【追悼 村瀬嘉代子先生】クライエントの側からみた臨床家 村瀬嘉代子──ふつうの人として|森岡正芳

森岡正芳(立命館大学)
シンリンラボ 第29号(2025年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.29 (2025, Aug.)

はじめに

村瀬嘉代子先生が,この世から静かに立ち去られて,ちょうど半年になる。何か,ぽかりと穴が空いたような,そこにいるはずの人がいないという空虚感が埋まらずにいる。

ずいぶん以前になるが,新潟である学会のおり,嘉代子先生と偶々お目にかかることがあった。日本海に開いた会場ホールの窓を通してぼんやり外を眺めていたら,声をかけていただいた。海原が広がり波は静かであった。先生から,ご自身が家裁の調査官で最初に赴任したのが新潟だったことなどを伺った。懐かしそうに振り返っていらっしゃった。夕暮れ時で,日中の日差しが和らいだ頃であった。おしゃべりを交わしながら,ふと,「協働」という言葉はどう理解すればいいでしょうか?「どのように思われます?」と私に尋ねられた。その当時,心理支援への種々のアプローチが話題になってきた時期で,確かに協働,コラボレーションといった言葉ももてはやされていたように思う。先生のやや唐突にも聞こえる問いかけに私は,どうもうまく答えられなかった。どこかの本に書いてあるような言葉を並べても,先生には響かない,納得されないだろうとすぐに直感した。腰のすわった問いである。そして,答えを見つけられないまま時が過ぎ,先生はすでに泉下に帰って行かれた。

いまだ私には問いかけられたこと,これがどういう問いなのか,すっきりしていない。シンリンラボ本特集では,村瀬嘉代子先生(以下村瀬とする)の生前のお姿,臨床への姿勢が活き活きと伝わってくる玉稿がそろっている。私自身もその中から宿題を解く手掛かりを見つけたいと思っている。ここで,村瀬が残した事例研究をもとに心覚えを少々書き留めておきたい。

バランス感覚

臨床家村瀬に光を当てると,2000年当時「統合的心理療法」あるいは「統合的アプローチ」を集成され,そのように一時期,ご自分の臨床を名づけられたのだが,晩年に至る頃には,この言葉はあまり用いられなくなったように思う。むしろ生活療法,生活中心の「ふつうの人として」を強調されていらっしゃった。

クライエントと会うときは,面接室の時間だけでなく,24時間その人がどのような生活をしているかをイメージする。そのように接し,維持すると,まわりも一緒に変化していく。それが楽しみだとおっしゃたことを思い出す。そういう意味で,村瀬はその名の通り「人中心」パーソンセンタードの道を貫かれたと,私は考えている。

人と接しその生活と人生に思いやり,ためらいやまごつきを感じつつも,今私ができることをさがすこと。自分が今体験していることを自分に隠さず,感受しつつ動くこと。当面の課題と,成長可能性の長期にわたる時間軸を複数設定しつつ,具体的でクライエントの生活の現実に即した支援を行うこと。クライエントと呼ばれる当事者たちと,対人援助者であるセラピストは,ともに生活者である。ここを外してはどのような高度なセラピーも,セラピストの側の一方的なとらえに終わり,当事者の生活に根差した支えにならない。村瀬のこのように根強い,信念のようなものはどこから来るのであろうか。

新訂版として再編集の上,出版された『クライエントの側からみた心理臨床―治療者と患者は,大切な事実をどう分かちあうか―』という一冊がある(村瀬,2023)。そのあとがきは結果的に,最晩年のものとなった。村瀬は,戦後の傷跡が各地域に残っているころ,家庭裁判所制度の創生期に調査官として業務にあたった,その折の体験をふりかえっている。少年たち,当事者の陳述は必ずしも正直,正確ではなく,本当の気持ちや考えを理解することの難しさを痛切に実感した。このように述べられている。情に溺れるのでもなく,冷静一辺倒でもなく事件対象者を理解する。この姿勢を保つのに苦心したという。村瀬の出発点はここにあり,終生変わらない。20歳を過ぎたころに集中したこと,切実だったことは,ずっとその人について回るものだと思う。不肖,自分自身をふりかえってもそう思う。

バランス感覚をもった理解の姿勢,これを保ちたいのだが,分かっているつもりになっているだけではないか。それが保てていると自分でどう判断できるのだろう。スーパーヴァイザーや第三者の信頼できる仲間が必要なのはそのためでもあろう。多くの視点を立てるのはクライエントに対してだけではない。セラピストとして関わる自分自身に対しても,多軸で見ることが必要だろう。

