【特集 拡張するシステムズアプローチ】#05 システムズアプローチとスピリチュアリティ|東 豊

東 豊(龍谷大学)
シンリンラボ 第12号(2024年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.12 (2024, Mar.)

1.はじめに


本稿は,システムズアプローチに内包されている(と筆者が考えている)スピリチュアリティに関する,個人的な体験をベースにした小論である。若干,システムズアプローチの範疇を越えるところもあるが,よほど苦手でなければ最後までお付き合いのほど。

2.システムズアプローチの哲学

私が日常行っている心理療法は一般にシステムズアプローチと称されている。システムとは「部分と部分の相互作用のあり方=全体性」のことである。全体は部分に影響し部分は全体に影響する。さらに階層を超えたシステム間も相互に影響し合う。いわば素粒子レベルから心身,家族,社会,国家,地球,果ては宇宙レベルまで,縦方向にも横方向にも円環的視点を導入するのがシステム論の大きな特徴であると言える。

心理療法においては,個人療法であれ家族療法であれ,面接室における人間関係がメインターゲットであり,実際的にはコミュニケーションの相互作用をhere & nowで扱う。その変化を通して,階層の違うシステムの変化(たとえば心や身体)を生じせしめようとするのだ。症状や問題もコミュニケーションのひとつなので,現状のコミュニケーションの相互作用が変われば,それらもおのずと変わってしまうのだと表現することも可能である。

面接室のコミュニケーションのありようが変わるだけで症状や問題が消えるわけがない。症状はあくまで個人の病理の反映である。過去の体験の反映である。このような反論もあるかもしれないが,それは一方向にこだわった見方(信念)である。システムズアプローチでは縦の相互作用,すなわち違う階層の相互作用を強く信じているので,実はどちらの層から始めても良いのだ。その了解の上で,「個人層」ではなく「対人コミュニケーション層」から扱おうとする。これがシステムズアプローチの流儀である。伝統的なカウンセリングは主として個人の精神力動・精神病理に注目するが,システムズアプローチでは主として関係性(コミュニケーションの相互作用)に注目し,その変化がドミノ式に多方面の変化を起こしうると信じているのである。

3.システムズアプローチの技法と上達

システムズアプローチを行うセラピストにとって技術上必要なことは次の2点につきる。ひとつはジョイニング(joining)といって,対象者の現状のコミュニケーションに波長を合わせることで「いったん仲間入り」することである。そしてもうひとつは新しい相互作用の産出である。そのための具体的な方法は,家族療法における構造派やコミュニケーション派等のさまざまな技法,あるいは外在化,リフレーミング,解決志向の質問等,実に多くのものが開発されている。

システムズアプローチが上達するための重要なポイントは,セラピストがいわゆる社会構成主義的な視点を持っていることである。すなわち「現実は社会的に構成されたものに過ぎない」と考えること。私たちの眼前の現実はことごとくコミュニケーションの相互作用の産物であると考える,いわば「実在するものはなし」と考えるのである。これは本質主義と対立するものである。

私はおよそ40年,このようなものの見方に深く傾倒し,「セラピー上達のコツ」として,ひとつのものの見方にこだわらないことを最大限強調してきた。「ものは言いよう」。ある事物をさまざまな角度から,さまざまな立場から,柔軟に見解を述べることができるようになること。そのような自由闊達さを獲得することが何より重要であると,繰り返し強調してきた。

たとえばセラピストが「○○は△△である」という固定した価値観を所有すると,あるクライエントと同調しすぎるか,あるいは大きな反発を受けることになりがちだが,これを巻き込まれ(involvement)といい,システムズアプローチではジョイニングの対極にある現象と理解している。しかし自由に物事を見ることができれば,面接中,時と場合に応じて「とりあえず今はこのように言っておこう」といった対応がとれるようになる。それがクライエントの従前のコミュニケーションに合わせる意識を持って行われたのであれはジョイニングであるし,それを変える意識を持って行われたのであれば変化の技法となる。

