書評:『思いこみ・勘ちがい・錯誤の心理学――なぜ犠牲者のほうが非難され,完璧な計画ほどうまくいかないのか』(杉本 崇 著/遠見書房刊)|評者:繁桝算男

繁桝算男(東京大学名誉教授)
シンリンラボ 第8号(2023年11月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.8 (2023, Nov.)

遠見書房の出版物の読者は,臨床的な仕事や研究に携わっている人が多いと推察する。ところが,これから紹介する本は,どちらかといえば,人間に関して一般的な傾向を紹介するいわゆる基礎心理学の系統に属するものであり,目の前にいる助けを必要とする個人にどのように接するかを助言する書ではない。臨床の場面では,自分が信じる理論と自分の個別的な経験から積み上げた理論の助けを借りて,援助の方針を決め,あるいは,過去の援助行動を反省し軌道修正して,一人一人の個別の問題状況に対応するであろう。

しかし,自分で構成する理論に依拠することは当然としても,人間に関する一般的な法則,あるいは,傾向性があることを知れば,依拠する理論を若干修正したほうが良いということになるかもしれない。本書は,大別すれば,基礎心理学分野に属するとはいえ,知覚や感覚,脳のメカニズムなどの分野で扱う問題よりも,普通の生活において,不思議だと思われる問題と関連している内容を扱っており,認知心理学と呼ばれる分野の書である。本書を読むことによって,日常的な行動を理解するうえで読者は新しいヒント得ることができ,人間について興味深い発見をするであろう。

例えば,次の問題に対する答えを考えてほしい。

  1. NBAの八村塁選手は,5回連続でシュートを成功している。彼は明らかにゾーンに入っており,次のシュートも成功する確率は通常の彼のシュート成功率よりも高いと予想するだろうか。
  2. あなたは,「ウクライナとロシアの戦争は,これから1年の間にどういう形であれ,停戦する」と予想する。仮に,1年後も戦争は続いていたとする。そのとき,あなたは,今の時点でこのように判断したこと,および,その理由を覚えているだろうか。
  3. あなたはラスベガスでルーレットを楽しんでいるとしよう。もっとも簡単な賭けは,次に赤が出るか黒が出るかに賭ける。赤が4回続けて出たとき,あなたは,もともと赤か黒かの確率は,5割なので,そろそろ,黒が出るだろうと,黒に賭けるだろうか。
  4. WBCでは,9回2アウトで,大谷選手が投手として,アメリカのトラウト選手と対戦した。数多くの日本人が大谷選手を応援し,実際にアウトを取った後,応援する力が通じたと感じたと思われるが,これは合理的であろうか。
  5. A君は,志望校のX大学の入試で,数学の問題の一つを勘違いによって誤答し,惜しいところで不合格となり,Y大学へ進学した。B君は,X大学の入試では,実力が足りず,合格点からかなり遠く不合格となったが,Y大学には合格し,進学した。どちらがより悔しいだろうか。

本書では,通常我々が陥りやすい判断ミスのメカニズムと対応について,古い文献から新しい研究までのデータを踏まえ,論理的に緻密に説明している。ぜひ,本書を読んで以上の問題について,明確な答えを見出していただきたいが,この書評しか読まない読者に対して,この書評の評者からの簡単な答えを用意する。

  1. この現象は英語でホットハンドという。実際にありそうな話であるが,NBAのデータではホットハンドは事実ではないと本書で書かれている。
  2. ウクライナ戦争に関しては,1年後でも自分の判断を覚えているだろうが,より日常的な問題や,自分の気持ちと関連するような判断においては,ある現象が実現し,それが事前の判断と異なる場合に,その事実に沿うように,自分の判断を調整することが多い。極端な場合には,戦争が継続した場合,最初からそう思っていたよというように自分の過去の判断を変えることが多いのである。すなわち,「最初からそう思っていたよ」という反応である。本書ではこの現象は「後知恵バイアス」と呼ばれている。興味深い問題は,このような普遍的な傾向は,むしろ,健康さの表れかもしれないことである。経験の深い臨床家の意見が聞きたい。
  3. このラスベガスの例ではルーレットの結果が統計的に独立であることを無視している。ルーレットの毎回の結果が相互に独立である限り,次に黒が出る確率は5割である(ラスベガスでは,赤が出る確率,黒が出る確率はともに5割を若干下回る)。実際の人々の反応は,黒に賭ける人が多い。この現象は,トヴェルスキーとカーネマンが言い始めた「代表性ヒューリスティック」で説明できる。人々が確率判断の時のありうるデータのイメージは,各回の結果ではなく,ある程度の回数を一纏ひとまとめにしたものである。各回の結果が独立ではない場合には,一纏めとして統計的現象をまとめて想定し,その一纏めが実現する前ならば,そのひと固まりの出現パタンの頻度を考えることには意味があるが,このルーレットの例はそうではない。また,この一纏めのイメージは現実から離れていることも多い。
  4. 大谷選手の例はともかくとして,サイコロを振るときに,一の目が出ることを一心に祈れば一の目が出そうな気がする人は多いだろう。ポリープをとって細胞検査をする際,悪性でないように祈ることも自然である。果たして,この期待はむなしいのであろうか? これは本書では制御幻想とよばれている。果たして幻想であり,合理的ではないのか本書を読んで考えてほしい。
  5. 意思決定問題として考えれば,この結果に関する限り,現実はA君,B君共にY大学に進学しており,A君がより悔しいと判断しなくてもよいと言える。この問題は,本章では反実思考(if onlyの心理学)とされていて,その功罪が議論されている。意思決定がこの問題だけではなく,人生は意思決定の連続であると考えれば,「惜しいところだった」場合に悔しがるのは当然であり,将来のよりよい意思決定への羅針盤として価値がある。