ところが現状,一つの理論的図式をすぐ引用し,理解を急ぐことがおうおうにしてある。「クライエントは何をどう望んでいるのか」「クライエントは今,受けている心理的支援を,そしてセラピストとの関係をどう受け取っているのか」について,自覚していることは,いくら多様なアプローチが出てきたとしても,つねに大切な視点であろう。『クライエントの側からみた心理臨床』という表題に,以上の問いかけが率直に反映されている。

カウンセラーはこのような,視点の転換が自在になっているのか。バランス感覚という言葉は,村瀬の自らを磨き上げる中でつかんだキーワードの一つであろう。村瀬が残した事例報告の多くは,長い間他者や社会の無理解に苦しんできた重篤な方々である。だからこそ,「よりきめ細かな配慮で,クライエントが不要に苦痛を味わうことが少なく,回復に向けてセラピストと共同作業の道を歩むのだというようでありたい」(476頁)という言葉は心に染みる。多職種連携,専門家たちが協働し,クライエント当事者に向かうといっても,「クライエントの側からみた」その接近法が,不要な苦痛を惹起することなく受け取ってもらえているのだろうか。それをどのように確かめられうるのだろう。

出会いの瞬間

村瀬の事例を紐解いてみよう。

『クライエントの側からみた心理臨床』に編纂された中で,村瀬の最も古い文章は,1975年の季刊精神療法誌に掲載された「離人体験を得た一青年の事例―14枚の絵:離人から本当の自分を求めての旅立ちまで」である。私も当時,その2年後には臨床心理学専攻の院生になった頃で,この掲載誌はすぐにコピーし,熟読した覚えがある。自分自身が担当していたカウンセリング事例に重ね合わせて,離人という,はたからわかってもらえにくい症状を抱える青年へどのように接近するか,一心に面接の指針を求めていた。

村瀬はその当時,精神科外来でテスターとしてこのクライエントと出会うことになる。「Yは17歳の男子高校生,重苦しい引きずるような足どりで入室する。やせ形で小柄,硬い血色の乏しい面持ち,瞳に輝きが乏しく,単調で録音をスピードダウンして再生するような話し方。テスト施行については積極的でことに後に施行したTATには夢中で集中している様子がうかがえ,テスト終了後も立ち去ろうとせず,話したげな様子」。外見,初対面の印象をこのように無駄なく記載されている。

うまく説明できないけれど「僕が僕じゃなくて……ベッタリした何もない気分……」と言いよどむが,訴えたい様子でもあるYに言葉を補いながら,村瀬は問いかける。「美味しいものやまずいものの区別,感動がないとか,本来美しく感じるはずのものを見ても何も響かないとか?」すると,Yは一瞬,表情に生気が蘇る。「ああまったくその通りなんです,変だなあ」と応える。

治療を経て5年の後に,Yはその当時書いていた日記を村瀬に預かってもらう。当時の自分と別れたいということで,日記は村瀬のもとに保管された。その日記も,クライエントから見た村瀬の面接の印象を伺うことができる。「不思議な感じがした。優しそうな眼差しの先生なのでいい感じになっているとビシッ,ビシッとき決め込んでくるような問いかけをしてきた」。「何かベターッとした気分に崩れ落ち込んでいくのが,ピタッピタッと支えられ,ハッと自分にかえる感じだった。明るくいい気分と何か重くズシッとくる感じとが両方残っている」。Yの村瀬への初対面の印象は的確で,村瀬の面接の様子をリアルに感じ取ることができる。

クライエントは,離人を克服するため空手に打ち込み,断食を試みたりするが,自分の内面に触れることを避けている様子。そこを言語的に指摘すると大きく崩れるような心配がある。村瀬は,外からのショックを受けて治りたいと考えているYに「本当はこのごろ自殺を考えているのでは」と問いかける。Yははっとして,表情が変わり,自殺の考えにとりつかれていることを打ち明ける。その後村瀬は,肯定も否定もせず,徹底して自殺のことを話し合ったという。この瞬間を逃さず問いかける場面には真実がある。無理に言葉にはせず,絵をかいたりするのもいいかも,という村瀬の提案で,Yは絵を描いて面接に持参するようになる。

夢や描画を通して,「言葉にならない」を繰り返してきたクライエントの体験世界が少しずつ形を取り始めるところ,村瀬という人格がクライエントに触れ,その内界が動いていく様が見て取れる。この事例は,今や古典的といってよいものだ。事例プロセスの記述にはクライエントの日記などが挿入され,面接のなかだけでなく,面接と面接の間で,クライエントが面接とカウンセラーをどのように感じていたかが,よくわかる。「クライエントの側からみた心理療法」という観点が生きている。

