【特集 拡張するシステムズアプローチ】#01 システムズアプローチにおける語りとは?──構成主義再訪|田中 究

田中 究(関内カウンセリングオフィス)
シンリンラボ 第12号(2024年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.12 (2024, Mar.)

1.はじめに

「語り」「対話」「会話」「(カタカナ表記の)ダイアローグ」などという語を心理臨床界隈では頻繁に目にする。それらを一緒くたに論じるのはいかにも乱暴であり,例えば対話と会話を比較した論考などを目にすると(児島,2009),それぞれの言葉からそれぞれの味わいが醸し出されてくる。

そうした語群の中から,本稿ではとりわけシステムズアプローチにおける「語り」に目を向けてみたいのだが,システムズアプローチと語りが結びつけられて論じられる機会は比較的少ないように思う。「語る」の連用形「語り」に伴う静的な印象をその一因として挙げたくなる。名詞化した「語り」の時間は,凝固させられている。「語り」を「語る」に戻すと,誰が誰に語っているのか,という相互作用システムに関心を持ちたくなる。加えて,「語らせ」を想定しなければならなくなってくる。その場に居ようと居まいと,セラピストや関係者ら,誰がどのようにクライアントに語らせているのか,その語りの構成作用に関心が向いてくる。

このように,動的な相互作用とものごとをセットでとらえるシステミックな理解をもって臨床実践に臨むのがシステムズアプローチである。システムズアプローチといわれたら,マスターセラピストの輝かしい技法や卓越した手腕が思い浮かぶかもしれない。その魅力は東(2019)や吉川(2023)が述べている通りであり,解説書にも事欠かない。

他方で,対人援助や心理療法の現場では特に,協力関係というアウトフレームを除外することはできない。したがって,コラボレーションを中核に据えたシステムズアプローチが考えられてもいいことになる(田中,2021)。コラボレーションというと「多職種協働」を指す場合が多々あるが,クライアントとセラピストの協力関係だと考えると,コラボレーションはセラピストが一切の技法,専門性を行使しようとする際の基盤として位置づけられる。

そういうわけで,以下,コラボレイティヴな語りを具体的に可能とするバックグランウドとして,諸領域で社会構成主義(Social Constructionism)が取り沙汰されている昨今,あえて構成主義(Constructivism)にスポットライトを当ててみる。後述するように,コラボレーションは個人の構成を出発点として導かれてくると思うからである。

さて,システムズアプローチにおけるコラボレーション,それを支える構成主義,そして「語り」は,どのような連関を持つのか,探究の途の,そのまたとば口に立ってみたい。

2.構成主義とリフレーミング

構成主義とは,「認識から独立した客観的な実在に対して懐疑的なスタンスをとりつつ,知識は経験の組織化に付随するとする考え方」のことである。構成主義にはさまざまな理論が関連するが,主に1970年代以降,グレーザーズフェルド(von Glasersfeld, E. )のラディカル構成主義,フェルスター(von Foerster, H. )のセカンドオーダー・サイバネティクス,マトゥラーナ(Maturana, H. A. )とヴァレラ(Varela, F. J. )のオートポイエーシスおよびそれを人間関係の領域に応用したルーマン(Luhmann, N. )による社会システム論などが,システムズアプローチの理論的な根拠として参照されてきた。

ナントカ主義というのは,菜食主義,資本主義などが絶対ではないことからもわかるように,それを必ず採用しなければいけないものではない。それでは,構成主義はシステムズアプローチの文脈でどのように用いられてきたのだろうか。

構成主義は,言ってみれば「外部を正確に写しとること」よりも「内部で独自に構成されること」に関心を寄せるのだが,この時焦点化されているのは個人の意味づけの仕方である。現状や問題に対する意味づけの仕方が変わることが問題含みの現実を変えることを意味するのだとすると,意味づけの変更,すなわちリフレーミング(Reframing)が臨床上,枢要な役割を果たすことになる。こうして,構成主義はフレーム(意味づけ)の変化を目標とする支援を裏づける根拠となっていった。(de Shazer, 1991)

