書評:『子どもたちはインターネットやゲームの世界で何をしているんだろう?――児童精神科医からみた子どもたちの「居場所」』(関 正樹著/金子書房刊)|評者:川部哲也

川部哲也(大阪公立大学准教授)
シンリンラボ 第10号(2024年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.10 (2024, Jan.)

インターネット。ゲーム。それらが私たちの生活において当たり前に存在するようになったのはいつ頃からだろう。親世代の多くは,親自身がまだ子どもだった時,ネットやゲームはあまり身近ではなかったのではなかろうか。しかし,今を生きる子どもにとっては,電気,ガス,水道と同じくらいに「当たり前にある」ものである。そこには世代差が存在する。この書には,そのような子どもの世界に丁寧に寄り添っていこうとする,著者の関正樹氏の温かな眼差しが感じられる。副題にあるように,この書は子どもの「居場所」の大切さを強調する。著者はインターネットやゲームの世界を深く体験的に理解しており,単純に子どもたちから奪い,禁止すればいいという考え方を採用しない。なぜなら,それらは,子どもたちにとって大切な「居場所」になりうるからである。

著者の考えによると,長時間のネットやゲームは物事の「原因」ではなく「結果」である。例えば,親としては,我が子がネットやゲームにハマったことが原因で,学業に身が入らなくなった,という因果関係で捉えることが多いように思われる。しかし,実態はそうではない。子どもは日常生活の中に居場所がないからこそ,ネットやゲームの中にある,ささやかな居場所を必要とするのである。つまり,ネットやゲームを「悪」と断じて禁止するだけでは解決にならない。子どもの「居場所」を尊重することが必要になってくる。

かつて面子(めんこ),鬼ごっこ,かくれんぼに興じていた子どもが,たちまちファミコンに夢中になった。遊び空間が劇的に変化した1980年代を生きた「子ども」の著者だからこそ,ネットやゲームを語るその語り口に血が通っているのである。

親にも実際にゲームをするよう勧めているところはとても興味深い。とはいえ,今のゲームはとても凝ったものが多いので,なかなか入っていけない大人も多いだろう。なので,著者は無理強いしない。「わからないけど,そこに何かがあるのだろう」という大らかな関心を親が持つだけでも,大いに意味がある。関心があれば対話ができる。子どもの心の世界を理解してくれる大人がいれば,その人間関係そのものが「居場所」として機能しうる。

ゲームやネットの問題は,子どもの問題行動の多くがそうであるように,大人の態度に改編を迫る契機となる。河合隼雄が著書『子どもと悪』で述べているように,「子どもの悪」に見えることは,破壊と創造の両義性を備えた事象である。「大人がもう少し悪と辛抱強くつき合うことによって,子どもともっと生き生きとして豊かな人生を共に味わうことができるのではなかろうか」と述べているのは,この書の問題意識に通じるものがある。時に,親の目にはインターネットやゲームが「悪」にしか見えないことがある。そのような時こそ,「辛抱強くつき合う」ことが大切となる。この書はその態度を大いに支えてくれるものとなるだろう。

文 献

  • 河合隼雄(1997)子どもと悪.岩波書店.
+ 記事

川部哲也(かわべ・てつや)
大阪公立大学大学院 現代システム科学研究科 現代システム科学専攻 臨床心理学分野
資格:臨床心理士,公認心理師
著書:『臨床心理学研究法特論』(放送大学教育振興会,2023,石原宏と共著)

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