一人称で書く

もう一つ,村瀬の事例を見てみよう。 

「描画を通したコミュニケーション: 人間不信を標榜しながらも, 他者とのつながりを希求する青年R氏の事例」(以下Rの事例とする)である。この事例は,村瀬が英文誌Pragmatic Case Studies in Psychotherapy に2015年に発表したもので,かなり長編の事例研究である。事例そのものは推定,1970年前後に担当されたものである。同誌にはRの事例について,熊野宏昭とJohn Mcleodがかなり分厚いコメントを寄せている。

来談当初,Rは深刻な家庭内暴力があり,異なる精神科医から,パーソナリティ障害,統合失調性情動障害,非定型精神病等の診断がつけられていた。心理カウンセリングや薬物療法も成果が上がらなかった。村瀬は,孝雄先生がRの元カウンセラーのSVを担当していた縁で,たまたまRの面接を引き受けることとなる。御自宅の面接室で行っていたようすである。村瀬は「人を人として遇し,素直さと真剣さに特徴づけられる関係を作れるよう心がけ,感情を表すため一方法として描画を用いた」と方針を述べている。Rは描画には集中し,毎回,面接に持参し,村瀬の応答を伺う。描画では,ヒトラー,スターリンなど,独裁者的な歴史的人物が次々に描かれる。治療的変化と並行して,その内容も移り変わる。面接を通して,Rの攻撃性は和らぎ,当初村瀬に対しても強い敵意があったが,徐々につながりへの欲求と相手への尊重をもとにした関わりが形成されていく。

マクレオドは,この事例を読み何かの応答を行うにあたって,一人称を使って書くしか書き方がないと感じたと率直に述べている。つまり,事例記述を通して展開するドラマに引き込まれてしまい,読み手として私を前面に出して書かざるをえないということである。

マクレオドは,Rの事例報告を,実践的かつナラティブ的な事例研究ととらえている。ナラティブ(narrative)事例研究とは,セラピーの中で語られた出来事のストーリーを,クライエントかセラピスト(あるいは両方)の視点から語ることを目指す。この形式による事例研究は,専門的なカテゴリ分類に振り分けられるものではなく,記憶に刻まれる生き生きとした描写を提供することで,セラピーについての理解を拡げる特徴を持つ。

そういう意味で,これまで日本で行われてきた事例研究のかなりの部分は,ナラティブ事例研究である。注目すべき点として,「ケースの中で展開していくドラマに読者を参加させるような効果」をもたらす。読み手に個人的な反応を呼び起こすような形で,それを通じて普遍的な人間の重要な問題にふれることができる。

パフォーマティヴな言葉

ここでマクレオドのいう事例研究のナラティブ性に少し留意してみたい。

村瀬の語りの特徴は,セラピー内で起こった具体的な出来事や出会いの瞬間を豊かに記述するところにある。通念的に行われてきているカウンセリングとは裏腹に,村瀬はセラピストの日常にクライエントを招き入れる。これは村瀬一流の方法でありしかも,経験的,実践的な知恵に裏打ちされたものである。R事例では,Rの父や母がよく登場し,実際に村瀬宅を訪問したりする。その描写も重要で,それによって家族の出来事が,複数の声によって表現され,Rの面接だけではわからなかったこと,一面的なとらえから免れる。クライエントやその家族の直接の発言,さらには,セラピスト自身が心の内で自らに語りかけている声もよく記載されていて,40年以上前の事例という時間的隔たりからは開放され,出来事が鮮烈に伝わる。事の仔細はここでは省略するが,この事例で,最も注目されるところは,Rとそのご両親を,村瀬宅の夕食に招く場面であろう。マクレオドは,村瀬のこのような振る舞いをパフォーマティヴ・アーティストのようだとも,コメントしている。

村瀬が実際にクライエントと会うときにどのようにしているかについて,この事例から,一つの手がかりを得ることができる。マクレオドのいうように,村瀬の人との出会いはパフォーマティヴである。行き届いた保護感の中で,遊びと自分を取り戻すゆとりが生まれる。R事例はおそらく,村瀬がまだ30歳代後半の頃のケースであろうが,この姿勢は終生変わっていない。村瀬が全身の行為(パフォーマンス)でRに関わり働きかけているようすがよくわかる。R事例冒頭,初対面で,村瀬が描いたRの姿は次のように記載されている。 