リフレーミングは当初,セラピストがクライアントのフレームを変えるべく,セラピストがより支援的とされるフレームを考案し言い換える行為を指した。例えば,「自分は大ざっぱで丁寧さに欠けるところがある」と嘆くクライアントに対して,セラピストが「あなたはとても大らかなのですね」という肯定的なフレームを差し出す。クライアントの気分は幾分か和らぐかもしれない。

しかし,構成主義をリフレーミングという行為を下支えする土台に据えようとすると,ある矛盾に遭遇してしまう。というのも,セラピストの示した「あなたは大らかである」とのフレームもまた,クライアントによる再構成を免れないからである。セラピストの発言を受けてクライアントは「自分は大らかな人間などでは決してない」と内心呟いているかもしれない。どんなに気の利いた,温かい言い換えでも,セラピストによるその意味づけが直接クライアントに「コピペ」されることはない。必ず相手による認識上の再構成を受けるとする「閉鎖性」が構成主義の主張でもあった。そうなると,構成主義はリフレーミングの可能性とともに不可能性も含意してしまう。

3.言語は情報を運ばない

ここで,リフレーミングから離れ,構成主義が主体と関係のないどこかに外部世界が転がっている,というような,主体と外部を対置する素朴な客観的図式を疑問視していたことを思い出してみる。知覚の非写像性を踏まえて,話をシステムズアプローチにおける構成主義の受容について,より基礎的なところから考えてみよう。

「今日は朝7時に起きました」とクライアントが語ったとする。セラピストは何事もなく,「朝7時に起床したという客観的な情報」として受けとる。しかし,本発言が支援の外部で起きた客観的な事実の写像(写真のようなもの)であるかどうかを厳密に検証しようとしたら,そこには相当な困難が伴うだろう。

一方,構成主義に依拠すると,本クライアントの「今日は朝7時に起きました」は支援の場で起きた意味構成であると考えることになる。セラピストがこの発話を共感的に聞く時,客観性はカッコに入れて,【私は信頼に足る情報を伝えている】というメタ・メッセージがクライアントの発話に付加されているという考え方を採用し,そのメッセージを重視していることになる。

このように,構成主義を差し挟むことで,セラピストの言語に対する態度は変容する。クライアントの発話は,支援の外側から支援の現場へと情報を運搬する行為であるという言語観を保留することになる。

4.対人援助における発話と期待

同じことを,セラピストとクライアントのコンテクストから考察してみる。

言葉はその辞書的な定義にとどまらず,使われる状況,流れによってさまざまに意味を変える。システムズアプローチの発展上欠かすことのできない組織,MRI(Mental Research Institute)による「コミュニケーションの暫定公理」にまとめられているように,システムズアプローチはそうしたプラグマティクス(語用論)の考え方に馴染んできた(Watzlawick et al., 1967)。親愛の情や感謝を込めた微笑まじりの「バカ」もあれば,嘲笑や嫌悪を思わせる棒読みの「好きです」もあるだろう。あるいは,同席面接で経緯を話す夫の横で黙りこんでいる妻がコミュニケーションに参加していない,ということにはならないのであって,妻の様子こみで夫の話を聞く必要がある。だから,状況が熟思されなければいけない。個々の発話内容ではなく状況,流れ,事情等をシステムズアプローチはコンテクストと呼び,とりわけ注視の対象としてきた。

その中でも,セラピストが最も考慮しなければならないコンテクストは,対人援助という状況である。対人援助とクライアントの生活,両者が決定的に異なるのは,対人援助にはセラピストがいて,クライアントの生活の中にはセラピストはいない,という点である。当たり前のことをことさらに強調するのは,クライアントの発言が,「今この瞬間の,この場のセラピストに向けられた発話であること」に注目したいからである。すると,「今日は朝7時に起きました」は,【私は信頼に足る情報を伝えている】だけでなく,面接展開次第で,