本書の著者は,この書の出版の目的は心理学の面白さを知ってもらうことであり,想定する読者は,大学で心理学を最初にまなぶ1年生や,あるいは,心理学の授業を受けたことがなく,心理学はどんな学問なのかという興味で本書を読む人であるとしている。読者を引き込むためのつかみとして,本書の各章は漫画から始まる(選ばれた漫画は著者のこだわりが反映されていて面白い)。しかし,本書は研究論文の時間的パースペクティヴの長い紹介があり,これらの研究からどのように結論・知見が得られるかの説明が緻密に展開されていて,入門書より深い内容にまで踏み込んでいる。ある程度の期間,臨床的な経験をして,改めて,心理学が現在どのような事柄を論じているのか,垣間見てみようという実践家や研究者が興味を持って読むほうが本書から得られる情報は多いように思われる。

ところで,本書の序章は,心理学のための方法論が説明されている。本書全体の説明の基盤となるものとして冒頭に置かれているが,この最初の章を読む敷居は若干高いかもしれない。

評者は,心理学をはじめとする人文社会科学のための方法論を専門としているので,序章に関しては若干意見を書いておく。因果的説明としては,実験的方法が適しているが,心理学では調査研究のデータを無視できない。「実験的操作なくして因果なし」とは,評者も考えないが,調査研究から因果的な説明をするには,慎重な検討が必要である。複雑なモデルを作り,それが手元にあるデータに適合しているからOKという単純なものではない。

また,データから結論を得るために,統計的有意であるかどうか,すなわち,計算されるp値が,あらかじめ決めておく有意水準(たとえば,0. 01)より小さいかどうかで決めるということだけを理解していれば当面OKであるという見通しで説明が進行するが,この見解には同意できない。この統計的仮説検定の方法は研究仮説が正しいということが,帰無仮説が棄却されるということと同一視している。しかし,参加者の数が多いほど,一般にp値は小さくなるため,実験や調査の参加者が増えれば増えるほど,研究仮説が採択されやすくなる。参加者の数を増やすことは,物理学でいえば,測定精度を高くすることと同義である(たとえば,平均の真の値(母集団分布の平均のこと)を推定しようとする場合,1万人から得られたデータの平均を基に,真の値を推定する場合は,100人からのデータによる推定よりも精度は高い)。虚心に考えて,測定精度を上げるほど,研究仮説が通りやすくなるという方法論はどこかがおかしいということになる。

ここではこれ以上この問題を議論する余地はないが,この方法の基本的な問題について,ある先輩の言を書いておく。彼のアドヴァイスは統計的検定を用いるかどうかにかかわらず,データを整理して圧倒的な差異を示すことを目標にせよということであった。また,自分の理論をしっかりと体系づけている実践家あるいは研究者ならば,その理論に新しいデータの情報を組み入れるかどうかを判断する際に,統計的有意性検定の結果をどのように扱うかについて,大局的な良識的判断ができるであろうと考える。

後半に評者の専門的な立場から若干の異論を述べたが,本書で紹介されているデータは良く選別されており,信頼できる。これらの研究結果を基に,自分自身の考えを展開することに不都合はない。結論として,本書は興味深く読み進めることによって,人間に関する理解を深めることができ,自信を持って購読をお勧めできる良書である。

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繁桝算男(しげます・かずお)
東京大学名誉教授,慶應義塾大学訪問教授
資格等:アイオワ大学大学院修了(Ph. D.)
主な著書:『後悔しない意思決定』(岩波書店,2007),『意思決定の認知統計学』(朝倉書店,1995),『ベイズ統計入門』(東京大学出版会,1985)ほか

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