4.私の堕落

さて,私は元来無神論者・ニヒリストであった。真理や神,本質的なものなど何もない。すべては社会的に作られたものと考えていた。そんな私にとって社会構成主義やシステムズアプローチの考え方はまったく違和感のないものであった。その認識論に立って,良く言えば自由闊達に,悪く言えばいささか奇矯な態度と方法でサイコセラピーを行ってきた。「あなたは何でもありですね」と半ばあきれたように私を評した人もいる。

当初こそ,本来は無価値な人生であっても,それなりに前向きに楽しもうとしていたと思う。セラピーや私生活において,「自他のための肯定的な現象」を積極的に生み出そうとし,刹那刹那を一生懸命生きていたと思う。いわば能動的ニヒリズムだ。

しかし,やがて私は受動的ニヒリズムに転じていった。他者の気持ちや都合より,自分の損得勘定ばかりを優先する。自分が良い思いをすることが何より大事。そんな利己的な生き方に転げ落ちたのだ。気がつくとセラピーに大した喜びはなくなり,私生活もすさんでしまった。そして挙げ句の果て,病気になったのである(診断としては慢性疲労症候群。2006年頃)。

5.スピリチュアルな問いかけ

全身の激痛で,ほとんど起床できない日々。右半分が麻痺した顔面をさすりなから私はふと思った。ああ,これは今までの生き方かまちがっていたのだ。それを「何か」が私に気づかせようとしているのではないか。

その頃の私は毎日ベッドの中で,「なぜ私は生まれて来たのか。人生とは何か。死んだらどうなるのか。神はいるのか」,そんなことばかりを盛んに考えていた。それは人生初の問いかけ。何しろそれまでの私は,「すべては社会的に構成されたものに過ぎないので,本質的なものや真理,神などといったものはどこにも存在しない。そのようなことは考えるだけ時間の無駄。人間はただの物質で,たまたま偶然この世に生まれて来たのであり,死んだらそれでオシマイ。生きている間にちょっとでも良い思いをした者の勝ち」,このような信念を持っていたのである。これぞニヒリズムのなれの果てであろう。病前の私は,誰にも見破られないよう細心の注意を払いながら,利己主義を邁進していたのだ。

間違いなく,私はとても嫌な人間で,密かに自己嫌悪感も抱いていた。だからこそ,この度の病気は悪しき心の反映ではなかろうかと,そう思わずにはいられなかったのである。

私はその答えを得たくて,手当り次第に(宗派を問わず)宗教書を読み漁った。多くの知人は私の変わりように大変驚いたようである。

6.縦の相互作用

その後,私の病気は急速に改善した。以後,今までの人生で最も健康体ではないかと思えるほどの状態が続いている。若返った感覚すらある。身体だけでなく生活全般が良好な状態であると言える。

なぜこのような展開になったのか。安直な関連づけを行うことは迷信的行動の元ではあるが,ある気づきを得たことが関係しているように思えてならない。と言っても驚くような大発見ではなく,その道(宗教)の先達にとっては,至極当たり前の内容だろうとは思う。

その気づきに導いてくれたのは,一旦は私をニヒリズムの極地に連れていったシステムズアプローチと,病気をきっかけに読み始めた宗教書の二人三脚であった。

確かにそのヒントは,システムズアプローチの考え方の中にあった。すなわち,「階層を超えたシステムも相互に影響し合う」。すでに述べたように,システム論では素粒子レベルから字宙レベルまでさまざまな階層のシステムがそれぞれ横に(同質のもの同士が)相互作用しつつ,一方では縦に(異質のものが階層を超えて)相互作用していると考える。私は他者と相互作用(横)する一方,究極のところ,宇宙全体と相互作用(縦)しているのだ。大袈裟な表現ではあるが,つまり私は大なるものに影響を与えつつ,同時に大なるものから影響を受け続けている存在であるに違いないと,初めて「実感した」のである。