1.【早起きできたことを褒めて欲しい】
2.【毎回早起きせねばならず面接に通うことが苦痛だ】
3.【親の指示に従って起床しはしたが不本意である】

などというメタ・メッセージを含んでいる可能性が出てくる。これらはどれも,セラピストとのローカルな場,状況において持ちうる意味に根差している。この時,「朝7時起床」が事実かどうか,「前回面接で起床時間は10時と報告されていたから,10-7=3で3時間も起床時間が早くなった」などという客観性を前提にしたセラピスト側に固有の評価は,縁遠いものになっている。セラピストがその場にいる,という状況を重くみるなら,「セラピストにここのところは分かって欲しい」「こんなことを言われた嬉しい」などという期待を軸に構成された発話であるという見方が必要になるだろう。これは,支援場面と生活場面,セラピストの有無で,クライアントが則る言語行動のルールは異なっているという言語理解に根差している。

となると,上記3点には,例えば,

1.〈随分早く起きましたね!〉
2.〈少々ご予約時間が早いでしょうか?〉
3.〈納得がいかないですね?〉

といった応答が後続することになる。このように,他の発言の,例えば【小さな声で話して】【褒めて】【今日はアドバイスを必ずして】といった言外の期待への訳業に勤しむだけで,面接の雰囲気は変わってくるはずである。さらに,その期待をセラピストの行動に具体的に反映させることで,セラピューティックな結びつきは強くなるだろう。

ここで,まずもって変わるべき主体がセラピストとなっていることにも,注意する必要がある。システムズアプローチ界隈でも一時期盛んに取り上げられていた,グレーザーズフェルド由来のmatch/fitの差異を参照してみる(von Glasersfeld, 1984)。グレーザーズフェルドは現実と知識を錠と鍵の関係になぞらえる。そして,matchとfitを対比する。つまり,こういうことである。錠にぴったりmatchする鍵を探そうとする時,私たちは錠の客観的性質を精査しようとする。一方,解錠のためであれば鍵は正確な形状でなくともfitしさえすればいい。針金か何かでカチャリとやればいいことになる。この時,焦点が当たっているのは錠の性質ではなく鍵のキャパシティーである。現実とその知識はぴったり一致している必要は必ずしもない。支援の場に以上の見解を持ちこむと,不変不動の外部観察者としてクライアントを観察対象とするのではなく,クライアントの望む結果が実現するようセラピストの側が,いわば鍵を針金に持ちかえて,自分自身の考え方や態度をまず変える必要がある,とする発想がもたらされる。

クライアントの期待を一心にセラピストの言動に反映させ続けていると,面接内にコラボレイティヴな雰囲気が広がっていくことに気づくだろう。「そうそう!」というクライアントの反応が目に見えて増えてくる。こうして構成主義は,クライアントの言動がセラピストに対する要請へと切りかわるのを手伝い,クライアントとのコラボレイティヴな関係形成を準備する。

当然のことながら,セラピストの反応次第でクライアントの語り方は変わる。「打てば響くセラピストだ」と感銘を受けて忌憚のないところを語るクライアントと,「鈍感なセラピストだ」と感じて今後の来談をやめようと半ば決意しているクライアントとでは,ストーリーのでき上がりに随分と幅が出るだろう。だから,「クライアントの語り」には,その多寡を問わず,セラピスト自身の言動,あるいは沈黙さえも分かちがたく浸潤しているのであって,クライアントが童話の読み聞かせをするかのごとく,物語の完成形をセラピストに披露していると考えるのは早計である。クライアントが事前に用意した原稿をセラピストに読み上げるという時でさえ,読みながら同時に修正点や追加事項が頭をよぎる,つまり物語は新たな形へと変形している可能性がある。