「R氏は黒縁眼鏡をかけ,青ざめてやせすぎ,18歳とは見えず,30歳近い印象。怒りと倦怠感と猜疑心がない交ぜになったような表情」。Rが登場人物として立ち上がってくる。初対面のときから,Rは人間を信じられない殲滅したいと繰り返し,筆者の表情を伺うように「怖くないか」と尋ねた。村瀬は,「そんなに強く人が信じられないということは,想像だけれど本当に大変で辛いことであろうと思う」と答えた。Rは「これまで,どこでもたいてい薄気味悪がられていたのに……」と意外そうに呟いたという。

こうした描写は,人の行為の生きた体験の中に読み手を招き,引き込んでくる。このような記述の在り方についてマクレオドは,分析的,科学的なカテゴリで把握されるもの以上に,「何かがありそうだ」という感覚を引き起こされるという。そして読み手の内に感情や記憶が呼び覚まされる。個人的な反応を引き起こす。河合隼雄がかつて,それのような力をムーヴされるという風に表現し,事例研究は読み手の内部にも,あらたな物語を呼び起こす動機(ムーヴ)を伝えてくれるものであると述べた(河合,1992)。

「一言でどう伝えるか,既成の言葉でなく」。村瀬のこういう言葉を思い起す。鋭く私に突き刺さった。その場にいる相手,その人に伝えること。語りの行為遂行的な側面とはまさしく,そういう言葉なのだが,さて,私の言葉は相手に伝わっているのだろうか。それをどのように尋ね,確かめうるのだろうか。「自分が専門家だというところから始めるのではなく,この現場を理解しようと入ること。教わること。ふつうの人として,むだな構えはもたない」。ふつうの人,自分自身を権威のある専門家ではなく,一人のふつうの人間として,体験を語る。ここで語りは自然な行為となる。このように日々の面接に向かいたい。

むすびに

こうしてみると,クライエントYが「この先生,絵が好きなんだ」と思いもかけず口にするように,とくに○○療法と技法を前に出さなくとも,描画や夢は自然な形で面接に持ち込まれ,治療的な交流を起こす。村瀬は,クライエントとの間で,互に似顔絵を描き合うという方法(相互似顔絵法)を,晩年よく使っていらっしゃった。対面して相手の顔をスケッチしてみる。筆者はとてもまねできないが,これ自体がパフォーマティヴである。クライエントと私が相互に開かれ,遊び,自由になる。その場でいまだ形を成さないものが形になっていく。協働ということのエッセンスはこのことを抜きには,成り立たないように思う。

新潟の夕暮れのひと時,窓辺から見える日本海を眺めながら,村瀬の問いかけの意味を受け取れなかった私の蒙昧さをあらためて感じている。

私とあなたの関係が基本で,そこからはじめる。村瀬に限らないが,私たちはクライエントから様々な思いを向けられ,思い込みを受けやすい。村瀬のセラピストとしての引力は,けっしてあなたをわたしに吸収するということではない。つまり村瀬は,クライエントにとって,具体的な一人の人,ふつうの人として現れる。そして問いかけに対して,率直に向き合う。そのとき,クライエントにとっては,人が初めて自分に語りかけてくれたような感覚を得るようだ。

これだけの事例記述を残されたのだ。その背景にはその数十倍にものぼるだろう人々との治療的交流があったと推測される。村瀬嘉代子先生が,膨大な量の事例資料を,心理臨床における豊かな発想の源泉,宝物として残されたことは幸いである。それらを読み解くことが,私たち後進の仕事である。そこからあらたな心理臨床の立場,考え方,理論が出てくる予感がする。

文  献
  • 河合隼雄(1992)心理療法序説.岩波書店.
  • Murase, K.(2015)The Art of Communication Through Drawing: The Case of “Mr. R,” a Young Man Professing Misanthropy While Longing for Connection With Others. Pragmatic Case Studies in Psychotherapy, 11 (2); 81–116. https://doi.org/10.14713/pcsp.v11i2.1903
  • Mcleod, J.(2015)Narrative Case Studies and Practice-Based Learning: Reflections on the Case of “Mr. R”. Pragmatic Case Studies in Psychotherapy, 11 (4); 239-254. https://doi.org/10.14713/pcsp.v11i4.1928
  • 村瀬嘉代子(2023)クライエントの側からみた心理臨床―治療者と患者は,大切な事実をどう分かちあうか―.金剛出版.
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森岡正芳(もりおか・まさよし)
所属:立命館大学総合心理学部
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書として『物語としての面接―ミメーシスと自己の変容』(新曜社,2002)『うつし 臨床の詩学』(単著,みすず書房,2005),『臨床ナラティヴアプローチ』(編著,ミネルヴァ書房,2015)『臨床心理学』増刊12号「治療は文化であるー治癒と臨床の民族誌」(編著,金剛出版,2020)などがある。

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