それに付け加えて重要なことに,宗教書から得た世界観では,宇宙は神や仏と同一物の別名であったのだ。これを知った直後こそ,「神が見えた!」「神とはなんであるかがわかった!」などと喜んだものだが,今振り返るとこのときの高揚感はかなり気恥ずかしいものではある。

ともかく,神仏などまったく信じていない私だったが,ここに至って初めて,目には見えないけれども私たちを包含しつつ私たちと相互影響している「大なるものの存在」を信じられるようになった。人は皆,宇宙(神仏)に包括され,宇宙(神仏)そのものの一部として存在している。このような実感が伴うようになったのだ。

それは他の上位システム,たとえば私が所属している家族や職場,あるいは日本国であっても同じことではある。しかしそれらと違って,宇宙(神仏)には大調和という完全性がある。これは重要なポイントだ。要するに,字宙(神仏)の一部分である私にも「大調和が本来的に備わっているのだ」と確信を持つに至れたのだ。そのような自己の本質を信じて,それを引き出す意図を持って,たとえば祈りを用いて,宇宙(神仏)と循環すること,それと一体感を味わうこと。これが私にとって実に有益な宗教行為となったのである。私の心身が急速にバランスを回復したのは,まさにこのような考えと行為を習慣にした時期に符合している。

さらに強調すべきこととして,そのような大調和の完全性は決して私だけに備わったものではなく,「すべての人にとって同じである」といった感覚が得られたことも大いに役立った。つまり,誰もが宇宙(神仏)の一部分である。誰にも本来的に仏性がある,神性がある。自分だけが特別なのではない。自分だけが特別な能力を有しているわけではない。

仏教教典にある「一切衆生悉有仏性」「山川草木悉皆成仏」,あるいは聖書に言う「我が内なるキリスト」などは,この辺りの事情を意味しているのだろうと思われた。

人は皆神仏の一部分であって,根源が同じものの別の現れ。その大元においては自他一体。自分とすべての他者は宇宙(神仏)という全体を形成している一要素として平等・同格。だからこそ,全体が発展・調和するためには自分だけが良くてもダメ。自他ともに良くなることが大事なのだ。ここに至ってやっと,私は積年の宿痾であった利己主義と決別する用意が整ったのである。

*このような体験談は,(かつて私がそうだったように)宗教や信仰といったものに無関心な人には嘲笑の対象かもしれない。また仮に膝を打つ人がいたとしても,決して特定の方向に誘導しようとするものではない。それと,念のために言えば,私は特定の宗派・団体には属していない。

7.セラピーヘの影響

さて,このような「スピリチュアルな気づき」は私のセラピーにも大きな影響を及ぼした。

その最たるものはジョイニングに関わることだ。特定の価値観に縛られることなく,相手の認知的な枠組みや関係性に合わせることがジョイニングのコツだと,今でも講演・講義では話しているが,本心を言えば,それ以上に簡単な方法がわかっている。それは,「すべての人は全体(神仏)の一部分としてつながっている。自他一体である」,この観法を自分のものにすることだ。すると,その程度に応じて誰とでも自然と波長が合う(ジョイニングできる)ようになる。あれこれのスキルより優先度ははるかに高いと思う(もちろんスキルが無用というわけではない)。ただ,このような宗教的ニュアンスを帯びた物言いを嫌がる人もいるので,特に臨床心理学者としてはなかなか気楽に話せる内容ではない。「クライエントさんを肯定的に受け止めましょう」にとどめておくのが無難ではある。

しかし宗教に抵抗のない人に対しては次のように言う。すべてのクライエントはあなたと同じ神仏の一部分であり本来的に完全な存在であって,現象として観察される否定的な面は偽の存在である。コミュニケーションの相互作用によって否定的な意味が構成され,あたかもそこに実在するかのように見えているだけだと。