坂部(1990)はいみじくも,語りは「騙り」であると指摘している。私たちは「騙」という漢字からは好ましからざる印象を持ちがちだが,構成主義を通してみると,クライアントの語り=騙りとは,取りも直さず構成,しかもセラピストを前にした構成と解することができる。さらに,その場のセラピストに向けて「構成されつつある」というように現在進行形をとる。しかし,セラピストとクライアントの相互作用を「語り」という名詞は曖昧にしてしまう。ここにきて,構成主義とセラピストとクライアントによる社会構成とは明らかに漸近しているのだが,そろそろ稿を閉じなければならない頃合いである。

5.おわりに

本稿では,構成主義を抽象的で衒学的な議論や「現実は構成される」といった単なるスローガンに留めず,具体的なセラピストの行動指針に落とし込めないか,ひとつの検討を行った。構成主義の一角をなすオートポイエーシスなどは,「可能性をまったく検討しないまま,放置されている」と評されるほどで(吉川ら,2009),システムズアプローチにおける構成主義の議論は,十分な展開がなされないまま納屋に仕舞いこまれてしまった感がある。しかし,久方ぶりに包みをひろげてみると,なかなかどうして,新品同様の輝きを放っているようなのである。

さてここから,というところではあるが,コラボレーションやプラグマティクスと構成主義との関係について等,掘り下げが不十分なまま残念ながら紙幅が尽きてしまった。今後の課題として持ち越すことをお許しいただきたい。

文   献
  • de Shazer, S. (1991)Putting Difference to Work. W. W. Norton. (小森康永訳(1994)ブリーフセラピーを読む.金剛出版)
  • 東豊(2019)新版セラピストの技法─システムズアプローチをマスターする.日本評論社.
  • 児島達美(2009)心理療法にとって“ナラティヴ”とは.家族療法研究,26(2), 111-116.
  • 坂部恵(1990)かたり.弘文堂.
  • 田中究(2021)心理支援のための臨床コラボレーション入門─システムズアプローチ,ナラティヴ・セラピー,ブリーフセラピーの基礎.遠見書房.
  • von Glasersfeld, E. (1984)An Introduction to Radical Constructivism. In : Watzlawick, P.(ed. ) (1984)The invented reality. W. W. Norton, 17-40.
  • Watzlawick, P. , Bavelas, J. B. , & Jackson, D. D. (1967) Pragmatics of Human Communication : A Study of Interactional Patterns, Pathologies, and Paradoxes. W. W. Norton.(山本和郎監訳(1998)人間コミュニケーションの語用論─相互作用パターン,病理とパラドックスの研究.二瓶社.)
  • 吉川悟(2023)システムズアプローチのものの見方─「人間関係」を変える心理療法. 遠見書房.
  • 吉川悟・赤津玲子・楢林理一郎・児島達美・高橋規子・野口裕二(2009)認識論の違いが,事例の記述の仕方に与える影響─臨床記述の違い,そしてオートポイエーシスの可能性.家族療法研究,26(1), 46.
+ 記事

・田中 究(たなか・きわむ)
・所属:関内カウンセリングオフィス
・資格:臨床心理士、公認心理師、日本家族療法学会認定スーパーヴァイザー
・著書:『心理支援のための臨床コラボレーション入門ーシステムズアプローチ,ナラティヴ・セラピー,ブリーフセラピーの基礎』(単著,遠見書房,2021年),『みんなのシステム論ー対人援助のためのコラボレーション入門』(共編著,⽇本評論社,2019年),『N:ナラティヴとケア』第14号「ナラティヴ・セラピーがもたらすものとその眼差し─ホワイト/エプストン・モデルの実践がわが国のセラピー⽂化に与える(た)もの」(分担執筆,遠⾒書房,2023年),『コンサルテーションとコラボレーション』(分担執筆,金子書房,2022年)
・趣味:ジャズギター

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事