思ったのであるが,同時に懸念も感じた。それは今の看護師たちに,どれだけ彼女の精神が引き継がれているのだろうかというものである。ナイチンゲールは,医学の視点と看護の視点を明確に区別していたが,近年の看護師のなかにはむしろ医学の視点に同一化しているように見える人も少なくない。医師の片腕におさまって,自然治癒力よりも薬物による不自然な治療のほうになじんでしまっている。

これは心理職にもまったく同じことがいえる。中井に従うのであれば,心のケアの本質もまた自然治癒力の醸成にあるはずだが,クライエントに何かスキルを身につけさせようとしたり,その人の本性(自然)を人工的に加工していくような支援が日常化してしまっている。それでは主流の医学のなかに居場所をつくるのにはいいのかもしれないが,心のケアの本質を見失ってしまうのではないかという不安がある。

そんなことを考えながら本書を読んでいると,あっというまに終わりにさしかかった。そして,そこで私はふたたび目をまるくした。ナイチンゲールは看護の技術が民衆に浸透していき,2000年には病院という存在が必要ではなくなっていることを夢見ていたというのである。恐るべき視野の広さに清々しいものを感じた。述べたいことはまだあるが,実際に読んでいただければ皆さんも感じるものがあると思う。

文  献
  • 栗原 康(2023)超人ナイチンゲール.医学書院.

+ 記事

村澤和多里(むらさわ・わたり)
所属:札幌学院大学心理学部
資格:公認心理師,臨床心理士
著書:『ポストモラトリアム時代の若者たち─社会的排除を超えて』(共著,世界思想社,2012)
『中井久夫との対話─生命・こころ・世界』(共著,河出書房新社,2018)

エコロジカルな視点から「ポスト心理療法」について考えています。趣味は自然の写真を撮ること,漫画やアニメを見ることです。

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