この感覚が了解できると,クライエントに負の部分が内在していると考えなくなる。症状や問題,欠点・短所などはただの仮象(仮の姿)であって,本質は完全大調和。人間本来水晶玉であると見えてくる。

このような人間理解が継続的にできるようになると,クライエントとの会話・やり取りはおのずと治療的なものとなる。コミュニケーションは自然と良い方に展開する。その意味でも,やはりジョイニングこそすべてのすべてなのだ。もちろんセラピーだけでなく,あらゆる人間関係におけるエッセンスでもある。

8.生かされていること

かつての私は大なるもの(神仏)をまったく信じていなかったので,何事もうまくいけば自力を誇って天狗となり,うまくいかないと落ち込んだり他者を責めたりする傾向が大変強かったように思われる。自分だけを頼りに生きていたようである。

ところが病気体験がきっかけとなり,縦の相互作用(すなわち神仏との循環)を心がけると,健康を得るだけでなく,種々のインスピレーションが豊かになることもわかった。私の成すことは決して自分一人の力ではなく,全体(神仏)から頂いたものであるといった思いも日々強くなった。縦の相互作用を大切にしさえすれば,あとは神仏が何とかしてくださるという,いわゆる他力本願から来る自信,安心,あるいは平常心。これは何物にも変え難い宝物なのである。

ニヒリズムの頃の私は大なるもの(神仏)とつながっている実感など一切なかったし,そもそも無神論者だった。しかし今の私は,「衆生,仏を億念すれば,仏,衆生を億念す」,このような相互作用の存在を信じて疑わない。階層の違うシステムの相互作用を単に知識としてではなく強く信じていて,そこに宗教の学びも重なり,「最上位システム」を「神仏」と呼ぶことになんのためらいもなくなっている。

システムズアプローチに傾倒することでいったんは神仏から一番遠い所へ行ってしまった私だったが,畢竟,システムズアプローチのおかげで神仏の懐に入って来られたようである。我が身が神仏に包含され生かされていることを喜ばずにはおれないのだ。このような現在のありように導いてくれた病気体験とシステムズアプローチには心から感謝したいと思っている。

9.おわりに

個人的かつ宗教的な語りが主であったので,システムズアプローチの理論や技法に関心のある若い読者にとってはニーズに合致しない内容であったかと思う。しかしまあ,そうしたことは他の著者にお任せしよう。本稿のようなテーマについては,システムズアプローチ外伝として頭の片隅にちょこっと置いてもらえればそれで十分だと思う。もしもいつの日か,こんな拙文でも読者の役に立てるときがくるならば,それはもう望外の喜びである。いや,そんな日が全然来なくても,それはそれで良いのだけれども。

*本稿に興味を持てた人は,『人生の流れを変えるちょっと不思議なサイコセラピー』あるいは『マンガで学ぶ セルフ・カウンセリング まわせP循環!』(共に遠見書房)もご一読くださると嬉しい。

+ 記事

・東 豊(ひがし・ゆたか)
・龍谷大学心理学部
・公認心理師,臨床心理士,医学博士
・主な著書:『DVDでわかる 家族面接のコツ(1)夫婦面接編』(遠見書房,2012年),『DVDでわかる 家族面接のコツ(2)家族合同面接編』(解説・児島達美,遠見書房,2013年)『DVDでわかる 家族面接のコツ(3)P循環・N循環編』(解説・黒沢幸子・森 俊夫,2015年),『幸せな心と体のつくり方』(共著,遠見書房,2019年),『超かんたん 自分でできる人生の流れを変えるちょっと不思議なサイコセラピー──P循環の理論と方法』(遠見書房,2021年),『マンガで学ぶセルフ・カウンセリング まわせP循環!』(遠見書房,2024年)他多数
・趣味:クラシック音楽鑑賞
・特技:犬の調教

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